第6話:探偵vs天才

 真っ白なブラウスの襟元には、淡い桜色のラインが入っている。スカートはラインと同じく淡い桜色で、薄いグレーのブレザーのボタンは銀色。その制服は、私立百合丘高等学校のもので、数多くの女子中学生が「可愛い」と黄色い悲鳴を上げる。

 私立百合丘高等学校は、名門大学への登竜門と名高い女子校である。その校内で、生徒会長である幼い少女が、周囲の視線を一身に浴びながら、愛するこの学校への賛辞を口にする。

「相変わらず、素晴らしい環境ですわね! わたくしはこの学校が大好きですわ!」

 どこか作り物の人形のような、整った顔立ちの彼女は微笑んだ。その微笑は周りの者を魅了せずにはいられない、まだ幼さがありありと残る、あどけない笑み。

 彼女は生まれつき、その身体全体の色素が薄いのだろう。肌の色も髪の毛の色も薄い。普通は栗色の髪、とでも表現するのだろうが、この少女にはその言葉は似合わない。強いて言うのならば、ミルクティー色、とでも言おうか。ふわりとした天然のパーマがかかった髪は、縦に巻かれ、頭の上で赤いリボンによって纏められている。

 この少女は幼い顔立ちと大きな瞳で、周りの明らかに年上の少女たちから、羨望と尊敬の眼差しを向けられている。彼女はそれが当然だという態度を、一切変えるつもりはないらしい。

 それもそのはず。彼女のフルネームは一色若葉、ローティーン向けのファッション雑誌の読者モデルを興味本位で引き受けながらも、成績は常に学年トップ。まさに、才色兼備を地で行く美少女。……どころか、彼女の年齢はなんと、まだ十一歳。まさしく、『天才少女』なのだ。



 神父は、無遠慮に茜の部屋に入った。去年大西によって破壊された教会は、『上の連中』によって新しく建て直された。外観の建築様式にはこだわったため、元通りに修復してもらうのにも時間がかかったのだが、自慢の百合のステンドグラスは前の教会のものをそのまま再利用してもらった。

 内装も少し改装を加えてもらった。前の教会は、茜が幼い少女の頃からのもので、たったの大人と子供が一人づつ棲むのも、狭苦しさを感じていたのだ。だから新たにそれぞれの部屋を作ってもらった。以前は寝室すら分けられず、『事情』があるとはいえ男のような言動ばかりの茜も、一応は年頃の若い娘だ。いつまでも昔のままではいられないだろう。

 そんなわけで、彼は今、八畳の少女一人の部屋にしてはやや広いくらいの部屋――といっても、もう既に大きな本棚が面積を占領している――にいた。目的は、今日こそは彼女に『規則正しい生活』の心地よさを教えるためだ。

「茜、いつまで寝てるんだ? もう昼だぞ?」

 そう乱暴に言って、更に乱暴に彼女が被っている布団を剥いだ。それまで温まっていた茜は、不満そうに神父を睨む。

「……昨日は遅くまで作業してたんだよ」

 彼女に言う『作業』とは、きっと『勉強』と称してのミステリを読む事だ。その証拠に、今彼女がいるベッドの脇のサイドテーブルには、『今月の新刊!』という帯のかかった文庫本が積んである。グダグダと長引きそうな彼女の言い訳には、一切耳を貸さないに限る。

 新しくなった『教会』にいつまで棲んでいられるかは、全て彼と茜の肩にかかっているのだ。いつまでもだらだらしていられては困る。

「私たちは、一刻も早く元の環境に戻らなければならないんだ」

 神父の言葉に、やっと意識が覚醒してきた茜は、欠伸をかみ殺した。



 百合のステンドグラスは新調され、神父が毎日磨いている。ステンドグラス越しに部屋に入ってくる太陽の光は、百合の模様に輝いて美しい。

 茜はテレビをつけると、いつもより砂糖を多めに入れた紅茶と、焼きたてトーストを用意した。彼女は今年で十九になる。最近は神父も、「大人になるのだからしっかりしろ」とうるさい。茜としてはむしろ自分が神父を養っているつもりだ。それなのに、なぜ色々と説教ばかり言われなければならないのだろう。

