第11話:消えたクィーン

「茜、茜、返事をしなさい! ……伝言を残しておく。これを聞いたら連絡するんだ、解ったね?」

 神父は本日数十回目の電話を、茜の携帯電話にかけた。しかし一向に繋がらない。既に彼女の携帯電話の留守番電話の容量はパンク寸前だろう。それでも電話をせずにはいられない。

 神父は電話を切ると、神に祈りを捧げた。

「茜……」

 茜が出かけてから三日が過ぎた。今まで、無断外泊は一切しないし、させなかった。何か事情がある時にはそれを聞き入れた。……なのに三日が経っても茜は戻らない。

「……さん。神父さん、聴いてますか?」

「……ああ、すみません」

 懺悔室を訪れる人が、なぜかこの三日間絶えない。常日頃の事であれば喜ぶところだが、茜が留守では落ち着かない事この上ない。しかも、揃いも揃って懺悔に来る者はおそらく大学生らしい。

 あの依頼人からは謝罪の言葉があったし、後日談も聞いた。ストーカー事件の犯人は同じ大学のテニスサークルの女子だった事も聞いた。その彼女が茜を巻き込み自爆したと聞いた時には、思わず依頼人に掴みかかっていた。

 彼女は何も悪くないというのに。神父はそんな自分自身を酷く嫌悪した。人間である以上、誰にでも感情の暴走というものはある。

 だが、神父はれっきとした聖職者であり、神に使える身だ。そんな簡単に暴走するわけにはいかない。

 依頼人の女子大生はストーカーの犯人も見つかっていないと神父に告げた。ただ、爆発の現場となった郵便局の床を突き抜け、コンクリート下の下水道に落ちたのではないかとローカルニュースでやっていた。……どこかに流されたのだろうか。

「……あの、神父さん? 僕の話を聴いてますか?」

 イラついた声の懺悔室の小窓の向こうの若者は、話の続きを言いたがっている。

「はい、聴いていますよ。……すべては神のみ心のままに」

 神父はそれだけ言って、彼で今日の懺悔の受付を締め切った。



 智也に電話しようと思い立ったのはその日の夜だった。“Q”と“K”の違いはあるにしても、もとは同じ系列だ。『上の連中』も、最近は口出ししてこないが、昔は非常な過干渉だった。

 常日頃は喧嘩ばかりの茜と智也は犬猿の仲のように見えるが、神父は彼が優しいことは知っている。茜の事を『小娘』と呼ぶのも、彼なりの親愛の証だ。智也本人は認めたがらないだろうが。

 教会の固定電話から電話帳機能で、智也のスマートフォンにコールしてみる。三コールすると眠そうな声で智也が出た。

「……ふぁ~い、誰だ? 教会からって事は小娘か? 俺は今日疲れてんだよだって……」

 相変わらずの調子の智也に安堵を覚えつつ、神父は声を発する。

「智也君、茜じゃなくて私だよ」

「え? 神父? 何こんな時間に? ……さては、何かあったんだろ?」

「ああ。実は茜が……」

 細かく事情を説明すると、智也はため息をついたらしい。

「……あんの小娘! どんだけ無茶して周りに心配かけりゃ気が済むんだ!」

 憎々しげに言っているが、これは彼なりの心配の裏返し。その証拠に次の瞬間にはこんな事を言った。

「……俺の知り合いに人探しに強い奴がいる。明日辺り連絡を取ってみる。多分、時間を作ってくれるだろ」

 こんな時、彼は茜と違って“K”なのだと実感する。その名を名乗るには、人探しくらい楽にこなせなければ勤まらない。神父はやっと安心を得た。

 寝る前の祈りを一時間にして、心を躍らせて眠りについた。



 運転手兼秘書の鳴海が運転する車が、騒がしい街の一角でストップする。黒塗りのベンツから、ハイヒールの音を鳴らして出てきたのは、まだあどけなさが残る顔立ちの美人。彼女は豊かなバストが強調された赤いボディースーツのような、身体のラインが露わになるワンピースを着ている。

 道を行くカップルの片割れやサラリーマンたちが、彼女の絶妙なプロポーションに目を奪われる。グラビアアイドルのように見えるが、どの雑誌でも見たことがないというひそひそ声に苛立った彼女は、サングラスを外した。茶髪に黒曜石のピアス、黒のストッキングが映えている。

「……相変わらず、騒がしい街ね、ここは」

 見せつけるように堂々とした彼女は、日本有数の大会社の女社長だった。

 彼女の名前は三ツ星さくら。……安藤智也と出会ったきっかけは、ホームレスに扮した祖父を殺した犯人を、智也が見事に暴いた事からだ。

 当時の智也は大学一年生の十八歳、さくらの誕生日は四月一日なため、高校三年生の十八歳。自分と同い年で事件を解決した『安藤智也』という大学生に一目会ってみたくて、彼の通う大学で待ち伏せしたのが始まり。最初こそ彼は戸惑っていたが、推理の智也と女の勘のさくらの十八歳コンビで何度か事件を解決した。

