4話 「君のぬくもり」

 

 霞の病気がステージ3になった。

 それは病院に行ったときに、霞の口から直接聞かされた言葉だった。


「……私、ステージ3になったんだって」


 小説を読んでいた僕は、顔を上げ霞を見つめる。

 だが霞は窓の方を向いて、こちらを見ようとはしなかった。


「な、なんで? 霞は抗がん剤や点滴だって行っているじゃないか? ひどい症状だって見たことなし……」


 霞は僕の顔を見ると、苦しそうにつぶやく。


「それはたっちゃんが見ていないだけだよ。この前も鼻血が突然出たし、吐き気だって止まらないんだよ? それに食事だって喉を通らないし、点滴がないと体がもたないの」


 じゃあ僕が見ていた霞は張りぼてで、見ていないところではずっとずっと苦しんでいたのか? 

 僕はいつの間にか本を床に落とし、顔を下に向けていた。

 だけどステージ3なんて早すぎるだろう! まだ二か月しか経っていないんだぞ!? どう考えてもおかしい!


 医者に直談判しようと立ち上がると、霞がすぐに止める。


「どこに行くのたっちゃん? お医者さんに言ってもどうにもならないよ? だって、お医者さんですら頭を抱えていたのに……」


 なんだそれは! 医者だろ!? だったら霞を治せよ! どうして霞を治せないんだ!? ここは何人も治したって言ってたじゃないか! 


 まるで世界が霞を殺すために、動いているような気がして僕は許せなかった。頭に血が上り、なりふり構わず暴れたい衝動に駆られる。


「たっちゃん落ち着いて。でもまだ治らないわけじゃないよ? だから私頑張るからそんなに怒らないで」


 再び椅子に座ると、霞の手を握る。


 今ではやせ細り、今にも壊れてしまいそうな感覚に陥るが、僕はそっと手を握りしめ抱き寄せた。


「こ、こんなタイミングで言うのはおかしいかもしれないけど、僕は霞のことが昔から好きだったんだ。だからこれからも一緒に居てほしい」


「……」


 霞からは返事がなく、ただお互いの沈黙だけが部屋の中で広がる。


 やっぱり駄目だったか? 勢いに任せてしまったが、僕の気持ちは言った。臆病者である僕にはこんな告白が限界だ。そう思いながら胸の中にいる霞に視線を移すと、彼女はなぜか泣いていたのだ。


「……やっと、やっと言ってくれたんだ」


 彼女はそうつぶやくと、細い腕で僕の体を力いっぱいに抱きしめる。


 もしかして両想いだったのか? だったら僕は、とんでもなく回り道をしてきたことになる。小学校、中学校、高校と片思いだと思っていた時間は、本当はお互いにもっと近づける時間だったということだ。なんて僕は馬鹿な男だろうか。もっと早く気が付いていれば、霞といろんな場所に行けたし、いろんな物を見ることもできたのに。


「ごめん……僕はずっと気が付いていなかったんだね」


「そうだよ、ずっと前から好きだったんだよ?」


「ごめん……」


 僕は霞を抱きしめると、勇気を振り絞って頬にキスをした。


「たっちゃん、どうして頬なの? ここは唇だよね?」


 霞の指摘に、小さく唸ってしまう。


 く、唇なのか? だってそれは恋人同士がすることだし……でも僕たちはもう付き合っているのか? とにかく唇のキスはまだ勇気がない。


「ごめん、唇はまだできそうにないよ」


「もういいよ、たっちゃんは臆病者だって知っているから」


 互いのぬくもりが感じられるまま、窓の外を見た。やはり今日も雪が降り積もり、しんしんと無音の世界を作り出そうとしている。僕たちがいるこの部屋も、雪に閉じ込められた無音の世界のように感じられた。


「たっちゃんの隣には、私が居るからね」


「うん、霞は必ず治るよ。だから霞が戻ってくるまで待っているからさ、もしだめなら僕から迎えに行くよ」


「異世界でも?」


 真剣に言ったのだが、霞は少しふざけたように答える。


 異世界だと不可能じゃないかな、でもどうして異世界なのだろうか? 僕は病院にという意味で言ったんだけどな。


「うん、異世界でも迎えに行くよ」


「じゃあ待ってる」


 僕は霞を抱きしめ続ける。


 きっと霞はまた元気になって、僕と小説の話をするはずだ。

 

 そしてたわいもない会話を、学校の帰り道にすることだろう。


 僕が社会人になれば、霞は大学生になって休日はデートをするはずだ。


 霞が社会人になれば、僕は給料を貯めて指輪を買うだろう。


 プロポーズはどこでするかはまだ分からないけど、きっと上手くいって結婚する。


 僕は霞との幸せな家庭を築いて、穏やかに老後を過ごすことだろう。







 入院から三か月後、霞は息を引き取った。





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