 その時、テレビのニュース番組に映った人物に、茜は既視感があった。テレビの画面の中では、リポーターがその人物にインタビューをしている。

「それでは今日の『凄いよ! うちの子』のコーナー! 毎週お昼のこの時間は、『自慢のうちの子』特集で~す!」

 画面の中の若い男性リポーターは、どこかの学校にいるようだ。その場所には見覚えがない。しかし、彼の隣にいる少女――名門百合丘高等学校の制服に身を包んだ小学生にしか見えない、幼い子供には、強烈な既視感を覚える男性アナウンサーは軽い調子で彼女に語り掛ける。

「今日は、天才少女と名高い一色若葉ちゃんで~す! テレビお前の皆さんは、ご存知ですかぁ? 小学生のお嬢さんのいるご家庭でなら、彼女の名前を耳にした事のある方も多いと思いますがぁ~、若葉ちゃんはファッション誌の読者モデルとしても有名なんですよ~、頭がいい上に可愛いだなんて、まさに『凄いよ! うちの子』ですよねぇ~!」

 男性アナウンサーは何がそれほど楽しいのか、やけのノリノリでだらしない顔で『一色若葉』と紹介された少女を見つめるが、その本人は彼に対して軽蔑の眼差しを向けている。そして不機嫌を全く隠さず言い放つ。

「すみませんが、わたくしはそのような幼い呼び方は嫌いですの。やめてくださる?」

 幼い少女がピシャリと言い放つ。その姿には高慢さと、圧倒的な自信が窺える。男性リポーターは慌てて、表情を引き締めようとしているが、相手が美少女なためか、やはり締まらない。

「ああ、これはどうもすみません! そうですよねぇ~現在女子高生に『ちゃん』はないですよねぇ~? それで、一色さんは百合丘のどこに惹かれたんですか?」

「まずは生徒一人一人の意識の高さ……ですわね。『学校は学ぶための場所』という、学生の根本的な意義を全校生徒が持っているところ。これは悪いけれど、他の学校では見られないのではなくて?」

「最近は珍しいですもんねぇ、そんな生徒さんは。……他にはなにかあるかなぁ?」

「先生方も名門校出身者ばかりで、指導する側も意識が高く、一人一人のレベルに合わせた教育を行ってくださるところ……も素晴らしいと思いますわね。他にも……」

 その後もそのコーナーでは、簡単な質疑応答が繰り返され、最後には私立百合丘高等学校の情報を流して終了だった。そのコーナーが終わり、通常のニュースの話題に移った後も、茜はテレビに釘付けだった。……紅茶にもトーストにも手をつけていない様子の彼女を、ちょうどそこを通りがかった神父は不審に思った。

「どうかしたのか? お前が食事も中断するほどテレビに夢中になるなんて、珍しい……」

「……この子――一色若葉って子の事、僕は知っている……」

 ブラウン管越しにでも十分に感じた。確かに彼女を見たのは今日が初めてだ。しかし、彼女の整った顔立ちには間違いなく『奴』の面影があった。――そうだ、僕はこの子を知っている。

 茜は、自分の身体の中を流れる血が『何か』に反応するのを感じた。あまりにも神妙な顔で、彼女がそう断言するのでいかに人の良い神父でも、流石に怪訝に思って訊き返す。

「……知っているって? 彼女は確かに少しは有名人かもしれないが……忘れたわけではないだろう? 私がお前を拾ったのは十年前で、こんな小学生にしか見えない彼女のとお前の間に、一体いつ面識があるというのだ?」

 彼の言う事は確か二尤もだし、理に適っている。その論理的な否定の言葉にも、反論する余地はない。……これは『理屈』ではないのだ、文字通り。なにか、自分と彼女にしかない『絆』のようなモノを、茜は確かに感じた。

 一行に片付く気配のない、ダイニングテーブル代わりにしている机を見つめながら、神父も彼女と同じく難しい顔をして考え込んだ。



「ようこそ、百合丘へ! 一日体験入学をご希望の方はこちらへどうぞ!」

 全体的に淡い色の制服に身を包んだ少女たちは、同年代の少女たちとその親を歓迎した。流石は音に聞こえた『私立百合丘高等学校』、様々な中学校の制服を着た少女たちのが見える。

 そんな楽しい雰囲気の『一日体験入学』で盛り上がっている学校に、あまりにも場違いな、カジュアルすぎるジーンズにジャケット姿の少女と老人がいた。その受付を担当していた名も知らぬ少女の勘が働いたから、辛うじて少女だと判断されたが、彼女は一見すると少年にしか見えない。

