第三章(四)

 僅か数ヵ月前までいた国だが、ずいぶん離れていた気がする。何一つ、良い思い出が無い国だ。やたらに大きな声、ポップコーンの匂い、全てに大きいサイズの物品。どれを取っても、花暖の神経を苛立たせるものばかりだ。

 空港のロビーを、亜麗亜に手を引かれて、足早に歩く。小学校に上がる前にアメリカに移住した亜麗亜は、日本よりもこちらの生活の方が合っているらしい。久しぶりのアメリカに嬉しそうだ。

 花暖たちの前に、男が二人、立ち塞がった。一人は長い金髪をなびかせてにやつていいる白人、なぜか後ろに手を隠している。もう一人は背の高い黒人で、真っ直ぐに花暖たちを見据えている。花暖は一瞬体を硬くする。

 ミチルが振り返る。

「紹介するわ。こっちの軽薄そうなのが、レオ。この無表情なおじさんがハリー。アメリカにいる間、あなたたちの警護をしてくれる、FBIの捜査官よ。遠慮なく扱き使ってくれていいわ」

ミチルは日本語で話したので、彼らには、わからないようだ。

 金髪のレオの手が動いた。花暖と亜麗亜の目の前に、小さな花束が現れた。

「ダモハジュマシュテ」

 レオが何かを言った。しかし意味がわからない。英語じゃないようだし、レオって名前、イタリア系みたいだし、イタリア語かなと考えていると、ミチルがレオに向かって英語で言った。

「あなた、それ、どこの言葉」

「日本語で、挨拶したんだよ。始めましてって」

 レオが不服そうな顔で言った。『どーも、始めまして』と言ったつもりようだ。

「だから、よせと言ったんだ。それに、このお嬢さんたちは、英語が話せる」

 横のハリーが、呆れた顔で言う。

「それじゃ、改めて。ようこそ、プリンセスたち。我々が今日からあなたの忠実なナイトです」

 床に片膝をつき、芝居がかった口調で花束を差し出す。花暖は戸惑いながらも、笑顔でそれを受け取った。

「馬鹿なこと、やってないで、さっさと車に案内してよ。皆、疲れているんだから、ホテルで休みたいのよ」

「久しぶりに会ったのに、冷たいじゃないか。前はもっと、優しかったろ」

 ミチルの言葉にレオが立ち上がり抗議する。

「あの時は、あなたは患者だったからよ。勘違いしないの。さっ、ハリーお願いするわ」

「ああ、こっちだ」

ハリーとミチルが歩き出したので、花暖たちは慌ててついて行く。後ろを振り返ると、レオが一人、佇んでいた。

 亜麗亜が大きく手を振ってレオを呼んだ。レオは花暖と亜麗亜の間に入り、二人からスーツケースを取り、それを引っ張る。

「あんな、大人になるんじゃないぞ」

 レオがウインクしながら、花暖と亜麗亜を交互に見て言った。

 迎えの車は黒いワンボックスカー。運転席にハリー、その隣がレオ、三列席の真ん中を回転させ、最後部座席と向かい合わせにして、真ん中の席にミチル、その向かい側に花暖と亜麗亜が座った。

 車が走り出してしばらくしてからだ。ミチルが運転席に振り向き、ハリーに言った。

「ねえ、道が違うんじゃない」

「変な車がつけて来るんだ」レオが代わりに答える。「だから、迷走して様子を見ているんだ。皆、後ろを見るんじゃないぞ」

 それから、すぐに怪しい車は姿を消したようだ。

「でも、念のためにもう少し、うろついてから、ホテルに向かうから、辛抱してくれ」

ハリーの言葉に、ミチルがため息をつく。

「神経質になりすぎなんじゃないの」

「用心にこしたことはないさ。もしもってこともある」

 レオの声は、さっきの軽い感じとは違い、真剣な響きがあった。あんな人が護衛、と思っていたが、さすがにFBIの捜査官だと、花暖は安心した。

 普通なら三十分ほどでホテルに到着する予定だったが、二時間もかかってしまった。

 チェックインをして、ベルボーイに部屋に案内される。用意されていたのは、スイートルームだった。

「豪勢だねえ。俺、仕事でこんな部屋、泊まったことなんてないぜ。さすがに、お姫様は違うねえ」

 レオがやたらと、部屋中を歩き回っている。よほど珍しいらしい。花暖はこれくらいの部屋はよく泊まっているが、広すぎて落ち着かないので、出来るだけ普通の部屋に変えてもらっている。

