第2話

 野太い悲鳴と血飛沫があがった。


 袈裟懸けに斬られた村人が、苦悶の顔でのけぞり返る。夜闇に呑まれた広場には、地に伏せ、事切れた亡骸の数々。


「素直に聞いときゃいいものを」

 鍬の血糊を振り払い、赤髪は視線をめぐらせる。「まったく馬鹿な連中だぜ。ここまでする気はなかったのによ」


 轟音をあげて立ちのぼる火焔が、夜空に赤々と燃えさかっていた。

 樹海の中の集落は、すでに火の海になりつつある。

 それにしても、と赤髪は、鍬の柄で無造作に肩を叩く。


「妙だな」


 女子供の姿がない。

 避難を始める気配さえない。騒ぎに怯えているにせよ、隠れているにも限度がある。村が炎上しているのだ。


 騒ぎを聞きつけ飛び出してくるのは、いずれも男の村人ばかり。わずか二十戸強の集落だが、そうまで極端な人員構成があるものだろうか。女子供がいないなど。皆が頭上に押し戴く、覆布の巫女一人を除いて。


 高い木立に囲まれた、深い樹海の集落だった。

 風雨に白んだ掘っ立て小屋が、人々の寄り合い場であるのだろう狭い広場を囲んでいる。


 大陸北方、ノースカレリア《サパサ》の村。

 もっとも村とは名ばかりで、単に人を寄せ集めただけの、ほんの小さな集落に過ぎない。樹海の隘路あいろを延々南下し、ようやく開けた樹海の切れ目に、三十にも満たない古びた家屋が、ぽつりぽつりと建っている。宿も商店も何もない。自給自足に近い暮らし。


 農具を構え、じりじり睨み据える村人の中、赤髪は頓着なく足を進める。

 無防備なその背をめがけ、数人の刃が殺到した。


 振り向きざまに赤髪は薙ぎ、古びた小屋の引き戸を開ける。


 ひんやり、冷気が立ちこめた。

 窓明かりだけの、藁敷きの板の間。物置と見紛うみすぼらしい外観に違わず、家具もろくに揃っていない。倹しく、どことなく埃っぽい。どの小屋も似たり寄ったリ。その様子に大差はない。


 家財道具を確認し、鍬を土間へ投げ捨てた。

 がらん、と転がった血濡れた鍬には一瞥もくれず、赤髪は土足で上がりこむ。


 戸棚を倒して、引き出しをぶちまけ、散乱した品々を、革靴の先でひっくり返す。皿、椀、衣類、紐──だが、目当ての物は出てこない。


 秘宝の翠玉を探していた。

 人の世の望み、ことごとく叶える秘宝の翠玉「鳳凰の眼」

 それを取得し、受け渡すべく、樹海の深部までやってきたのだ。


 あらかた探して小屋から出、家探しの済んだ家から火を放つ。

 夜の集落は、ひっそりと静かだ。集会場に火をかけてから、まださほど経ってはいないが、すでに住人は死に絶えたらしい。


 血潮に染まった亡骸を踏み越え、灼けるような火の海を離れた。

 集落外周の木立の幹に、赤髪は背をもたせかける。


 集会場がある方の、北側の区画の捜索は済んだ。あとは南の数軒を残すのみ。

 だが、と懐に嗜好品を探り、煙草をくわえて火を点ける。

 あんな粗末な掘っ立て小屋に、希少な宝を隠すだろうか。とはいえ、これだけの騒ぎを起こしても、何かを持ち出す者もない。鎌や鍬や斧を手に手に、がむしゃらに向かってくるばかり──。


 夜闇に吐いた紫煙の中に、赤髪は苛立ちを紛らせる。今日はいやにいる、その自覚は密かにあった。あの集会所での一件だ。


 つまるところ、仕事に身が入らなかった。

 そのくせ心は張っている。


 いつにない段取りの悪さが、どうにも釈然としなかった。この集落の者たちが引き渡しを拒むであろうことは、始める前から分かっている。なぜ、あんな猶予を与え、譲歩を引き出す真似までしたのか。


 この集落の殲滅は、当初から予定に織り込み済みだ。

 目的は、秘匿した宝珠の

 常なら直ちに火を放ち、拷問してでも探し出す。まして、生き残りの存在など好ましくない。それが女子供であろうとも。


 老若男女いかなる相手も、すべてこの手で仕留めてきた。

 必要とあらば、隣で目覚めた女でも。

 だが、対峙した巫女の前を、するり、と殺意がした。


 上面をなでただけで脇にそれ、闇の彼方へ受け流された。あの巫女を"標的"と、頭が認識しなかった。

 原因は、あの装束か。

 白衣に緋袴、顔の覆布。神に仕える者の装い。いや、信仰心など持ち合わせていない。


 信仰とは庶民のもの。

 為政者にとっては、単なる治世の手段にすぎない。そうした世のからくりは、他の誰より知っている。


 集落をなめる劫火の火影が、森の闇に一際明るい。

 火の粉が燃え爆ぜ、夜空に舞い散る。皆死に絶えた静かな広場に、冬の夜風が渡っていく。


 樹海の木立の暗がりで、ふと、赤髪は目をあげた。

 視界の右手で、何かが動いた。火焔をあげる集落の奥、暗がりにぼんやり白い影。


 闇の白に目を据えて、赤髪は背を引き起こす。

 吸いさしの煙草を打ち捨てて、音もなくそちらへ踏み出した。

 燃えあがる集落をおどおど見まわした人影が、藪を出、脇道へ駆けこんだのだ。


 片手で掲げた松明が、横顔をあぶり出していた。白い覆布と緋色の袴──集落の代表、あの巫女だ。


 夜目にも白い巫女の背が、樹海の隘路あいろを駆けていた。

 白い覆布を闇になびかせ、今にも転びそうなあわてぶり。鬱蒼と暗い夜闇の森を、息をあえがせ、駆けていく。


 夜の森の暗がりの中、影のように木々を移動し、赤髪は一人ほくそ笑む。


「あぶり出した甲斐があったぜ」


 壮大な黒梢をざわめかせ、初冬の森が鳴っていた。

 かつての住人が死に絶えた森は、闇に呑まれて静まっている。


「さあ、連れて行ってもらおうか」


 奏功の笑みに、赤髪は口端を吊り上げる。


「お宝のある場所によ」

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