第六章(一)

 特別捜査主任チャールズ・パーソンズは、まどろみかけた意識を安物のキャスター付きの椅子の背もたれの悲鳴で呼び覚まされた。折れる寸前の背もたれが、かろうじて生きていることを確認して、再びゆっくりと体を預ける。

 ここ数日間まともに眠っていない。

 あの馬鹿者たちがとんでもない事件を起こすのではないかと心配でたまらない。電話のベルが鳴る度に、その巨体が跳ね上がり心臓が飛び出そうになる。

 上手く言いくるめられたとは言え、それを上司に報告せず黙認してしまった以上、自分も同罪なのだ。連中が事件を起こせば査問委員会にかけられ間違いなく実刑が下る。そうなれば、これまでまじめに生命を賭けて勤め上げた人生が全て水泡に帰する。恩給もパーだ。後数年、無事に職務を全うすれば、退職後は田舎に移って動物相手にのんびり暮らそうと思っていたのに、何で今になってこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだ。チャールズは天井を仰いで自分の不運を呪った。

 しかし、恨んでばかりもいられない。彼らが言っていたようにFBIの内部に裏切り者がいるのは状況から見て間違いない事実だろう。眠れない原因はそこにもあるのだ。毎日遅くまで局内に残り、教皇暗殺未遂事件の資料を検索し、関係した捜査官にそれらしい人物がいないか調べている。

 そんなことを続けていると、全ての捜査官が疑わしく見えてくる。だから誰にも相談できずに、全てを自分一人でやらなければならない。

 医者に止められていたタバコに火を付け、資料に目を通そうと体を起こした。何気なく廊下の窓に視線を移すと、そこには久しく見なかった出で立ちの人物が窓を横切った。

 チャールズは、その巨体に似合わない俊敏さで立ち上がり椅子をはねのけ、部下たちのデスクを押し退けながら廊下に出た。目的の人物はもう既に廊下のはるか先を歩いている。

「ちょっと待って下さい、神父さん」

 走りながら大声で叫んだ。廊下にいた者たちが驚いているが、気にしない。呼ばれた神父も目を丸くして立ち止まっている。

「やあ、お久しぶりですね」やっとのことで追いついた。息も絶え絶えだ。「どこに行かれるのですか」

 神父は深々と頭を下げた。確かこの神父は、コレットとか言ういけすかない神父に、いつもひっついていた奴だ。

「お久しぶりです。実はコレット神父がヴァティカンに行かれたので、その後任で私が教会を任されることになりましたので、フリー局長にご挨拶をと思いまして」

 あの馬鹿局長が。部外者を局内にうろうろさせやがって。

「しかし、ここは神父さんの来るような所じゃありませんし、はっきり言ってうろうろされると困るんですよ」

「おお、そうでしたか。申しわけございません」神父は恐縮しているようだ。「ただ、今回の教皇猊下の一件では大変なご尽力していただいたので、一言お礼が言いたかったのです。聞くところによると、ラビエルの少女たちや、捜査官の方たちも大火事にあわれて怪我をされたとのこと。大変恐縮いたしております」

 何でこの神父がFBIアカデミーの火事を知っているんだ。あれは今でも極秘事項とされて、アカデミーの関係者はもとより、役者にも喋るとFBIのブラックリストに名前が載るぞと固く口止めをしている。局内で知っているのは自分と偉いさんだけ。

「あんた、それを誰に聞いた」神父を壁に押しつけて問いつめる。神父は突然のことに口をぱくぱくさせている。「言え。俺の知っている奴なのか」

 回りにいた者が引き離そうとするが、チャールズは神父の襟をつかんで離さない。

「わ、私が聞いたのは、大司教様からです。それがどうかしたのですか」

 チャールズは、泣きそうになっている神父から離れ、廊下に集まった人垣をかき分けてエレベーターに走る。

 この局内で、神父と懇意にしている奴など、あいつしかいない。あの野郎どこまで馬鹿なんだ。


 エレベーターのドアが開くと、巨体を揺さぶり駆け出し、局長室のドアを蹴飛ばして開けた。悲鳴をあげた秘書を通りすぎ、執務室のドアに体当たりする。

「何だね、ノックもせずに」

 局長は椅子から半分腰を浮かし、目を丸くしている。

 ドアを閉めて、ロックする。

「あんた、大司教に何を教えた」局長を睨つけ、仁王立ちになる。「喋ったんだな、我々の極秘の作戦を」

「馬鹿を言え。いくら親しいとはいえ、私が極秘事項を、部外者に漏らすはずがないだろう。冗談はそれくらいにして、早く職場に戻りたまえ。未解決の事件が山積みじゃないか。こんなことじゃ、無事に退職を迎えられんぞ」

 局長は強気に出ながらも、横や下を向き、けっして目を合わせようとはしない。

 ゆっくり近づき、デスクに両手をついて更に睨む。

 その時、局長が動いた。デスクの引き出しを開け、中をまさぐる。震える手で小型拳銃のベレッタトムキャットを取り出したが、慌てているのでチャールズに照準を合わすどころか、引き金にも指がかかっていない。

 チャールズはそれを簡単に奪い取った。こちとら、一線は退いているとはいっても、たたき上げの捜査官だ。こんな現場も知らない頭でっかちの銃など恐れるに足りない。

 奪い取った銃を部屋の隅に投げ捨て、長年愛用のS&Wコンバットマグナムを抜き、黙って局長の眉間に押し当てる。

「ち、違うんだ」

 両手を上にあげたまま、局長は必死で弁解を始めた。

「何が」

「大司教様に話したのは、全て終わってからなんだ」

「それだけじゃないだろう。他に喋った奴は。特に、レオが捜査をしている時だ」

「それは」言い難そうに視線をそらす。「告解の時に、教会で神父様に」

「何を言ったんだ。教会で話すことじゃないだろう」

 声が大きくなり、銃を持つ手に力が入り、銃口が局長の額にめり込む。

「日ごろ、犯人を騙して捜査したり、撃ち殺したりする生活に耐えられなかったんだ」

「お前がしてるわけじゃないだろう。やってるのは俺たちだ。あんたは、ここでふんぞり返ってるだけじゃないか」

「でもそれを、指示してるのは私だ。あの時も、レオに潜入捜査を命じたことを後悔して、懺悔したんだ。でも、告解の内容は神父の胸のうちだけにしまわれて、外に漏れる心配は無いはずだ」

 どこまで馬鹿なんだこの男は、相手は神様じゃない、人間なんだ。「何て神父だ」

「コレット神父」

 左の拳で局長の顔面を殴った。口から血を流し、局長は床に倒れた。

 さっきの神父の話しでは、コレットはヴァティカンにいるはずだ、もし、コレットが潜入捜査のことを故意に漏らした、もしくはコレット自身が、教皇暗殺犯の一員だったらヴァティカンに行っている連中が危ない。

 もう間に合わないとは思いつつも、ローマへの電話を急いだ。

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