 その二人組の正体は、もちろん、茜と神父である。

「……体験入学をご希望ですか?」

 笑顔を作っていたその少女も、その場を弁えない彼女の常識を疑わずにはいられない。普通こういう場合は、現在所属している学校の制服を着てくるべきだろう。そう思った担当の彼女は、さすがに顔を引きつらせている。

「……事情があって不登校だったんです、この子は。やる気と実力さえあれば入学できますよね?」

 神父はパンフレットを開いて、無害な微笑みを湛えて言った。――なんだ、そういう『事情』でもあったのね。少女はそう思ったが、全国でもトップクラスの秀才しか入れないここを選ぶとは。顔を引きつらせていた彼女は、今度は冷笑した。そんなろくに勉強もしていない馬鹿が入学など出来るはずもない、そう確信した上から目線のものだ。

「えぇ、実力さえあれば。……でも、我が校の入試はどこよりも難問ですよ? 入れると良いですね」

「一度決めたらこの子は強いんですよ。それだけが取柄でして」

 神父は少女の嫌味にも強気の返答をした。



 そんな険悪なやり取りの後、現在二人は体育館にいる。先ほど彼女が言った通り、この場に集まるのは都内でも有名な、進学校の制服を着た少女たちだけだ。中には場違いな生徒が紛れ込んで、顔を真っ青にして後悔している顔もちらほらと見受けられる。それほどまでに『学ぶ場所』としての意識はこの学校の生徒はその他の者とは一線を画していた。

 茜には中学校の成績表など、もともとありはしないし、学校でする類の勉強は大嫌いだ。……この学校の入試合格は、奇跡でも起こらない限り無理そうだ。まぁ本人に学校に行く気が欠片もないので、それでも構わないのだが。

「僕の目当ては一色若葉だけだよ」

 茜は始終そればかりばかりだった。余程、『一色若葉』という少女に興味を覚えたらしい。それはいつもの彼女の『美少女好き』とは、明らかに何かが違った。そう思っていたら、体育館の大きなライトが消え、突然辺り一面の暗闇になった。

 その次の瞬間、スポットライトを一身に浴びた一色若葉が、体育館のステージ上に現れた。そのライトの光が強すぎて、離れた場所にいる二人も少々熱さを感じるくらいだ。ステージ上は相当暑いだろう。しかし、そこにいる彼女は汗一つかいている様子もなければ、暑がる素振りすら見せない。

「我が百合丘の未来の後輩たちよ、ようこそ! わたくしはあなた方を歓迎いたしますわ!」

 茜のものより遥かに高いそのソプラノの声が一色若葉の口から出た途端、一斉に歓声が上がった。若干十一歳にして、高校二年という彼女のカリスマ性に、制服姿の少女たちは夢中になった。周りのみんなが興奮し、ちょっとした騒ぎを起こす中、茜だけはただ一点、一色若葉ただ一人だけを見つめている。

 そしてそれは、相手も同じ事だった。ステージ上の一色若葉はなぜか、彼女のいる場所から遥かに離れた茜の姿を、じっと見つめている。その視線には、なにか『憎しみ』のようなものが混じっている、ように思える。……二人は初対面のはずなのに。

「――それでは未来の後輩候補のみなさん、是非、共にこの百合丘で学びましょう!」

 彼女はそう締めくくった。



「いやー、名門校っていうだけでこれだけ盛り上がるとは……。私の頃は『お受験』なんて概念はなかったから、ただ驚いてばかりだ」

 子供はいたものの、受験には程遠い歳で娘を亡くした神父はぐったりした。いつもは穏やかな彼の表情には疲労の色が強くにじんでいる。

「……前に僕が潜入したとこも凄かったんだよ? 女子校特有のノリががさ。そういえばちらほらいるね、私立桜女学園の子も」

 あれは中等部だったな、と神父は去年の夏頃を思い出す。あの時は全寮制の女子校だった。彼女が今言った『私立桜女学院』もかなりレベルの高い学校の中の一つだった。勉強が難しいと電話で泣きついてきていたっけ。

