第8話:帰ってきた爆弾魔

 桜の花が散り、葉桜に変わっていく季節。宮下茜は気になる新聞記事を見つけた。

「大西が……釈放?」

 大西は神父の家族の仇だ。 茜はその事を神父に伝えた。

「なんという事だ……」

 茜が手渡した新聞の大西釈放の記事を読んだ神父は溜め息をついた。 以前、教会を吹っ飛ばした大西がこれほど早く釈放されるとは思ってもみなかった。記事によると、大西は模範囚だったらしい。手紙で外とやり取りしていたことなどが解かっている。

「でもさ、やりとりってったって誰と?」

 茜は当然の疑問を口にする。 神父は茜以上に大西の事を知っている。

「恐らく仲間だ。私の家族を襲った時も仲間がいた」

 その話は詳しく話してもらった事はない。 茜は今こそその話を聞く時だと思った。

「ねぇ、その話詳しく教えてよ」

 茜の言葉に神父は観念した。やがて彼の中の忌まわしい記憶が蘇ってきた。



私の本名を知っているかね? ……やはり知らないか。しかし、それもそのはずだ。私は大西への復讐を誓ってから名前を捨てたようなものだからね。

 本名は神木修一というんだ。二十年前、三十二歳の時に大西によって妻子を奪われた。妻は享年三十歳で、名を神木水穂といった。私たち夫婦の間には娘が一人いたんだ。神木那波といって当時八歳だった。

 私たち夫婦は義父の反対を押し切って結婚した。私は入り婿で義父は神木禊というご老人だ。彼は今も生きていて、未だに娘と孫が亡くなったのは私のせいだと責める手紙を送ってくる。……たまに、ポストの中に私宛の真っ赤な封筒があるだろう? あれは全て彼からのものだ。

 妻は義父の影響で神を全く信じない女性だった。だが、私と娘を深く愛してくれていることはよく知っている。優しい妻に無邪気で可愛い娘。理想の家族だった。

 ここで『奴』について触れておこう。彼のフルネームは知っているかね? ……そう、『大西隆』だ。事件を起こした当時は十八歳だから法に守られ、裁きは受けていない。『奴』は、幼い子供が大嫌いだった。事件を起こした動機は、『子供がうるさくて目障りだったから』。……ただそんな理由で幼い子供とか弱い女性の命を奪ったんだ。

 事件当時は『奴』を許せなかった。法が裁いてくれないのならば、私が自分で裁こうかとずっと考えていた。それほど、私は燻っていた。……その私を救ってくれたのはキリスト教の教えだった。『汝の隣人を愛せ』という言葉を信じるようになってからは、徐々に心が穏やかになるようになっていった。それに、懺悔を聴いてもらうと気が楽になった。……だから私は『牧師』になったんだ。『上の連中』と知り合ったのもこの頃だ。彼らはある『条件』と引き換えに、あの『教会』を提供してくれた。今も移し替えてもらった百合のステンドグラスが見事な『教会』を。

 最初は大変だったんだ。何しろ、たった一人でこの教会の手入れをしなければならないからね。……だが、その途中でお前を拾った。今でもよく憶えているよ。

 冷たい雨の中、傘もささずに立ちすくんでいたお前の姿を。十一年前の事だったね。『あの時』からお前は私の第二の『娘』になった。まさかあの幼子がここまで成長するとは思ってもいなかったがね。……だから、誰がなんと言おうとお前は私の『娘』だ。決して『奴』の『実の娘』なんかじゃない。……忘れてはいけない、その事だけは。



 そんな神父の話を聴いた翌朝、目覚めた茜はすぐには起き上がれなかった。奇妙な夢を見たのだ。……自分の身体が炎に包まれるという恐ろしい夢だった。大西が釈放されたせいだろうか、不安が募る。神父から聞かされた話が、あまりにも衝撃的で、ショックだったせいか、眠りは浅い。それにしても、彼が神父の家族を殺した動機が引っ掛かる。茜も幼い子供は苦手だ。前回教会を強襲してきた時に、大西が言った事も彼女の中で未だに残っている。

