【非日常】鮎川羽龍【真性怪異ヴァンパイア:四】

                    ◇


 十二月の日没は早い。

 ぼくたちが学校を出る頃には、空の色は既に黄昏に包まれていた。

 かつての人は、逢魔時とそれを呼んだ。

 昼と夜との境界線。

 闇が蠢くその始め。

 隣にいるもの其は誰か。

 人ならざるものと行き逢いそうだと、そういう恐れを抱いた時間。

 しかし行き逢うまでもなく、人ならざるモノはここにいる。

 それもなんか二人もだ。



「で、なんでぼくに付き添いを頼んだのかな」


 そんな訳で。

 真性怪異シェイプシフターたるこのぼく鮎川羽龍は、隣の吸血鬼に疑問を投げた。


「あら、解らないのかしら鮎川くん」


 剣月まおりの表情は、いつも通りの細目の笑顔だ。

 何もかもを見通しているかのような目。心なし圧力を感じるような。

 この目は正直苦手の部類だ。憂里と同類の目。俯瞰視点のゲイザーアイズ。


「あの子が構ってくれなくなったの、鮎川くんが変なこと言った後からなんだけどなー」

「嫌味ですか剣月さん」

「違うわよ? こんなのただのおしゃべりと再確認だわ」

「…………」


 実際ぼくが一分の隙もなく悪いのだから、何も言えることがない。

 嫉妬。自分の中にそういう感情があったとは気づかなかったそれ。

 その感情を持っていたということは、ぼくは飛倉さんに憧れていたんだろうか。

 誰かに隣にいて欲しいだなんて思っているのか。

 嘘を抱えたままでも幸せになりたいと思っているのか。

 一体どこにそれを感じたのか、自分に答えは出せなくて。


「……偽物だよなぁ」


 呟く。

 他人に求められない答えなのに自分自身さえ知りもしないなら、果たして誰が解るだろう。


「ところで、鮎川くんは何時から気づいていたのかしら?」

「最初から。……じゃないか、夏休みが明けてその時から」

「そう。私と同じなのね。出会ったその時と言う意味なら」


 お互いに視線を合わさずに、遠くの空を見つめたままでぼくらは喋る。


「やっぱり知ってて付き合ってたんだ」

「当然の話よっ? 私たちのようなモノは、同類の気配に敏感でしょ?」


 あなたと私がお互いに秘密に気づいていたように。

 そう、小さい声で付け加えて。


「随分と無茶なはったりをしてくる子だと思っていたわ。飾らずに言うのなら、とても面白いものを見たって気持ち。恐れるでもなく怯えるでもなく話しかけてくるようなのなんて、今時はとっても得難い資質じゃないかしら?」

「……そうだね」


 それはきっと非日常を求めていたあの男のように。

 多分ぼくたちのような存在は、そういう態度にとても弱い。

 だってぼくがあいつと関わったのも、似たような理由だったのだから。


「初めは遊びのつもりだったわ。退屈を埋めるための暇つぶし。ちょうど拠点をこの町に移すことを決めた頃だったから、表向きの立場として学生生活とかもいいかなって」

「…………」


 本当に気軽に、今日の夕飯はカレーでも作ろうかと思い立った程度の口ぶりで、剣月まおりはそれを言う。人間に関わることを決めたきっかけを語る。


 ぼくたちは本来、そちらの側の存在だ。

 ヴァンパイア。闇夜の女王。

 シェイプシフター。誰でもない誰か。

 どちらにしたって外側だ。社会に関わる必要のない存在。

 人間たちを玩弄する権能を有する真性怪異。

 それを人の間に繫ぎとめるだけの出来事は、一体何があったんだろうか。


「派手なことは特にはなかったわっ。

 本当、ただの日常。どこにでもあるような睦みあい」

「女性同士の関係と言うのはまだそこまで普遍化してないと思うけど」

「もうっ、そんなことは言っちゃダメよっ?」


 剣月さんは、くすりと笑んだ声を出して。


「私が本物だと知っていて、だけどそのことを触れてきたりしなくてね? 私の方から殊更に主張するようなこともなかったけども、どこまでそれが保つのかなって気になって。


 からかうつもりで唇を奪って、お菓子のつもりで血を啜って、愛玩のつもりで接してたのに、あの子全然嫌がらないのだもの。それどころか私が飲ませた血を、人間なのに健気に嚥下しようとして微笑むんですもの。その姿がいじらしくて、可愛くて、」


