第2話:王の王たる理由

「どうして……?」

 顔から血の気が引いていくのを感じる。直感した、自分はここで『死ぬ』のだと。何も成さぬまま、何も残せぬままで。和泉皐月は、そのまま、『群れ』に身体を蝕まれてゆく。

 古びた洋館の夜は、こうして静かな殺意が満ちたままで、更けていった。

「どうしてこんな事になるかなぁ……」

 山瀬明はドアを開けてから、たっぷり十秒は立ちすくんでいた。比較的広い部屋なのに、ゴミ袋が所狭しとぎゅうぎゅうに詰まれている。特に、生ゴミの匂いが強烈に鼻につく。

「しょうがねぇじゃん? お前がいないと、ここはこんなもんだ!」

 悪臭に慣れている安藤智也は、あっけらかんと言ってのけた。整った顔立ちで、持って生まれた黒髪を、今の流行に合わせてカットした髪型をした彼とは、幼い頃からの付き合い――幼馴染、または腐れ縁の仲だ。

 そして、この部屋に棲む誰もが――といっても二人しかいないのだが――掃除は大の苦手。智也は明には構わず、溜め込んだ古新聞を読み返している。その紙面には『堕ちた女優! 違法薬物に依存した美南英奈佳!』という文字がでかでかと踊っていた。……なんて事のない、ただの芸能ニュース。

「だからってこんな……」

  窓を開けて、少しでも悪臭を外に出す。たったこれだけの事でも、多少の効果はある。前回掃除してから、まだ三日間と経っていない。家事が苦手というレベルではない、と明は思う。

「……明が留守にしてる間は、もぉっと酷かったよ! 食事は三食カップラーメンだったし……」

 もう一人の男――道長和也は腹に溜まった脂肪を揺らしながら言う。

「自炊ぐらいしようよ。このマンションだって智也たちが“K”、だからこそ借りられるんだよ?」

 この年齢で、これだけ立派なマンションに住んでいる同年代など、明は知らない。各種防犯設備の充実は当たり前、新築で駅からも徒歩一分もかからない。更に、マンションから出て、徒歩三分ほどで暮らすために必要な食材が十分に手に入る商店街まである。

 設備も良ければ、立地条件も申し分なし。彼らの代わりに明が住みたいくらいだ。……現実には、稼ぎなど雀の涙のバイトで食いつないでいるので、不可能だけれど。

「俺は飯もろくに炊けねぇし、和也なんか包丁を持ったら次の瞬間には手ぇ切ってるし……」

 だから「自炊は無理だ」、と暗に言い出す。……たったの三日間の、家事係の不在だけで部屋をここまで汚せるのも、立派な才能かもしれない。ちょうど今日はゴミの収集日だったので、ゴミ袋を両手に二つづつ持ってゴミ捨て場に向かう。

 その途中で、少年と老人の二人連れに声をかけられた。

「すみません、2001号室の安藤さんのお知り合いですか?」

 老人は丁寧にそう尋ねてきた。安藤とはもちろん智也の事だ。部屋番号も一致しているし、間違いない。不意打ちだったので、そのまま立ち去る事もできずに素直に答えてしまった。老人の顔立ちは柔和そのもので、少年はどこか無遠慮、といった印象を受ける。

「はい、そうですけど。……もしかして智也のお知り合いですか?」

 まさか、自分の留守中にご近所トラブルか? そんな嫌な予感をさせるだけ、彼らの生活態度は怠惰だ。稼ぎがいいからといって、調子に乗って何かやらかしたのか?

「うん、知り合い。……智也の奴ったら例の事件、僕に押し付けやがって!」

 その一言でピンときた。どうやらこの二人は智也が以前言っていた、“Q”の連中らしい。……少年かと思っていたら、声がやけに高い。髪型もショートカットで、ボーイッシュなファッション。彼女が”Q”かと、思わず凝視してしまう。この二人の事は詳しくは知らないが、大体の話は予め聞いている。

 明はゴミ袋を急いでゴミ捨て場に置きに行き、すぐに戻ってきた。

「今ならいますよ? ……お客さんを呼べる状態じゃないですけど」

「それでいいよ。どうせ神父が片付けるし、いつもの事!」

 彼女は慣れた様子で、エレベーターのケージを呼び寄せるボタンを押した。



 2001号室は二十階にある。夜景が美しく、そのためだけにこのマンションを買い求める客も多いらしい。その誰もが憧れる2001号室にはゴミが溢れかえっていた。その悪臭は、半端ではない。

「……相変わらず汚い部屋だね。僕なら、こんな部屋に一時間もいたら気が狂うよ」

 呆れたように彼女は顔をしかめた。いつもはこれよりはマシな状態なのに、今日は明が今まで不在だったせいもあり、更に酷かった。

「いつもの掃除人は何やってんだか。……そのために養ってんでしょ?」

 ゴミ袋で床が埋まっているので、客人である少女は立ったまま。老人はゴミ袋を抱えて外に出て行ったままだ。今この場にいるのは、彼女と智也と和也、そして明。

「小娘がナマ言ってんじゃねぇぞ? 明だって仕事に恋に、学校にと忙しいんだ!」

 彼女が女子だった事にも少し驚いたが、あの智也が自分のフォローをしてくれるなど珍しい。

「山瀬明です。あなたは……“Q”っていう、うちの姉妹機関の方、ですよね?」

 こんな小娘に敬語なんかいらねーよ、という智也の声は無視する。初対面だし、変な印象を持たれたくない。……少なくとも智也よりは『常識』があると思われたい。

「そう。Queenの宮下茜。こんなふざけた名前つけといて、『非公式の調査機関』なんて笑えるよね?」

 愛想良く彼女が自己紹介をした。笑うと普通の少女だ。少年と勘違いはしたけれども。……なぜこんな『どこにでもいるような子』が、こんな機関に関わっているのか。その事を不思議に思っていると、和也が腹の贅肉を揺らしながら、面倒くさそうに説明する。

「茜はうちで育ったから、他の場所には行きたくても行けないの」

 そう言い終えると、彼は大きな欠伸をした。

「……それでここに来たって事は、なにか新しい事件?」



 明と『神父』と名乗った男性が部屋とゴミ捨て場を何往復かすると、なんとか床が現れた。茜は念入りに雑巾がけをして、更にアルコール消毒スプレーを吹きつけた。それでもまだ足りないらしく、頑なに座るのを拒否している。