 ――断言してやろう、お前は……この俺、大西隆の『実の娘』だ。

「……本当に僕は大西の『実の娘』なのかな」

 神父は自分の娘だと言ってくれたが、記憶の底には彼の顔がある。教会を強襲してきた『あの時』に彼から直接渡された数本の毛髪は、火事の騒ぎで教会と共に燃え尽きたはず。DNA鑑定など出来るはずもないし、出来たとしても、今の不安定な気持ちのままではとてもではないが調べる精神的余裕などない。

 母親が一人で育ててきたのかと思っていたのに、まるで記憶の全てが反転したようだ。あの天才少女、一色若葉とは間違いなく血が繋がっている。姉妹間の『絆』が、身体中を流れる血液の中の何かが、彼女と対面した時に確かに反応したのだ。……これは理屈ではない。

「ごめんね。……今までありがとう、僕は自分のルーツを知りたいんだ」

 茜はそう呟いて、教会を出た。五月の外はやや暑い。冷える日もあるかと思って、厚手のシャツを多めに持ってきたが、薄いモノの方が良かっただろうか。そんな事を考えつつ歩いていると、やがて駅に着いた。そこで三百円分の切符を買い、電車に乗る。目を凝らすと、教会の屋根がやけに大きく見える。新築のそれは外壁が真っ白で、爆破されるまでの神父との思い出までもが真っ白に上塗りされてしまったようで、物悲しさを感じさせる。

「……これでよかったんだよね。僕がいたら神父は『復讐』なんて叶わない。だって、僕はどう足掻いてもあの大西の『実の娘』なんだから」

 所詮、自分は仇の『実の娘』。一緒にいても、これ以上の傷が増えこそするが、それが癒える事などないだろう。茜はそう考え、そして大西に会いに行くことにした。新聞には群馬県の留置所にいると書いてあった。



 ある意味で、再会を待ちわびた『奴』は、『実の娘』――茜の姿を認めると懐かしそうに目を細めた。あの時は全身黒ずくめの服装をしていたが、今は小奇麗な白い上下を身にまとっている。とてもではないが囚人をは思えない。

「……数が月ぶり、とでも言ったところか? なぜ俺に会いに来た?」

「……僕が『本当に』あなたの娘なのか確かめるために」

 茜は大西の眼を見て答えた。彼はそんな彼女を鼻で笑った。……なぜこんな簡単な事も解らないのか、とどこか失望するように。

「言うまでもなく、お前は俺の『実の娘』だ。どうしても納得がいかないのなら、証拠を見せてやろう」

 彼は留置所から出ると、茜を連れて駅に向かった。切符を購入し、一時間ほど電車で揺られて着いた場所は、市役所だった。……そこに来てやっと彼女は自分の考えの至らなさ、いかに『常識』というモノが欠落していたかを思い知る。神父の妻子の仇――『奴』こと大西は係りの者に告げる。

「戸籍を一部」

 すぐにそれは彼に手渡され、更に彼はそれを茜に手渡した。それは茜自身のモノで、戸籍上の両親の名が載っていた。

「……父、大西隆。母、宮下和子」

 戸籍なんて確かめたこともなかったが、いつの間にか神父が父親だと信じて疑わなくなっていた。……だが、実際にこうして突きつけられた現実は、彼女の心をいとも容易く粉々に砕いた。

「……どうだ?」

 どこか愉快そうな、たった今、実の父親だと確認した大西の声も耳に入らない。

「『実の娘』のお前に、手伝ってもらいたい事がある。……もちろん手伝ってくれるな?」



 ――男の子だったら良かったのに。そうしたらあの人も帰ってきてくれるのに。あんたなんか……いらないわ。

 封印したはずの『彼女』の言葉が茜の脳内で繰り返し再生される。もし今ここに神父がいたら、この大西の言葉になど惑わされないだろう。しかし、『もし』というのは仮定でしかない。彼女は自我を忘れ、気がついたら小さな町工場に連れてこられていた。大西は勝手知ったる場所のようで、茜を置いて奥へと進んでいく。

「……ここは俺が爆弾を作るのに使っている場所だ。閉鎖されているから邪魔は入らない」

 そう言うと、大西は工具を茜に投げてよこした。彼女は生気のない瞳で黙ってそれを受け取る。それを見た大西は微笑む。とても優しい、『父親』の笑み。……この笑みだけならどう見ても犯罪者には見えない。