 だから、


「気づいたら、本気になっちゃってた」

「…………」


 剣月さんの方へ顔を向ける。その表情は慈しみ、好奇心、食欲、様々なものに見て取れて。

 愛、と括っていいのだろう。

 純正な人間のものとは違うけれど、しかし偽物ではなく本物の。

 誰かを愛し、愛される。

 憂里はぼくの感情を嫉妬と呼んだ。嫉み。妬み。羨ましさ。持たざるモノに焦がれる感情。


 なら。

 そのことを、ぼくは羨ましく思っているのだろうか。

 一人きりではないことを。嘘を受け入れられることを。


 ……だけど、そこでいいんだ、惚れるところ。


「私の惚気はこれぐらいにしておきましょうか」

「えっ」


 普段の剣月さんならもっと長く惚気てくるものだとばかり。


「その反応については追求しないでおいてあげるわねっ?」


 それはそうと。


「ちぎりはね。私の大切な『人』なの。失いたくないなって、珍しく思えた人間なの。

 だからこんなところでお別れしたくないのだと、そう思っているのだけれど――

 一体どうしたらいいのかしら?」


 それをぼくに問うのか。

 人でなしのシェイプシフターに。


 きっとこれは独り言のつぶやきのようなもの。

 ぼくに向けたものではないと捉えようとしてみるけれど。

 それでも。痛む。


「剣月さんでも、解らないことあるんだ」

「だって神様じゃないもの。私だって」

「…………」


 意外な答えに絶句する。

 いや、確かに当然なんだけど――


 剣月まおりは万能だと、何でも出来る存在だと、何故かそうだと思っていた。

 それが全知を否定するのは、信仰破壊の衝撃で。


「人間だろうと真性怪異だろうと、何もかもが出来る訳じゃないわ」


 けど。


「やろうと思ったことはやってこれたけどねっ」


 それはきっと、真性怪異ならざる人間にだって。


「…………」


 沈黙に入ったところで、急に剣月さんが動いた。


「誰か来たわ」


 静止を受けてその場でストップ。

 すると眼前の曲がり角から誰かがやってくる足音が聞こえてきた。

 影からにょきりと伸びてきたのは、黒のハイソックスに包まれた足。

 そしてそれに続いて中津国高校の制服、眼鏡をかけた顔、そして二つ結びの灰色髪。


「あっ、鮎川くん?」


 委員長でした。



                    ◇



「委員長も飛倉さん家へ?」

「はい。風邪引いてたのならお見舞いした方がいいかなって。……あっ、お土産とか買って行った方が良かったんでしょうか?」


 どうなの、と隣の剣月さんに歩きながらアイコンタクト。


「そうね、私もその辺はよく解らないけれども無理はしなくていいんじゃないかしら。

 こういうことはまずは気持ちで、実際のものは財布の余裕がある時でいいと思うわよ」


「委員長、今月のお小遣いの残りは?」


「あっ……あんまり……。ここ数ヶ月新しく服とか買う事多かったから……」


 今更振り返るけれども、委員長、真神はずきは人狼である。

 今月の頭ぐらいまで変身がうまくコントロールできず、肌を隠すための厚手の靴下とか長袖とかを用意する必要があったらしい。その時に色々とお金を使ったんだろう。

 非日常というものはお財布に優しくないのだと、そんな知ったような事を思ってみる。


「やっぱり昨日騒ぎすぎたせいで風邪でも引いちゃったんでしょうかね、飛倉さん」

「…………」


 剣月さんの方を見る。向こうの顔は相変わらずに笑顔のままでポーカーフェイス。

 視線に感じる圧力と罪悪感の板挟みで、自業自得に心が痛む。


「こ、この時期は寒いからね、うん」


 圧力に耐え切れずへしゃげた心から出る言葉は、ぼくらしくない無難な一言。

 なぜだろう、剣月さんの視線の重さがなんだか更に増した気がする。


「飛倉さん寒そうな服装好きですしねー。ええとぱんくふぁっしょん……?」

「あれをそうまとめるのはちょっと可哀想じゃないかな?」


 思えばあの赤と黒を押し出した格好も、吸血鬼性の主張のためだったんだろう。

 言動。外見。自分の構成要素のすべてを虚像の吸血鬼に近づけていくその努力。

 それは自分にはできていない事だ。記憶喪失という虚偽を使って、己を変える覚悟もなく鮎川羽龍を手にいれたぼくには。


 自分は一体誰のつもりでいるのか。

 メイドさんから言われた言葉が今更再びまた刺さる。


「……偽物だよなぁ」


 呟く。

 嘘吐きとしての実力はぼくの方が上だったのかもしれないけれど。

 嘘吐きとしての熱量はぼくなんかでは比べてはいけないぐらいに向こうが強い。


「ところで三人一気に押しかけるとかおじゃまになったりしないかしら……?」

「ぼくに聞かれても答えられないんだけど剣月さん。委員長はどう思う?」

「えっえっ、私に聞かれても解りません困りますっ」


 ぼく:友達とか作れるような存在ではない。人外。

 委員長:この年齢になるまで友達がいなかった。ぼっち歴長し。

 共に人の家に行く時のマナーとか知りようがない。

 質問対象としてあまりにも不適切すぎる……。


「私は後から行くから先にお二人に譲ってあげるわ。恋人同士、なのでしょう?」

「ちっ違います違いますっ! 私と鮎川くんはそういう仲じゃありませんからっ」

「確かにそうだけどそんな勢い良く否定されるとちょっと悲しいなー」


 恋人同士って飛倉さんと剣月さんみたいなことをする間柄だということは、ぼくも一応分かっている。キスをしたりだとか口移ししたりだとかそういうことをするような程の間の深さは流石にぼくは持ってない。