 しかし、今回はミチルのセラピーのために、三人一緒の部屋に泊まるので、このスイートになった。

 レオとハリーは夕食まで、下の階の自分たちのシングルルームで待機するため、部屋を出て行った。

 三人でソファーにくつろぐ。長旅で疲れた。

「ミチルさんは、あの二人とお知り合いなんですか。FBIの捜査官とセラピストって、つながりがないように、思うんですけど」

「ハリーとは今回の件で、知り合ったんだけど。レオはついこの間まで、私のところに通っていたのよ。FBIでは、事件があってミスがあると、その担当者がまず査問委員会にかけられるの。それも、始めから有罪として扱われる。それから嫌疑が晴れていくんだけど、その頃には、嫌疑をかけられた捜査官は、査問委員会が終わる頃には、心が病んでしまっているの。それを治すために設立されたのが、私の所属するEAP、職員支援プログラムなの」

「レオさんも、何かミスをしたんですか」

「教皇暗殺未遂事件。その捜査をしていたんだけど、犯人が逃げてしまったのよ。彼のせいじゃないんだけど、査問委員会にかけられて少し落ち込んでいたからEAPに行くように上司から言われて、その時の担当が私だったのよ。でも、あの性格でしょ。治療の必要なんてなかったみたい」

 ミチルが肩をすくめて、薄く笑った。花暖もつられて笑いながら、亜麗亜に目をやると、亜麗亜はソファーの肘掛けを枕に、眠っていた。疲れていたようだ。

 花暖は寝室からブランケットを持って来て、亜麗亜にかけてやった。

 亜麗亜の寝顔を見ながら花暖は思った。私の歌が教皇様を救えるなら、なぜ、この子が救えないんだろう。そんな私に教皇様が救えるのだろうかと。


 夕食が終わり、全員が集まって、明日からの予定がミチルから説明があった。亜麗亜を祖父が殺されたあの教会に連れて行くと言う。

 花暖は反対した。嫌な思い出の場所に連れて行くなど、逆効果だと思ったからだ。

「でもね」ミチルが諭すような口調で話す。「嫌な思い出から逃げていては駄目なの。事実を受け止めて、初めて心が開かれるの。このままだと、亜麗亜ちゃんは殻に閉じ籠もったままになるわ」

「いきなり連れて行くってのも乱暴じゃないか」

 レオが横から口を出す。花暖もその意見に賛成だ。もう少し、段階を踏んでからでも、遅くはないと思う。

「遅かれ早かれ、いずれは過去の事実を直視しなければならない時が来るの。ぐずぐずしてると、亜麗亜ちゃんの傷がどんどん広がる可能性の方が大きいわ」

「私はミチルの意見に賛成する」ハリーがミチルの側についた。「彼女の言う通り、トラウマが根付く前にその原因を取り除く必要があると思う」

 その考え方も一理あるが、花暖はあまり納得出来ない。亜麗亜を見ると疲れたせいもあってか少し鬱の状態になっていて、ソファーに突っ伏している。話しに関心が無いようだ。

「あっちゃん、あの教会に行きたい」

 花暖が問いかけたが、ちらりと、花暖を見ただけで、行くとも行かないとも、はっきりしない。

「一度連れて行って、嫌がるなら連れて帰ればいいんじゃないか」

 ハリーの意見だが、花暖は釈然しない。だが、亜麗亜が今のところ行かないとは態度に表していない以上、仕方がないかも知れない。

「とにかく、私に任せて。悪いようにはしないから」

 ミチルの言葉に、花暖はしぶしぶ承諾した。

 ミーティングを解散し、夜も遅かったので、ベッドに入る用意をしていた。

「ねえ、亜麗亜ちゃん」ミチルが亜麗亜を引き止める。「今日はお姉さんと一緒の部屋で眠らない。お姉さん、もっと亜麗亜ちゃんのことが知りたいんだけどな」

亜麗亜は花暖の顔を見る。花暖は首を傾げて、どうする、と亜麗亜に目で無言の質問をする。亜麗亜はしばらく考えていたが、やがて無表情のまま、ミチルの部屋に歩いて行った。