「……当然、作り方なんか知らないだろう? 大丈夫だ、ちゃんと一から説明してやる。俺の『実の娘』なら簡単に理解できる」

 それから、どれほどの時間が経ったのだろうか。茜は完全に爆弾の作り方を理解していた。……と、いってもとてもシンプルな造りのモノだけだったが。

「……理解できただろう? 次は一人で作ってみるんだ、さぁ」

 大西が優しく囁く。その囁きに流されて、たったの一時間で爆弾を作り上げていた。彼は満足げに微笑んだ。

「お前もついに爆弾を作ったか。……これで『妹』もお前を『姉』と認めるだろう。」

 彼は携帯電話をポケットから取り出す。……奇妙な事に、その機種も色も茜の持っているもモノと何一つ変わりはなかった。偶然とは思えない一致に、やはり大西が自分の『父親』なのだと悟る。

「……若葉か? 面白い奴に会わせてやる。場所はいつものところだ」

 一色若葉。宮下茜の腹違いの義妹、天才美少女。……そして、彼女もまた大西の『実の娘』。あの『事件』の時の決着は、結局保留のまま。その彼女がここに来る。

 そしてそのまま一時間ほど待つと、特徴的な髪型の少女が現れた。この春から高三になった一色若葉だ。相変わらず百合丘の制服が似合っている。身長も伸びた。

「誰かと楽しみにしていたら貴女なの? ……パパ、なんで彼女がここにいるの?」

 一色若葉は、一応『義姉』への態度とは明らかに異なる態度で大西に甘えた。腕に絡まり、まるで何かを強請る子供のようにはしゃいでいる。そういえばまだ子供だったっけ。虚ろな瞳の茜は『義妹』との再会を喜んでいいのか嫌がればいいのか解からなかった。

 若葉は茜よりはるかに手馴れた手つきで爆弾を作り上げた。その中の三個には、特殊な装置がついている。

「それは何?」

「これは解除ボタン。キーワードを打ち込めば爆発は阻止できる。ゲーム用よ」

 大西に宥められた若葉は、茜への態度を和らげた。爆弾を作ったことで仲間と認識されたらしい。『義妹』はまだこれほど幼いのに、爆弾作りを手伝っている。その明らかに『異常』な光景に、茜の気分は晴れない。その表情を見た大西は、『何か』を思いついたかのように笑った。冷酷さがにじみ出る笑みだった。

「……面白い事を思いついた。お前が世話になっている教会に、若葉が作ったものを設置しよう。俺の『娘』を育ててくれた礼だ」

 彼の口角が愉悦に上がる。この一言で、茜は次第にいつもの調子を取り戻していく。

 ――キョウカイニバクダンガ?

 建て直されたとはいえ、今の『教会』も彼女にとってはかけがえのない場所、まだ少ないが神父との思い出の場所だ。やっと茜は自分のした事――爆弾を作ってしまった事を悔いた。なんという事をしてしまったのだろう。

「そんな事はさせない!」

 半ばやけになって、若葉の手にある爆弾を奪い取ろうとする。が、それも予想済みだったのだろう、若葉は容易く茜の動きをかわし、大西の手前へと誘導する。

「……やはりこうなるのか。悲しいな」

 全くそう思っていない様子の大西に、強く頭を殴られて、茜の目の前が暗くなった。彼に隠れるように、若葉はにこりと笑っている。幼い少女のものとは思えない、邪悪な笑み。学校ではこんな表情など見せないだろう。

「お前にはがっかりだ。教会が爆発するのをここで大人しく待つんだな」

 頭を殴られて、眩暈に襲われる茜はろくに抵抗も出来ない。笑ったままの若葉に、手首と両足をロープで巻かれ、身動きが取れない。スタンガンも持ってはいるが、相手が二人がかりでこられては、護身術の心得などない彼女には何も出来ない。

 二人は茜を置いて、工場跡から去っていった。



 朝から教会のどこを探しても、茜の姿が見当たらない。彼女の部屋も庭も、懺悔室まで捜しても見つからない。

「茜……何かあったのか?」

 神父は嫌な予感がした。困った彼は、まず美千代に電話した。教会に備え付けてある黒電話で彼女の携帯電話の番号を押す。しばらくコール音が鳴って、電話に出る気配がある。神父はホッとして口を開く。