 神父がそんな事を呑気に考えている時、茜は物珍しそうな視線を痛いほど浴びていた。『お受験』モードの制服姿の中学生からしてみれば、彼女はただの『邪魔者』でしかないのだろう。もしくは、『手強そうなライバル候補』として見られているのかもしれない。その中から懐かしい声がした。

「……あれ? あなた、ひょっとしては茜さんじゃないの?」

 セピア色のスカートに、冬だからかブラウンのタイツを合わせた少女が茜に声をかけた。彼女の顔には見覚えがあるが、名前が出てこない。……あの『事件』の被害者の義理の姉だった事は覚えているのだが……。

 茜がどう反応したものかと逡巡していると、彼女はそれを察したのか、自分から名を名乗った。

「あの時はお世話になりました、木村恵利子です。……もしかして、私の名前忘れてた? 茜さんって探偵だったんだってね。成美先生から聞いてびっくりしたよ!」

「茜、知り合いかい?」

「……前に無理矢理潜入させたでしょ。他ならぬ神父が。お久しぶり、恵利子さん。あの後どうなりました?」

「……瑞枝の事はあまり思い出したくないの。色々と複雑だからさ、あたしとしては。そんな事より、茜さんはここを受けるの? ……はっきり言うと厳しいと思うよ? 最低偏差値七十三はないと」

 『偏差値』なんて言葉自体、茜は知らない。しかし、 私立桜色女学園の中等部でさえ苦労したのだ、正攻法で受験して受かるのは無理だろう。そもそも目的はそれではない。才色兼備の天才少女、一色若葉に会うためだけに、わざわざ遠出してここまで来たのだ。

「それにしても一色先輩って凄いよね」

「……彼女についてなにか知ってる事はある? 些細なことでもいいんだ。何とかって雑誌のモデルをやってるって事だけは知ってるんだけど……」

 思わずそう訊いていた。恵利子は面食らった様子で肩にかけていた学生鞄をずり下ろした。脱力したのだろう。「そんな事も知らずにここにいるの」とでも言いたげに、彼女はその鞄から洒落たデザインのスクラップブックを取り出した。その表紙は今時の女子中学生らしく、『デコって』あった。なぜこんな物を持っているのかと訊ねると、サインをしてもらえるかもしれないと期待しての事らしい。彼女は彼女なりの方法で、あの『事件』とは離れることにしたのだろう。

「……一色若葉。芸名ではなく本名で活躍中の、雑誌『Girl’Work』専属読者モデル。誕生日六月六日、ふたご座のAB型。趣味はカフェ巡り、アフタヌーンティー。日本人と北欧人のハーフで……」

 茜がスクラップブックに切り抜きに載った情報を読み上げる。切り抜きの写真の中の一色若葉は、他のモデルと比べても遜色がなく、むしろその色素の薄さが可憐さを演出している。詳しい事が解ったのは良かったが、ここまで詳しく載せてしまって良いものなのだろうか。この手の雑誌は立ち読みで済ませる茜には、その辺の詳しい業界の事は解らない。恵利子は茜が思った事を口にした。

「彼女の両親の事は、ファンの間でも謎が多いんだよね~。ここまでオープンに情報を開示してるんならさ、いっその事、個人情報まで載せてもいいと思わない?」

「……確かにここまで、プロフィールだけでも凄いモデルは滅多にいないだろうな。彼女がカリスマと呼ばれるのも納得だ」

 ちゃっかり神父もスクラップブックに目を通している。その点に茜がツッコミを入れようとしていたら、静かな足音が聞こえてきた。その重量のなさは間違いなく高校生のモノではない。――まさか。

「こそこそと、なにをわたくしの噂話などしているのかしら?」

 『一日体験入学』に参加するために、中学三年生の少女たちの多くはここから去った後だった。人がまばらになった体育館で、茜は確かに、その声を聞いた。反射的に顔を上げると、そこにはフランス人形のような巻き髪を、頭の頂点で一箇所に纏め、リボンで留める、という独特の髪型の少女――一色若葉その人がいた。

「……一色、若葉……」

 茜が彼女の名を呟いた『この瞬間』こそが、後に長い付き合いになる特別な『絆』で結ばれた、一色若葉との初めての邂逅だった。



 長い黒髪を三つ編みにした私立百合丘高等学校二年生、白樺冬実はステージのすそにいた。彼女は一色若葉の発案で催しが決定した『一日体験入学』の実行委員である。たれていた暗幕を巻き上げた時、奇妙な重さを感じた。予行演習では全く感じなかったその重みに眉を顰める。奇妙な違和感……のようなモノを覚えながらも暗幕を上げきった時、そこに突然現れた『モノ』に思わず声が出た。

