【非日常】????【真性怪異ウェアウルフ 壱】
◇
――この世の全ては偶然だ。
それが全てを諦めるこつだと、何時かの昔に誰かが言った。
真理だろうと、ワタシは思う。
世界の流れに意味なんて求めるのは夢想主義者のすることだ。
全ては偶然。意味などない。理由などない。
恨むべきは運だけだ。ありうるのは物理的な原因結果の因果律だけだ。
だから世界を責めるのに意味はない。
ましてや自分に原因を求めるなんて馬鹿馬鹿しい。
尊敬していた先輩が陸上部を辞めざるを得なかった病気だって偶然だ。
軽蔑していた先輩が陸上部を停部に追い込んでくれたことだって偶然だ。
今晩たまたま電灯が切れたのだって偶然だ。
今晩たまたま両親が出張でいなかったのだって偶然だ。
今晩たまたま自分一人で電灯を買い替えに夜歩きに出るのも偶然だ。
偶然。偶然。そう思えば全ては諦められるはずなんだ。
今のこの状況もきっと偶然だ。私に罪は何処にもない。責められるべきは運だけだ。
それでも他に、運命的なナニカ不思議を物事の原因に求めてしまうワタシは、どうしてこんなに愚かなのだろう――
「――あは」
凍えるような寒い冬。
人寂しさに血が凍る。
幻燈町の夜道は昏く、星と月と、点在する電灯の光だけが見下ろしている。
静寂の町は夢の中を歩くかのような非現実感で、それでも聞こえる自分の心音と呼吸音だけがここは覚醒世界だと残酷すぎるまでに告げていた。
眠りについたアーバンタウン。
凍てつきそうなサイレントナイト。
幻想的、しかし何処にでもありそうな街路の中に、在り得ざるべきソレは居た。
約一メートルの体高は、犬とは違うと如実に告げる。
消えかけのライトに照らされた毛並みは、灰被りのようなホワイトグレー。
ふとすれば見落としてしまいそうなぐらいごく自然に、さりとて存在自体が不自然に。
その狼は、ワタシの眼前に佇んでいた。
「……狼、だよね」
呟く。それは幻覚などではないと、ワタシの五感は告げていた。
冬の風に揺れる体毛。冬の風が運ぶ獣香。否定のできない現実味。
脳裏に最近のニュースの一節が浮かぶ。
殺人事件。まるで獣に食い荒らされたかのような惨殺死体。
聞いた時には巫山戯ているなと思っていたが、ここで考えを改めた。人の仕業じゃなかったんだと。本当に獣の仕業だったんだと。ただの人間なら、きっと生き延びることはできないだろう。その未来を想像して、背筋に寒気が走ったのを感じた。
狼の顎が開く。
血で牙を濡らしたその顎が、ぬるりと血涎を光らせてその顎が、開く。
反射的に走り出す。生き延びたいと、死にたくないとただそれだけを考えて――
「――――――」
その顎から放たれた、獣の叫びから逃げ出した。
◇
迫る絶望から。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
心臓は最初の一歩から限界で、破裂しそうに喘いでいる。
肺に刺さるような冬の呼気が痛い。痛い。痛い。痛い。
だけどきっとあの牙の方が痛いと信じて、悲鳴をあげる体を抑え込む。
どうしてあんなものがこの街にいるのかはわからない。そもそも日本の狼は絶滅したんじゃなかったっけ――いやあれはニホンオオカミの話であってまだ何処かに生きているのか。でもエゾオオカミも絶滅したってこの前テレビの動物番組でやっていたしと現実逃避をするかのように、どうでもいい知識が脳裏をよぎる。きっと動物園から逃げ出したんだ。確か最近雄狼のケージが出来たって聞いたしきっとそいつが。だけどチラシの記憶にあるそいつは灰色なんかじゃなかったよなあと無駄なことばかり連発して思い出す脳に腹をたてる。
幸い私は陸上部だ。足の速さには自信がある。自信がある。私は速い。普通の人より。
そうだ。人より。人よりは速い。
――だからと言って、狼よりも速いのか?
