1日目 23時55分



「丁度良かった。今声掛けようと思ってたの」


 室内からゆっくりと扉が押し開かれ、凍子さんが廊下へと姿を現す。黒い薄手のセーター。僅かに膨らんだ胸元。美しい彼女は僕の顔を見、少し驚いたような表情を浮かべた。


「話があるんだ。凍子さ......いや、凍子」


 表情を引き締め、僕は言う。何をすべきか。どんな態度をとるべきか、心はもう決まっていた。


「何で呼び捨て? まあいいけど。話は後で聞いてあげるから、取り合えずついて来て」


 言って、凍子さんは僕の横を通り抜ける。エレベータホールに向かうようだった。


「待ってくれ凍子。僕は君に、言わなくちゃならないことがある」

「だからさ、それは後で聞いてあげるって」

「こんなところに1人で閉じ込められて、辛かったと思う。寂しかったと思う。怖かったと思う。だけどもう大丈夫だ」


 凍子さんの台詞を無視し、少し早口に僕は続ける。彼女は面倒臭そうにしながらも一応足を止め、向き直って僕を見つめる。


「君は今日、平和な日常へと帰還するための、恐ろしい死のゲームを闘い抜くための、武器を手に入れた」

「武器......?」


 僕の言葉に、凍子さんは興味を引かれたようだ。不審げに眉を寄せながらも、続く台詞を待っている。


「そう。武器だ。それは君が我が身を守り、死に彩られた運命を払うための最強の武器。何だか分かるかい?」


 いいぞ。口を動かしながら、僕は胸の内で自らに喝采を贈る。上手く喋れている。凍子さんは僕の言葉に聴き入っている。


「僕さ。この日下部幸也だ」


 僕が君を守る。だからもう泣かないでおくれ。僕が来たからにはもう、何も心配はいらない。君を無事、君のいるべき場所へと導こう。

 そんな思いを感じとって貰いたくて。そんな思いに桜色に染まった頬で応えてほしくて。僕は言葉を紡いだ。言い切った。凍子さんは右の人差し指で少し頭を掻くようにすると、存外に冷静な口調で告げた。


「オーケー。取り合えず端末に用があるから、ついて来て。できるだけ急いでゲームを選ばないと」


 言葉に、マニュアルの記述を思い出す。確かゲームは、実施前日の24時に決定されるとあった。確かにそろそろ時間だ。


「そうだね。急いだ方がいい」


 何故急いだ方がいいのかは分からなかったし、僕の台詞に対する凍子さんの反応にも不満はあったけれど、一旦は彼女の考えを尊重することにする。

 恐らくフロア中に仕掛けられている隠しカメラ。本当は僕の胸に飛び込みたかったけれど、シャイな凍子さんがテレビカメラを意識してそれができなかった可能性だってあるんだ。


「ゲーム開催前日の24時から翌朝の8時までの間は、端末に腕輪を読み込ませると、特殊な画面が出現するようになる」


 エレベータホールの端末前。言いながら、自身の腕輪をリーダーに翳す凍子さん。僕は隣で、液晶画面を覗き込む。言葉のとおり、画面には2時間前に確認したときに目にしたたそれとは異なる2つのボタンが表示されている。「ゲーム選択」。そして「アイテム購入」。「アイテム購入」を選択することで、多分例の画面に遷移するのだろう。


「ゲーム選択をタッチする。この後君にもやって貰うから、よく見ておいて」


 細い指が画面に触れ、表示が切り替わる。四角いタッチパネルには、縦に並ぶ細長い4つのボタン。AからDまでのアルファベットと、ゲームの名称と思しきものが記されている。


 ハーミットキリング :難易度2

 バレットカード   :難易度1

 ヴェノムスワイプ  :難易度2

 プリズナーズラン  :難易度4


 少し意外な思いがする。ゲームというから、例えばチェスやトランプや、バックギャモンや、そうした類のものを僕は想像していた。だけど目の前の液晶画面には、それこそ聞いたこともないような名称が並んでいる。

 ハーミットキリング。暗殺とか、そんなような意味だろうか。バレットカード。バレットは銃弾だったはずだから、銃弾と札といった意味合いになるのかもしれない。ヴェノムスワイプ。これは全く分からない。不穏な雰囲気は感じる。そしてプリズナーズラン。走る囚人、でいいのだろうか。


 凍子さんは画面から外した視線を、僕の顔へと向ける。真剣な面持ちで、言い聞かせるように澄んだ声を響かせた。


「ゲームの開催前日24時から、開催当日8時までの間に、わたし達参加者は自分の参加するゲームを選ばなくちゃならない。だけど、何でも好きに選べる訳じゃない。各ゲームには定員があって、埋まってしまうともうそれは選べない。つまり、早いもの勝ちってことになる」

「はあ……」

「わたしはこれから、Bのバレットカードを選ぶ。選び終えると、すぐに画面とわたしの腕輪から、参加ゲームを決定した旨を告げる音声が聞こえてくる。それが聞こえたら、君もすぐに自分の腕輪を読み込ませて、Bを選んで。君が違うものを選んだり、或いは君が選ぶのが遅れてバレットカードの定員が埋まってしまったら、わたし達はそれぞれ別のゲームに参加することになってしまう。いい?」


 告げて、凍子さんは指先を画面へと再び滑らせる。バレットカードと記されたボタンが光り、数時間前部屋で目覚めた際にも耳にした、機械音声が響いた。


「NO.87。参加ゲームヲ決定シマシタ」


 メッセージが響き終わるか終わらないか。凍子さんに腕を引かれ、僕は端末の前へと移動する。イニシアティブを握れていないことに多少不満を覚えながら、腕輪をリーダーに翳した。画面に上には自分の名前と所持金が表示されている。