「ひっ!」

  暗幕から転がり落ちてきたのは、実行委員長である美坂真美の死体だった。



 一色若葉は侮蔑した眼差しを茜に向けた。そんな覚えがなにもない茜は、負けじと睨み返す。それに更に応えるように、美少女の視線にはますます熱がこもる。……これでは延々と続くだろう。その不穏な空気を察した、神父が間に入った。

「一色さん、先ほどの学校紹介、とても解かり易かったですよ。流石は若干十一歳の天才美少女ですね!」

「このわたくしが、いかなる『おバカさん』にも理解できるよう、計画したモノだもの。そのくらいは当然の事よ。あれで『理解』できなければ、小学生からやり直しになった方がよろしいのではなくて?」

  見た目の柔らかそうな雰囲気に反して、この一色若葉という少女は、茜と負けず劣らずの強気だ。この娘といい、その茜といい、最近の少女は怖い存在だと彼は内心で震え上がる。

「一色さん、僕はあなたと会った事があると思う」

 茜は真っ直ぐに一色若葉を見た。その真っ直ぐなまなざしは、約十年間一緒にいた神父でさえも見た事のないモノ。そんな強烈に見つめられた彼女はは口元を歪ませた。

「えぇ、わたくしも……あなたとは初めて会った気が致しませんのよ?」

「……言われてみれば確かに、どこか似ているとは思うけど。雰囲気が違いすぎない?」

 恵理子は首を傾げた。本人たちも『そう』思っている。確かにお互い、どこかしら似ている。……けれど決定的に違う。そんな二人が見つめ合って数分が過ぎた。

 その時だった。

「一色先輩、大変です!」

 一年生と思しき百合丘の生徒がこちらに向かって走ってきた。一色若葉はそのドタバタという音が不快そうに床を睨んだ。――それに、まだ『目的』を達成していない。

「騒がしい! 一体何事なのですか!?」

「ステージのすそで死体が発見されたんです! 実行委員長の美坂先輩が……!」

「なんですって?」

 茜は驚く若葉をよそにステージへと急いだ。あっという間に彼女はステージ上にいて、駆けつけた彼女の出で立ちに百合丘の生徒たちは驚いたが、遺体を検分する彼女を止めようとはしなかった。茜は傍らに佇む少女に確認を求める。

「彼女が美坂さん? 発見したのは誰? いつ見つけたの?」

 矢継ぎ早に繰り出される彼女の質問に対して、応えたのはたったの一人だった。黒髪を三つ編みにした百合丘の制服を着た少女が手を挙げた。

「白樺冬実です、学年は二年。美坂先輩は、一時間前の体験入学説明をしている時には、指示を出してましたから」

「その後殺されたって事だね」

 暗幕を引き上げた時の事も詳しく聴かせてもらった。冬実曰く、暗幕を巻き上げようとした時に、いつもはない『何か』いわっ感があったと証言した。そして詳しく死体を見る。意外なことに医学の知識のある和也から、“Q"になった時祝いとして、ある程度の検死の知識を教えられている茜にとって、死因特定は簡単だった。『誰か』に鳩尾を一突きにされたようで、顔には苦悶のさまが見える。……傷口の大きさと出血の規模からして、死因は『失血死』で決まりだ。

「凶器は、この傷から見るに小ぶりなナイフってとこかな?」

「でも、ナイフなんてどこにもありませんでしたわよ? 第一、神聖なる『学び舎』になぜそんな不用なモノなど持ってくる必要がありますの? ……流石のわたくしも、理解できませんわ」

 いつの間にか若葉がステージ上にいた。彼女は寒い体育館全体の中で『暑さ』を感じさせる場所にいても、玉汗の一つも流していていない。茜などは暑さで参りそうなのに。

「いつの間に……」

「確かに誰も刃物は持っていなかった」

 神父が保証する。彼が断定口調で言うのは信用していい証拠。そして、今茜たちのいるステージにもおかしいところはない。ただ、ライトからの熱視線が暑すぎるだけで。

「実はカッターを刺して、その血の付いた刃の部分を折りたたんで、今も所持してたりして?」

 そんな茜の独り言を若葉は鼻で笑った。

「なぁに、探偵とか言ってなかったかしら? 何そのお粗末な推理は。……いや、妄想は」

 元から冗談のつもりで言ってみただけなのに。この反応には些かムッとなった。神父は内心で「まずい」と思った。彼女は自分の推理には絶対の自信を持っている。それをあざ笑うかのように、なぜかやけに当たってくる若葉がいる。

