仁徳天皇陵を奪還せよ

橋本純一

第1話 プロローグ

東京霞ヶ関官庁街のビルの一室。

 三人の男が巨大な前方後円墳の航空写真が映し出されたスクリーンに向かい、黒皮の高級ソファにゆったりと腰掛けていた。肩に階級章をつけた警察官僚の制服を着用した男が口をひらいた。

「まったくこんな非常事態になっていながら何の手も打てないとは日本の公安警察も落ちぶれたもんだ」

 隣に座っていた防衛省の階級章を付けた男が言葉を続けた。

「それはうちも一緒ですよ。まさに想定外のテロとしか言いようが無い。情報本部も対策はおろかターゲットの特定すら出来ていない状況です」

「これは、普段犬猿の仲と言われる警察庁と防衛省のお偉方とは思えない見解の一致ですね。まあ、状況は私どもも同じようなものなのですが・・・」

 そう言って背広姿の男は自嘲気味にスクリーンの前に歩み寄ってレーザーポインターで古墳の写真を指しながら続けた。

「本音で話しますと、今回の件は出来れば公安警察か防衛省情報局が主体で取り組んでいただきたいと思っていたのですが、実は昨日ここの地主のほうから、我々内閣情報調査室でフォローして欲しいとの要請がありまして・・・」

「フォロー?一体誰をフォローするというんだね?その地主と言えば宮内庁だろう。まさかあの公家集団のような皇宮警察が今回のような前代未聞のテロを担当するつもりか?」

 この防衛省の男に警察庁が答えた。

「皇宮警察と言えど組織上は我々警察庁の一部ですから、それは有り得ませんね」

「そうです。皇宮警察ではありません。宮内庁からは天皇陵を管理する書陵部の衛視を派遣する意向が我々の元に届けられました」

「衛視?あの国会の中でだけ警察権を持っていて警棒以外なんの武器も持っていない警備員のことか?」

 内閣調査室の男が質問に答える。

「それは国会衛視の事でしょう。本来の衛視とは通常の警察権の及ばないエリアで警察の代わりに犯罪を取り締まる警察権を有するという意味の役職ですから、日本政府の公的組織である宮内庁がその管轄である天皇陵を犯罪から守るために国家公務員の特別職として独自に任命することは法的には問題ありません」

「まさに天皇陵こそが、警察の管轄外のエリア、日本有史以来の治外法権の場所だということだな」

警察庁の言葉を防衛省が引き取る。

「全長486m、堀を入れれば面積47万平米、甲子園球場十二個分の広さの治外法権エリアがあって、それも、人口百万人近い政令指定都市堺のど真ん中に存在するがために我々自衛隊の活動がほぼ制限される場所であることに気付かなかったとは、まったく迂闊だったな」

 警察庁が続ける。

「おまけにそこはなんと5世紀からの手付かずの森に覆われていて実際の地表に何が埋まっているか、石室や埋蔵物がどうなっているか皆目見当がつかないとは、何をどこから攻めていけばいいのかまったくお手上げだな」

 その言葉を受けて内閣調査室がスクリーンの画像をアップして説明を始めた。

「ご存知のとおり、この古墳は一般には仁徳天皇陵、あるいは大山古墳などと呼ばれる、ピラミッドや秦の始皇帝陵を凌ぐ世界一の広大な墳丘でありますが、有史以来一度も正式に発掘されたことの無いまったく謎のエリアです。ただし、その長い歴史の中ではあの豊臣秀吉をはじめ、江戸時代の堺奉行、明治の堺県令、戦後のGHQなどが非公式に入山しており、その時々の資料からこの前方部に一箇所石室の存在が確認されています。そしてさらに江戸時代の文献によると後円部頂上に古墳の被葬者のものと思われる大型の石室が存在し、そこは既に盗掘にあって内部はほぼ空っぽの状態ではないかと思われております」

 男はスクリーンの後円部を拡大し、さらに手元のスイッチを操作すると、写真から森林が消え、CGによる、むき出しの墳丘が現れた。

「これはX線や超音波により視界を遮る森林部分を消去した特殊処理画像です」

 そう言ってさらに後円部頂上をアップにした。

「超音波による調査では多分ここにかなり大きな空洞があると予測されており、それがこの天皇陵最大の石室のある場所であり、現在はテロリストのアジトとなっていると考えられます」

 ポインターの先にはやはりCGで作られた大型の石室が現れた。それは人の頭ほどの石を複雑に組み合わせて作られたものであった。

「この石室の映像は本来あったはずの想像図であります。通常この古墳の建造期である5世紀頃の主流である竪穴式石室の場合は、密封性が低く、天井が崩落したり、内部に土砂が堆積して空間が失われているのですが、上空からのエコー調査によると、かなりの空間が存在しており、その広さは多分幅約4m、長さ8m、高さ約5mほどで、仁徳陵建造当時の竪穴式石室としては考えられない大きさであります。これは新たに犯人が、何らかの方法で石室付近を空洞化し、そこをアジトとしたと想像されます」

