【あとおき】続いていくぼくたちの日常の裏側の一ページ

                    ◇


「やあおかえり鮎川くん。この世界に残った数少ない生まれついての真性怪異。

メモリイーターの怪物。人でなし。久々の非日常の味はどうだったかい? 

是非感想を聞きたいな」


 家に戻って早々、居候の人魚姫がそんな問いかけを投げてきた。

 確かにぼくはその通りの存在ではあるけれど、言い方ってものを考えられないのかな。


「……最悪」


 ぼくが素直に答えると、憂里みくにはそうだよなと、何時ものように犯しそうに笑う。

 本当にこの高等遊民は気楽そうで、少しばかり嫉妬の心さえ生まれてきそうだ。

 沸いた苛立ちを叩きつけるように、ぼくはポケットの中身を憂里に投げる。

 家を出る前に約束していた、カップアイスを三つ分。


「ふふ、ありがとう鮎川くん。やっぱりキミは最高だ、ちゃんと約束を守ってくれた」


「溶かさないように持って帰るの大変だったんだけどね。

 いきなり電話を掛けられて『ちょっと資料メールしとくから出くわしたら適当に殺人ウェアウルフぶっ倒しといて』だなんて頼まれたぼくの身にもなってほしいよ」

「それでも断らないあたりが素敵だぜ鮎川くん。そこがとっても大好きだ」

「そもそも人の頼みを受ける方に、理由なんてものが必要なのかな」


 出来ない理由でも無い限り、頼まれたことはやるべきだろう。

 それが普通じゃ無いのかなと言い返すと、憂里は唇を歪ませて。


「あははは、キミはやっぱりそうなんだね」


 どうしてそんなに楽しそうなのか、理由は今日も解らない。

 ただ解らないけど解らないなりに、一つだけ察していることはある。

 憂里みくににとっての娯楽は人の生き様の俯瞰だけども、その俯瞰している対象の中にはぼくも入ってるということなんだろう。それも特別ピントがあたっている位置に。


「ところでさあ、処理してきた狼はどうした訳さ」


 外から帰った相手に何か買ってきたか聞くぐらいの気軽さで、憂里はそれをぼくに問う。

 だからぼくも気負わずに、適当にやったことだけを答えよう。


「人間としての記憶全部ぶっ壊して二度と人間サイズのものを襲えないように脅迫感植え付けてやって、気絶させたままその辺に放置してきた」


 多分明日の朝にでも誰かに見つかって、適切に処理がされるだろう。

 人間としてではなく、彼が望んだであろう獣として。


「あはははは、残酷なことをするんだね鮎川くん。せめて野生に返してあげなよ。その辺の山にでも放逐するとかさあ」

「そこまでする義理はどっちにもなかったし。第一あの狼自体はぼく嫌いだし」

「へぇ。何故だい?」

「クラスメイトがすごく沈んでたんだよ。あいつのせいで。だからちょっぴり八つ当たり」

「八つ当たりで完全に人間辞めさせられるだなんて不憫だなああはははは!」


 だけど、


「因果応報というものなのかな、コレは。あいつは元から殺しすぎた。とっくの昔に人間じゃないものになっていた。だとしたら完全に吹っ切らせてやるのが救いとか礼儀になるのかな。まあ野良の狼なんて数日もすれば確実に保健所か猟友会の世話だろうけどね! 明日のニュースが楽しみだよあははははは!」


 相変わらず、憂里みくには他人の不幸で高らかに笑う。

 不謹慎だと思うけれども、そもそもあの人狼を破滅させたのはぼくの仕業であるわけで。

 人のこと言えないよなあ自分、とため息つくポーズは取るが、別に反省する気は無いし、


「……偽物だよなあ」


 呟く。

 自己嫌悪に浸るぼく相手に、憂里はふと思い出したというように、


「そんな偽物の鮎川くんに、本物から電話が来ていたぜ? 早めにかけ直してやるといい」

「そうだね。ぼくも丁度文句言ってやりたかったところだし」


 五人もの犠牲者を出した人狼事件。

 名賀さんと宮雨をブルーにさせた殺人事件。

 そして委員長を悩ませた変異事件。

 ぼくの愛する日常を、危うく蝕みかけた事件たち。

 これらの黒幕相手には、何か言わなきゃ気が済まない。


 部屋の隅っこに置いてる受話器を取る。

 適当な番号をプッシュして、外線ボタンを強く押し込む。

 どこにも繋がらないはずの電話はしかし、すぐにクリアな音になって。

 相手が余計なことを言いだす前に、単刀直入にぼくは言う。





「人狼騒ぎ、きみの仕業だよね。””」

『それはもう君の名前だろ、””』






                    ◇


 ――半年前。茹だるような暑い夏の日々。

 当時自分が何をしていたのか、実ははっきりとは覚えていない。

 適当に成り代わっていた誰かさんの真似をし続けるのに疲れてきたころで、そろそろこの状態から解放されたいなと思っていたころで、だけど具体的に何かをしようとは特に思ってもいなかったころだった気がする。