 ――一色若葉。

あのテレビ番組を観て以来、茜がなぜか気にする彼女は一体何者なのだろうか。 ……そんな、神父の内心を感じ取ったかのような表情を、茜はした。その表情にぎょっとする。宿敵とも言える『男』の面影がその表情にはあった。

 神父の背を嫌な汗が伝った。



 体育館で事件だという騒ぎが起こった同時刻、図書室でも事件が起こっていた。百合丘の三年生の死体が発見されたのだ。それを発見したのは白樺夏美。

 ショートヘアをゆるいウエーブにした彼女は体育館で事件に巻き込まれた白樺冬実の妹である。

 この時期は、大学受験を控えた三年生が、よく図書室と隣接された自習室を利用する。まだ一年生の夏美は図書委員を任されていた。この百合丘という高校では、生徒の自主性を重んじるが、それ以上に相応しいと思われる役目は、他の生徒から勧められるのだ。夏美もそうして勧められて図書委員になった。やる気もあったので委員会ではかなり重宝されるようになった。

 その時も彼女は一人で新しい図書にラベリングをしていた。今日の午後からが彼女の当番だったので、午前分の図書は彼女の担当ではない。だが、いつも間にか身についた性分で、いつも前の当番の分もこなしてしまうのだ。……さから、その死体を見つけたのは偶然だった。

「ひっ!」

 奇しくも彼女は姉と同じ悲鳴を上げた。姉と違う点をいうのならば、現在三年生は受験を控えていて、授業を受けるわけではないので、人がいないという点だった。恐る恐るネームプレートを確かめてみると鷹野未玖と書いてある。どうすれば正解なのかも解らず、彼女は姉にメールを送った。



 再び体育館に戻る。……茜は少しでも、『事件』の手がかりを見つけようと必死だった。だが凶器はおろか、証拠品の類も見つからない。それはいつもの茜らしくない。いつもならそろそろ事件の『鍵』となる事に辿り着いているというのに。

 彼女がついにイライラしだして、頭を掻き始めた時、冬実の携帯電話が鳴った。

「あ、メールだ」

 こんな時だというのに、冬実は自分の学生鞄から携帯電話を取り出した。カチカチとボタンを操作してメールの受信箱を開いた。メールの文章を見て彼女は固まった。先ほどの事件で青くなった顔を、更に青くしながら彼女は言った。

「……一色さん、図書室でも死体が発見されたって、妹が」

「なんですって? 一日に二人も? 一体どうなってるのかしら?」

 一色若葉は大きく溜め息をついた。その話の輪の中には茜もいた。冬実に「事件解決のためだから!」と言って半ば強制的に『頼み込み』と、彼女はあっさり自分の携帯電話を渡してくれた。届いたばかりのメールに添付された画像を見て茜は感じた。――この二つの事件は、互いに関係している。茜の勘が、そう告げていた。これはただの勘ではない。探偵として事件を解決してきた経験から導かれる『経験と本能による勘』なのだ。この『勘』は、これまでも何度も茜を救ってきた。

「こうしていても行き詰るだけだよ。図書室の方にも行ってみよう」

「そうですわね。彼女が一人だけでは不安でしょうし」

 その一言が茜に引っかかった。



 図書館では夏美が震えていた。彼女のすぐそばでは重量のありそうな木製の本棚が倒れている。その下敷きになるような形で未玖が倒れている。あがく暇すらも与えられずに、絶命したように見える。……検死するまでもなく死因は『圧死』だ。

「姉さん」

「もう大丈夫よ。一色さんが一緒に来てくれたから」

 夏美は震えながら死体を指差した。一色若葉はそれを何とも思わないかのようなごく平静のトーンで言った。

「三年生の鷹野未玖さんね。……以前共にカフェ巡りをした仲だわ」

 彼女は、生命活動を終えた未玖近づいた。そして痛ましげに顔を歪めた。今まで平和な学生生活を続けていたからだろう、彼女たちの反応は予想外に冷めたモノだった。 茜は末玖遺体の指先に注目した。右の人差し指は、腫れている。