「みち……」

「こちらは留守番電話サービスです。御用の方は……」

 留守電に繋がったので、仕方がなく電話を切った。彼女は重要な用がある時は電話に出ない。ということは彼女には相談できない。茜には友達と呼べる存在がほぼいない。いつも仕事関係の人間とばかり付き合うため、『友達』が出来ないのだ。それがこんな時に災いした。

「誰か……茜の事を知っている者は……」

 ぐるぐると考え込むが思い浮かばない。こんなときこそ最後の手段を使うべきだ。神父はほぼ最後の望みである『彼』のスマートフォンの番号にコールする。美千代の時とは違って、『彼』は二回のコールで出た。「もしもし、誰だ?」という挨拶は置いて、用件を口にする。すぐにこちらに向かう、と彼は言って、実際に二十分ほどで教会へとやって来た。

「で、いつから小娘を見てないんだ?」

 相変わらずのタメ口で、『彼』こと安藤智也は神父に訊いてきた。茜は智也とは仲が悪い――というより勝手にライバル視している――が、同じ『探偵』としては優秀だと認めている。彼らの要求する報酬は高いが、やるべき事はやってくれる。彼らならきっと茜を見つけてくれる。……そう思っていた。

「……悪い。俺らもアイツのいそうな場所は思いつかねぇ」

 この答えにはがっかりした。もう夜も遅い。掛け時計は深夜零時を回っていた。眠れそうもないが、これ以上茜の居場所の手がかりがない以上、起きていても仕方がない。神父は思い足取りでベッドへ向かった。念のためだという智也と和也は教会に泊まる事になった。神父一人では、この教会は広すぎる。

「……ありがとう」

「あんま気にすんな。あの小娘だってバカではないんだ」

「一応同業者だし」

 智也と和也はそう慰めてくれた。彼らがこれほど優しいところは、初めて見たかもしれない。それだけ事態は深刻だ。しっかり休もうと、いつもより早く眠りについた。

 翌日も茜の姿は教会になかった。神父はいつも通り仕事をしようとするがミスが多い。……正午を回った頃だろうか、小中学生と思われる、私服の少女が教会に現れたのは。彼女はティーンズ向けの雑誌に載っていそうな、洒落た服を着ていた。どうやら小学生ようだ。整った顔立ちはどこかで見た気がするが……詳しくは思い出せない。とにかく特徴的な髪型が目を引いた。彼女は澄んだ声で言った。

「あの……教会って懺悔も出来るんですよね? わたくし、懺悔がしたくて」

 どこかで聞いたような声だったが、声なんて似ることも多いだろう。そう思ってあまり気にしなかった。

「懺悔ですか? 何か罪を犯したのですか? 貴女のようなお若い方が懺悔だなんて関心ですね。こちらへどうぞ」

 神父は少女を懺悔室へと招きいれた。背中を見ている神父には解からなかった事だが、彼女は薄く笑っていた。その彼女の懺悔の内容も、嫌っている相手に嫌がらせをしてしまった、という子供にはよくある内容だった。神父が簡単にアドバイスをすると、余計な事は言わず、一言だけ礼を言って去っていった。……やけに百合のステンドグラスに目が行っていた気がするのは気のせいだろうか。

「……奇妙な懺悔もあったものだ」

 一時間ほど少女の懺悔に付き合い、昼食を終えた。『上の連中』の息がかかっているとはいえ、この『教会』も立派な施設。その事を忘れてはいけない。食後のコーヒーでも飲もうかと思ったところで、泊まっていた智也と和也が、やっと活動を始めたらしい。ずいぶん自堕落な生活を送っているらしい。二人ともやけに慌てている。

「小娘のメルアドは?」

「え? メルアド?」

 神父には意味が解からない。それもそのはず、彼は携帯電話を持っていない。持たない理由は、もちろん必要ないからだ。だが、茜の居場所が関係するならば話は別だ。神父は電話帳の『あ行』のページを捲ると、そこに記されているメールアドレスを智也たちに教えた。すかさず智也が番号を打ち込む。

「……電源入ってろよ」

 智也は願いを込めてメールを送信した。



 茜は意識を失ってそのまま眠っていた。携帯電話の着信音が鳴り響いたのがきっかけて、彼女は目を覚ました。着信音はシューベルトの魔王。探偵らしく、且つ厳かなイメージのある曲にしようと、試行錯誤しつつ決めた着信音だ。

