第17話 気がついたら『源氏物語』の原案者になっているみたいなんですけど

 『伊勢物語』の話を聞いたときに、私はなぜ思い出さなかったのだろうか。あの、日本人なら誰でも知っている、知らない者などいない有名な物語のことを。

 そう、『源氏物語』だ。

 現代では、英語やフランス語、ドイツ語をはじめとする外国語にも訳され、海外にも読者がいるという、日本が誇る古典的名著。

 冷静になって思い返してみると、いまのプロットは、『源氏物語』の冒頭部分に非常によく似ている。

 そして、式部さんの考えたタイトル、『源氏の君の物語』というのは、『源氏物語』と酷似していないだろうか。

 古典の授業の中で、確か『源氏物語』は平安時代に成立した作品だと習った。だとしたら、『伊勢物語』のように、どこかで既に『源氏物語』も生まれていて、式部さんはパクリの罪で中宮様や藤原道長から怒られてしまわないだろうか……、いやこの時代、怒られるだけで済むのだろうか。

 私は、そんな不安を覚えて、恐る恐る式部さんに尋ねてみることにした。

「あの……『伊勢物語』のように『源氏物語』という、とてもとても有名な物語が既に世の中に出回ってはいませんか?」

「『源氏物語』……?」

 式部さんは、小首を傾げる。

「いや、私はそのような物語など聞いたことがない。自慢するわけではないが、私は我が国の物語でも外国とつくにの物語でも、手に入る物語であればすべて読んでいる。しかし、そのような物語は聞いたことがない。外国の物語などは、惟規のぶのりを使って、こっそりと宮中で書写させ、持ってこさせ……」

 一瞬、不正に近いことをしているような不穏な話が聞こえてはきたが、いまはそのようなことにかまっている場合ではないので、スルーする。スルースキルは重要だ。

 確かに、思い返してみると、式部さんの部屋に積み上がった書物の数は尋常ではない。現代だったら、見事な汚部屋……いや。オタク部屋と言えるだろう。

 壁の全面を書物が覆っていないのは、単にまだこの時代の書物の数が少なすぎるからだ。先ほどの式部さんとの会話でそれは確認できていた。

 つまり、式部さんは現代なら立派なオタクなんである。

 その文学オタクの式部さんが確固たる自信を持って断言するのだから、まだ『源氏物語』ができる前の時代だと言うことだろうか。あるいは、この世界は、『源氏物語』の存在しない、平安時代にとてもよく似た異世界だったのだろうか。

 そこまで考えて、はたと気付く。

『源氏物語』の作者は……、“式部”……、紫式部ではないか!

「あの……式部さんって、略して“式部”で、本当は紫式部だったりします?」

 と、私は今度もおずおずと尋ねた。が、

「いや」

と、あっさり否定されてしまった。

 ところが、しばらくして、

「ああ……そういえば」

と、何かを思い出したように式部さんは再び口を開く。

「もし私が中宮様のところに出仕するとしたら、ただの“式部”と名乗るわけにはいかないであろうな。“式部”という名はありふれた女房名だから、他の者と区別がつかない可能性がある。既に、“和泉式部”と名乗っている者も仕えているらしい。私なら、さしずめ姓から一字を取って、藤式部とうしきぶとでも名乗るところか」

「藤式部……ですか……。たとえばですけど、紫式部と名乗る可能性は……?」

 私は一縷の望みを繋いで、再び尋ねる。しかし、

「いや、紫など……色の名を使った女房名はいまだかつて聞いたことがない。しかも、そのような高貴な色を使うなど、私のような身分では考えられぬことだ」

と、否定されてしまった。

 だとしたら、この世界は紫式部ならぬ藤式部が『源氏の君の物語』を作るという、私がいた世界の平安時代と非常に似てはいるが、同じ時間軸上にはない並行世界なのたろうか?

「しかし、高貴な姫にだったら紫と付けるのもいいな。どうせ物語の中では、女性の名前を明らかにすることはできない。『落窪物語おちくぼものがたり』の“落窪の君”のように、何らかの呼び名を女君おんなぎみたちにはつけていかねばなるまい。そのときに、“紫の上”とは優雅でいいではないか」

 名案が浮かんだとばかりに、笑みを浮かべ、メモを取る式部さんを見つめながら、私は“紫の上”が『源氏物語』の主要登場人物だったことを思い出す。

 ここは、私と式部さんとの二人で、『源氏物語』を生み出すという平安時代に似た異世界なのか?

 それとも、本物の紫式部に先んじて『源氏物語』を生み出してしまうという、歴史改変を行ってしまったのだろうか?  

 そういう場合は、未来からタイムパトロールがやって来て、私と式部さんは歴史的事実改変の罪で連行されたりしちゃうのだろうか?

 私がいた時間軸の延長上にある平安時代について、細かな史実をまったくと言って知らないから、どちらなのか私には判断することができない。私の頭の中で答えを出そうにも、手がかりが少なすぎるのだ。

 ただ、言えることは……賽はもう投げられてしまったのだということ。

 これが通常エンディングに繋がる道なのか、バッドエンドに繋がる道なのかはいまの時点ではわからない。

 しかし、私はセーブする前に、既に重要な岐路を過ぎてしまっていた。おそらくエンディングに関わるであろう、非常に重要な選択肢。私と式部さんとの二人三脚で、『源氏物語』を作っていくという選択肢を、私は選んでしまったのだ。

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