第15話 未来の日本は物語で溢れているのです! クールジャパンな世界を式部さんに伝えてみた

 結局、私は式部さんと一緒に牛車ぎっしゃという乗り物に乗って、京の都の散策に出ることになった。

 牛車というのは、この時代に跳ばされて来た夜、惟規のぶのりさんが乗っていた乗り物だろう。

 私は東京に住んでいるから、頻繁に牛を見る機会はなかった。しかし、現代でも、観光牧場を訪れたときに、そこにいる乳牛を近くで見たことぐらいならある。そして、馬とは違って、どの牛も動きが緩慢だったような印象があった。

 それは時代を遡っても変わらないようで、牛の歩みは遅く、なぜそもそも牛という生き物に車を引かせようだなんて思いついたのだろうかと疑問を抱くほどの遅さだった。おそらく、ポニーに引かせた方が速いのではないだろうか。この時代にポニーがいるかどうかはわからないけれど。

 しかし、その牛の歩みの遅さよりも、私にとって目下の問題と言えば、車内の狭さである。現代の乗用車のようにシートが用意されているわけではなく、牛が引く車の部分は簡単に説明してしまえばただの箱。後ろ側に御簾がかかっているだけでその内側に仕切りはない。

 惟規さんに車に乗せてもらったときは、私もパニックしていたのだろう。そんなところまで気が回らなかったのだけれど。

 いまは、意識がはっきりしているからこそ気になってしまう。シートがない分、自ずと乗った者同士の距離が近くなるのだ。

 この車の中に漂っている良い匂いは、私の香なのか、それとも式部さんの香なのか。混ざり合って、それすらもわからなくなってくる。

 そして、この顔の近さ。私は貴族なんかではないとバレているにも関わらず、深窓の姫君のように扇を開いて俯くしかなかった。

「香子殿、先ほどからなんだか様子がおかしいね。やはり、私がこのような男性の装束を着るのは、似合わないだろうか」

 心配そうな目をして、式部さんは私により顔を近づけてくる。

 ああ、自分以外のことにはあんなに推理が働く名探偵なのに、自分のこととなるとどうしてこんなに鈍感なのだろうか。

 近い! 近い! 近い! 近い!

 顔が近すぎる!

 息がかかるような近さまで近づけてくる顔を避け、式部さんの鈍感さを呪いながら、

「いえ、とても素敵だと思います」

と、私はどうにか小さな声で答えた。

 これがゲームだとしたら、こんな続けざまにイベントが起きることはないけれど。

 牛車の中で攻略対象と思わず密着、主人公が頬を染める。「2枚目のスチルイベント来ました!」というほどの近づきっぷりである。

 しかし、式部さんはそんな私の心の内など露知らず。相変わらず物語にしか興味がないようだ。

「なら、よかった。物語について語ろうと約束していたのに、先ほどから一言も口を聞いてくれないから、嫌われたかと思って心配してしまったぞ」

 嫌うわけないじゃないですか!

 というのが私の本音だったが、癪に障ったのでそれはいまは言わないでおくことにする。

「式部さん、髪……いつも床までつくほど長いじゃないですか。それ、どうやってまとめたんですか?」

 とりあえず話をそらそう。少し私から離れてもらいたい。

 そう思い私が選んだ問いかけは、まったくの逆効果だった。

「この髪は……」

 言いながら、さらに顔を近づけてくる。

 ちょっと、キスするんですか!? いったいさっきから何なんですか?

 という、顔の近づけ方である。

「本当は短いのだ。この烏帽子を取ると……」

 なるべく式部さんから身体を引き離すようにして、その頭のまげを見る。その髷の部分の髪の分量から推測するに、おそらく肩より少し長いくらいのセミロングぐらいの長さだろうか。

「ほら、実はこのように短くて、ふだんはかもじを付けて長さを補っている」

「かもじ……?」

「毛を付け足すのだ」

 どうやら、エクステのようなものが既にこの時代にもあるらしい。それなら、私もやはり早々にかつらを取っておくべきだった。

「香子殿のこの髪はどうなっておるのだ?」

 式部さんからなるべく離れたと思ったのに、また私の方にその顔を近づけてくる。

 近い! 近い! 近い!