「そこまでするか……?」

「……なんかイヤミくさい」

 智也と和也は不満を述べるが、彼女は気にも留めない。その気持ちは、明にはよく解る。

「それで今回の依頼なんだけど……このDVDを観てから説明するよ」

 その言葉に合わせ、神父はテレビの前へと移動した。100インチの立派なテレビの横にコンパクトサイズのDVD、ブルーレイディスクプレイヤーが置かれている。その機械で、一分もしないうちにDVDが再生される。

 テレビ画面にはある部屋が映し出された。コレクションしているらしい日本人形が並んでいる。その壁にはところどころ穴が空いていて、そこから部屋の中が見えた。木製の薄汚れたテーブルの周りに、足が欠けた椅子が四脚置かれている。

 気になったのは、テーブルの上に置かれた、壊れたテディベア――戦前のボタンイヤーが一体倒れている点だ。それらを五分ほど映したところで、テレビの画面は真っ暗になった。

「……で、これが何だよ?」

 智也が面倒くさそうに訊いた。DVDの入っていたケースに、どこかの住所が書かれた手紙が添えられている。

「……意味解んねーよ! どうせ、依頼人に心当たりでもあるんだろ。ほっとけよ!」

 彼は乱暴にそう言い捨てる。

「……残念でしたー! 報酬前払いで貰ってあるんだよねぇー!」

 茜がにっこりと笑った。その笑みを見て、明は改めて彼女が『少女』であると認識した。



「こりゃ酷ぇな……」

 手紙にあった住所を頼りに辿り着いたのは、今にも崩れそうな洋館だった。

 外壁にはツタが絡まり放題で、手入れが全く行き届いていない事を実感させられる。なるほど、どんなに立派な建物でも、そこに住む者次第で様々な姿を見せるものなのだ。明は智也の顔をチラリと見やりながら、そんな事を思った。

 明たちがそこに着くと、待ちかねたかのように、男性は吸っていた葉巻の火を消した。見た目の推定年齢と態度から見るに、彼が館の主人らしい。

「この館の主人、和泉高次だ。私が、君たちに依頼をした」

 既に白髪ばかりになってしまった髪をかきあげ、彼はにやりと笑った。この屋敷の持ち主にしてはイメージとブレないな、と明は思った。智也が尋ねる。

「それで、何があったんですか?」

「……私の妹、和泉皐月が殺された、のだと思う」

「……思う? それってどういう――」 

 そこでドアが開き、夏だというのに長袖の服を着た可愛らしい少女が顔を出した。尻まで覆うような、長い栗色の髪の艶が眩しい。当主は、優しく彼女に声をかけた。

「……春香、今の私は大事な話の最中だ。向こうへ行っていなさい」

 少女は一瞬、目をぱちくりさせたが、何も言わずに部屋を出て行った。その動作はやけに緩慢だ。

「……今の彼女は?」

 珍しく明が口を開く。そもそも彼が依頼人と会うこと自体初めてなのだ。出会ったばかりの茜とは、共通の知り合いである智也の愚痴を散々言い合い、一気に親しくなった。これは人見知りの茜には珍しいことなので、神父が「是非一緒に仕事しなさい」と言い出したのだった。

「ああ、私の娘だ。春香という大人しい娘だ」

 子供はあと三人もいるという。それを聞いた明は、「お元気ですね」と苦笑いを浮かべた。

「話を戻そう。私たち和泉家の者が『人形部屋』と呼んでいる部屋で、妹――皐月が死んでいた。全身傷だらけだった。遠くから来た警察曰く、死因は『出血多量』。それだけならば、私は君たちを呼びはしなかった」

 高次はここでいったん言葉を切った。どこか言いづらそうな顔で、次の一言が出た。

「……妹の身体のあちこちには、何らかの動物のモノとしか思えない傷がついていたのだ」

「身体の傷? それも動物の? ……つまりこの館の通称『人形部屋』で、妹さん――和泉皐月さんが、何らかの動物に噛まれ、出血多量でお亡くなりになっていた、と?」

 智也が確認するように要点を整理して言った。

「ああ、それも多分複数の生き物が原因だ。私はそう確信している。……その後、君たちの元にダビングして送ったのが、館に差出人不明で届いたDVDだ」

 彼は当然、あのDVDの意味など解らなかったに違いない。現職の探偵である智也でも「意味が解らない」と言っていたのだ。とてもではないが、素人に理解できるはずもない。そう明は納得した。DVDに簡単な手紙だけだったのも、混乱していたからに違いなさそうだ。

「……なるほど。お話はよく解りました。俺が考えるに、DVDが送られてきた理由は『殺害予告』といったところでしょう。典型的な劇場型の……愉快犯? とは言い方が軽いですか?」

 智也の仕事モードなど初めて見た。いつもの乱暴な言葉遣いはしっかり正している。……社会人としては当然なのだが、正直、明にとって彼は『家事の出来ないダメンズ』にしか映っていなかったので、どこか安心した。

「いいや、君の言いやすい言い方で構わない。……それで、どうすればいいかね? 私と、この館に棲む他の者たちは?」

「……一番安全なのは、やはりこの館から逃げる事ですね。犯人は犯行を『人形部屋』で行うと予告しているようなものですし――」

 すると、彼の顔が一変する。それまでは寛容な表情をしていたというのに。

「駄目だ! この館にいる者は行き場のない者ばかりなのだ! この私が館から逃げたら、彼らは行き場を失う! だから断じて、それだけは駄目だ!」

 彼は譲る気が全くない。自分の命が狙われているかもしれない、というのに、他の者を守ろうとしている。しかし、それは逆に彼の言う『行く場のない者たち』の命を危険に晒しているのではないだろうか?