「そもそも、ぼくたち二人で行こうにも飛倉さんの家知らないし」


「えっ。私知ってますけど。飛倉さんの家の場所」


「えっ。……なんで知ってるの?」


 思わず失礼な問いが口をついた。


「それはですねー……あのですねー……んん……友達ですから!」


 もじもじと恥ずかしがりながら、しかし最後には満面の笑みでそう言った。




                    ◇


 結論から言おう。

 飛倉ちぎりは見つからなかった。


「閉じこもっているどころか、まさか家に帰ってすらいないなんて……」

「予想とかもしてなかった?」

「さすがに調べる時間もなかったものは知りようがないわよ?」


 ですよねー、なんておどけた答えは返せずに。

 剣月まおりの超常性はタネも仕掛けもあったのだなと改めて寂しさを重ねて行く。


「どうしましょう、傷ついていたちぎりの心と体を私の指で慰めて、そのまま初めての体験を一緒にしましょ? って素敵なプランを立てていたのに……」

「剣月さん? 未成年のそういう行為をほのめかすのはダメじゃないかな?」

「そうね。親の合意が必要って建前があったかしら。そのぐらいなら幾らでも何とかできるのだけど、なかなか会わせてくれなかったのよねっ」


 そんな物騒なことをいうからではなかろうか、という思いは飲み込んで。

 付き合っているのは同性の吸血鬼です、というのはなかなか言いにくかったんだろう。

 同性であるというハードルがある。

 吸血鬼であるという障害がある。

 そして何より嘘がばれる。

 嘘つきにとっては取れる訳がない選択肢だったんだろう。


「探すわよ、鮎川くん」

「……まあ、断る理由はないけれど」


 応じる。

 流石に責任の一端があるのは、ぼくでも少しは気に病むし。


 とは言え――捜索ってどうすればいいのだろうか。

 真性怪異の気配ならともかく、人間のそれって区別つかないからなあ……。

 当ての皆無さに迷いながらも、ぼくは剣月さんと逆方向に駆け出した。

 飛倉さんのいそうな場所とか、皆目見当もつきはしない。

 というか、彼女のことで知っていたことなど指折り数える程には少ない。

 クラスメイトで。剣月さんの恋人で。吸血鬼だと名乗る嘘つきで。

 せいぜい思いつくのがこのぐらい。

 好き嫌いだとか、ストレスの解消法だとか、沈んだ時の行き場とか、そういったものの何一つ、考える取っ掛りすら解らない。


 同じクラスの人間だから、知っていたほうがよかったんだろうか。

 人間だったら、そういうことを知っておこうとするものなんだろうか。


 解らないから足を進める他はなく、無軌道に適当に、しかし感覚器だけは鋭敏に。






 そうして町を走り回って――

 太陽が完全に稜線に沈むその直前、ぼくはそれに出会ったのだった。






「――あら?」


 黄昏に沈む夕の町。

 昼でも夜でもない境界線。

 顔の解らない暗がりの中で、しかし誰だか一目で解った。

 目の前の少女が誰なのか、ぼくは答えを知っている。


 少女。そう。女の子。

 幽鬼のように紅い瞳を輝かせて。

 その瞳と同じ色をした赤色メッシュの混ざった髪を靡かせて。

 背後の宵闇に溶け込むような黒いドレスで身を包んで。

 そして、そして、腕の中には、気絶した人を抱いていて。

 眼前の少女の口元から覗くのは白い牙。