 だからさっきから近すぎるんですってば!

「鬘です……」

 再び、身体を引き離すように身を退けると、ふいに式部さんの手が私の腕を掴んだ。

 そして、式部さんの方に、私の身体をぐいと力任せに引き寄せる。

「な! 何を!?」

 勢い余って、私は式部さんの胸の中に転がり込んでしまった。

 ああ、この力は確かに男性だ……って、そんなこと考えている場合じゃない!

「きゃっ! ごめ……ごめんなさいっ!」

 式部さんの胸に抱きしめられた格好になってしまっていた自分の身を急いでそこから引きはがした。

 式部さんの顔をそっと見上げると、

「大丈夫か? そのように端によると、車の後ろから転がり落ちてしまうぞ」

と、涼しい顔で私を見つめている。

 どうやら、車から落ちそうになった私を助けてくれただけのようだが……今度こそ心臓が止まりそうだった。

 いったい、今日だけで何枚のスチルイベント起こしてくれるつもりなんですか、式部さん! と心の中でツッコミを入れたが、当の式部さんはやはりそんな私の心の細かな動きなどまったく気付かない風情で、飄々と私に質問を投げかけてくる。

「では、そろそろ未来の物語について私に教えてくれるかい? 香子殿」

 ここで、物語について語るなど、全然心の準備ができていない。というか、息も動悸も収まっていない。

 時間稼ぎに、とりあえずまた私は質問を重ねた。

 今度こそ、式部さんと近づきすぎることのないよう、質問は吟味したつもりだ。

「え~と、その前に質問が。この車はどこに向かっているのですか?」

 この質問なら無難だろう。

 そう。私はまだ、今日訪れる場所すら聞かされていなかったのだ。

 ところが、式部さんはその答えを私に明かしてくれる気などさらさらないようだ。

「それは、着いてからのお楽しみだよ。一日は長い。ゆるりと楽しもうではないか。だから道々、未来にどんな物語があるのか教えてくれるだろうか」

と、私の問いをかわす。

 確かに一日は長い。そして、この牛ののんぴりとした歩みでは、いつになったらその目的地に着くのかどうかもわからない。

 そして、このままドキドキしていても、話は進まない。リアルな男性慣れしていない私は、きっとドキドキしたまま一日を終えてしまうことだろう。そのように約束を違えてしまっては式部さんに悪いし、物語について語り、妄想を垂れ流した方が、私もオタク的な意識が全開になって、目の前のイケメンを気にすることなく平静を保てるのではないか。

 そう、考えを切り替えて、私は未来に存在する様々な物語について説明を始めることにした。

 心を落ち着けるため、深呼吸をひとつして、私は語り始める。

「まず“物語”というのが何を指すかによって話は変わってくると思うのですが。とりあえず、『伊勢物語』や『竹取物語』のように、文字をベースに書かれた物語のことを、千年後の世界では、“小説”と呼んでいます。もちろん、『伊勢物語』のような古典の作品はそのまま“物語”と呼んでいますが、現代において書かれたものは“小説”と呼ばれることが多いと思います」

 なんとか、平常心で説明を始めることができた……と思う。

 式部さんは興味深そうに頷きながら、私の話を聞いている。

「それで、その“ショウセツ”というものは、いったいどれぐらいの数があるのだ?」

「さあ……」

「そなたのように漢籍に通じているものでも、わからないのか?」

 おそらく、式部さんは勘違いをしている。私が無知なため、その数を知らないだけだと思っているのだろう。

 確かに、それは真実でもあるのだが、世界に数多溢れる物語の数を正確に把握している人間など、はたして存在するのだろうか。

「はい、わかりません。それは、わからないぐらい世の中に流通しているという意味ですが。どんなに本を読むのが速い人でも、世の中にある“小説”を一生の間に読み切ることはできないと思います。あ……、“本”というのは、“小説”などが印刷された紙が綴られたものですか」