 明はそう疑問に思う。智也は仕事モード継続中で、いつもならため息をつくところを耐えて、言った。

「……それでは、身の安全は保障できませんが? 本当にそれで?」

「構わない」

 その後の彼の話は、ただ長いだけの、典型的な老人の話で、正直な感想は『つまらない』だ。しかし、『仕事』となればそんな事など言ってはいられない。ただ黙って話を聴き終えると、一行はリビングルームへと向かう。

 彼以外の人物の話も聴いておきたい、と智也と茜が言ったからだ。

 そのリビングルームで、やけに健康そうな青年に出会った。彼の顔は微笑をたたえていて、とっつきやすい印象だ。青年には、先程会ったばかりの二人――高次と春香とは違う、なにか独特の雰囲気があった。

 午後のティータイムを愉しんでいる最中らしく、夏なのにカップからは湯気が上がり熱そうだ。お茶請けとして、手作りのものらしいクッキーが高そうな皿に積まれている。

「僕は、和泉清十郎といいます。こう言っては何ですが……父とは折り合いが悪いんです」

 そう先程部屋に顔を出さなかった事を詫びた。下手をすると女性に見えてしまいそうな、線が細く中世的な顔立ち。その柔らかな物腰に見とれていると、智也がからかうように声をかけてくる。

「お前ってさぁ、ソッチの気があるんじゃねぇの?」

 明は必死になって否定した。確かに出会いは少ないが、全くないわけではない。茜に助けを求めても、彼女は何も言ってはくれなかった。

 そこに、今時珍しいフリルがふんだんに使われた、いわゆるメイド服姿の女性と、まだ幼い少年が通りかかった。少年はまだ十歳にも満たないだろう。メイド服姿の女性は黒髪のショートヘア。ありがちな髪型だがどこか垢抜けた印象だ。

 その彼女は明たちに気づくと、深々と頭を下げた。

「もしかして、あのDVDの件で……?」

「そうです!」

 智也は即答した。彼は美人に滅法弱いのだ、昔から。その事を、明は嫌というほど知っている。

「……それだけ大変な事態になっているんですね……」

 彼女の傍の少年が興味深そうに一同を見る。

「そんなにじっと見つめたら、『失礼』ですよ、功様?」

 少年に言い聞かせるように、目の前の女性は言う。すかさず智也は彼女の名前を聞く。メイド服姿の女性――多分、本物のメイドなのだろう――は、全く嫌がるそぶりを見せずに答えた。

「私の名前ですか? ……和泉佳苗と申します」

 彼女は少々口ごもりながら答えた。

「和泉……、という事は、貴女も和泉家の方ですか?」

 智也が訊くとと言いづらそうに首を振る。

「いいえ、私は私生児なんです。……だからご主人様とは普通の親子らしい事をしたことはございません」

 それでも、彼は彼女の事を想ってはいるはずだ。でなければ、メイドとしてここに置かないで、捨て置くという選択も高次にとっては容易い事だ。そうしないのは、彼女を親として想っているからだ、きっと。あの世代の老人は不器用だから、と明は自身の、まだ少ない人生経験から思う。

「『未だにそんな事に拘るとは』、そう、ご主人様に言われた事はあります」

 佳苗は控えめながら、父である高次への好意的な感情を口にした。きっとなにか、深い事情でもあったのだろう、高次と彼女の母親の間には。

「だからって、額面通りに受け取らないでくれ! ……迷惑だ!」

 それまで穏やかにティータイムを愉しんでいた清十郎が、急にそう履き捨てるように言った。いきなりの豹変は父親譲りなのだろうか? 佳苗は気まずそうに顔を伏せる。功はといえば、なぜか満足げに佳苗を見つめている。

 気まずい空気が耐えられなくなって、明は屋敷の中を見渡した。

「……そっ、それにしても広いお屋敷ですよね? 広すぎて迷っちゃいそう……」

 最後の方は言葉にならない。なおも気まずい空気だけが、その場に残る。

「他の方はいないんですか?」

 フォローするように茜が言った。このままでは進展なしということを感じ取ったのだろう。彼女のフォロー役の神父は一緒に来ていない。彼ならきっと、自分よりはるかに上手くやってくれただろうに。明はただ、反省してそう思った。

「他には……私と同じメイドの三嶋さんがおります。彼女が皐月様のご遺体の第一発見者です」

「そうですか。どうも、ありがとうございました」

 茜は丁寧に礼を言って、話を聴きたいと言い出した。しかし、その三嶋さんは遠くの街に買い出しに出かけている、との事で、今日中に話を聴くのは無理だと言われてしまった。

 仕方がないので、今日は大人しく寝るという事で、全員の意見が一致した。

「……俺を出し抜こう、なんて余計な事を考えるんじゃねぇぞ、小娘」

「……僕はいつも通りの自分の仕事をするだけだけど?」

 智也と茜は、どうやらあまり仲が良いとはいえない関係、だったらしい。互いに火花を散らしながら、割り振られた部屋の前へ歩いていった。彼女はどうやら男と見られているらしく、明と同じ部屋割りだ。

 それでいいのかと問うてみても、警戒されていない。同年代の男との同室は、普通嫌がられるだろうと思ったがそうでもないらしい。彼女が特殊なだ明けなのか、単に明が女心に疎いだけなのか、は不明だ。

「じゃあ、おやすみ」

 茜はそれだけ言うと、すぐに眠りに落ちた。すぐ傍のベッドにいる明は、昔の妹と一緒に寝ていた事を思い出し、いつの間にかか茜に妹を重ねてみて、寝入っていた。



その翌朝、鳥の鳴き声で目を覚ますと、明の隣では茜が、安らかな寝息を立てて眠っていた。

「うわあ!」

 思わず飛び起きると、 彼女はうるさそうにモゾモゾと動いた。……やがて、目が覚めてきたらしい。明の顔をじっと見つめる。寝間着もTシャツにハーフパンツで、どう見ても少年にしか見えない。が、一応女子だ。明だって男だし、年頃でもある。しかし茜は、そんな事はお構いなしだった。

「……なに?」

「いや、だってあなたのベッドは隣のはずじゃ……?」

「僕ってさぁ、こう見えて結構な寂しがり屋なんだよね。いつもは神父がいるけど、今回は違うし」

 彼女はマイペースに大きな欠伸をして、伸びを始めた。その頼もしさに、明は少しだけ自分が情けなくなった。こんなだから、いつも智也に顎で使われるのだ、きっと。



 軽い朝食を済ませた四人は、やはり館の住人全員から話を訊く事にした。高次とは昨日の時点で話はついている。午前中には他の者の証言を聞いておきたい彼らは、春香の部屋に向かった。昨日はろくに彼女とは話も出来なかった。