「……ん」

 五回目のコールでようやく茜は目を開けた。大西と若葉の気配を確認する。二人がいないことを知り、電話に出ようとすると切れてしまった。携帯電話は、彼女のジーンズのポケットに入っている。手首は縛られて固定されているが、無理をすれば取れないこともない。茜は時間をかけて携帯電話をポケットから出した。そして記憶を頼りに、手探りで着信音を鳴らさない設定にする。

 ――キーワードを打ち込めば爆発は阻止できる。ゲーム用よ。

 若葉の言っていた言葉を思い出す。きっと大西は、若葉の手製の爆弾を教会に仕掛けたのだろう。茜はいつでもメールを打てるように準備をする。メールを送ったことに気づかれても大西には解からない暗号を考えた。きっと大西は自分にキーワードを教えるだろう。その確信があった。あの手の劇場型の犯罪者は、犯罪自体を楽しむ傾向がある。

 爆弾を仕掛けるために、教会には若葉が行ったのだろう。大西では神父にバレてしまう。神父の事だからあっさり若葉を教会に入れてしまうのだろう。あまりにも簡単に想像できる。ここで茜は教会が酷く懐かしくなる。

「……神父」

 彼の事だから自分の姿が見当たらないとなると焦るんだろう、と茜は思う。彼女は後悔で一杯だった。縋るように携帯電話を握り締めた。その時、工場跡の入り口の方から、男の声が聞こえた。

「……意識が戻ったか。どうだ? 自分の居場所が破壊される気分は?」

「……最悪だよ。僕はなんてことをしてしまったんだろう」

 茜は力なく答えた。だが今更どうしようもない。その事を知ってか、大西は満足そうに笑った。若葉はまだ教会から帰っていないのだろう。ここにいるのは大西一人。しかし縛られていては攻撃など到底無理だ。

「お前はここを動けない。キーワードを知っても何も出来ない。悔しいだろう。……おっと、若葉か?」

 大西は上機嫌で電話に出た。その内容を詳しく聞いたらしい大西は酷く満足げで、嬉しそうだ。……まるで、『仇敵』を倒す機会でも得たかのように。

「茜、若葉は無事に爆弾を仕掛けたそうだ。これで今度こそお前の慕う者、神父はお陀仏だな。……せっかくの機会だ、俺をもっと楽しませてみろ。爆弾解除のキーワードは『大西茜』だ。出来る限り抵抗して見せろ」

 ここで茜の目が輝いた。絶望から出た希望。わざと嫌がらせとしか思えない事をしたり、敢えて茜に塩を送って来たり、何を考えているのか全く読めない。しかし、今はそんな事などどうでもいい。早くキーワードを伝えなければ。彼がこの場から消えるのを確認すると、茜は急いでメールを作成した。



 教会では神父はもちろん、智也と和也が茜からの連絡を待っていた。彼女は智也のメールアドレスを知らないが、一応向こう宛にメールを送ってあったため、茜からもメールを送ることが出来るはずだ。昨日送っておいた茜からの連絡を期待してメールボックスを開くと、彼女からのメールがあった。件名は無題。

「これは……」

「暗号だね、きっと。モールスではない、簡単なヤツだ」

「私にも見せてくれ」

 神父が携帯電話を見て固まった。本文はただ数字だけが並んでいた。

「6*2224*00021133*888888330000000611111111115533125555」

 智也と和也が慌てて教会中から何かを探し始めたのを、神父はただ見ているだけだった。

「二人とも、茜は?」

「今は小娘どころじゃねぇよ」



 もうどれほどの時間が流れただろう。茜はいつの間にか、再び意識を手放していた。その次に彼女が目覚めたのは子供が家に帰る時間。『夕焼け小焼け』が流れ始めた夕暮れ時だった。