 父の浮気で生まれた『妾の子』であるさくらと正妻の子である義姉との財産分与で揉めていた時も、智也が取り持ってくれた。……しかし、その借りも彼の事件を解決へ導く協力をしたのだから、無効だ。

「全く! アイツってば全ッ然変わってないんだから!」

 今を時めく川岸コンッエルン代表、実質上の社長を顎で使おうというのだから、智也も思い切りがいい。

「大体、人探しなんて探偵の本分でしょ? そう思わない、鳴海!?」

「ハッ、その通りでございます。社長の貴重なプライベートタイムが無駄に消費されるかと思うと……」

 鳴海はご機嫌取りに必死だが、さくらはそんな彼をキッと睨みつける。

「……無駄に浪費? ……せっかく智也があたしに頼み事してんのよ? それを無駄って何よ!?」

 さくらは自分を見つめる周囲の男性も睨みつける。

「アンタらもよ!? 一体何なワケ? そりゃあたしは智也が認めるナイスバディよ! だからってジロジロ見んな!」

 「智也って誰だよ」とでも言いたそうだったが、完全に八つ当たりされる彼らを、他人事ながら鳴海も哀れだと思った。もっとも、常に八つ当たり・逆ギレは当たり前の、この女社長の運転手兼秘書の自分はもっと哀れなのだが。

 一通り怒鳴り終えて満足したのか、さくらはフンと鼻を鳴らすと、鳴海に向かって手のひらを差し出した。

「……当然、調べはついてるんでしょうね?」

「もちろんでございます。川岸コンッエルンの総力を挙げて調査致しました」

 それを聞いたさくらは満足げに笑う。

「よろしい。使えない奴かと思ってたけど、あんたも結構やるのね。見直したわ」

 それを聞いた鳴海はほっと胸を撫で下ろす。これでこの女社長の機嫌はしばらくは安泰だ。さくらは薄汚れた街で仁王立ちになる。

「……この貸しは高いんだからね、智也?」



「はい、これ。頼まれてたヤツ。……報酬は高いわよ?」

 さくらは、主に都内で展開しているコーヒーチェーン店で、智也と待ち合わせをした。天上天下唯我独尊気味の智也だが、流石に一流企業の社長相手では彼が合わせるしかない。

 約束の時間から三十分遅れてやって来たさくらは、数枚の書類を智也に渡した。それからウインナーコーヒーを注文する。先に来てブレンドを飲んでいた智也は、書類にざっと目を通す。さくらはその様子をじっと見つめる。

 ――相変わらず男にしとくにはもったいない綺麗な顔よねー。

 そんな事を思うさくらだが、それを直接智也に言う勇気はない。その智也は書類の三枚目を凝視している。その表情は今までさくらが目にした事のない、難しい顔で、軽口を叩くのを躊躇った。

「……なんだって?」

 テレビで見たことのある顔が書類上にはあった。

「……一色若葉、だと?」 「その人って一体なにした人?」

「お前はなぁ……。偉人でも何でもない、有名人ってだけだ」

 その言葉で俄然興味がわいた。頭は悪くとも、会社の経営は上手くいっている。人脈もそれなりに広い。……なのに、そのさくらが知らない人物とは、いったいどのような人なのだろう。

「『若葉』って名前からして、女性? ……少なくともあたしの知ってる業界人ではないね。どの業界の人?」

「……社長ならニュースなり新聞なり見てるだろうに。なんでお前みたいなバカが社長やってけるんだよ?」

 智也は明らかに脱力している。

「だってあたし可愛いし、ナイスバディだし、さっきだって周りにジロジロ見られたのよ? セクハラ反対!?」

「そんな露出狂みたいなカッコしてるからだろ? ……こんなのがあの川岸コンッエルンの社長だなんて誰も思わねーよ!」

「ひっど! ……アンタって、もっと好みのタイプには優しいんじゃなかったっけ? ほら、あたし赤似合うっしょ?」

「……頼むから黙っててくれ。ただでさえ混乱してるんだ」

 あの智也が混乱だなんて、とさくらは新鮮な気分だ。昔は一緒によくバカやったものなのに。いつの間にか置いてけぼりにされたようで面白くない。

 さくらがそんな事を考えている間も、智也の視線はゆっくりと書類の文字を追っている。書類は全部で五枚。そのうち二枚が宮下茜という人物の関係者のカラー写真だ。覗き込んでみると、関係者がB5の書類で二枚分しかない。これは相当狭い付き合いしかないという事だ。