 高次は、やけに彼女を一目に晒したくなさそうだった。……それが逆に、彼女から話を聴くべきだという結論へと向かったものだから、皮肉なものである。

「……誰?」

 まだ昼間だというのに、彼女部屋に明かりは少しもない。残暑が厳しい、とテレビで言っていたが、この部屋はやけにひんやりしている。寒気を抑えて彼女が勧める椅子に腰掛ける一同。それに向かい合う和泉春香は、昨日受けた印象通り、大人しく控えめに見える。

「……それで、何をお話すれば?」

 今度は明が口を開いた。一応妹持ちなので、一人っ子の智也に「『属性:妹』の彼女と話がしやすいだろう?」なんて言われていたから。

「何か、この家に恨みを持つ人物とかに心当たりはないかな? 君がそう思ってる、ってだけでいいんだよ?」

「……そうは言われても、急には……」

 春香は心底困った表情で、首を傾げた。それも、尤もな反応の気がする。そう明が考えていると他の三人が質問内容を相談し合っている。……一応『関係者』ではあるけれど、『探偵』ではない明の扱いなどこんなものだ。そこへ重厚な扉が開いて、男が入って来た。和泉清十郎、春香の実の兄だ。

「妹から何を訊き出そうというのですか、あなた方は!」

 昨日の穏やかな印象はどこかへ消えていた。今日の彼はやけに攻撃的に突っかかってくる。昨日は猫を被っていたとでもいうのか?

 清十郎はまるで何かから守るように、春香を抱きしめた。智也が慌ててフォローを入れる。

「いえ……ただ、みなさんからお話を伺わない事には、こちらとしても仕事にならないもので」

 『探偵』という職業は無駄な恨みを買いやすいのかもしれない。現に、清十郎の憤りは収まらない。

「我々一族の問題は、我々で何とかします。どうか、この館の事には構わないでください。行くぞ、春香!」

 彼女を軽々と抱き上げ、彼はどこかへ行ってしまった。



 次の人物――佳苗は簡単に見つかった。功と庭でボール遊びをしていたのだ。

「……ぼくはあんた達とは遊ばないよ!」

 功は子供らしい駄々をこねた。

「では功様の代わりに私が……」

 幼い彼の代理で、話してくれるらしい。まだ小学生くらいの幼い少年より、彼女からの方が断然話が訊き出しやすい。当然、智也も和也も、そして茜も飛びついた。

「この和泉家には、比較的多くの方々が暮らしておられます。主筋の和泉家の方、その分家の方、そして使用人が数名。……最後のは、私も正確な人数は把握できておりません。大変申し訳ございません!」

 佳苗が頭を下げる。その仕草は日頃メイドとして働かされている者のどこか『卑屈さ』と『日陰者』というイメージを明に与えた。茜が相槌を打つ。

「その軸になっているのが清十郎様、春香様、功様といった、旦那様の正式なご子息、ご息女です。……亡くなられた皐月様もその中に含まれます」

 当然私生児である自分は、その中には含まれない、と彼女は無理をして笑ってみせた。智也は何かを感じて訊き返した。

「皐月って人は『亡くなった』ではなく、『殺された』んじゃないのか?」

 智也のその言葉に、佳苗の顔色が青くなる。

「……はい、実はその通り『殺された』のだ、と私は考えております。……でも、なぜお解りになったんですか?」

「人間は話す時、無意識のうちに嘘をついた部分のアクセントが、『微妙』に変わる。……佳苗さん、アンタ嘘が苦手だな?」

 智也はウィンクをして見せた。こんな事だけでも、明から見れば格好良いと思えてしまう。……一々自分と比較するのはやめよう。

「皐月様は……死者に対してこんな事を言うのは気が引けますが、毒舌で守銭奴で独身で、意地悪な人でした」

 気が引けるとか言っておいて、言いたい放題だ。明はそう思ったし、他の三人もきっと同じ事を思っているのだろう。三人とも、多分自分と同じ顔をしているに違いない。が、口には出さず受け流す。

「……そろそろよろしいでしょうか? 功様はあのご様子ですし……」

 少年は、まだボール遊びに夢中だ。バスケットボールでもサッカーでもなく、ただのボール弄りに、よくそこまで熱中できるものだ。子供というのも、ある意味では羨ましい。

「あの子供には訊くべきことは何もありません。……昨日仰っていた、メイドの『三嶋さん』にお会いしたいのだが……?」

 智也がそう言った途端、和也がいつも食べているスナック菓子の袋を開けていた。……今朝は山ほどの量を食べたというのにまだ食べるのか。

「えぇ、三嶋さんならもう戻っております。ご案内致しましょう。……どうぞ、こちらへ」

 智也と茜はそんな事には気を配らず、佳苗に続いて歩いている。もう、慣れているのだろう。しかし、掃除係の明にとって彼のスナック菓子は、いつも掃除の障害になる、嫌なものでしかない。

「おい明! ボケっとすんな! 置いてくぞ!」

 智也に怒鳴られ、この世の不条理を何となく考えながら、明もその後に続いた。メイドの部屋は地下にあるらしく、暗くて細い階段を恐る恐る下っていく。

「三嶋さん!」

 佳苗が声をかけると、アフタヌーンティーを愉しんでいたらしい、中年の女性がこちらを向いた。……この館では紅茶がブームなのか? 昨日の清十郎も、クッキーをお茶請けにして愉しんでいたっけ。

「あら、佳苗ちゃん!」

 和也とどっこいどっこいの腹が揺れて、彼女の太めの腕が佳苗に絡みつく。

「旦那様から大体の話は聞いてるわ。で、このボウヤ達は何なの? 昨日、帰って来てからから館中が大忙しでしょ? 参っちゃう!」

 なんとなく、いけないない気持ちになって、明はすみませんと謝った。「まぁ別にいいけどね」と彼女は笑う。

「この方々が皐月様の死について、お知りになりたいと……」

「ああ、なるほどね。この人たちが噂の……探偵さん!」

 それから一時間ほど、彼女――三嶋さんは話し続けた。

 まず遺体の状態は、何らかの動物に噛まれて、傷だらけだった事。怪我の決着も早く、出血多量で死亡だった事。更に、服も破れていて、その凄惨なさまは一刻も早く忘れたいくらいだ、と彼女は言った。

 そしてDVDに写っていた『人形部屋』はこの地下にあったらしい。そこへ案内されると、並べられているアンティークでシリアルナンバー入りのレアものの日本人形が、こちらを見ている気がした。

 ――犯人は自分の犯行を見せつけよう、という魂胆でDVDを送り付けたのだろうか?