 他人のフリをして好き勝手するのには早々に飽きてしまった後で、ばれないように気を張り続けるのも流石に限界が来ていたあたりで、だからといってその対策に何をすればいいのかなんて正直考えてもいなかった。


 まるで導火線の上で踊るタップダンス。

 何時崩れるか解らない橋の上でのチキンレース。

 滑稽すぎる破滅が来るまでぐるぐる回るオルゴール。


 非常識の世界は何から何まで自分の行為を責めてるような錯覚がして、街を歩く塵の欠片、システムを廻す歯車の一つ一つ、悉くそれら全てが異常であるぼくを排除しようとしてるのでは無いかと恐れていて、息の休まる暇がなかった。

 破滅の兆しが見えているのに、何をすればいいのか解らない自分に吐き気がしていて、断罪の刃が空から女の子のように降ってくる事を怠惰の中で恐れていた。

 そんなものは幻想に過ぎないと解った振りを続けるのは無理で、自分はいつか社会に断罪されてしまうのだという妄想を確定事項だと信じ込んで、目と耳に映るものの中に天罰を下す死神を無意識に探していて、最高と最低の未来が交差する幻想の光景を描いて脳裏で無限ループをさせていた。

 安息が欲しかった。面倒臭い異常について考えることなく、純粋に永劫回転する平穏を考えなく享受できるような存在になりたかった。

 そんな贅沢すぎる思いを抱いていた中――ぼくは鮎川羽龍に出会ったのだった。


                    ◇


 あの夏の悪夢のような事件を通して、ぼくと鮎川羽龍はお互いが抱く願いを知った。

 平穏が欲しいこのぼくと。

 狂乱を求めるあの鮎川羽龍と。

 最初から真性怪異であったこのぼくと。

 事件を通して真性怪異に成り上がった鮎川羽龍と。

 鏡に映したかのように真逆だけども、だからこそすんなりと取引は済んだ。

 あいつは鮎川羽龍を脱ぎ捨てて、夜の世界へ踏み出した。

 ぼくは鮎川羽龍を手に入れて、昼の世界へ飛び込んだ。

 鮎川羽龍の周りの人間は記憶喪失という言い訳を信じてくれて、委員長のように話しかけてくれる人もできて、ぼくの日常デビューは華々しくなくも順調に進んでいった。

 望んでいた日常を手に入れて、それにだんだん馴染んでいって。

 もはや騙しているという罪悪感すら薄れるほどに、自分は鮎川羽龍になっていった。

 今更それを失うようなことは嫌だから。

 そう。あの時委員長が言ったように、その芽は早めに摘まないと。


『人狼騒ぎが俺の仕業って、一体俺が何をしたっていうんだい。鮎川羽龍』

「あの人狼にクウェンディ症候群を発症させて、真性怪異に仕立て上げたのはきみだよねって尋ねてる訳だけど」


 クウェンディ症候群は幻想の病だ。

 変わりたい、という気持ちが暴走を起こして、患者の肉体まで変化させる精神病だ。

 だけど、あの人狼の中身は何一つ変わっていなかった。

 元から人獣だったものが、獣の姿に変わっただけだ。

 ならばそこには変化をさせた外的要因があった訳だと考えるのは当然で。

 まあ。

 そもそも推理するまでもなく、食らった記憶の隅っこに、こいつが映っていたんだけど。


『流石にそれだけで俺の仕業扱いされるのは心外だなあ。俺がしたことは毎日が退屈で仕方ありませんという顔をしていた先輩を真性怪異にしてやっただけさ。

流石に先輩がしたことまで俺のせいにされてしまったら困る。涙だって出てきちゃうぜ?』


 鮎川羽龍の口ぶりは演技のように大仰だ。

 それは最初に出会った時からまるで全く変わっていない。

 人間であったあの時も。

 真性怪異になったこの今も。


「心にも思ってないことを」

『おいおいおいおい、やっぱ俺のこと勘違いしてるんじゃないかな鮎川羽龍。

俺は今でも元クラスメイトのみんなとか大好きだし、そっちに被害が及びそうだって聞いたから慌ててみくに相手に資料送って電話かけてなんとかしてくれって頼んでみたりしたわけなんだぜ?』