「それだけの空間があれば4~5名のテロリストが十分生活出来るな」

 防衛省がうなった。

「そのとおりです。今回の声明も電波の発信源はこの円頂部付近と判明しております」

 警察庁が続ける。

「犯人はここが警察も自衛隊もうかつには手が出せない場所と十分知った上で堂々と入り込んだわけだ。宮内庁管轄と言えば日本国内では心理的に実際の管轄権以上の権威を有していること、そして日本人の皇室への畏敬の念があればこそ天皇陵への大規模な警察力の投入や軍事作戦の遂行が絶対に有り得ないことを知った上でのアジト構築というわけだな」

「おまけに菊のベールによってその詳細な地形すら日本人の誰も知らない場所だからな。しかし君、肝心のそのテロリストの正体と真の要求はわかっているのかね?」

 防衛省の男が苛立ちを隠そうともせず内閣調査室に尋ねた。

「まったく不明です。現在の声明では日本政府に対して北方領土、尖閣諸島、竹島の領有権放棄を求めていますが、紛争当事国のロシア、中国、韓国はそれぞれ外務省を通じて内密に打診したところいずれも関知していない旨の回答を寄こしており、かつ、尖閣以外は実効支配しているのは相手方であり、今回のような強硬手段に出るメリットがありません。また中国にしてもチベットや南シナ海、台湾問題での彼らのやり方を考えると、正面からゴリ押しすることはあっても、このような回りくどいやり方は考えにくいと思われます。我々の推測としては真の要求は後回しにして、まずは実現不可能な過大な要求を出して政府の出方を探っているのでは、と思われます。」

「つまり、最初に高いハードルを示しておいて、あとで徐々にハードルを下げることで相手方の心理的障壁を低くする作戦か。それにしても彼らの要求や立場は一体何によって担保されているのだね?」

「具体的なものはまだ不明です。しかしながら彼らは日本政府が要求を呑まない場合には『ファットボーイ』の封を開けると言っています。」

防衛省の男はその情報は既に知らされていたのだろう。速やかに解説を始めた。

「広島に投下された原爆が『リトルボーイ』長崎に投下されたのが『ファットマン』。それを組み合わせた造語であるからには何らかの核物質であることを匂わせているのだろう。それが本物かどうかはともかく、もし本物なら、そんなものが仁徳天皇陵に持ち込まれているとすれば、大阪府堺市のど真ん中に核爆弾が存在することになる。政令指定都市堺市民約百万人を人質に取られているようなものだな」

その声と同時にスクリーンは大阪平野南部全体を捉えた衛星写真に変化し、大阪南港東側には問題の仁徳天皇陵を初めとした百舌鳥古墳群の緑色の鍵穴のような小山が市街地に点在している様子が映し出されていた。

「で、総理は一体この件に関してはどう言っているのかね?」

先を急かすように防衛省は内閣調査室に向かって言った。

「実は、」そこで内閣調査室の男は少し口ごもるように続けた。「総理から出た指示はとにかく一般国民に極秘にするように、とのことです。ただし具体的な対策に関しては一切指示はありません。ただ極秘に、穏便に、犯人を徒に刺激することの無いように、とのことです。そして、何よりアメリカ政府の動向を気にされています。今回の事件についてホワイトハウスがどれだけの情報を持って、どのように考えているのか、それを随分と気にしておられるようです。」

「やはり政治家だな。日本の将来より総理の座をいかに守って次期選挙まで無事に任期を全うすることしか考えていないんだろうね」

警察庁が吐き捨てるように言った。

「ともかく、政治家は当てにならない、我々防衛省も警察庁も手は出せない、宮内庁からはその『衛視』とやらがお出ましになって、内閣調査室はそのお供をするだけ、こんな状況で我々三人はいったいどんな結論を出すために集まったのだ?」

内閣調査室が抑えた口調で答える。

「総理は元々左派市民運動の出身で、皇室とか宮内庁とかがあまりお好きでないらしく、今回の事件に関しても皇室の権威などどうでもよい、とにかくマスコミや国民に知られないように秘密裏に解決したい、の一点張りです。そこで業を煮やした官房長官よりの指示で、もしその宮内庁からの衛視が事件の解決に失敗した場合の対処策を内閣調査室および警察、自衛隊の三者で詰めておくように、とのことです。つまりお二人に今日お集まりいただいたのは、今後の制圧作戦についてのコンセンサスを得るためなのです」

「しかし軍事作戦を展開しようにも、相手は核兵器を保有している可能性があるなかではリスクが大きすぎるだろう」

 警察庁の言葉に内閣調査室が答える。

「官房長官はおっしゃいました。核兵器と言っても、あの天皇陵で起爆できるとすれば、原爆や水爆ではなく汚い核だろう。であれば仮に爆発が起きたとしても、爆発自体はあのあたりにいくらでもある町工場の化学火災か何かでごまかして、周辺住人を一時避難させればあとは何とでもごまかしはきく、と。」