 今日の晩餐は静かだった。メイド達は後で食べるのだろう、今この場――ダイニングルームにはいない。和也はあれ程スナック菓子を食べたにも関わらず、出された料理をいつまでも名残惜しそうに食べている。茜も少女ながら、もりもり食べている。智也はどこで習ったのか、天性のものなのかは解らないが、出されたコース料理を全て綺麗に食べている。

 食事の様は、まさに『三者三様』だ。

 明は智也の真似さえしておけば大丈夫だ、と思い真似をして食べた。メインの鴨のコンフィが運ばれて来たところで、春香が水を零してしまった。功は我知らずと無視を決め込んでいるが、清十郎は彼女のイブニングドレスに付いたシミの処理をしている。

 ……明が、ふと功の方を見ると、あからさまに機嫌を悪くしていた。

「お兄ちゃん、ぼくも手伝うよ?」

 すると清十郎は憎しみのこもった目で弟を見た。一連の流れるような動作を見ていた明は、隣に座った茜に耳元で囁かれた。少々どきりとしたが、その内容に身を固くする。

「絶対何かあるよ、あの兄妹弟」



 『探偵』たちの仕事は、これからだ。一応関係者だが、『探偵』ではない明も含む四人は夕食後こそ仕事のベストタイミングだとばかりに行動を開始。

「解りやすいように、図にしよう!」

 明と茜の部屋で、四人は作戦会議を開いていた。智也と和也の部屋でも良かったのだが、潔癖症の茜が嫌がった。だから、当然、残ったこの部屋で会議をする事になったのだ。

 まず紙に、彼ら和泉家に関係する人物の名前を書いていく。

「和泉高次、和泉皐月、和泉佳苗、和泉清十郎、和泉春香、和泉功、三嶋栞、これで全員だね?」

 意外と可愛い、茜の書いた丸文字が、紙の上で踊る。和也がまた新しいスナック菓子を開けた。夕食後だというのに、彼の食欲は留まるところを知らない。

「まず死人が犯人のはずねぇよな」

 言いながら智也は、『和泉皐月』の文字の上に赤いマジックで線を引く。

「……それにしても、どうやって殺したんだろう? 獣かなにかに襲わせれば殺せるし、服もズタボロになるけど……。それじゃ三嶋さんの言ってた『人形部屋に入れられる生き物』の制限に引っかかるし……」

 茜が当然の疑問を口にする。問題は多分そこなのだ、と明も思っていた。ありえないと思いながらも、明は思いついたことを言ってみる。

「……例えば、他に広い部屋があって、そこに人形を移動させて殺した! ……なんて、可能性は?」

「……お前も案外探偵に向いてるのかもしれねぇな。面白い考えだ。ただ、残念な事に、それは俺も当然考えた後で『ない』と判断した。……理由は、あのDVDに写っていただけの量の人形を、どうやって『誰にも見つからずに移動させる』か、その方法がみつからないからだ」

 確かに、智也の言う事は尤もだ。名案を思いついたと思ったのに。明はがっくりと肩を落とす。

「でもまぁ、まだ調べてない部屋ってのは、まだ沢山あるしな。これから当たってみるか」

 そう言って智也が立ち上がる。茜は今まで使っていた紙を燃やす。推理の過程は見せないのが彼女のポリシーらしい。

 扉を開けると、そこには春香が立っていた。その手には、山のようにクッキーが積まれている。いきなりの事に興をそがれて、智也が春香に話しかける。不自然に思われないよう、愛想笑いを浮かべて。

「美味しそうなクッキーだな。俺に頂戴?」

 すると春香はゆっくりと首を振る。

「……これはあげちゃ駄目って言われてるの」

 なにかを悟った智也はしょうがないと目で合図をして部屋に戻った。これでは歩き回るわけにもいくまい。館の住人が邪魔をするかのように動き回っているのだし。その大多数である使用人たちは、ただでさえ皐月の死で動転しているのだし。

「……寝るか」

 智也はあっさり諦めた。「和也も夕食とスナック菓子を腹一杯食べてご機嫌のようだし」と彼は面倒くさそうに言った。茜もそれに賛同した。彼女は若いのに、もう眠いらしく、しきりに目元を擦っている。

「うん、僕ももう寝るよ。おやすみ」

 こうして二日目も過ぎた。……本当に何事もないのだろうか? それならいいのだが……。そして、明には夜が嬉しくない理由があった。『眠れない』、これに尽きる。原因は解っている、もちろん茜だ。彼女はすやすやと寝息を立てているが、明だって健全な男だ。まだ、しばらくこんな生活が続くとなると、耐えられそうもない。

 そっとベッドから下りて廊下に出ると清十郎と春香の声がした。悪いとは思いつつも、こっそり覗いていた。兄妹は二人仲良く小さな声でお喋りをして、抱き合って、キスをして……。

「……え?」

 キス? 兄妹で? それだけでも明には刺激が強すぎた。たかがキス、されどキス。更に清十郎が、智也が拒否されたクッキーを食べていた。春香の言葉を思い出す。――『これはあげちゃ駄目って言われてるの』。その一言が、素人の明にも引っかかる。

 キスとクッキーの衝撃で、声を隠すのを忘れてしまった。……後悔した時には、もう遅かった。

「誰だ?」

 清十郎の凛とした声が、廊下中に響く。使用人たちが数名、駆け寄ってくる。

「何事ですか!」

 使用人たちの中で、真っ先に駆けつけてきたのは佳苗だった。彼女なら話せば解ってくれるだろう。問題はその他大勢だ。探偵として正式な依頼を受けている他の三人ならばともかく、ただの付き添いでしかない明が勝手にうろつくのは問題がある。