「インサツ? それも聞いたことのない言葉だな。だが、まずひとつ質問したい。一生の間に読み切れぬとは、どれほどの数なのだ? まさかひとつの邸が埋まってしまうほどの“ショウセツ”がこの世に存在するわけではなかろう?」

「印刷は、もっと後の時代に発明される技術なのですが、式部さんがいま書いていらっしゃるその紙……」

 式部さんは、なんとこの牛車の中にまで、筆と紙を持ち込んでいた。そして、先ほどからしきりにメモを取っている。

「それとまったく同じもの、写しを、何百枚でも何千枚でも、作り出すことができる技術です」

「なんと、それは便利なことだ! 希少な書籍は、手に入れることも困難、人から人に伝手を辿ってなんとか貸してもらうことができるようないまの世と比べたら、とても便利な時代が来るのだな。そして、手で書き写すこともしなくてよくなるということか」

 式部さんの羨ましげな声を聞いて、そういえばこの時代には印刷技術がなかったから、どんな書物もすべて人が自分の手でいちいち書き写していたと古典の授業で習ったことを思い出す。

「はい、そういった技術の発展もあって、たくさんの“本”が生産されるようになります。毎日、毎月、どれだけの数の本が発売されているのか私にはわかりません。先ほどの、邸が埋まるほど……に対しての答えになりますが、実際に本だけで埋めつくされた建物が未来にはあるのです。それを“図書館”と言います」

「“トショカン”? 楽しそうな建物だ。行ってみたいものだな。とはいえ、それは内裏より広くはなかろう?」

 私は頭の中で昨日訪れた京都御所と、国会図書館の広さを比較してみた。いま、式部さんのいる時代の御所がどれぐらいの広さかわからないけれど、現代の御所と比較したら明らかに国会図書館の敷地面積の方が広そうだ。それに、御所は平屋だけれど、国会図書館は地下にも地上にも伸びている。

「残念ながら……図書館の方が大きいかと。ただ、私がいま思い浮かべている図書館には、小説以外にもたくさんの書物が収められているのですが」

 むしろ小説の占める割合の方が少ないだろう。ノンフィクションの、いわゆる専門書がたくさん収められているのが図書館という場所だ。町の小さな図書館はまた違うだろうけれど。

 私の説明を聞いて、式部さんは絶句した。

「ここまで話したのは、物語のほんの一部で……プロの作家が書いて販売されている“小説”についての話です。プロというのは、小説を書くことを専業として、それで食べている人、という意味ですが。そういった作家を職業としている人たちが書いた本は、図書館だけではなく、“書店”という店屋、商店で販売されていて、誰もが気軽に貨幣で購入することができるのです。身分など関係なく」

 電子書籍については、仕組みをうまく説明できる自信がなかったので、省いて話した。

「そして、書店以外の場所でも、作家を職業とはしていない素人の人たちが、“小説”をたくさん書いて、自分たちで販売しています」

 同人誌即売会のことを説明したいのだが、その中でも大きな即売会の会場を思い出してみると、やはり京都御所より遥かに広いような気がして、そのことを伝えるのが憚られた。

 もちろん、電子書籍と同じく、ネット小説や携帯小説については説明する自信がないため、これも省く。

「さらに、“物語”の範疇に入るものとして、未来には“マンガ”というものがあります。それは、絵巻物が発展したようなものだと思ってください。絵が主体の物語です。これも、本当に数が多くて……。若者の間では、“小説”以上に人気があるものです。さらに、日本のマンガは世界でも人気が高く、フランスでは“クールジャパン”と言われ、特に人気が……」