 そう思われるのは迷惑だというように、彼は弁解を口にする。


「自分では何もしなかったくせに?」

『だから俺だって何もしていなかった訳じゃ無い、永楽猟団とか毒林檎だとか厄介な連中の相手をしてて動けなかっただけ――あー、いや言い訳しても仕方ないし格好悪いな。

 知ってる顔だったからという理由で先輩を俺たちの仲間に誘おうとしたのは

の過失だ、認めよう』

「………」

『だけど先輩があんなことやってたと気づいたのは四人目になってからで、間に合ったけど逃げられたのが五人目だ。それ以前はお悔やみ申す以外にどうしようもない』


 電話越しから聞こえる声は、本当に申し訳ないと困っているような口ぶりで。

 あいつが嘘つきで無いのは知ってるけれど、それだからこそ腹が立つ。


『そう。過ぎたことはどうしようもない。だから俺は未来を掴む』

「……急に真面目になったね、鮎川羽龍。一体何をする気なのかな」



 そこだけは譲れない、というかのように、電話の相手は強い声で。


『今の俺は真性怪異フォークロアだよ。鮎川羽龍は君にあげた。大事に使ってくれてるようで何よりだけども、あげたものを今更突っ返されてもかなわない』


「そう。じゃあもう一度聞くよフォークロア」


 百鬼夜行を引き連れて。

 真性怪異を解き放って。


「きみは一体、何をしたいと思ってるのかな」


『そうだね――夜だ。夜をもたらしたいと思っている』


「………」


『俺はさ、今人生がすごくすごくすごく楽しいんだよ。充実してると言っていい。

 この感覚はさ、日常の中じゃ得られなかったものなんだ。君と出会って得たものなんだ。


 日常を過ごしていた俺は、一日ごとに心が腐っていくのを感じていた。

 何か持っていたはずの大事にするべき感情がごりごりとすり減っていくのを感じていた。

 生きたまま退屈や未来という怪物に食い尽くされて食い潰されて、街を歩く塵の欠片に、システムを廻す歯車の一つに、何が幸福かも忘れてしまった灰色の男に作り変えられてしまいそうだと感じ続けていた。


 その感覚は正しかった。こうやって発狂回転する既知の飢餓から抜け出せなかったら、きっとその通りのモノにされていただろうって今でも考えるだに恐ろしいよ!