 この場にいる清十郎が明を指差して言う。

「彼が勝手にうろついていた! お前たちは何をしていたんだ?」

 彼の文句に、使用人たちはそろって頭を下げる。春香はそんな彼らを特に庇いもせず、ただ兄である清十郎を見つめているだけだ。

「なに? なんのさわぎ?」

 続いて巧。智也たちも目を覚ましていると思われるが、彼らは部屋から出てこない。明の弁護は誰にも頼めない。ここで佳苗が思い出したかのように呟く。

「……あら、ご主人様がいらっしゃいませんね? こんな時は一番に起きていらっしゃるのに……」

 佳苗のその言葉に、嫌な予感がする。寝たフリを決め込んでいた智也たちも起こし、館にいる者ほぼ全員で、高次の部屋の前まで行く。ノックをしても返事がない。

「ご主人様? 開けますよ?」

 佳苗が言いながら、扉に手を伸ばす。

「……開けちゃ駄目だ!」

 智也の声は一瞬遅かった。扉の先に見えたものは高次……の遺体だった。それはあちこちを、明らかに『何か』によって食いちぎられている。その場には三嶋さんがいないため、確認出来ないが、多分死因は皐月と同じ出血多量だろう。

「いやあぁぁぁぁ……!」

 佳苗のか細い悲鳴が館中に響き渡った。認知されているとはいえ、一介の私生児である彼女の父親を喪った衝撃は大きかったらしく、彼女は悲鳴を上げながら意識を手放した。

 ……それから一時間が過ぎたが、館は街から離れているため、救急車もパトカーも、そう簡単には来る事が出来ない。高次の遺体は彼の部屋に安置されているままだ。しばらくの間、少なくとも二、三日はそのままにされる事になると、三嶋さんは言った。いくら使用人の数が多くとも、こんな時にはどうしようもない。

 亡くなった和泉高次以外の、他の和泉家の者たち――清十郎、春香、巧、そして佳苗。絶対に、この中に犯人がいる。それを逃してなるものか! 探偵たちはそれぞれの想いを抱き、夜を過ごした。誰も、一睡もできなかった。



 それでも朝は誰にでも、平等に訪れる。明は持参したインスタントコーヒーを飲みながら昨日の事を振り返る。

 まず、智也が他の部屋も回ろうと言い出して、扉を開けたら春香がいて、そこで調査は断念した。その後、彼女は兄――清十郎とキスをしていて……段々、頭がのぼせがっていく。あの二人はなぜあんな事を? 実の兄妹、のはずなのに。

 そして高次が死んでいた。獣に襲われた可能性が高いが、そもそもここは洋館だ。古いけれど十分に頑丈だし、使用人たちがきちんと施錠している、はずだ。……どこにも獣などいる、もしくは入り込む要素などない。

「……ねえ、僕の分のコーヒーはないの?」

 びくりとして茜の方を見ると、彼女は普段着に着替えていた。シャツと細身のパンツだ。明は黙ってインスタントコーヒーの粉に湯を注ぐ。ポットから出た湯から白い煙が出る。

「ありがと!」

 茜を見て思う。彼女は女である事を別に隠してもいないし、嫌がっているわけでもない。なのに男に見えるような格好をしているのが不思議でならない。

「……君さぁ」

「はい?」

「思ってる事が顔から筒抜け。僕の性別の事を考えてたでしょ? ……大概の男って、初対面だとそうなんだよねー。すぐに解っちゃってつまんない」

 そんなに自分は解りやすいのだろうか。明は自問するが、それを指摘した当の茜は、コーヒーにガムシロップを十個、次々に投入していく。……それだけ入れて、よく飲めるものだ。

 その後、例の『人形部屋』に入る許可をもらって合流した四人は、『人形部屋』の扉を開けて、室内へと足を踏み入れたところ。そこで智也は何かを発見したらしい。

「……やっぱりか」

 彼の言葉には、『確信していた』という響きがあった。多分ミステリの薀蓄を聞かされるだろう、と覚悟しながら明は訊いた。

「……アガサクリスティ、『そして誰もいなくなった』」

 茜が代わりにそう言って、説明する。ミステリマニアの本領発揮だ。

「孤島に、閉じ込められた人間の数と同じだけの人形が置いてあって、一人死ぬたびに一体づつ壊して、『減らして』くってストーリー。まぁ、ミステリファンには常識だよ」

 それは素直に読んでみたいと思った。ミステリ初心者の自分でも、十分に楽しめそうだし。

「今回は逆に『増えて』るけどな」

 見るも無残な姿になった、戦前のボタンイヤー――テディベアを見下ろして智也が言った。見事に調和が取れる形で、並べられた日本人形の中で、洋物のテディベアは明らかに浮いていた。

「……で、明が見たっていう出来事って、どんな事?」

 それまで黙って、スナック菓子を食べていた和也が矛先をこちらに向けた。

「それ僕も気になる!」

「俺もだ、もちろん」

 『探偵』の二人だし、自分の中に溜め込むのもよくないと思う。意を決して口を開く。

「……清十郎さんと春香さんが、キスしてたんだ。なんか本物の恋人みたいに」

 茜は「背徳的~!」とはしゃぎ、智也は「あいつもやるな」などと好き勝手に言っている。この事には何か重大な『意味』がある、と二人はそろって断言した。しかし明には、ただの兄と妹の『親愛』のキス以上の意味がある、とだけしか思えなかった。和也は今、また新しいスナック菓子の袋を開けた。



 その後、ダイニングルームで四人は昼食を摂っていた。栄養補給も探偵の仕事のうちだ、と智也は尤もらしく言うが、単に彼は腹が減っただけだ。明には解る。

「あれ、あの生意気な子供は?」

 智也の飽きっぽい面が出てきた。……昔から彼はほとんどの事を容易くこなせる能力を持っている代わりに、持久力というか、根気に欠ける面があった。それが性格の影響なのか、生まれ持っての性分なのかは解らない。彼は巧を『生意気』と評す。それに応えるような声が上がる。

「私達も探しているのですが、見つからなくて……どうしましょう?」

 佳苗は涙目になっている。自分は一応『客人』とはいえ、呑気に昼食などいただいていていいものかと明が密かに悩んでいると、男の声がした。

「放っておけ!」

 この声は振り向かなくても、誰だか解る。和泉家の長男である、和泉清十郎だ。……なぜか彼は、自分に懐いてくる弟を放っておけと言う。その半面で、妹とは……キスをしていた。どういう精神構造をしているのだろう?