不安が疑問符を引き連れて、私の心を襲ってくる。
大丈夫。大丈夫。そうだと信じろ。そうでなければ死んでしまう。
――ニュースで聞いた人たちのように。
思い出し、あれが人食いであることを意識する。
背後からはまだ狼の声が聞こえている。走っている。追いかけてきている。
私を食おうと狙っている。
「――来ないでくださいっ」
叫ぶ。理解できないとわかっていても。
相手は獣だ。狼だ。人心なんて解さない。命乞いなんて無駄に尽きる。
だから生きようとすることだけ考えて、逃げることだけ考えて――
「あれ、」
――ドコマデニゲレバイインダッケ?
逃げる。ただそれだけを考えていたけれども、逃亡の終わりはどこにある?
狼が見失うまで走り続ける? 走っている場所はほとんどまっすぐ一本道だ。
狼を振り切るまで走り続ける? ほんの少し振り向く後ろ、相手は余裕でそこにいる。
酸素不足で喘ぐ脳髄はいらないことばかり考える。
狼の嗅覚は優秀だ。匂いを覚えたなら何処まで逃げたって追ってくるかもと心が囁く。
狼に比べ人は脆弱だ。人のいる場所に出たとしても誰も助けられないかもよと心が囁く。
絶望はしつこく心の隅からうじゃうじゃと、這い回る虫のように湧いてきて、
だけどもしかしそれ以前に――
「なんで、誰も、いないの――」
幻燈町は都会じゃない。時間は今は夜中であって、人通りだって当然少ない。
だけどここまで走って誰にも出会わないなんてこと、酷い偶然でもなきゃありはしない。
今時は夜中であったって、車は平気で走る時代だ。文明の光は街を遍く照らすはずだ。
なのにどうして誰も私と狼の前に現れようとしないんだろう。
悪い夢の中を走るようだ。
震える足は感覚を無くし、前に進んでいるのかさえも自信を持てない。
「あ――」
そして終末は訪れた。
緊張の連続に耐えられなかった足はバランスを崩し、そのまま地面へと転倒する。
頬に地面の冷たさと石塊が刺さる痛みを感じる。立ち上がらないと。もう一度。
――だけどそれは叶えられなくて。
狼の息遣いが近づく。私を貪ろうと迫ってくる。
ヤメてその足は私の自慢なのお父さんもお母さんも褒めてクれたところなの先輩と繋がるための絆だったのだからお願いタべないで噛みつかなイでそんな目で見ナがら舐めまわしタりしないデ痛い痛い痛い痛い痛イ痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――――――――――
◇
これから語られるのは、ずれてしまった少年少女たちの物語だ。
毒虫でこそないけれど、既に人間以外であるモノたちの話だ。
と書いてしまうとまるで悲劇の幕開けのように聞こえるが、それは既に始まった後だ。
例えばちょっと覗いた路地裏で殺人鬼に遭遇したら? 些細な油断と増長で行ったことが七代続くような祟りを招いたら? そんな事を考える奴は間違いなく誇大妄想狂だが、そんな事は実際にこの世の何処かで起きていると言うのは最早悪い冗談のような真実だ。
悲劇の幕は、どんなところにだって転がっている。
何かの変化があってしまえば、日常はたやすく崩れ去ってしまうのだと言う、つまりはそう言うお話だ。
非日常。それを一体君はどう思ってるだろうか。
唾棄すべき停滞の破壊。繰り返される退屈を打破するもの。歓迎すべき異常の代名詞。
すこし年齢を重ねて矮小な身になってしまった「人間」ならば、何としてでも忌避したい不条理という存在として怯えているんだろうか?
笑ってしまうほどちっぽけだ。重要なのは喝采だ。歓迎だ。発狂回転する既知の飢餓からぼくたちを解き放ってくれる概念ということだ。ループを砕いてくれる福音ということだ。
内側からでは変えられない円環運動を破壊してくれる異常を、超常を、不条理を、奇跡を、ぼくはかつて求めていた。
それさえあれば世界は輝けるものになるのだという幻想を信じきっていた。
そして今。それを手にしたことによって、世界はこんなにも楽しいということを皆に伝えたい。
それでは本編を始めよう。
薄氷の上の日常を渡る、滑稽なコッペリアたちの踊りと一緒に。
多分滅多にないであろう、非日常の話をぼくらは語ろう。
【STart】
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