 既に、式部さんの理解の範疇をとうに超えてしまったようで、先ほど絶句したまま、ぽかーんと口を開けたまま私の話を聞いている。イケメンもこれでは台無しである。

 しかし、式部さんの呆けた顔を見たことと、私の得意分野について語ることができたせいで、先ほどよりも私自身はだいぶ動悸が収まってきたように思う。

 式部さんの心拍数については考えたくない。

 いま、おそらく、私がタイムスリップしてきたときと同じような衝撃を味わっているはずである。

「説明が難しいのですが、フランスというのは、唐や天竺よりも遥かに遠い、西洋の国のことで。いまは遠すぎてまだ国交がないと思います」

 確か、南蛮人が日本にやってくるようになったのは、信長の時代になってからではないか。マルコ・ポーロが東洋までやって来たのは、それよりもかなり前だったと思うが、平安時代よりは後の話だろう。少なくとも大航海時代にならないと、ヨーロッパと日本は船で行き来ができないはずだ……と、あやふやな世界史の知識で考える。

「“クールジャパン”というのは、なんと言ったらいいか、褒め言葉で……『いとをかし日本の文化』みたいな? いや『いとあはれなり』かな? とにかく、そんなニュアンス……そんな感じの褒め言葉です。日本人が作る物語の質に対して、世界中が注目しているというわけです」

 さて、ここまででまだマンガまでしか私は説明できていない。

 マンガは、まだ絵巻物とさして変わらない、紙の上で絵が静止した状態で物語を語っていく媒体だから説明ができた。しかし、アニメ、ドラマ、映画……そして、ゲームというものをどのように説明したらいいのだろう。インターネットから、火がついた物語の類(たぐい)については、まずインターネットという仕組みを解説できる自信がない。

 仕方なく、一番その中でも解説するのに敷居が低そうなアニメから説明することを私は選んだ。

「そして、絵巻物の絵が動いて物語を伝えるのが、“アニメーション”、略して“アニメ”というもので……」

「絵が……動く、だと!? それは、どのようなまじないなのだ?」

 逆に質問されて、私自身その仕組みを言葉ではうまく説明できないことに気付く。

 これは、口で説明するよりも見せた方が早いだろう。

「紙はたくさん持って来ていますか?」

と、私が尋ねると式部さんはコクリと頷いた。

 私はその紙の束の隅に、小さな絵を描く。

 絵と言っても、簡単な図形だ。丸が少しずつ角を帯びていき次第に四角になっていくという、ごくごく簡単な変化の様を、複数の段階に分けて絵に起こしたものだ。

 そして、

「見ていてくださいね」

と、その紙の束を式部さんの目の前に広げる。

 私は紙をしならせて、パラパラと勢いよく紙をめくった。丸が四角へと変化していく簡単なアニメーションだ。

「おお、なんと! 絵が動いて見えるな!」

「本当はもっと複雑な仕組みだし、もっときちんとした絵です。いまは説明だから、ごく簡単にしたのですけれど。これが基本です。こういったアニメーションというものもたくさん作られ、世界中で人気なんです」

 こんな簡単なパラパラマンガを見ただけで、式部さんは高揚したようで、その瞳は生き生きと輝いている。

 これ以上の説明も理解も、お互いに限界だろう。

 実写のドラマや映画、さらにそれが3Dで見られることなど、その原理を聞かれたら説明できる自信がない。そして、ノベルゲームならまだ説明できるかもしれないが、3Dのアクションゲームやインターネットに繋いで複数の人たちと楽しむMMOなんて、説明不可能だ。

 説明しようといくら言葉を尽くしても、式部さんに理解してもらえぬまま、今日の日暮れを迎えてしまうのではないか。

 そう思った私は、これで未来の物語についてのジャンル説明の部を締めくくることとした。

「本当はこれだけではなく、もっとたくさんの物語と呼べるものがあるのですが……技術的な部分を私が説明できそうにないので、ここまでで。ただ、私がひとつだけ言えることは、私のいた未来の日本には、一人の人間が一生の間に読み切れないほどの物語が溢れかえっているということです」

「物語が溢れかえっている……」

 私の言葉を反芻している式部さんの顔は、先ほどのようにただ驚いているだけではなく、未来の日本を羨んでいるように見えた。

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