「さぁ、春香。お前の分だ。たくさん食べるといい」

 清十郎が春香の髪に手をかけた時、それは聴こえてきた。まだ声変わりもしていない、幼い男の子の声。それは悲鳴であり、まだ幼い命が尽きる直前の、最後のあがき、のようなものだった。

「たすけてぇ~! お兄ちゃん!」

 だだっ広い庭の方から聞こえてきた悲鳴は、間違いなく功のものだった。反射的に明は、窓に駆け寄って外を見ると、小さな『群れ』に幼い少年が襲われていた。その『群れ』は人間が相手でも易々と食いちぎるだろう。誰もがその場を動けず、ただ見ていることしか出来なかった。……その『群れ』とは――ごく小さな、ネズミのモノだった。

 事件を目の前で目撃した『探偵』二人は、いつもより少しばかり弱っている……ように見えた。少なくとも実はメンタル面が折れやすい智也は、暗く呟いた。

「目の前で死なせちまうなんて、探偵の名折れだな……」

「けど、これで犯人が解ったね! 前進じゃん!?」

 茜は前向きだ。少女ながらも、成人済みの智也と張り合うだけの事はある。彼女が積極的に行動を起こすところを、男三人はただ見ているだけだった、結果として。



「犯人が解った? 本当ですか?」

 佳苗はリビングルームで、細身の如雨露を使って観葉植物に水をやっていた。最初に出会った時は『私生児』という、卑屈になる要素を元々持っていたが、辛そうだが笑っていた。その彼女の表情は、現在ではすっかり曇りきっている。

「……ええ。つきましては、今夜の食事の時に協力してもらいたいのですが」

 茜はそう言うと、ニッコリ笑った。実にイイ笑顔だと、隠れて様子を窺っている明は思う。

「私に出来る事でしたら何なりと」

 彼女も笑顔を返した。

「……多分、あるはずなんですよ――」

 茜の言葉に佳苗は驚いて見せた。それは明らかな『戸惑い」 であり『動揺』だった。彼女はそれを隠そうとしない。それがかえって茜にある『確信』を抱かせた。



 メイドである佳苗に頼み、ダイニングルームに主な事件の関係者を集めた。大多数の使用人たちは無関係なので、下がっていてもらう事にする。今この場にいるのは、一族の血を継ぐ者は清十郎、春香、そして私生児の佳苗。佳苗と同じメイドの三嶋さんにも来てもらっている。彼女は第一発見者だ。

 智也と茜のような穿った見方をすれば、『第一発見者』が『犯人』とイコールの関係であることも珍しくない、らしい。明は普段全くといっていいほど趣味の読書はしないし、している暇もないので、二人の言い分にはあまり納得していない。

「さて、今回の一連の騒動の犯人ですが……」

 智也がそう言い出すと、清十郎はイライラしたように遮った。その声音は初日とは完全に別人のもので、やはりあの時は猫を被っていたのだと確信する。

「どうせ、解らなかった、とかだろ? 馬鹿馬鹿しい!」

「春香さん、あなたのそのクッキーを、みなさんに配ってください。……それで犯人は解ります!」

 茜は意地の悪い笑みを浮かべている。……次々と、その場にいる者たちにクッキーが配られていく。見た目はどう見ても、どこにでもありそうな平凡なクッキーだ。配られた者たちはみんな、美味しそうに口に運んでいる。 しかし、清十郎ただ一人だけが、全く食べるようなそぶりを見せない。それも頑ななまでに。

「……食べないんですか? 可愛い妹が配ったくれたのに?」

 茜は二枚三枚と食べている。彼女の様子には、一切の変化はない。清十郎はそれを黙って見つめている。頃合とばかりに、智也が口を開いた。

「食べないんじゃなく、食べられない、なんだよな?」

「っつ!?」

 痛いところを突かれた清十郎の表情は、いつもの彼のものとは、明らかに違っていた。そこにあったのは、本能的な『恐怖』そのもののみ。

「お兄様?」

 春香は心配そうな顔をしている。いつもと様子が違う兄に、戸惑いを覚えているように見えるし、実際にそうなのだろう。

「ここで一連の事件のおさらいをしましょう」

 智也が言った。

「まず第一の被害者は和泉皐月さん。彼女は数箇所を噛み付かれて、出血多量の失血死」

  茜が例のDVDを取り出す。彼女が智也の言った事に続ける。

「このDVDの内容は人を一人殺すごとに、『人形部屋』のものの数を増やしていく事を暗示していました。……それも貴重な『戦前のボタンイヤー』を」

 無残な姿になってしまった、二体のボタンイヤーをテーブルに載せる。可愛らしいテディベアは、中から綿が大量にはみ出し、原形の可愛らしさは微塵もない。痛ましげに、佳苗がそれを見つめる。

「実際、高次さんが亡くなった後、この場所に行ってみましたが、この通りです。数は増えていました」

 そう茜が言った後を、再び智也が引き継ぐ。推理もいよいよ、真骨頂へと達しようとしている。明は興奮気味で、初めて同行した幼馴染の仕事ぶりを見せてもらう。

「最後に功君。彼は外に出ていて、人形部屋になど入ってはいない。それなのに身体中、噛み傷だらけだ。これにはどんな手が使われたのか?」

 みんな黙りこくったままで、二人の探偵の話を聞いている。

「……春香さんの手作りのクッキーを食べなかった清十郎さん、あんたが犯人だ!」

 「ちょっと」と、異議を唱えるように、手を上げる者がいる。佳苗だ。彼女は一般論を言う。

「清十郎様はクッキーがお嫌いなだけ、なのでは? アレルギーとか、色々とあるでしょう?」

「いいえ、初めて出会った時はお茶請けにして食べてましたよ。それに春香さんと二人きりの時も。この明が証人です。それに、彼――智也が『頂戴』と図々しく要求、というか頼んだ時は、春香さんが頑なに拒否しました。それはなぜか?」

 茜がそう反論すると、彼女は今度は首を傾げる。色々と反応に忙しい。

「もしかして、清十郎さんが食べられないクッキーというのはこれですか?」

 智也は、わざとらしく色とりどりの、見た目は普通のものと何ら変わらない、例の『あげちゃ駄目』なクッキーの袋を清十郎に見せた。

「……あっ?」

 なにかに気づいたらしい春香が反応した。彼女は驚いたように、智也の手の中を凝視する。……「なぜそれを持っているの?」とでも言いたいかのように。

「それ、あげちゃ駄目なクッキー……」

 春香が袋のパッケージに目を取られている間に、『あげちゃ駄目なクッキー』について明が考えを巡らせていると、横から茜がその疑問の答えを言った。

「……これは市販の『ネズミの餌』だよ。見た目はとてもクッキーと似ているよね? トリックとしては、清十郎さんはこのクッキーそのものの見た目の『ネズミの餌』と『春香さん自身』を使ったんだ。愛する妹を殺しの道具にする……なんて大した兄妹愛だねぇ?」