 真性怪異という非日常は、俺をそれから救ってくれた。

 大人たちが作り上げた社会という名の牢獄は抜け出せるんだって教えてくれた。

 だからその素晴らしさを、開放感を、充実を、世界中の子供達に届けたいのさ。

 俺と同じ思いをしていた、これから同じ思いをするであろう、ありとあらゆる万民に!』


「…………」


『非日常がなかったなら、宮雨は名賀さんを救う経験なんて出来なかっただろうし、

 非日常がなかったなら、委員長は君とは出会わずに今でもベッドで悩んでいただろうし、

 非日常がなかったなら、手に入れるべき救いや解答を得られないであろう人間人外が世界にはきっと山のようにいるに違いないし、俺はこの半年でそれを幾つも見てきたよ』


「だから、きみはみんなのために、非日常を世界にばらまきたいんだ」


『そうさ! 世界に夜を、祭りを、劇的を――非日常を届けるための百鬼夜行。


 幻想未満のこの世界を、現実以上に作り変えるパレードを導くワイルドハント。


 それを引き連れることこそが、今の俺の夢で理想で目的だ』


 楽しそうに、本当にこの上なく楽しそうに、フォークロアは自分の願いを語る。

 非日常の世界で過ごした半年間は、一体彼をどう変えたのか。

 それともあの夏の出会いから、実は何一つ変わってないのか。

 ただ一つだけ言えるのは、彼とぼくとはやっぱり相容れない存在だということで――


「――偽物のくせに」

『――お互い様だろ』


 そうやって短く言葉を交わして、ぼくは通話をぷつりと切った。


                    ◇


 そして月は沈んで朝が来る。

 日常は今日も再開する。

 学校へ続く坂道へと差し掛かると、先を行く猫耳と蛇の尻尾に出くわした。


「おはよう名賀さん」

「おはよー鮎川くん」

「ちょっと俺は無視かよ鮎川!」

「いやなんとなく」

「なんとなくでスルーすんなよ透明人間にでもなったかと思うじゃねーか!」


 随分とユニークなことを宮雨は言う。そういえば真性怪異インビジブルとかいるんだろうか……

またフォークロアから電話がかかってきたら聞いておこう。


「透明人間といえばさ、鮎川は妖怪とか信じる方?」

「随分とオカルティクスなことを言うんだね、宮雨。何かあったの?」

「あー……いや、なんでもねえ。気にすんな忘れて」


 変なことを言っちまったぜというように、ひらひら手を振って宮雨は話を打ち切る。

 非常識の出来事なんて、証拠が明確に残ってでもいなければこうやって自分の中で抱え込むのが普通の人間のあり方だ。常識の範囲の世界では非常識を知ってることなんて特に役に立ったりはしない。言いふらしたところで変な人扱いされるのが関の山だし。大事なものは自分の心の中にだけあればいいと、そんな言い方でもすれば格好いい話になるだろうか。


「宮雨……」

「いーのいーのかがしさん、あれは俺たちだけの秘密ってことにしとこうぜ」

「そう思うならちらつかせるような言動やめようよ」

「怒涛のマジレスッ!?」

「……だけどあの時、格好良かったよ宮雨」

「……センキュ」


 そう言ってお互いに顔を逸らして照れ隠し。

 彼らの付き合いは特に変化を見せたりもしておらず。

 今日も世はこともなし。ぼくが手に入れた日常は、今日も平穏に回っている。


「と、」


 後ろから聞こえた声にふと振り返る。


「あーーーゆーーーかーーーわーーーーくーーーーーんーーーーーー!!」


 だばだばだばだばー、という擬音がつきそうなぐらいに勢いよく、委員長がぼくめがけて一直線に向かってきて、――ぐわっ。


「わにゃーっ!」


 犬だか猫だか解らない叫びとともに、委員長がこっちに飛びかかってきた。

 そしてぼくらはもつれ合うように路上に倒れこむ。


「鮎川くんだわんきゃんきゅーん!」


 そのままじゃれる犬のように頬を擦りつけてくる委員長。

 このままほっといたら舐めてきたりしそうで、やめて路上でそれはまずい……!


「あれちょっと待って委員長そういうキャラだっけ!?」

「なあ鮎川……一体委員長に何したのさ?」

「いや本当ぼくにも心当たりが無いんだけど、むぎゅっ」

「わふっ」

「はーいはいはいどうどうどうどう、落ち着こうかー委員長」


 名賀さんの尻尾によって委員長はぼくから引き剥がされる。た、助かった……。


「はう、鮎川くんの匂いを感じていてもたってもいられなくて……」

「……なんかキャラ変わってない? 委員長」

「はい! 真神はずき、アルターエゴを受け入れて、もう少し素直になってみようかと!」


 憑き物が落ちたような顔ではきはきという委員長。

 何があったのかよくわかんないけども、元気になったのはいいことだろう。


「だからですね鮎川くん、今度のお散歩は週末あたりに行きたいと思うんですよ。次はちょっと遠出して自然公園の辺りまでとかどうですかね、あそこで思いっきり走り回ったらきっと気持ちいいと思うんですよ鮎川くん!」

「ストップ委員長! そんなことを人前で言うのはやめよう、ね!」

「やーだこの人たち朝っぱらからデートのお話してますよかがしさん」

「熱いねえ……ところで宮雨、またちょっと買い物ついてきてほしいんだけど」


 おうこら自分たちの言動を確認してみようかきみたち、という余裕すら与えないほどに、委員長はぼくにまたべったりとくっついてきて。引き剥がすのも気がひける。

 こんな毎日が楽しいなぁと思うけども、楽しければ楽しいほどに騙している罪悪感がまたゆっくりと首をもたげてきて、


「……偽物のくせに」


 呟く。その言葉は白い吐息と共に冬の朝に溶けていって。


「どうしたんですか鮎川くん? 早く学校行かないと予鈴なっちゃいますよ?」

「あ、うん。そうだね」


 かけられた声に我に帰る。腕時計に目を落とすと、確かにそんな時間だった。

 罪悪感とか思い悩みとか、日常に必要ないものを振り払うように。

 ぼくは学校へ向けて駆け出した。


                    【To be Continued…】

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