 そこから赤い血が滴っていて、抱えられた人の首からも同じ色が溢れている。


 吸血鬼。

 真性怪異の名前が頭に浮かんだ。

 ただの嗜好の好血じゃない。

 ただの病気の変異でもない。

 おとぎ話の、ホラー映画の、オカルティクスの吸血鬼として、彼女はそこに立っていた。

 それは彼女の特徴ではなかったはずだ。

 昨日の夜までの彼女は、そんなものなど持ってなかったはずなのに。


 だから。

 だからぼくはその名を呼んだ。


「――飛倉さん」


 果たして。

 果たして君に何があったのかと。

 まるですがりつくかのように、疑問の答えを求めに叫んだ。


「なぁんだ、鮎川くんじゃないっすか」


 ぼくに視線を向けながら、彼女は軽く微笑んだ。

 妖艶、という二文字が的確だった。

 脳内を埋め尽くすクエスチョンが、更に密度を上げ増して。

 彼女は一体どうしたんだと、解らない疑問がリフレインする。


「まさかこの姿を最初に見る知り合いがそっちだってのも、何だか悔しいっすね」


 抱えていた誰かを投げ捨てて、飛倉さんは照れくさそうに首筋を掻いた。


 この姿。

 ぼくの知っている飛倉さんは紅い瞳をしてはいなかったし、牙も生えてはいなかった。

 吸血鬼ではなく、人間であるはずだった。


「何を。してるのかな」

「何をってあはははは、見てわかんないんすか? 普段から言ってたっすよね? 私は吸血鬼ですって。だからそれらしいことをしてるだけっすよ?」


 飛倉さんは哄笑する。正しい自分を高らかに歌う。

 お前の指摘は間違いだったと、その証明を告げている。

 けれどそいつは後出しだ。ぼくはそれを知っている。



「そう。ならそれはいいとして、学校休むなら連絡とかしとかないと」

「く、あはは、あははははは、この姿の私を見て言うことそれっすか? 結構面白いヒトだったんすね、鮎川くん、あははははは!」


 飛倉ちぎりは愉快に笑う。

 おかしいなあ……別に冗談を言ったつもりもないんだけども。


「残念だけど、昼の世界に戻るつもりはないっすよ。

 こうやって正しい私になれた以上、成績だとか進学だとか、そんな人間社会の将来なんてものは最早どうでもいいことだから、義理を果たす必要もないでしょう」


 ごく自然に、飽きた玩具について語るかのように、人外の理屈を口にする。

 最早彼女は真性怪異ヴァンパイア。人間社会の何もかも、彼女を縛る権利はない。


 だがしかし――一体何時にそうなった。

 クウェンディ症候群の発症から真性怪異への昇華。

 一晩のうちの変化にしては幾ら何でも早すぎる。

 願望通りの吸血鬼と化すのも都合が良すぎる。

 なら帳尻を合わせたのは一体誰だ。

 問うまでもなく、鏡の向こうに思い至った。

 フォークロア。

 百鬼夜行の顕現を望む、暗夜行路の嵐の王。


「だから私は帰らないっすよ。夜の海原に出る私には、人間たちの社会はもう関係ない。街を歩く塵の欠片たちの営みなんて、海の向こうの小魚の動きほどにも無縁だから」

「それは。剣月さんのところにも?」

「――ぐっ」


 流石にこれには言葉が詰まるようなのか、飛倉さんは呻きを漏らす。

 やっぱりそこが彼女のアンカー。人間たちのいる世界に、彼女を繫ぎ止める碇。


「今は。会わない」


 そうして言葉になった回答は、しばしの別れを告げるもので。