 茜が皮肉気に言う。その表情は真剣そのもの。朝の目覚めの時とは雲泥の差だ。反応した春香は、ただ驚く。……まさか、自分に対し優しい兄が、『自分を利用する』なんて。そう言いたい顔だ。

「『絶対に○○するな』、ってよく使うよな? でも、逆に人間の心理というモノは、その逆の事をしたがるもんなんだ!」

 智也の言葉を、スナック菓子に手を出しながら、和也が補足する。

「『カリギュラ効果』って、言うんだけどね」

「清十郎さん……あんたは、愛しい妹にこの見た目はどこもただのクッキーと変わらない『ネズミの餌』を渡して、「『絶対』に誰にも与えるな」と言い聞かせ続けたんだ。……そうすればほぼ自動的に、和也の言ったカリギュラ効果通り、連中はネズミの標的になる。なんといっても、『奴ら』の好きな特殊な『香り』が被害者の身体中からプンプン匂うんだしな。……言い訳はあるか?」

 智也が追いつめた。が、清十郎は「確かに」とは頷いた。犯行自体は認めない。

「なぜ僕が、そんな面倒くさい事をしなければいけないんだ?」

 事件のもう一つのポイント『動機は何か?』を彼は智也に問う。……どこか『諦め』のようなモノが見え隠れするような気がするのは、明の気のせいではないだろう。茜も和也も、ただ黙って智也のやり方を見ている。明は今回が初めての『仕事』の見学の機会だ。ごくりと唾を飲み込んだ。

「妹――和泉春香という、『一人の女』を独占したいからだろ?」

 もはや彼の思考は、智也には完全に読めている。清十郎は狂ったように大笑いをした。

「……あぁそうだ、それのなにが悪い? 意地汚い叔母、老害の父親、頭の悪い弟、そして……私生児でも一応は一族である佳苗。春香以外の全てがいらなかったんだよ! 可愛い、妹として完璧な『一人の女』――春香以外はなぁ!」

 その『妹として完璧な『一人の女』』である春香本人には、当然『殺意』などないし、責任もない。清十郎は完全に自分の犯行だと、認めざるを得なかった。

「……そんな、どうして、貴方というお方にはそんな残酷な事が出来るのです!」

 佳苗が大粒の涙を流しながら、清十郎を睨みつける。彼は彼女のそんな視線を『軽蔑』のこもったそれで返してよこした。

「お前も、お前を認知するあの男――親父なんか早く死んでしまえばいい。……僕と春香の仲を切り裂こうとしたんだよ、あの男は。国際化社会に溶け込めるようになんていう、くだらない理由をつけて、春香を海外へ留学させようとした! ……あれは間違いなく『男』としての目で、『女』として春香――僕の大切な妹を見ていたんだ! 僕には解る!」

 彼女は思い切り清十郎の頬を平手打ちにした。……その後も彼女の目からは涙がとめどなく溢れる。どれだけ佳苗が『主人』としてだけではなく、『父親』として慕っていたかが窺えた。

「貴方というお方は、どこまでご主人様の事を嫌らしい目で見ているのですか! 心からの春香様のためを想っての事をよくも、そこまで曲解できるものですね! 私も! 私だって! ……『母親』さえあんなでなかったら、貴方と春香様のように日なたにいられたのに……!」

 あまりの佳苗の剣幕に明が驚いていると、智也と茜は彼女を宥めるような、優しい声で言いだした。

「佳苗さん……貴女の母親というのは、施設――病院にいるんだってな?」

 智也の言葉に明は引っ掛かりを覚える。……『それ』確かに智也の散らかり放題の部屋の中にあった。ゴミ袋に入れたのは自分だ。忘れるはずもない。智也は明の考えた、突拍子もない『事実』をそのまま口にした。

「……芸名『美南英奈佳』、本名は『美南花江』。薬物依存で芸能界を追放された、かつての人気女優。彼女があなたの母親……違いますか?」

 彼女は首を縦に振り、肯定した。

「……私の母、美南花江は、私を堕ろそうとして大量の違法薬物に手を出しました……。私は実の母親から『存在そのもの』を否定された、生まれてくる前からの、正真正銘の『日陰者』です。どれだけ母を憎んだ事か。……旦那様、『お父様』は私を庇ってくれました……助けようと必死になって、母を無理やり芸能界から追放したのです。そうやって、『私』という一人の『娘』を守ってくれた。……私が『私生児』なのは決して、旦那様だけのせいじゃない!」

 果して、智也はいつから解っていたのだろうか。明には考えが及ばない。清十郎は呆然と佳苗を見つめている。……そこにあったのは『使用人』としての彼女ではなく、『有名人の娘』という華々しくも悲しい、哀れな腹違いの妹の存在だった。

 明はそこまでの智也の手腕を見て、彼の評価を覆した。なんという普段のダメンズとのギャップ。清十郎は素直に自身が犯した罪の重さを悟ったのだろう。一切の抵抗も弁解もなかった。これで狂気の連続殺人は終わった。……かのように思えた。



「なんで僕の報酬これだけなの?」

「なんで俺の報酬これだけなんだ?」

 洋館の事件から、一ヶ月後。暑くてたまらなかった夏は終わりを迎え、秋への移行が進んでいる。その一幕。銀行に入った“K”の二人と茜は、同じ事を口にしていた。――『報酬が少なすぎる』と。

「なんで? 僕ちゃんと調査したよ?」

「俺は専門のダチに確認取ったり、なんなりで大変だったんだぞ?」

 智也と茜は同時に思った――やってらんない。



 朽ちた教会は、暖を取るのも一苦労だ。今回の報酬で、新しい石油ストーブくらい買おうと思っていたのに。本格的な冬が来る前に、大きな報酬のある依頼でも舞い込んでこないだろうか。しかし、今は神父の作る美味しいご飯が楽しみだ。

「し~んぷぅ! ご飯、まだぁ~?」

 教会に戻ってきた茜は、老体の神父を気遣うでもなく、そう急かすのだった。

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