第3話 マリン

ナナは、通い慣れた栄の地下街をゆっくりした歩調で歩いている。


『今日のレッスンは、東京から有名な先生が来るんだっけ。時間は、ちょっと早いけど、早めに店に入れば良い。キャシー先生とお喋りしてればいい』


キャシー先生のレッスンは時には厳しくもあったが、最近では、諦められているのか、中々ステップを覚えらないナナを優しくリードしてくれるようになった。


根気のいる仕事だと思った。


栄の地下街は色々な若者向けのブランドが並んでいる。綺麗な女の子が、いつになくたむろしている。足早に歩く人々。

ナナの歩調には合わない。

人とぶつかる事が多いナナは出来るだけ人々の邪魔になら無いようにと、端っこを歩くようにしているのだが、人の波とは不思議なもので、あっちにぶつかりそうになると、すぐこっちでもぶつかりそうになる。


たまに、10代の若者と目が合うと、

「うっぜえ、ババァ」なんて言われる。新人類の彼らは携帯電話を見ながら歩いているのだから、ぶつかるのは当然である。そもそも、彼らは携帯電話無しでは生きられ無い生物であって、彼らから携帯電話を奪ってしまったら、この世の中はどうなってしまうのか?


世界の未来を担う若者の行く末を携帯電話のせいにしてしまうのはあながち、遠からずでもあるような、無いような、そんな気がして仕方ない。


それでも、人とぶつかると言う事はやはり、歩調が合ってないと言う事である。ナナは人に合わせようと思う気持ちが少ないかもしれ無いと思った。昔からマイペースなのだ。


他人をイライラさせてしまう。そんな自分はイヤだったが、持って産まれた性格はそう簡単には変わらない。


栄の地下街をゆっくりと俯き加減にいつもは歩く。

後方から髪の毛を後ろで束ねた、主婦が足早にナナを抜かそうとして横を通り抜けた時、ぶつかりそうになり、思わず顔を上げた時だった。

ショーウィンドーの中に、すらっと両手両足が伸びた白いマネキンが着ている黒いワンピースが目に入った。


思わず、普段なら絶対に入ら無いだろうそのショップに足を踏み入れてしまった。


ここのブランドは、10代、20代をターゲットにした服を扱っている。チョット粋がったと言うか、ヤンチャな服が多い。ジーンズでも、恐ろしく穴が開いたのとか、恐ろしく短いワンピースとか、殆ど生地らしい生地が無く、穴が空いてるTシャツでも、普通に買うより高い。


ウィンドーに飾ってある、そのワンピースは、黒で、ネックの部分がシースルーになっている。ノースリーブなのだが、スカートは後ろ下がりになっていて、丁度燕尾服のように、前は、ミニで、後ろから見たらミディアムのスカートになっている。スカートはたくさんのギャザーが入っていて、それでいてシフォンの素材で出来ているので、ふわっとした形が綺麗だった。


思わず、見とれた。『これ、パーティーで着たいな。』


ショップの中まで入って『しまった』と思った。

案の定、店員が寄ってくる。

「ご試着なさいますか?」

『試着したい!でも、似合わ無い。分かってる。』

見るからに、ウェスト部分が入らないだろう。店員も意地悪である。私にこのワンピースが着れない事ぐらい、わかってるだろう。

「あ、いえ、プレゼントにどうかと思いまして。少し、見させて貰っても良いですか?」

『 レッスンまで、充分時間はある。少し寄り道した方が丁度良い時間かもしれない。』

そう、心の中で思いながら、ワンピースを手に取って見た。

素材と、着た感じ、店員のお姉さんにワンピースを重ね合わせる。

「プレゼントは妹さんとかですか?良いですよね〜。これ。パーティー用なんですけど、ジャケットとか、合わせ方によっては、ちょっとしたお呼ばれとか、合コンとかにも勝負服でいけちゃいますよね〜。可愛いですよね〜。」


勝負服、合コン、と今風の店員さんに相槌を適当に打ちながら、何気に、値札を確認する。

高い、半端なく高い!4桁はあった。確認しただけで、その数字を見るのを諦めた。当たり前である。こんなに素敵なワンピースが1万円以下で買えるはずが無い。

でも、栄の地下である。名駅の、ミッドランドか、高島屋のブランドのショップならわから無いでもないが。やはり、高い。


ナナは、自分を知っているつもりである。自分に似合う服はここにはない事を。せいぜい、『ユニクロ』とか、『シマムラ』、『赤のれん』が自分に合ってると思っている。それでも、ユニクロはオシャレだ。シマムラも、赤のれんも。