 次の日の朝早く、あの教会に向けて出発した。花暖は時差ぼけで眠れなかったので、辛かった。

 教会は、ワシントンから南へ、約二百キロのヴァージニア州にあるジェームズ川のほとりに建っている。人口、数百人の小さな町だ。

 教会の周りに住宅は無く、五十メートルほど離れた場所に、雑貨店や食堂など、十軒くらいの店が並んでおり、住宅はもう少し奥にある。

 緑が生い茂る、静かな落ち着いた場所だ。とても殺人事件があったなど思えない。あの事件さえなければ、また来たいと思っていただろう。

 車の中で、亜麗亜の様子を見ていた。朝起きた時は、機嫌が良かったのだが、やはり教会に近づくにつれて、亜麗亜の顔が強張ってくる。でも、帰りたいという素振りは見せない。我慢しているのだろう。

「あっちゃん、大丈夫。帰りたかったら帰っていいんだよ」

聞いたが、亜麗亜は小さくかぶりを振った。

 車を教会の近くに止め、花暖たちは車を降りた。亜麗亜は降りようとしない。十分くらい、皆は黙って見ていた。強制は出来ない。亜麗亜の気持ちに任せる。

 やがて、ゆっくりと、亜麗亜は車を降りた。しかし、教会の方には視線を向けない。一度、教会から遠ざかることにした。

 店が並ぶ方へ歩く。雑貨屋の前を通ると、その店の、おかみさんが声をかけてきたので、レオが相手をする。旅行者か、と聞いたので、そうだと答えた。こんな所に旅行者が来るなんて珍しい、と驚いていた。

 それ以前に、花暖たち一行は旅行者にしては、異様な取り合わせだろう。なにしろ、黒人と白人の目つきの鋭い男、ラテン系の女、それに東洋人の子供が二人。どう見ても、一つのグループが、一つの車に乗って来たようには見えない。

 花暖は、おかみさんから顔が見えないように、ハリーの陰に隠れた。ここへ来たのは、ついこの間だ。このおかみさんが花暖を覚えているかも知れない。

 何にも無い所だけどこの先の川で釣りが出来る、と教えてくれた。釣りなどする気は無いが、この場を離れるために、取り合えず行ってみると答えた。おかみさんは、釣竿ならこの店に置いてあると、さりげなく商売をしたが、また来るよと言って別れた。

 仕方なく、川の方に歩いて行ったが、亜麗亜がぐずり出した。

「ねえ、しばらく、私の亜麗亜ちゃんの二人だけにしてくれない。皆がいると、余計に気を使っちゃうのよ」

不安は残るが、ミチルの言葉に従うことにした。

「先に、教会に行って待っててちょうだい」

 二人を川辺に残し、花暖たちは再び教会に戻る。あの雑貨屋の前を通らないように、遠回りをした。

 教会の正面の短い階段の前に立つ。花暖が今、立っている所が祖父の倒れた場所だ。

 亜麗亜でなくても、あの時の記憶が蘇ってくる。血まみれで倒れている祖父、祖父の体の下敷きになっている亜麗亜、そして、警官に取り押さえられて、意味の無い言葉を大声で叫び続けている犯人。犯人の前には大きな狩猟用のナイフが、月明かりで赤い光を反射していた。

 花暖は一段づつ階段を昇る。わずか五段ほどの階段だったが、花暖は昇り切るまでに、約五分もかかった。

 扉を押す手をためらう。

 後ろで気配がした。振り返るとレオとハリーが立っていた。レオが花暖の代わりに扉を押す。扉が開くと、レオは扉を右手で押さえたまま、左手で花暖の背中を押す。

「俺も、あんまり偉そうなことを言えた義理じゃないんだけど。逃げてちゃ何も解決しないぜ」

花暖はレオの言葉に、教会の中に足を踏み入れる決心をした。


 日の光が差し込んだ、明るい教会だ。中には誰もいなかった。この教会の牧師さんは、白髪の太った、優しそうな牧師さんだった。その牧師さんの姿も見えない。出かけているのだろうか。

