第19話 式部さんと巡る! 京の都のドキドキ心霊スポット・ツアー

 牛車ぎっしゃは五条大路を過ぎて、そのまままっすぐと進んだ。

 そして、次の大路にぶつかったところで左に折れる。

「ここは、六条の辺りだ。この辺りまで来ると、小家ばかりではなく、次第に貴族の邸宅も増えてくる」

という式部さんの説明に、車の外を見ると、確かに先ほどまで連なっていた小屋のような板張りの粗末な建物と、立派な塀や門を備えた邸宅とが混在する不思議な光景が広がっていた。

 そして、とても長く立派な塀に囲まれているけれど、ところどころその塀が崩れ落ちているところがある、なんともアンバランスな邸の前まで来ると、

「車を止めよ」

と、式部さんは従者に指示を出した。

 門ではなく、塀に大きな穴の開いた場所に牛車を止めさせると、

「さて、目的の場所に着いたようだ」

と言って、動揺している私を尻目に、式部さんはさっさと牛車から降りる。

「あ、香子殿はそのまま、待ってください。さあ、手を」

と差し出されたその手を取ると、そのままぐっと強い力で、式部さんの方に私は引き寄せられる。

「え?」

と、思う間もなく、式部さんはそのまま私を両手でふわりと抱き上げた。

 ……!

 ちょ! これは、お姫様抱っこ!!!!

 近すぎるとかいうレベルじゃない!

 身体が……密着!

 っていうか、抱き上げられている~!!!!!

 動揺のあまり、過呼吸になりそうである。

 先ほどからの車の中での密着にようやく慣れてきたところにこの展開は反則だ。私は車の中で、このようにお姫様抱っこをされるようなフラグを何か立てたとでも言うのだろうか。しかし、記憶をたぐっても思い当たるような行為はない。

 なのになぜ、すべての乙女の憧れである、お姫様抱っこをされているのか。

 式部さんは、私を抱き上げたまま、塀の崩れた穴からその邸の敷地内へと入って行った。不法侵入である。平安時代にそのような罪状があるかどうかはわからないが。

 そして、塀をくぐり抜けたその先には、荒れ果てた広大な庭園が広がっていた。

 雑草が腰よりも高く生い茂っている。

 式部さんは私に顔を近づけると、

「ここを歩くと、そなたの装束が汚れてしまうから。しばらくは、このまま我慢してくれぬか」

と言って、その荒れた庭を歩き始めた。

 そういう理由だったのか、と納得はしたけれど、動悸は収まるはずもない。

 そして、なんとも癪なことに。式部さんの心臓は、全然ドキドキしていないようなのだ。

 お姫様抱っこをされていると、片耳が式部さんの胸の辺りに触れる。そこから伝わってくる鼓動は、私のように異常な速さではない。ごく当たり前の速度の脈動が伝わってくる。

 本当に鈍感!

 いや、それとも私のことを女だと認識していないのだろうか。確かに、惟規のぶのりさんの話から推定するに、式部さんは現在30歳ぐらいだろうから、まだ高校生の、17歳の小娘なんて、女とは認識していないのかもしれない。

 しかし、中宮様は私よりも年下。現代なら、中学生ぐらいの年齢だと言っていたではないか。

 だとしたら、私だってこの時代であれば立派な女性として認識されてもよいはず……いや、私に単に魅力がないだけかもしれない、そうだ、きっとそうなのだ!

 だって、現代でもモテた経験、女として認識された経験なんて皆無だし!

 様々な思いが脳内をグルグルしているうちに、式部さんは邸の簀子縁すのこえんまでたどり着き、私をそこにそっと下ろした。

 動揺を気取られないように、あくまでも冷静に

「ありがとうございます」

と礼を言う。

 式部さんの装束を見ると、袴が泥や草の露でしっとりと濡れてしまっている。

 確かに、ここは感謝をするべきだし、式部さんの選択は正しい。

 だけど、やはり私だけがドキドキしているなんて、悔しいのだ。悔しくて悔しくて、たまらないのだ。

「香子殿? 何か、怒っているのか?」

「いえ、別に……」

と、素っ気なく言って顔を背ける。

「やはり、怒っているのか。このような物の怪が出るような場所に連れて来たことを怒っているのではないか?」

「いえ、別に……って、え、も、も、物の怪!? 出る……んですか?」

 私は、驚きのあまり、先ほどまで悔しくて顔も見たくないほどだった式部さんに、反射的に身体を寄せてしまった。

 目的地は心霊スポットだったというのか。そう言われてから辺りを見回してみると、確かに何かが出そうなおどろおどろしい雰囲気に満ち満ちている。

 何年、いや何十年、手入れをしていないのかわからないほど雑草が生い茂った庭。池に架けられた太鼓橋は、朱塗りだったであろうことがかろうじて判別できるほどしか塗装は残っておらず、その手すり部分は見事に取れ、橋自体も途中で崩れ落ちている。