アレはモデルが良い。美男美女、足の長い、外国人のモデルが着ればなんだってオシャレに見える。

モデルの彼らと同じ服をナナが着ても、全然イケて無い。これは、やはり土台の問題である。

ナナは、パンツ派である。スカートなんか殆ど履かない。パンツも至ってシンプルなものが多い。ストレートのパンツで、色はグレーが多い。

サルサパーティーでも、同じような服装である。サルサダンスを踊るのに、誰もがセクシーなドレスを着て踊るものだと勘違いする輩がたまにいるが、そうではない。現に、ナナに限らず、海外からやって来たダンサーなど、ピチピチのジーンズでレッスンの指導をしたくれたりする。


ラテン系の彼らと、日本人の体型とは明らかに肉の付き方が違う。胸ボン、腰キュ、お尻なんてボンボンである。見てるだけで女のナナでもヨダレが出てきそうになる。

ただ、ハロウィンの仮装パーティーだけは、ちょっと弾ける。ドラえもんの着ぐるみを着たこともあった。ピーターパンになった事もある。ネットでコスプレを探しては、次はどんな仮装をしようか、考えるのが楽しかった。

セクシーな服にも挑戦してみたかった。いつかは、もっと上手くリズムに乗れて、リードの足を踏まなくなったら、セクシードレスを着てみようと思うのであった。


それが今見たワンピースを着れればきっと素敵だろうと思わずにいられなかった。


ショップ店員に、

「チョット考えさせてください」とやっとの思いで言えた。 そのまま諦めて店を出ようとした時であった。


大学生くらいだろうと思われるカップルが仲良く手を繋ぎながら店内の服を見ていたのだが、出口で彼らと一緒になった。


彼女が言う。

「あの服可愛かった〜〜。」

彼がすかさず、

「もう少し痩せたらね。」


そうだね。痩せないと美しく着れない。


次の瞬間、

《ズン》っと鈍く低い音が聞こえて来たと思ったのと同時に

「ウッ!!」と、男の呻き声が聞こえた。

思わず、今すれ違ったカップルの方を見る。


女のボディブローが男のミゾオチに決まったようだ。


女はボクサーか?


女に太いとか、太ったとか、痩せたら良いのにとか、そんな事を言う男は必ず制裁が下される。


と、世の男性諸君は肝に命じていた方が良いだろう。


ナナは、あの素敵なワンピースが着れるのは、「マリン」しか居ないと思った。きっと、「マリン」が着たら似合うに違いない。

パーティーに来てる男性全員が彼女とペアを組みたがるだろう。


マリンは、『ベラム』でサルサダンスを習い始めた頃に、彼女が後だったか、先だったか、分からないくらい殆ど同じ時期にレッスンを受けた仲間だ。


同じ歳。27歳。


マリンは美しかった。日本人離れした容姿。身長は160㎝くらい。体重はナナよりもずーっと軽いのは見た目ですぐ分かった。

今まで出会ったどの女性よりも、マリンは綺麗だと思った。


そして、何よりオシャレで、屈託なく笑う笑顔が可愛かった。


男共は、彼女とペアを組みたがったが、マリンは選んだ。

大抵、

「踊ってくださいませんか?」と男性は上手にお辞儀して、手を差し出すのであるが、中々スマートに誘われるのも難しい。また、断るのも然り。


マリンは、丁寧に、断った。

「今、ちょっと呑んでるので、ゴメンなさい。」


そう、マリンは中身は中年のオッサンだった。

とにかく、底ぬけに呑んだ。ビール、焼酎、酒、ワイン、ウィスキー。


マリンは、帰国子女だった。

酔うと、訳の分からない英語が、時折口から出て来た。

豪快で、気持ちも良く、マリンが男だったら、初めての男になって欲しいくらいだったが、マリンが男だったらナナなんか相手にしないだろう。


性格がそんな風だったから、男も女もマリンが好きになった。もちろん、ダンスもうまかった。

海外は、アメリカのサンフランシスコに何年もいたようだ。鍛えられたリズム感、ノリの良さは言うまでも無い。


ナナは不公平だと思った。


『天は二物を与えず』とは言うものの、完璧な女が居るではないか。頭も良い、性格よし、スタイル良し、顔も完璧。


それだけ揃えば充分、嫉妬するに値する。


ただ、完璧な女なのに、男運はなかった。付き合って居る男が居て、冴えない男だった。

酒も飲めない。容姿は普通。より劣るかも知れない。マリンとは明らかに釣り合いが取れて居ない男だった。


「将来安定なの?お金持ってるの?」


聞いた事があったが、バイト暮らしで、通訳の仕事をしてるナナが殆どデート代を出しているらしかった。


幼馴染とも言ってた。腐れ縁だと。


あまりにもモテ過ぎると、行きつく先の男は、平凡に落ちつくのであろうか?


そんなマリンだったが、半年ほどして、突然、姿を消した。


まるで、ハリケーンだった。

一世を風靡した、マリリンモンローだった。


レッスンにも来なくなり、最も、わざわざレッスンを受けなくても充分に踊れた彼女だったが。


パーティーでもそれから、顔を見る事はなかった。






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