 レオとハリーを見ると、ハリーは扉を閉めてその前に立っている。レオは最前列の椅子に腰かけて祭壇を見つめていた。

 花暖も祭壇に目を向ける。十字架に蝋燭、花が飾ってあるだけの質素な祭壇だ。この前は、歌うことでいっぱいで、教会の中をよく覚えていない。

 奥から人が出て来た。白髪に太った体型、牧師さんだ。でも、この前見た時とは、何だか感じが違って見える。以前見た時は、いかにも牧師さんといった、純朴そうな人だった。しかし、今見ると、確かに優しそうだが、なぜかそれは表面上だけのことのように思える。それに、顔立ちもなにか違う。やはり、あの時とは心理状態が違うので、そう感じるのだろう。

 花暖が牧師さんに挨拶をすると、牧師さんもにっこりと挨拶をした。

「やあ、お久しぶりですね。よく来て下さいました。あれ以来どうされているか心配していました。本当にあの事件には心が痛みます。これも私の神に対する信仰が薄かったせいだと痛感しています」

 牧師さんは悲しそうな表情になる。自分の教会の前であんな事件があったのだから、気の毒な話しだ。だけど、声も違うように聞こえる。以前聞いた時はもう少し低い声だったように思うが。

 しかし、やはり心理状態のせいだろうと、花暖は気にしないことにした。

「いえ、あれは牧師さんのせいじゃありませんから」

 反対に花暖が慰める。

「それにしても、突然ですね。何かご用でも。それにそちらの方々は」

「はい、あれから妹は心の病にかかっていて、その治療の一環としてこちらに伺ったんです。この人たちは私の友達で、妹の治療に協力してもらっています」

「そうですか。それで、妹さんはどちらに」

「ちょっと、別行動なんです。でも、もうすぐ来ると思います。それまで、待たせてもらってもいいですか」

「ええ、どうぞ、どうぞ。もうすぐ、ボランティアの方々もいらっしゃいますが、気にしないで、ゆっくりしていって下さい」

 牧師さんが言い終わるなり、扉を開く音がした。ボランティアの人が来たようだ。ハリーが道をあけると、五、六人の男の人が挨拶をしながら、入って来た。

 気がつくと、レオが花暖の隣で立っていた。右腕が背中の方に回っている。

 ボランティアの一人の男が、牧師さんに手を上げて、近づいて来る。

「やあ、牧師さん。珍しく可愛いお客さんが来てるじゃないですか」

男は花暖を見てそう言った。

「あれ、お嬢さんもしかして、カノン・トヨシマじゃないですか。やっぱりそうだ。僕、大ファンなんですよ。こんな所でお会い出来るなんて、光栄です」

男が握手を求めて来た。花暖は、しまった、と思いながらも手を差し出した。

 花暖の手が男の手を握った瞬間、花暖は体ごと、男に持っていかれた。男の腕が後ろから花暖の首に巻きつく。こめかみには、何か硬い物が突きつけられている。

「動くな。下手に動くと、可愛い天使が昇天しちまうぜ」

気が動転しながらも、花暖はレオとハリーを捜す。ハリーは他の男たちに銃を構えられて、手を上げている。レオも銃を構えられている。牧師さんは。花暖は牧師さんを目で捜す。牧師さんは無事だった。しかし、その手には銃が握られていて、それをレオの頭に押しつけていた。