 あちこちに転がる岩は、庭園としての景観を作るために置かれたものなのか、取り除くべき邪魔者なのか、判別がつかない。

 邸の方は、式部さんの家よりも遥かに大きく、いくつもの棟が渡り廊下で繋がっているようだが、そのところどころがやはり見事に崩れ落ちてしまっている。焼けたような跡も見受けられる。

 室内に目をやると、破れた几帳や屏風に、漆のところどころ禿げた調度品が床にいくつも転がっていた。

 髑髏がその隣に転がっていても不思議はないほどの荒れ方だ。

 怖々と足を一歩進めると、床板がミシィと嫌な音を立てた。

「床が腐っているところがあるようだ。気をつけなさい」

と、式部さんは冷静に私に注意をする。

「わ、私、怨霊を倒したりなんて、できませんよっ!」

「当然だ。わかっておる、そなたは陰陽師ではないのだからな」

 なら、どうしてこんなところに連れて来たのだろう。 

 このような表現が正しいのかどうかわからないが、見れば見るほど、見事な廃墟っぷりだ……。現代の廃墟マニアに是非オススメしたい一品である。

 現代でも、確かに私たちの世代には、ふざけて廃墟の心霊スポットを訪れる者もいる。しかし、私はいままでに一度もそのような場所に行ったことはない。

 なぜなら、理由は簡単。

 怖いからである。

 しごく、まっとうな理由だと思う。

 そんな倫理観を持つ私は、

「こんなふうに勝手に入り込んで、霊に対して冒涜にならないんですか?」

と、式部さんに尋ねてみた。

「なるかもしれぬな」

「なら、どうして!」

 言いながら、式部さんに私は詰め寄った。

「そなたは、物語によって道真公のような人物を鎮魂するつもりなのであろう? 道真公や他の御霊ごりょうのように、神として祀られている者はまだ救いがある。しかし、神として祀られることすら忘れられ、追善供養もされず、物の怪として出ることしかできぬ者もいるのだ。高貴な身であったにも関わらず」

 式部さんは静かに語り出した。

「ここは、河原院かわらのいんと言う。かつては、源融みなもとのとおるが住んでいた。華美を尽くした見事な邸宅として有名だった場所だ」


「この邸には、かつて四面四季しめんしきの庭と呼ばれるものがあった。春の海、秋の池の蓮、夏の竹を吹く風、冬の雪の中の松と四季折々の風物を、それぞれの庭で楽しんだと言う」

 式部さんの説明を聞きながら、庭を眺めて見たが、いったいどこがどの季節を表しているものか、いまとなってはまったくわからない。

「そして、なんと言っても有名だったのが、塩釜だ。陸奥みちのくの国の塩釜の浦を模した庭を造るために、毎日毎日、浪速なにわの海の水を30石も汲んで運び込ませ、庭で塩を焼いて、塩釜の浦の風景を再現したと言われている」

 現代人の私には、いまいちピンと来ないが、昔の塩の作り方なのだろうか。

 東北に塩釜という地名があるのは知っているけれど、塩を焼く様というのが、どういう風景なのか思い浮かばなかった。30石という単位もよくわからなかったけれど、海水を毎日、大阪の海から京都まで運ぶというのは、相当な労力だったのではないだろうか。“なにわ”と言っていたから、おそらくいまの大坂のことだろう。新幹線ならすぐの距離だけれど、あの歩くのと変わらないほど遅い牛車しかないこの時代で、どのようにして運んでいたのだろうか。とにかく大変だったであろうことは、想像がついた。

 田舎のものをありがたがるなんて、この時代の美的感覚がいまいち理解できないでいる。ただ、ドイツ村とか、スペイン村とか、現代にも遠くの風景や建物を模して国内でお手軽に楽しむテーマパークが存在するから、それと同じように田舎の風景を楽しむテーマパークを作っていたということだろうか、と自分なりに想像をしながら話を聞いた。

「その、源融という人の霊が……出るのですか?」

 私は怖々と尋ねる。

「かつて、出た、……という記録がある」

「……!」

 私は思わず、式部さんの袖を掴んだ。

 恐る恐る周囲を見回す。怖い話を聞かされるときというのは、どうして後ろがこんなにも気になるのだろうか。いまも、私の背後にある几帳の破れ目から、何者かがそっと覗いているようで、気になって仕方がない。しかし、確かめたくとも後ろを振り向くのは怖いのだ。だって、振り向いて何かと目が合ってしまったら、どうしたらよいというのか。

