第15話 如何ともし難い
「何やってるんだ父さん」
「……ただいまヒイロ」
「お帰り」
ヒイロは俺を訝しがった様子で「お帰り」と言ってくれた。
俺の首からは『僕は脱童貞しました』と書かれたホワイトボードがぶら下がっている。
今はもうここに居ないマリーは、
「ダディ、今日一日、これを外さなかったら、私は怒りを収める」
と言い、学園一悪名高い赤毛の麗人の謂れを存分に知らしめていた。
「……父さんは脱童貞したのか?」
そりゃ、娘が四人も居る父親にその質疑は愚問というものだろう。
しかし、現実を見ろ。
俺は『脱童貞』を謳う看板をぶら下げいるが、
本当の経験者がこんな屈辱を受け入れるとは到底思い辛い。
「……」
ん? ヒイロは小首を傾げ、何かを思案している。
「なぁ父さん、お前が考える娘の幸せとは、父親の幸せに通じるのか」
「いいや」
「即答か、では父さんの考えをニ三訊いておきたい」
兄弟は他人の始まり、この諺にあるように父と娘と言えどいずれは離れて行くものだろう。その時の俺は、父として深い孤独を覚えるだろうが、娘は幸せである可能性は十分ある。
つまり娘の幸せは、父としての俺には『せめてもの慰み』にしかならない。
「つまり、私達が共に幸せになるには、父と娘の関係から逸脱する必要がありそうだな」
俺の考えをヒイロに説き、彼女の返答を受けて俺は微妙に喜んだ。
ヒイロの発言の意味をどう受け取るかによって……妄想が爆発するぅぅぅ。
ヒイロはそう告げると、現在罰を受けている俺を置き去り何処かへ出掛けた。
マリー曰く、俺は共同部屋で正座してるか、外で恥を晒してくるかの二者択一だ。
「ん? 僕は脱童貞しました……なぁパパ、相手も初めてだったのか? あぁそれとも、相手は死馬のババアか。あのババア、テクニシャンらしいしな」
最近、俺と出逢ってから学習することを覚えた娘のチルル(17歳と6ヵ月)。
チルルは主に性に纏わる知識を勉強しているらしいです。
無学よりはマシかも、だってチルルは処女性の尊さとリスクをしっかりと覚えたのだから。それもこれも、「男なんてやったらポイだぞ」と言ってくれた西側に居るマリーのおかげだった。
「どこに行くんだ? ボク達、昨日はお腹を空かせて待ってたんだからな」
学習能力が身に付いたチルルは言葉遣いも変わって来た、と言うのは置いておく。
今は怪しい雰囲気のまま何処ぞへと出かけたもう一人の娘、ヒイロのことが気に掛かる。
「はぁ、しょうがない、ボクも付いて行ってやるよ」
キュキュキュ、チルルはホワイトボードに『私の身持ちは堅い』と付けたす。
とするとだよ、このホワイトボードを見た人は――
俺こと火疋澪はずっとずっと迸る色欲に懊悩していた、俺の彼女はチルルって言うんだが、
彼女は一見チャラい性格なのに付き合ってみたら意外と身持ちが堅くて、誘っても返事はNo。
土下座、五体投地、金、どんな頼み方をしても返事はNoだった。
だから俺は今日日になって、彼女と別れる一大決心を固める。
――俺達、別れないか?
「はあ?」
チルルは想定外だったらしい。
「どうして別れたいんだ?」
この上、チルルは俺に生き恥を晒せと言うのか……!
「うっく、だって、お前、うっくだってお前、だってエッチさせてくれなっ、ぃぁぁ」
余りの抑圧に、俺は滂沱の涙を流していた。
「おいおい、私にだって考えがあってな……だけど、まー、泣くほどエッチしたかったんだよな」
するとチルルは俺の肩を抱き、俺の頬にキスをしてくれて。
付き合って五年目の春、彼女は遂に俺を受け入れてくれたのだ。
長かった、そして脱童貞した俺は後に自省を促す。
あの時の俺、必死感が半端なかったなと過去の自分を恥じ(略)。
「と言う邪推をしちまうだろうがボケがッ、ボケがボケが、んのぉぉぉ!!」
「イイネ、それで行こう」
娘の中で一番阿呆なチルルは俺との夫婦漫才がツボに入ったようです。
クソ、娘に突っ込むとか淫猥じゃねぇか。
俺達のコンビ名は『父と娘のインモラル』で決定だ。
ヒイロを尾行するため、チルルと一緒に外へ繰り出すと当然他人とすれ違う。
彼等はすれ違いざま、ホワイトボードの文字をチラ見して行く。
にしても、ヒイロはどこへ向かう気だ?
ヒイロの父親をやって数週間は経つから、彼女の行動範囲が単調なのは知っている。
こんな風に外出するのは、ヒイロに於いては珍しい。
「……チルルはヒイロのことどう思ってる?」
「あいつに対してはライバル心やら何やら、中には尊敬の念だってある」
そ、尊敬の念だと?
チルルお前、よくそんな難しい言葉覚えられたな。語彙もそうだけど、
阿呆だった娘が『尊敬』という感情を抱いたことに感動を禁じ得ない。
これって親バカですかね? じーん、うぉっ、おお!
チルルの成長に感動していたら、ヒイロが忍者のように跳躍して遮蔽物の向こう側に消えたぞ。
ヒイロが飛び越えた遮蔽物は優に4m~5mはある。
「気付かれてたのか……まぁいい、ボクから逃げられると思ってるのかヒイロッッ!!」
チルルは声を荒げてヒイロの後を追う。
俺はと言えば、端から諦めていた。
この世界に迷い込んだ時から、正確には【大砲】の授業を受けた時から思っていたことだ。
俺とこの世界の住人とでは、身体能力に歴然とした差がある。ということ。
恐らく、いや確実に、この能力差は
でも、その諦観はある種の間違いだった。
俺は彼女に、チルルに努力することの大切を諭されるのだから。
「パパの、ぇぐ、パパの馬、バカヤロウぉぇぁ、ぇっぐ」
ヒイロの後を追って行ったチルルは迷子になり、狼狽したと言う。
チルルは俺が後を付いて来てると思い込んで、だから大丈夫だと安堵していたらしいのだ。
ヒイロの尾行は諦めても、俺は直帰せず、チルルを引き止めるべきだったと反省している。
「ワリ」
「ブァカアっ、ぇっぐ」
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