「あ」

 書類に一色若葉と書かれている場所が見えた。

「ああ……っ!」

 モノクロの書類に目を通していた智也が思わず顔を上げた。

「どうした?」

 該当する書類を手に持ったさくらは震えだす。

「この子、雑誌で見たことある!」

 その一言で、智也は肩を落とした。

「……まぁ、お前の情報なんてそんなもんだよな。期待した俺がバカだった」

「ちょっとぉ! 何よぅその言い方! ……でもなんでそんな有名人と知り合い? なんだろ?」

 当然の疑問だ。もしかしたら今回の茜の失踪にも彼女が関わっているのかもしれない。

「……さくら、車呼べ。詳しいことを訊きに行くぞ」

 「どこへ?」という疑問を、さくらは必死に呑み込んだ。でないと一緒に連れて行ってもらえないと思ったから。



 夕方の教会は、夕陽によって壁に投影される百合の模様のステンドグラスが美しい。神父しかいない、広い礼拝堂は静寂に包まれていた。

 神への祈り――茜が早く戻るよう――を捧げていると、扉の方からやかましい音が聞こえた。それから三分ほどして、彼らはやって来た。彼は祈りを中断し、彼らに向き直る。

「……そろそろ来るころだと思っていたよ。あの子の、茜の事を知ったんだね?」

「あぁ。詳しく話してもらうぜ。あの小娘と『天才少女』――一色若葉の関係を」

 神父は悲しそうに目を伏せる。ついでで一緒に来ていたさくらも思わず息を飲んだ。

 それほど神父は重苦しい雰囲気を醸し出していた。十一月ともなると、陽が沈むのも早い。来た時はまだ少しは明るかったのに、神父が紅茶を淹れてくる間に辺りは闇に包まれた。教会内部は真っ暗闇だ。

「……おい神父、明かりは?」

「あの子がいないのに教会につける明かりなどない」

 あまりにもきっぱりと神父が言うので、智也はそれ以上ツッコめなかった。代わりにさくらは運転手の鳴海を呼びつけ、明かりを持ってこさせた。

 ――この書類が見えなければ、話は前に進まない。

「……さて、何から聞きたい?」

 神父は紅茶で唇を潤すと、あくまでも穏やかに尋ねた。

「ストレートに訊く。一色若葉は宮下茜の何なんだ?」

 書類には写真と簡単なプロフィールは記載されていたが、あくまでも『接触したことがある』程度の事しか書かれていない。カラーで印刷されていた若葉の写真は雑誌の切り抜きと思われるモノだった。……そんなもので理解しろと言うのは乱暴すぎる。

「彼女、一色若葉は、茜の義妹だよ」

 この一言で、智也は自分の耳を疑った。だって、茜とはなかなか長い付き合いだし、互いの事は大体知っている。

「……アイツはアンタが保護したんじゃなかったのか?」

 出会った時の茜は引きこもっていて、人見知りが激しかった。神父以外の誰とも話さなかったし、懐かなかった。常にひとりでミステリを読んでいる少女だった。

 なのにここにきて『義妹』だなんて、納得しろという方が無理だ。

「確かに茜を保護したのは私だ。……今から十一年前の雨の日だった」

「じゃあ、なんで今更『義妹』なんて出てくるんだよ!?」

「私だってどうしていいのか解らないんだ!」

 一度も怒ったところを見たことのない神父の怒号には流石の智也も驚いた。神父自身、取り乱した自分自身を律しようとしている。

「……すまない。私はどうも、茜の事となると我を失ってしまう」

「いや、俺も悪かった」

 ここで嫌な沈黙。空気を変えようとさくらは質問を変えた。

「そもそも何で一色若葉が宮下茜の『義妹』だって解ったんですか? 名字も見た目も全然違うのに」

 たまには空気も読めるのかと智也は素直にさくらに感謝した。

「正しくは異母姉妹で、父親が同じなんだ。その父親は私が憎んでも憎み切れないあの『男』……」

 いつもは柔和な神父の表情が変わるのを見て、智也は察した。

「……大西隆、か。そうなんだろ?」

 智也の確認の質問に神父は黙って頷く。

「と、いう事は、茜も大西の娘。……憎いとは思わないのか?」

「子供に罪はない。私が保護した時、あの子はまだ八歳で、ネグレクトに近い生活を送っていた。本人はその事実を歪めて記憶している」

 そこでさくらが口を挟む。

「一色若葉って北欧人と日本人のハーフって雑誌に載ってたけど、本当?」

「本当だ。本人もそれを認めている。彼女は大西寄りの思考の持ち主だ。放置しておくと大変な事になる。……だが、今ならばなんとかなると、私は信じている」

 しばしの沈黙。そしてそれ以上何も訊けないまま、二人は教会を去った。



「……宮下茜って子、無事だと思う?」

 ベンツの後部座席に隣同士で座ったさくらと智也は、今この場にいない茜の話題しか持たなかった。

「……どうだろうな。神父の妻子の仇の大西は、有名な爆弾魔だ。ソイツの爆弾だとしたら……」

 車内に沈黙が下りる。

「前向きに考えようよ! いくら残虐な殺人犯だって、自分の子供には甘いよ……多分」

 最後の方はだいぶ声が小さくなった。智也はガラス越しに見える夜景のどこかに茜がいる事を信じたかった。……二人を乗せた車は、すっかり真っ暗闇になった街を静かに走り抜けた。

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