第28話 式部さんとの七夕イベントは期間限定。一期一会ですか? 後編

「さあ、そろそろ星を見ようか」

「え?」

 式部さんは突然、とまどう私の手を取って、私を御簾の外へと連れて行こうとする。

「え、え!?」

 急に手を握られて、動転している私をよそに、相変わらず式部さんは涼しい顔で、

「ほら」

と、簀子縁に用意された、たらいのようなものを指さした。

「これは、角盥つのだらい。我々は、ここに水を張って、その水に映る星を楽しむんだ」

「そ、そうなんですか……」

 楽しむんだと言われましても、いま私は心臓がバクバクしておりまして、星を楽しめるような状態では……と思いながら、角盥の方へとにじり寄って行く。

「うわぁっ! 綺麗!」

 式部さんに促され、おそるおそる角盥の水を覗いた瞬間、私の心から式部さんへのときめきは立ち消えて、星々の美しさに対する感動へとそのときめきの種類が変わってしまった。水面に映る、プラネタリウムでしか見たことがないほどのたくさんの星に、ただただ圧倒されたのだ。

 まるで金粉を浮かべたように、水面がキラキラと光っていて、いったいどれが織り姫と彦星なのだろう、と考えてしまうぐらいだった。

 そして、昔の人が“天の川”と名付けたことを、この水面を見てようやく理解する。本当に川としか表現できないほどに、細かな星々が散った帯が、夜空に浮かんでいるのだ。

「どれが……牽牛? 織女は? あれ?」

 水面に映しているために、実際の目で見るのと逆になるため余計に混乱しながら、私は星空と水面とを見比べた。

「天の川の左側にひとつだけ明るい星があるであろう。あれが、牽牛」

 角盥の水だと私が混乱すると思ったのか、夜空を指さしながら、式部さんは教えてくれた。

「そして、天の川の右岸になるかな、ひときわ明るく輝いているのが織女だ」

 式部さんの説明でようやく二つの星を見つけられた私は、もうひとつ、牽牛、織女と同じぐらい明るい星が、天の川の中に浮島のように輝いているのを見つけた。

「式部さん、あの天の川の中の星は?」

「あれが、かささぎの橋だ。七夕の今日も、牽牛と織女は、天の川に隔てられているであろう。それを、かささぎが翼で橋を架けるから、二人は無事に逢うことができるのだ」

「あれが、かささぎの橋……」

 私は国時さんの歌を思い出し、胸がチクリと少しだけ痛むのを感じた。

 しかし、この星の配置……。確かにこの三つの星なら、都会でも夏に見上げたことがある。

 もしかして……。

「夏の大三角……」

 そうだ、小学校か中学校か忘れたけれど、理科の時間に習ったような気がする。

「夏? いまは秋だが……。未来では、そのようにこの三つの星が呼ばれるようになるのか。確かに、三角形だな」

「でも、ただ大三角と呼ぶより、牽牛と織女を逢わせてあげるための橋だって考える方が素敵です」

「確かに、そうだな。そういえば……」

 式部さんは、突然、角盥の中に指先を入れて、牽牛と織女の中間辺りの水面をぐるぐるとかき回した。水の中の金粉たちは、形を失ってどれがどれだかわからなくなる。

「こうして、我々が二人の逢瀬を助けてやることもできるのだ」

と言って、式部さんは微笑んだ。

「一年に一度ですけれど、無事に逢えましたね」

と、私も微笑みを返す。

 ただ、微笑みながら、チクリどころではない更に強い痛みを胸に感じた。錐で刺されるような。

「香子殿、いかがした?」

 式部さんが心配そうに私の顔を覗き込む。

 私は……。

 私と式部さんは。

 一年に一度すら、逢うことができなくなる。

 私が未来に帰ってしまったら。

 そんな私の表情を誤解したのだろう。式部さんは、袂から一枚の葉を取り出し、

「これは梶の葉だ。我々の時代では、この葉に願い事を書くのだ。そなたも書くといい。“元いた時代に無事帰れますように”と」

そう言いながら、私に差し出した。

 式部さんは私が帰っても、何とも思わないんですか……。

 そんなふうに、聞いてみたいけれど、もちろん聞くことはできない。

 それは、いまこの瞬間、私を気遣ってくれた彼の優しさを台無しにしてしまうことだ。

「ありがとうございます」

 言いながら、私は梶の葉を受け取った。

 でも、ここに願い事を書いたとしたら。

 そして、それが叶ったとしたら。

 私は本当に嬉しいのだろうか。元の世界に戻れて、嬉しいという感情しか浮かばないだろうか。

 いまは。

 元の世界の両親にも会いたいけれど、式部さんとも離れたくはない。

 それが相反する望みだと言うことはわかっている。

 それでも。

 私と式部さんの間に横たわる千年という時は、天の川よりも深く遠い。そして、離ればなれになった私たちの間を渡してくれる、かささぎの橋も存在しないのだ。

 一年に一度でもいい、もし逢えるなら……。

 生まれて初めて、織り姫と彦星のことを羨ましいと感じた夜だった。

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