「牧師が神様の前でこんなことしたら、地獄に落ちるぜ」

「残念だが、本当の牧師は会合で出かけてる。それに俺は天国より、地獄の方が性に合っているんだ」

 レオとハリーは、持っていた銃を取り上げられた。花暖たちは一ヵ所に集められ、取り囲まれている。相変わらず、花暖は男に捕まったままだ。

「我々がFBIだと知っているのか。我々の危害を加えると、FBIを敵に回すことになるぞ」

 ハリーが相手を威嚇する。しかし、相手は動じていないようだ。

「証拠が残るような、へまはしない。心配には及ばんよ」

 敵の一人が、携帯電話で連絡を取っている。他にも仲間がいるのだろう。

 花暖は亜麗亜とミチルが心配になった。もうすぐ、この教会に来るはずだ。出来れば、亜麗亜があのままぐずって、ここへ来なければいいのに。

 携帯で連絡をしていた男が、牧師さんに化けていた男に合図を送った。

「よし、歩け。いい所に連れて行ってやる」

 教会の裏口から、車に乗せられた。車は二台で、その一方に乗せられた。花暖を挟んでレオとハリーが座らされ、目隠しをされてしまった。

 今までは気が動転していて、自分の立場が飲み込めていなかったが、ここへ来て足が震えてきた。自分は殺されるかも知れないのだ。

 花暖の手を誰かが握った。そして、耳元で囁く。ハリーだ。

「大丈夫だ。彼らは危害を加える積もりは無いようだ」

「もし、殺す気なら、目隠しなんてしないさ。用が済んだら開放する積もりなんだ」

レオが話しを続ける。

 花暖は少しだけ安心したが、ただの気休めなのかも知れないと思い、完全には信用していない。

 それにしても、亜麗亜やミチルはどうしたんだろう。もしかしたら、捕まったのか。あの携帯で連絡していたのは、二人を捕らえたという報告だったのか。それとも、花暖だけが目的だったのか。

 どちらにしろ、花暖にはどうすることも出来ず、彼らの言いなりになるしかなかった。

 車に押し込まれてから、凡そ三時間が経過した。花暖のデジタルの腕時計は、一時間ごとにアラームが鳴るようにセットされている。その時計が二回鳴って、それからかなり時間が経過している。普段は気になるので止めているのだが、アメリカ時間にセットし直す時に、間違って設定してしまった。リセットのやり方がわからなかったので、仕方なくそのままにしてあったのが、今となっては役に立っている。

 その間、外の音を聞いて、自分の位置を確認しようと試みていた。車はしばらく走ってから、賑やかな通りに出た。大きな街のようだ。飛行機の音が大きく聞こえる。かなりの低空飛行をしているのだ。ということは、近くに空港がある。教会に来る途中にリッチモンドという街があった。空港もあったはずだ。

 それからは、昼過ぎの太陽を左側に感じていた。車は北に向かって走っていた。最初はワシントンに行くのかと思っていたが、時間的にいって、既に通り過ぎている。それに、あれ以来、大きな街は通っていない。対向車も少ない静かな道を進んでいる。わざと裏道を選んでいるのかも知れない。舗装されていない、でこぼこ道を通ることもあった。

 川か海を渡った。風が水面を走る音が聞こえた。微かだが、水の流れる音もしたので、多分川だと思う。それが三、四回くらいあった。それが、全部違う川なのか、同じ川の蛇行しいる部分を渡ったのかは、わからない。

 約四時間が経過した時、初めて車が止まった。目的地に着いたようだ、車は建物の中に入ったらしく、太陽も感じないし、外の音も聞こえない。代わりに二台分の車のエンジン音が周りの壁に反射して聞こえる。電動シャッターが降りる音も聞こえて来た。

 最初にもう一台の車のドアが開き、直ぐに閉まった。そして花暖たちの乗っている車の前のドアが開き、男たちが降り、そして花暖たちが降ろされた。

 そこでようやく、目隠しが外された。そこは、小さな駐車場だった。車を四台も止めれば一杯になる。しかし、中途半端な大きさだ。普通の家なら大き過ぎるし、ビルにしては小さい。彼らの秘密のアジトなのだろう。

「こっちだ」

男たちに言われて、駐車場を出る。

 狭い通路を進む。通路には教会にいなかった男たちがいた。仲間は大勢いるようだ。花暖たちは、その仲間に引き渡された。一人が先頭に立ち、後ろを三人の男が固める。

 ドアの前で止められ、中に入るように指示された。

「お嬢さん、なんならご案内しましょうか」

 部屋を入るのを躊躇しいてる花暖に、先頭を歩いていた男が、大げさな仕種で手を花暖の前に差し出す。

 花暖は、その男の刺だらけの指輪を見て怖くなり、横にいたハリーを見た。ハリーは花暖にうなずき、花暖の肩を抱いて前に歩き始めたので、花暖もそれに合わせた。レオは頻りに考え事をしているようだ。