「これは毒針でも刺さったのかな?」

「そうらしいですわね」

 彼女の制服の赤いリボンが歪んでいる。せめてもの気遣いだろうか、若葉はそれを直している。

「死体は動かしていません」

夏美は青ざめながら言った。毒針を使用しての殺害、ともなると専門的な知識が要る。いくら名門校の生徒とはいえ一介の女子高生には無理な犯行だ。これは一体誰の犯行なのだろうか。

 神父は、一色若葉の顔を盗み見た。その顔が薄く笑っていたのは神父の勘違いだろうか。



「本棚と本棚の間は約一メートル。本棚の高さが二メートルってとこかな?」

 茜はメジャーでそれぞれの長さを測った。遺体の制服の乱れはリボンのみだった。この学校の制服のリボンは、スカーフ状になっているものをブラウスの襟元で通し、前で結ぶ。スカーフ以外制服全体におかしなところは特にない。彼女の生命を奪った間接的原因やはり毒針だ。その毒針さえなければ彼女がふらついて、本棚を倒してしまう事などなかったのだ。その毒針のありかが解からない。……この短時間に後始末を済ませるあたり、犯人は相当に用心深いのだろう。

「う~ん……今回は難しい事件だな」

 茜は一人ごちた。そんな彼女をあざ笑ったのは一色若葉だった。先ほどからの険悪な関係は、場所を変えても変わっていない。

「あなたって探偵って聞いたのだけれど……所詮は三流ね。この程度の『謎』も解らないなんて」

「……何が言いたいわけ? それに、なにか僕が気に入らない理由でもあるの?」

「別に。まぁ、せいぜい頑張ってごらんなさいな?」

 一色若葉は、どこか勝ち誇ったように笑ってみせる。その笑みは可愛らしいのだが、どこか歪んでいる。 茜はその笑みを――正確には彼女のものではないが――見たことがある、あの炎に包まれる古い教会の中で。

「……ひょっとして君は」

「……茜、大丈夫か?」

 その場に彼女より遅れて駆けつけた神父が、心配そうにそう言った。その顔には狼狽の色が見える。

「僕なら大丈夫だよ。ってか神父の方がダメそうじゃん!」

 ようやく一色若葉との睨み合いを終え、穏やかな顔で茜は笑った。何の邪気もない、無邪気な笑み。その様子から、いつもの茜に戻ったのだと、神父は安堵する。

「トリック自体はごく簡単なものだけど……犯人は誰でも当てはまるんだ。特定は……おそらく絶望的だ。犯人は相当に頭の良い人物だよ、間違いなくね」

 とっくに茜は殺害方法には辿り着いていた。しかし、犯人を特定する方法がない。

「仕方がないから、体育館の事件から当たろうか?」

 そう言って茜は、この『事件』関係者を体育館に集めるよう一色若葉に頼んだ。彼女はまるで「実力拝見」とばかりにずっと茜の良く先をつきまとった。

 体育館に戻ってきた。

「ここで殺されたのは、三年生だった。その時は一色若葉が説明をしている最中か」

「少々よろしくて? 先ほどから黙って思ってたけれど、あなた気安いわ! 仮にもわたくしは先輩なのだから、せめて呼び捨てはおやめなさいな!」

 今の今までその突っ込みがなかったので、納得しているのかと思っていたら、そうでもないらしい。そういうところは歳相応だ。

 その言葉に茜は考え込む。一色若葉が見せる、自分への敵対的な態度。それが何を意味するのか。それに彼女ほどの美少女ならいつもは素直に可愛いと思えるはずなのに、今回はそんな気は起こらない。……そして、自分は間違いなく『一色若葉』を知っている。彼女も同様に、それが当然であるかのように、茜を知っていた。この奇妙な符号に違和感を覚えずにはいられない。嫌な予感がする。『勘』が、本能が、彼女に警告する。その警告音は一色若葉を見るたびになり、茜に『確信』を抱かせる。