「えっと……」


 呟きながら、「ゲーム選択」をタッチ。続いて4つの細長いボタンが表示される。


 それにしても、本当に選ぶのはバレットカードとやらでいいのだろうか。端末の液晶画面に表示されたゲームの数は4。難易度は1から4までで、3が抜けている。バレットカードとやらはその中で唯一の1で、つまりは最も簡単なゲームであるということだ。

 ドッキリ企画の設定とはいえ、一応のところゲームをクリアできなければ死ぬということになっている。難易度1は即ち、最も生き残りやすいゲームということだ。何と言うか、番組の絵的にそれでいいのだろうか。


「あれ……」


 改めて画面を見て、少し驚く。目の前の液晶には、ボタンとアルファベットのみが表示されている。凍子さんが操作していた際には、ゲームの名称と難易度も出ていたはずだ。


「凍子さん、何か画面が……」


 言ってから、しまったと思った。つい癖で敬称をつけて彼女を呼んでしまった。僕は勇敢で頼りがいのある男。今の僕の姿は、テレビの前の視聴者の目には間抜けに映ったに違いない。


「あ……」


 凍子さんの指が伸び、Bのボタンに素早く触れる。同時に響き渡る機械音声。リーダーを読み込ませてさえしまえば、他人が操作してしまうことも可能らしい。まあ当たり前といえば当たり前。たかがテレビの企画で、本人の指にしか反応しないタッチパネルなんて複雑なものを用意するはずがない。そんなパネルがあるのかどうかは知らないけれど。


「わたしは事前に次のゲーム情報を買っておいた。言ったでしょ? 500coinのやつを買ったって。買っておくと、直近のゲーム選択のときに名称と難易度が分かるようになるの。君は買ってないから何も出なかった。ていうか、素早く押せって言ったでしょ? ふざけてるの?」


 どうやら姫君はお怒りのようだ。だけど事情は知れた。確かに目の前の端末で購入できる商品の中には「次のゲーム情報(簡易)」というものがあった。あれを購入すると、ゲームの名称と難易度が表示されるようになる訳だ。なかなか凝っている。


「ごめん凍子。いろいろ興味深くて、ついね……」


 勿論実際には、「次のゲーム情報」を購入したから追加の情報が表示された訳ではないんだろう。所詮はテレビ企画。このためだけにわざわざ複雑なプログラムを組み上げているとは思えない。恐らくこのエレベータホールの様子をスタッフが隠しカメラで監視していて、僕達の動作に合わせて端末に表示する画面を遠隔操作しているんだろう。


「あ……」


 ふと思い至り、端末を見つめる。

 現在のこの状況は、テレビ番組のドッキリ企画に出演させられたことによって生じている。それはまず間違いない。様々な情報が、それこそが真実だと指し示している。

 だけどそれを確実に確かめる方法が、目の前に1つあるのだ。

 販売品目の中には、いわゆる酒類があった。そして凍子さんは、購入したものは次の食事の際に食事と一緒に運ばれてくるとそう言っていた。だったら酒類を買ってみればいい。買ってみて、明日の朝食時にそれが手に入るかどうかを確認するのだ。予想するに、何らかの理由をつけて酒類は運ばれてこない。未成年である僕に、番組側は酒を飲ませる訳にはいかないからだ。


「凍子。訊きたいんだけどいいかな?」


 尋ねれば、凍子さんはうんざりしたような表情で何?と答える。


「凍子はさっき、端末で買ったものは次の食事のタイミングで手に入るって言ったよね? 今買えば、明日の朝食時に食事と一緒に運ばれてくるのかな?」

「情報類以外はね。情報類だけは、買えばその場で閲覧できる。マニュアル買ったなら知ってると思うけど」


 うん。確かに初心者マニュアルは朝食を待つことなく、端末で即座に閲覧することができた。


「今何か買ったら、明日の朝届くかな?」

「食事の時間の2時間前が締め切り。それを過ぎると、もう1つ先の食事のときに届くようになる。何買うの? 変なのやめてね」


 凍子は言う。変なの、とはアダルトグッズのことだろうか。それを買うことでも目的は果たせるけれど、今はcoinが足りない。元々持っていたのが300coin。初心者マニュアルの購入に100coin使ったから、残りは200coin。酒は買えてもアダルトグッズは買えない。


「教科書だよ。勉強したいんだ」


 嘘をつく。凍子さんは黙って何度か頷くと、端末を離れる。どうやら部屋に戻るようだ。ありがたい。仕掛け人の凍子さんとしては、僕に酒を買われたくはないだろう。酒を買うとすれば、恐らく理由をつけてやめさせようとすることだろう。


「わたし寝るね。日下部君もできるだけ早く寝た方がいいよ。明日は、体力使うから」


 言って、小柄な先輩は廊下へと去っていく。僕は端末に向き直り、迷わずビールを購入。これで残りは100coinだ。


 部屋に戻り、そのままベッドへ。多分日中それなりの時間眠ったはずなのに、すぐに眠気が押し寄せてくる。思った以上に僕は、疲れているらしい。


「おやすみなさい」


 誰にともなく呟き、目を閉じる。冷たい、だけど柔らかなベッド。くたびれたシーツ。

まどろみの中、僕は彼女の夢を見る。


 朝食と共に1ダースの缶ビールが届けられたのは、翌朝8時のことだった。






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