 それを聞いた防衛省が唸った。

「確かに長官の予測は一理ある。汚い核であれば目的は核物質を大気中に放出するだけだから、極論を言えば花火程度の爆発力があれば十分だ。つまり仁徳天皇陵の上空に核物質の花火を打ち上げるだけで彼らの目的は達せられると言うことなのか」

 「そうです。そこで政府としては既にその最悪の事態も想定した上で、仮に汚い核が堺市を覆う事があってもそれは政府の責任で化学工場の事故として処理するので、その後の犯人の制圧についての具体的な作戦を警察庁と防衛省で詰めていただきたい、との事なのです」

「つまり、核汚染された仁徳天皇陵を警察と自衛隊が協力して制圧しテロリストを確保あるいは殺害するための作戦をたてよ、という事か・・・」

 ようやく納得がいった表情の防衛省だったがふと、我に返ったように内閣調査室に尋ねた。

「さっき、総理は宮内庁があまり好きではないと言ったが、それでも宮内庁の『衛視』ひとりで現場に行かせるわけにはいかないだろう。パートナーとして内閣調査室から誰かは天皇陵に入って曲がりなりにもテロ犯と接触するわけだ。我々の出番はそれからと考えていいのだな」

 頷く警察庁を横目にさらに続ける。

「であれば、官房長官は宮内庁に対しどれくらいの時間的猶予を見ているのだろう?やはり一週間程度の猶予の後、我々の出番となるわけか」

「いいえ」内閣調査室の男は眼鏡の奥の細い瞳をさらに細めて冷たく言い放った。

「本日よりきっかり三日です。これは総理よりの指示です。明後日の八月十五日夜十二時をもってタイムリミットとし、それをすぎれば、地主である宮内庁が何と言おうが、我々内閣調査室および自衛隊、警察の三者が主導権を発揮するように、とのお言葉です。」

「三日か・・・。随分性急だな。気持ちはわからんでもないが、与えられた時間がたった三日ではその『衛視』とやらも何も出来まい。内閣調査室からは余程のエキスパートがヘルプに付くのでしょうな」

 警察庁の問いに内閣調査室が素っ気無く答えた。

「うちからはコードネーム『グリーンペペ』を出します」

 それを聞いた防衛省が目を剥いた。

「グリーンペペと言えばもしかしてあの瀬掘洋子のことですか?」

「ほう、うちの諜報員の本名をご存知とは、さすが防衛省の情報収集能力は侮れませんね」

「ふざけないでいただきたい。グリーンペペにはうちの情報本部が何度出し抜かれて煮え湯を飲まされたか」

 防衛省の言葉に頷きながら警察庁も続けた。

「抜群の容姿を誇りながらハニートラップ要員ではなく、その戦闘能力と危機管理能力は内閣調査室の若手インテリジェンス随一だが、対人感受性に欠けるため同僚や他省庁との連携に支障をきたし最近はほとんど単独で海外での情報収集業務に従事していると聞いていますが」

 内閣調査室は笑って答えた。

「警察庁もさすがですね。ただ彼女の名誉のために訂正しておきますが、決して対人感受性に欠けているのではなく、彼女に接した人間はみんな自分のほうからコミュニケーションに対し消極的になってしまうのです。彼女自身はごく自然体に業務に取り組んでいるだけなのですが、通常の人間は彼女の容姿と言動と能力を目の当たりにしたとき、自らの中での人間に対する常識から彼女を推し量ろうとしてパニックに陥り、結果過剰にコミュニケーションを取ろうとして撥ね付けられるか、自分のアイデンティティを保つためにコミュニケーションを自ら遮断するかのどちらかの場合がほとんどです。これは内閣情報室の心理学エキスパートの報告ですから、信頼に足る分析です。彼女に煮え湯を呑まされたと言う防衛省情報本部の方も、対人感受性に欠けると報告した警察庁の方もまあ通常の人間のおひとりであったということでしょうか」

 防衛省も警察庁も苦虫を噛み潰した表情で言い返す言葉を持たなかった。

「とにかく本日より三日後八月十五日午前零時までを宮内庁衛視と内閣情報室グリーンペペの業務遂行リミットとし、タイムオーバーに備えてお二人には今から十分な準備をお願いいたします」

「まあほぼ百%の確率で我々の出番がやってきそうだな」そう言って防衛省が椅子から立ち上がった。

「しかし、我々の出番が来るとすれば、最悪の事態として、それは核物質で汚染され、無人となった堺の市街地で警察と自衛隊が防護服を着てテロリストと銃撃戦というわけですから、出来ればそんな光景は見たくないものです。その意味では日本人のひとりとして、僅かな可能性でも宮内庁衛視とグリーンペペには頑張ってもらいたいものですな」

 大阪平野が映し出されたままのスクリーンに向かって呟きながら警察庁も立ち上がった。

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