第二章(四)

 ワシントンDCのペンシルバニア通り、ホワイトハウスと国会議事堂の間に位置するクリーム色のビル。この冷たいビルは合衆国への、忠誠(Fidelity)勇気(Bravery)誠実(Integrity)を象徴する建物。世界最高機関、連邦捜査局FBIの総本部J・エドガー・フーガ-ビルである。

 悪名高きFBI長官の名前を冠したビルの一画にレオやハリーの所属する特別捜査班がある。

 特別捜査班主任チャールズ・パーソンズは、局長室に重い足を運んだ。

 足が重い理由は二つ。一つは医者から厳重注意を受けたその肥満を通り越した体のため。このままだとあと一年の命と死刑宣告をされたばかりだ。さすがにこれは応えた。そのため極力エレベーターは使わず階段を汗まみれで頭をてからせながら上る。

 昔はこんなではなかった。若い頃は今からは想像できないくらいにスマートで、それこそアメリカのみならず世界中を飛び回っていた。ところが管理職についた途端に体が膨らみ始め、今やその体重は普通のヘルスメーターの許容範囲をはるかに超えている。

 もう一つの理由は局長だ。叩き上げのチャールズに対して局長はハーバードの法学部出身のキャリア組。長官の覚えもめでたい。反りが合わないのは当然だ。

 おまけに局長は敬虔なカトリック信者ときている。チャールズは長年の現場の経験から神など存在しないと確信した。

 そもそもこの事件については、すでに審判が下されているではないか。連邦検事局の捜査によりFBIに落ち度はなかったと判断されたはずだ。後は他の機関や政府同士の問題。これ以上FBIが関わる必要はないではないか。

 やはり地に落ちたFBIの威信を回復するためなのか。この事件を解決し正義の味方に返り咲きたいのだろう。過去の栄光を追いかけるなど愚の骨頂だ。

 シャツが汗でびっしょりになった頃。ようやく局長室にたどり着いた。秘書の女性に軽く挨拶をして執務室をノックした。

 部屋の中には局長の他に、アメリカカトリックの重鎮エドワード・エルソン大司教の姿があった。何でも局長はエルソン大司教に洗礼を受けたらしい。

 大司教の後ろには介添え役の若い神父が二人立っている。

 そしてチャールズが局長と同等に苦手としているラリー・コレット司教の姿があった。

 ソファーに座る局長の横に腰を下ろした。テーブルを挟んでエルソン大司教とコレット司教が座っている。

「君の所だけ雨が降ったのかね」

 局長の嫌みを無視して前方の二人に話しかける。

「お久しぶりですな。ところで何かご用ですかな」

 用向きは分かっているがわざと惚ける。

「はい、今日は教皇猊下の治療が本格的に開始されるとお聞きしましたので参った次第です」

 コレット司教が答えた。

 確かに口調は穏やかで顔には微笑みをたたえているが、腹の中まではわからない。この男、局長と同じエリートの匂いがする。なかなかのやり手だ。チャールズが最も苦手とする人種に属する。

 実際のところエルソン大司教のような老人は飾りに過ぎず、全てを取り仕切っているのはコレット司教だ。何でもヴァチィカンにも太いパイプがあるらしい。

 何年後かにはヴァチィカンの要職に就くのではないかと言われているそうだ。

「よくご存知ですな。そのことは極秘事項ですのに」

 局長が話したに違いない。局長を睨んだ。

「エルソン大司教はアメリカでの教皇猊下のお世話をしていらっしゃる。治療の情報を報告するのは当然だ」

 局長は悪びれることもなく言い放った。

 呆れ果ててコレット司教に向き直った。

「ご承知だとは思いますが、この件はくれぐれも内密にお願いします。もしも外部に漏れますと妨害が入らないとも限りません」

「勿論です。知っているのは大司教と私、それにヴァチィカンのガザ-ロ枢機卿だけです」

「そちらの方たちは」

 大司教の後ろの二人を見る。

「この者たちも聖職者端くれ。守秘義務は心得ております。ご心配なく」

 そうそう、懺悔の内容をネタにゆすっていた坊さんがいましたっけね。と言いたかったがそれは止めた。

「分かりました。信用しましょう」

「ありがとう御座います。時にその天使たちは、いつこちらに来られるのですか」

「現在エージェントが対応中です。しかしもう間もなくであると聞き及んでおります」

「今どこにいらっしゃるのです。そしてどういう経路でこちらに」

「そのことについては我々にお任せを」

 えらくご熱心だな。この男に関しては何を考えているか分からない。

「いえ、私も早く会ってみたいものですから。写真でしか見たことはありませんが、何とも愛らしい少女たちではありませんか。まさしく天使の名にふさわしい」

 この野郎ロリコンか。

「そうですな。到着しだいご連絡いたします」

 絶対教えてやらねぇ。

 コレット司教が懐中時計を取り出した。

「おや、もうこんな時間だ。私はお先に失礼します」

「どちらに」

「教皇猊下の病院です。実は国務長官がお忍びで来られているので」

「何ですって。私もご一緒します」

 席を立ちかけたチャールズを長官が引き止める。

「君はここにいて、大司教にこれまでの経過を報告したまえ」

 しかたなくコレット司教を見送った。

 いま病院に行かれるのは非常にまずい。ハリーがレオを連れて行っているはずだ。余計なトラブルを起こさなければ良いが。

 チャールズは乾きかけたシャツを再び汗で濡らし始めた。


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