「……僕は、確かに」

 気を失う前、智也にメールを送ったはずだ。勘のいい彼ならばきっと教会の危機に気づいてくれたはず。普段は互いに憎まれ口ばかり叩いているが、こんな時は心強い。

「……神父」

 茜は縛られたまま、後ろ手で両手を合わせた。神に祈るかのように。



「まったく、あの小娘はどこまでいっても小娘だな」

「まぁ、それがほっとけないって感じでいいんじゃん? オレは好みじゃないけど」

「俺だってあんなじゃじゃ馬ゴメンだ!」

 智也は目の前にある機械を見下ろしながら悪態をついた。そんな彼の本心は和也だけが知っている。長い付き合いというわけではないが、少し智也に似たところがある和也は、今では唯一彼の本心が解る存在だ。

 二人の目の前では、助けを求めてきた神父が安堵したかのように胸を撫で下ろしている。

「……良かった。あの娘が帰ってくる場所が無事で」

 爆弾は解除したものの、まだ茜は帰っていない。彼が心配するのも当然だろう。……なぜなら、彼女は神父の『娘』なのだから。

「心配しなくても大丈夫。オレたちが迎えに行くから」

 和也は安心させるように言った。そんな彼も今回は少し動揺している。いつもならここでスナック菓子の袋を開けるというのに、一袋も開けていない。神父は少し微笑んで言った。

「和也君は……ダイエットでも始めたのかい?」

「まさか。……今日は昼飯を食べすぎただけだよ。ステーキを五枚くらい」

 それでは流石の和也も満腹だろう。面倒くさそうな顔をしながら智也が言った。

「じゃあそろそろ、あの小娘を迎えに行くか」



 携帯電話が鳴った。逆手に画面を開くと、軽く身体をよじって画面を見る。メールが一通、届いている。

「……良かったぁ。サンキュ、智也」

 茜は心から安心した。メールは智也からのもので、教会の爆発は無事に阻止した旨が書かれていた。手放しで褒めるのは癪だが、今回ばかりは彼に感謝だ。

 あとは自分がここから逃げればいいのだが、手の戒めは簡単には解けそうにない。刃物の類も持っていない。

「ま、いっか」

 茜にとって大事なのは、神父と教会の無事なのだ。救助はゆっくりでもいい。窓から見える外の景色は、とっくに日が暮れている。三日くらいなら飲食なしでも死にはしないだろう。

 大西もこのまま放っておくとは思えない。なぜかそう思えた。その時だった、暗闇を明るい光が引き裂いたのは。眩しさに茜は目を細めるが、照らしている人物は意にも解さない。

「待ってたよ」

 茜がそう言って笑うと、その人物も皮肉気に笑った。

「……言っとくが、っつーか解ってんだろうが、俺らの報酬は高いからな?」



 茜を連れた智也が教会に戻ったのは夜の十一時を回っていた。彼女は少し照れたように言った。

「……ただいま」

 てっきりおかえりという言葉が返ってくるのかと思いきや、温厚な神父らしくない行動が返ってきた。耳には大きな打音、頬には鋭い痛み。茜は一瞬、自分が何をされたのか解らなかった。彼女を迎えにきた智也には神父の講堂は予想済みだったのだろう、何も言わない。

「お前は……お前という『娘』は……」

 彼の唇が細かく揺れる。

「どれだけ心配したと思っているんだ! こっちの身にもなりなさい!」

 その言葉に茜の胸が熱くなる。……これほどまでに心配してくれる人間が、彼以外にいるだろうか。頬の痛みがどれだけ心配してくれたのかを物語っている。

「ごめんなさい。……本当にごめんなさい」

 茜が素直に謝ると、神父は彼女を抱きしめた。それを見た智也はやれやれとでも言わんばかりだ。

「……仲直りできたんなら俺らはもういいよな? 帰ろうぜ、和也」

「そうだね。……そこのコンビニでお菓子買ってこ。腹減った」

 和也の一言でその場に笑い声が起きた。



 その夜、茜は久しぶりに神父と一緒にベッドに横になった。いつもは「はしたない!と、叱りつける神父も、あれだけの事があっただけに断らない。

「……それにしても大西の奴、なんてパスワードを考えるんだ!」

「怒ってるの?」

「当然だ。『大西茜』なんてふざけるのもいい加減にしろ! 考えただけで虫唾が走る!」

 その言葉に茜は満足する。……どう足掻いたって自分は自分、『宮下茜』だ。それ以外の者になりたくてもなれないし、なる気もない。

 どこか懐かしい神父の加齢臭を感じながら茜は静かに眠りについた。明日は明るい一日になる事を信じて。

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