「事件のトリックが解かった。再現するのに協力して欲しい」

 茜は、ステージ上で指示を出す一色若葉にそう頼んだ。彼女は怪訝そうな顔をしている。しかし次の瞬間にはその表情は楽しくなってきたとでも言いそうなものへと変わった。当然彼女は許可を出した。さっそく茜は行動を開始する。一色若葉のいるステージに上がり、先ほどのかにょじとほぼ同じ位置に立つ。

「僕が一色若葉だと思って、さっきと同じように行動して!」

「え? ……でも」

「……いいから協力いたしましょう? それで彼女の気が済むのならそれでいいわ」

「一色先輩がそう言うなら……」

 一年生たちは協力を渋った。茜は素直に感心する、一色若葉の言葉の重みに。……実は前もって仕掛けをしておいた。冬だというのに、ステージの上は暑くて堪らない。一時間が過ぎた頃に冬実が暗幕を引き上げた。

「これは……!」

 丸めた体育のマットレスに傷がついている。

「被害者の代わり。これを死体だと思って」

 生徒が何人も、ステージ裏に集まってきた。

「この傷、亡くなった美坂先輩とほぼ同じ位置にある」

「少し湿っぽいけど、これは一体」

「それは当然の事だよ。凶器は尖らせた氷だからね。だからスポットライトの強い光で溶けた。後に残った水分も蒸発してほぼ残らない」

「なるほど」

一色若葉は想定内だと言わんばかりだ。

「おそらく、美坂さんは近視だったんじゃないかな? 暗がりに障害物を置いて、それを避けるように誘導する。眼鏡が落ちてそれを取ろうとして落ちた」

「その場所に尖らせた氷をセットしておき、自重で深く刺さった、という事かしら?」

「そういう事」

 でも問題が残っている。大きな問題が。

「これなら今日のスケジュールを知っている者なら誰でも出来る。犯人は特定できない」

 その言葉に一色若葉が目を光らせた。

「おそらく図書室の事件も同じ犯人だと思う。被害者に高いところにある本を借りてくれと頼む。その本の背表紙に毒針を仕掛けておけば完璧だ」

 茜は一気にまくし立てた。場が静かになる。

「それも誰でも可能だわ。犯人の特定が出来ないなんて……」

「僕は君が怪しいと思う……一色若葉。君にとって鉄壁のアリバイが出来る。だからこそ怪しい。……僕の理屈はおかしいかな?」

 一色若葉は笑い出した。

「でも証拠がないんでしょ? ……お話にならないわ」



「……あまり落ち込むな。こんな日もあるさ」

 神父は茜を優しく抱きしめた。

「……僕は子供じゃない」

 そういってむくれながらも、彼女は神父に身を預けている。ふと思い出したかのように神父が口を開く。

「……ところで彼女はお前に会った事があると言ったが、お前にその記憶はあるのか?」

 茜は神父に更に強く抱きついた。そしてぽつりと呟いた。

「……会ってみてはっきりした。一色若葉は僕の義妹だ」

 はっきりした語尾に真実味を感じる。確か『奴』には妻がいたが、子供が幼い頃に別れたと新聞で読んだ。その子供が茜だということは、本人の言葉から薄々感づいていた。

「なぜ彼女が義妹だと?」

 神父の薄い胸に甘えながら、茜は言葉を続ける。

「僕が家を出た後に出会ったんだ、偶然ね。まだ小さな赤ちゃん同然だったけど、あの子は脳の成長が早くて、僕の事をじっと見てた」

 あの大西には娘が二人もいたのだ。神父はその事実に驚かずにはいられなかった。



 その夜、一色若葉は自宅で満足げにカモミールティを飲んだ。いつもは遅くに帰ってくるはずの母も、今日は早く帰ってくると連絡が入っている。

 ――今日は素敵な日だったわ。

 もう一口とカモミールティーを口に運んだ。すると、携帯電話が鳴った。

「若葉か?」

 その声に嬉しくなる。父の前ではいつまで経っても子供でいたいと思う。

「茜に会ったらしいな。……どうだった、あいつの様子は?」

「全然、敵じゃないわ。ねぇパパ、今度はいつ会えるの?」

 若葉は父の正体を知っている。知った上で、彼を肯定し尊敬している。

「……いつになるかな。クリスティは元気か?」

 母も彼に惹かれている。

「パパ、わたくしもママも帰りをずっと待ってるのよ。早く来てよ」

「電話の向こうの父は相変わらず何を考えているのか読めなかった。

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