「源融という人は、河原左大臣かわらのさだいじんと呼ばれた。嵯峨さが天皇の皇子として生を受けたが、臣籍降下しんせきこうかして源氏を名乗った」

「昨日の話の……業平のお父さんと同じですね」

「その通りだ。ただ、阿保親王あぼしんのうと違うのは、この河原左大臣は左大臣にまで昇りつめてしまったところだ。そして、悲劇はそこにある」

 阿保親王や業平の方がたいした出世ができず、かわいそうな身の上に感じられたけれど、そうではないのだろうか、と話を聞きながら考える。

「政権を我が物としたい、堀河大臣ほりかわのおとど、つまり藤原基経ふじわらのもとつね殿にとっては邪魔な存在だったのだよ。昨日の『伊勢』の話にも、基経殿が登場したのを覚えているか? 自らの妹、二条の后を業平から取り返した鬼が、堀河大臣だ。そして、堀河大臣は、河原左大臣融よりも下位の右大臣でしかなかったにも関わらず、陽成ようぜい天皇の摂政となった。なぜなら、陽成天皇は、二条の后の生んだ皇子。堀河大臣基経殿にとっては、甥に当たるからだ」

 話を聞きながら、顔も知らない堀河大臣がいつの間にか、般若のような鬼の形相を帯びていく。その鬼に喰われるのは、業平や源融だ。いや、妹の二条の后こそ、一番の被害者なのかもしれない。

「自分より下位の基経殿が摂政になったことを知って、不満を表すために融左大臣は、自邸に引き籠もった。そして、陽成天皇が退位され、後継者問題で紛糾したとき、『自分も嵯峨天皇の皇子だったのだから、皇位継承の権利がある」と主張したが、基経殿に『臣籍降下した者が帝位に就いた前例がない』と言って退けられてしまった」

「その失意のまま亡くなられたから、いまもこの河原院に現れるのですか?」

 式部さんの袖を掴む力が、自然と強くなる。

 それに気付いたのか、式部さんもそっとその身を私の方に近づけてくれた。

「融左大臣が物の怪として現れたのは、宇多上皇の前に、だ。宇多上皇は、源融と同じように源氏として臣籍降下した方だ。源氏のときの名を源定省みなもとのさだみと言った。融左大臣と同じ境遇だったにも関わらず、源定省の方は、光孝天皇の後継として登極したのだ」

「前例がなかったにも関わらず?」

「その通り。その宇多上皇が、この河原院に渡御とぎょされた際、その目の前に源融の物の怪が現れ、付き従っていた宮人に取り憑いて話し始めた」

 私はゴクリと生唾を飲む。

 いまにも同じように、源融が現れやしないかと、後ろを気にする。ああ、その宮人のように取り憑かれてしまったらどうしよう。

「そして、『私はいまは地獄に堕ちて苦しんでいる。しかし、私のことを祀ってくれる子孫が途絶え、その苦しみから脱することができないのだ。どうか、私のことを供養してくれないだろうか』と宇多上皇に頼んだのだという。そして、上皇はその望みを聞いて、源融の追善供養を行ったと言われている」

 かつらにしっかりと覆われているはずなのに、首の後ろにチリチリと何かの気配を感じる。

 こんなに寒いのに、背筋に汗が流れるのを感じた。冷たい汗だ。

「昨日、そなたと話していて思った。そして、先ほど牛車の中で、物語の筋立てを共に考えていて、確信を持った。『源氏の君の物語』を書くことで、御霊として祀られていない悲嘆の内に亡くなった人たちを追善供養できるのではないか、と。融左大臣の生涯を物語の中で書き換えるのだ」

「生涯を書き換える……?」

 私は式部さんの顔を見上げながら、どういう意味かと問いかけた。

「物語の中で、源氏の某の君は、業平のように都から追われても、また都に戻り元の官職以上に出世する。栄華を極めて、自らを追い落とした藤原の某の大臣よりも出世し、帝の後見の座を手に入れる。そして、河原院の四面四季の庭はいつまでも美しく、荒れることはない。上皇になっていただいてもよいかもしれぬな。そして、贅を尽くし、綺羅を尽くして飾り立てたこの邸は、その子々孫々が受け継ぎ、美しさはいや増していく。これが、物語による追善供養だ」

 式部さんの言葉を聞いているうちに、目の前の荒れ果てた雑草は消え去り、綺麗に整えられた松や池が幻のように浮かび上がる。

 そうか、物語によってこの河原院を復活させるのか。

 私は得心した。

「中宮様や、いまの左大臣殿は堀河大臣基経の子孫なのですね?」

 式部さんは、

「その通りだ」

と頷いた。

 もし、藤原道長や中宮様が、自分たちの先祖がしたことによって、源融に祟られるのではと恐れているとしたら。

 物語の中だけでも、それは嘘だとわかっていても、栄華を極める源融の姿を見て、祟りを恐れる気持ちを濯ぐのだ。

 そして、式部さんを含め、源融のように犠牲となった立場の人たちは、その架空の栄華を見て、物語の中だけでも夢を見る。

 モテない私が、乙女ゲームの中で夢を見るように。

 ああ、『源氏物語』の筋立てが見事にできてしまったではないか。

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