「本物になった――じゃない、本物の姿を見られたとはいえ、私もまだまだ吸血鬼として未熟っすからね。何時かまおりに胸を張って迎えに行けるときが来るまで、しばらくお別れっす」

「それは一体何時になるまで?」

「何時かは何時か。予定は未定。私が自分を好きになるまで」


 惜しむように、だけど決意を持っているように、そんな表情を繕いながら、飛倉さんは覚悟を告げるふりをする。


 ふり。そう。覚悟を決めたように見えるポーズだけ。

 ぼくでさえも見抜けるぐらいのばかばかしくなる軽薄偽装。

 本物の吸血鬼になってなお、嘘を積み重ね続けている。


「そんなことを言ってたら、何時になっても帰れないと思うよ」


 告げる。

 それを言わせた感情は、心配とは違う別の何かで。


「きみが戻ろうとしないのは、ただのバツの悪さだろう」

「…………」


 返された反応は、沈黙。

 それをいいことに、更にぼくは槍刺す言葉を重ねていく。


「本物の吸血鬼になれたことはおめでとう。だけどそれはつまり今までの自分とは別物になったということだ。剣月まおりに愛されていた人間の飛倉ちぎりではもうないということだ。これまでと同じように愛し続けてくれるとは解らないということだ」


 吸血鬼かのじょ人間じぶんを愛してくれたのは、種族の違いがあるという格の上下のせいかもしれない。

 吸血鬼かのじょ人間じぶんを愛してくれたのは、弱い者が縋ってくるのが気持ちよかったせいかもしれない。


 皮肉な話。

 本物になったということが、今まで持っていたものの真偽を疑わせている。


「だから怖くて帰りたくないだけだよね。

 彼女の愛を得るために本物になりたいと願ったのに、戻った時にあったものが偽物だったなら、全てが無意味になっちゃうから」


 人間であることをやめたことも。

 この半年以上過ごした日々も。

 彼女の愛を信じたことも。


「――黙るっすよ」


 びゅう、と風が顔の横を吹き抜けた。

 一拍遅れて、背後で何かが壊れる音が聞こえてきた。


「今、私は危うく鮎川くんを殺すところだったんだけど……この意味、解るっすよね」

 振り抜いた腕の先と、その引き起こした破壊の爪痕を見て、飛倉さんは言う。


「そうだね。それがなにか」

 その程度のことが。

 黙る理由になるものか。

 こうやって喋らせている衝動の名前も、自分の中では解らないのに。


「…………」

「…………」


 そうして、無言のまま向かい合うぼくと飛倉さん。

 冬の寒さが沁みる沈黙が続き、そして先に口を開いたのは向こうだった。


「兎に角、今の私は真性怪異ヴァンパイア。人を捨て、人を超えて、新しい本当を手に入れたもの。宿題も社会も将来も関係のない闇夜の女王。吸血鬼。

 だからこの辺でお別れっす。ここから先は別の道。昼と夜。楽しかったけどさようなら」


 ばさり、と大きく音を立て、飛倉さんは翼を生やす。

 黒い羽。蝙蝠の羽。

 物理を無視して空へと舞うのは真性怪異のその特権。

 だから彼女はそれを振るった。

 軽く地面を蹴り飛ばし、夜へ。

 闇夜の中に吸い込まれるように遠くなっていく影を見つめながら、ぼくは呟く。


「……どうしよう」



                    ◇


【NeXT】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る