 ドアが閉められた。ドアには窓が無く、外が見えない。足音から男たちが遠ざかる気配を感じた。

 部屋の中は以外に広く幾つもの部分に別れている。花暖たちが今いる部分の他に、ベッドが置かれた部屋が二つ、それにトイレ、シャワーまである。これで、テレビとルームサービスがあれば、花暖が泊まっているスイートルームと変わらない。

 窓はあるが、鉄格子がはめ込まれ、見える景色も、すぐ前にある壁だけで、無理やり覗いてやっと空が見える程度だ。

「まるで、用意したみたいな部屋だな」黙って考え事をしていたレオが口を開いた。「大分前から俺たちの誘拐は計画されていたんだろう」

「あの人たちの目的は何なんですか」

「考えられるのは、カノンを監禁するためだろうな」

「私、悪い人に狙われるようなことはしてません」

「教皇と君を会わせたくない連中がいるんだ」ハリーが間に入る。「教皇が君の歌で目覚めるのが、困るのだろう」

 こんな事態になるとは思ってもいなかった。亜麗亜の病気を治すためにと、引き受けた仕事だったが、まさか自分が怖い目に遭うなんて。これからどうなるのだろう。レオたちは心配無いと言っていたが、本当にそうなのだろうか。

 花暖は、突然目眩がして、その場に崩れた。意識こそ失わなかったが、床に座ったまま立てなくなってしまった。

「しばらく、横になっているといい」

ハリーに抱き抱えられて、ベッドに運ばれた。

「帰りたい」

 花暖を覗き込んでいるレオとハリーに、涙を流しながら、力無く訴えた。

「すまない。こんな目に遭わせてしまって」レオが謝る。「しかし、カノンは俺たちが必ず守る。絶対に家に帰してあげるから」

「どうやってですか」

 気休めにしか聞こえない。

「何とかなるさ。物事は前向きに考えなきゃ」

 レオの楽天的な態度に、唖然とした。どうして、そんな考え方が出来るのだろう。

「その通りかも知れない」

 ハリーがレオに同意したのに、花暖は驚いた。レオと違い、ハリーはもっと理論的な現実主義で、希望的観測を言うようなタイプではないと、思っていたからだ。

「まず第一に」ハリーが言葉を続ける。「さっきも言ったが、彼らには我々を傷つける意思が感じられない。もし、殺す気があるなら、我々は既に死んでいるだろう。第二にアリアとミチルが捕まっていない。彼らの目的はカノンとアリアを隔離することにあると思われる」

「それなら、どうして、アリアとミチルの方を狙わない。俺たちがいるより、あっちの方が捕まえるのは楽だったはずだぞ」

「それは、教皇の覚醒阻止には、アリアよりもカノンの歌声の方が重要なんだ。報告書を読まなかったのか」

「どう言うことなんですか」

それは、花暖も初耳だった。ベッドに横たわっていた体を起こす。

「カノンとアリアの歌の力は、大きく分けて二つの部分で構成されている。一つはカノンのソプラノと、アリアのアルトによるハーモニクス。これは天体の運行に見られるような規則性に乗っ取った、君たち姉妹にしか出せない完全な自然培音の調和だ。それが聴衆の精神を緩和する。そしてもう一つ、これが重要なんだが、カノンの歌声には、可聴領域の声の他にそれを越える耳には聞こえない不可聴領域の声が含まれている。その声が教皇の覚醒には必要なんだ。アリアとのハーモニーはあくまでも、補助的なものに過ぎない」

「それじゃ、カノンを捕らえていれば、教皇が目覚める心配がないのか」

「ああ。それも一定期間の間だけ。敵の目的は時間稼ぎだと私は考えている」

「その一定期間が過ぎれば、帰れるんですか」

「しかし、奴らの思い通りにさせるわけにも、行かないな。脱出の方法を考えないと」

 レオの発言に花暖の不安が増幅した。出来れば、このまま時間が過ぎるのを、待っていた方が良いのではないか思った。

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