宮廷女中コレット=マリーの日記

秋春

4月29日 不吉な予言

 そうね。たぶん、世間一般の目からみれば、わたしはだまされて5万リギーもする日記帳を買わされた不注意で哀れな田舎者かもしれない。でも、こう考えてみてはどう?あえてあのおばあさんの要求をのんであげたってことにするの。あの黒フードのとびきり不気味なおばあさん――湿気った路地裏にこもって、着るものにも食べるものにも困ってたかもしれないじゃないの。


 それでわたしは明らかにだまされていることが分かっていながらも、わざと無知で愚か者の娘のふりをして、5万リギーを奮発してあげたっていったら?なんだかとても寛容で心の広い人間になったような気がする。そう。つまり、考え方によっては善行を行ったということになる。わたしの5万リギーが、おばあさんの生活の足しになったのよ。


それで?


わたし代わりに得たものは、へんてこな日記帳と不吉な予言?

ちょっと待って。まったく不公平じゃないの!


 不吉な予言なんかわざわざしてもらう必要ない。わたし自身が不運な存在っていうことは、よおく分かってますから。


 だって、そうでしょ?口外したら口封じされそうな悪いうわさをよく耳にする。誰かの浮気現場に遭遇する。通り魔に襲われそうになる。田舎に住んでいながら、めったに通らないはずの馬車にひかれそうになる。父親が悪徳商法にだまされて、資産をまるごと失って、さらには屋敷まで追い出され、いとこの屋敷に居候するも、そのいとこの家に借金があることが分かって、マリー家総出で出稼ぎに出るも、わたしはしょっぱなからお金をだまし取られたあげく、余命宣告って。


 あんまりです。


 だから、そうね。愚かだった。ありえない。あのとき、黒フードのおばあさんの話なんか聞かずに、走って逃げれば良かったのよ。どうしてそんな簡単なことができなかったの?


 そうね。臆病者だものね。そんな臆病者からお金をとろうとするなんて、世も末よ。


 あのおばあさん、今度会ったら生かしちゃおかない。


 ただ、正直言うと……もう二度と会いたくない。わたしがいままであったおばあさんの中でも、群を抜いてとんでもなく不気味で恐ろしいおばあさんだった。かつて我がマリー家で働いていた家政婦のミリサよりずっと怖い。寝坊した朝、ミリサはわたしから毛布を引き剥がして無理やりベッドから引きずりおろすタイプで、あの黒フードのおばあさんは、わたしが自分で起きるまでベッド脇にずっとたたずんでいるようなタイプだと思われる。どうしてわたしの周りにはろくでもないおばあさんが集まってくるんだろう。


 件の黒フードのおばあさんは、人気のない湿った路地裏に一人、安っぽい敷物の上に座りこんで大きな水晶玉をしわしあの枯れ木みたいな手でなでていた。わたしはユービリア城に向かう途中で道に迷って、度胸のないネズミみたいにこそこそ歩き回っていた。で、運悪くそのおばあさんに遭遇してしまって……そもそも、運が良かった試しなんてこの十六年間一度もないけど。


 とにかく、そのおばあさんは壁に張りついたトカゲのようにじっと路地裏に潜んでいて、被った黒フードからは折れ曲がった鼻がのぞいてて……。

「おや、おや、可哀相に。お前さん“センス・フーラー”だね」

 とかいってくるんだもの。その状況で素通りできるっていったいどんな勇敢な人物なの?

 

 わたしは当然のごとく黒フードのおばあさんの前で足を止めた。というより、動けなくなったといったほうが正しいかも。だってもう怖くて怖くて……。

「“センス・フーラー”ってのはね、魔女の間で注目されている特殊体質さ」

 うう。夢に出てきそう。ニヤリと笑うおばあさんの歯の、なんて黒かったこと……。

「死神を引きつける体質、って言ってもいいね。特徴としては、その人間はひどく臆病なのさ。勇気がまるでない。予想外のことに直面すると、体温が下がるだろう?それから、何かと動揺しがちで、普段から凡ミスが多くて、発言権がとれなくて、資産がないのに浪費家で、何といっても間が悪い。通り魔に遭遇したことはないかい?誰かの陰謀を耳にしたことは?父親が悪徳商法にだまされたせいで苦労しがちだろう?」

 

 こんなことってある?


 黒フードのおばあさんが指摘したことはすべて事実だった。わたしは昔から臆病で勇気のないことを悩んでたし、恐怖を感じると体温が下がる。10歳のとき、よく分からない理由で暴れてた男に短剣で殺されそうになったこともあった。もう失脚したからあえて名前は伏せるけど、人柄が良いことで有名で民から人気のあった領主が参加していた社交界で、わたしがとある個室の前を通ってトイレに向かおうとしてたら、「民などただの愚鈍な働きアリよ。ちょっとずつ税を引き上げていることにまだ気がつかぬ。ハハハ!」とその部屋で高笑いしていたのを偶然耳にしてしまったこともあった(ちなみに彼の悪行を告発したのはわたしじゃない。もっと勇敢な、別の誰か)。そしてお父さまが悪徳商法にだまされたせいで、我が家の資産がなくなって――わたしは出稼ぎにでることを余儀なくされたのだ。


 当たってた。全部当たってたのよ。


 黒フードのおばあさんが“オカルト主義”であることは間違いない。

 オカルト主義というのは、ユービリア国でずいぶん昔から信仰されてきた“異世界崇拝”のことだ。例えば、魔術書って呼ばれるわけ分かんない文字で書かれた書物を解読したり、悪魔の研究をしたり、集団でミサをおこなったりするのがオカルト主義者たちのおもな活動内容といわれている。その中には“魔女崇拝”という分野もあって、真の魔術を扱えるのは汚れなき乙女のみと信じる女性たちで構成されている。

わたしから言わせてもらえば、オカルト主義の人たちは不思議ちゃん集団だ。だって、魔女とか、魔法とか、悪魔とか、予言とか……そんな根拠もなければ目にも見えないものを、いったいどうして信じることができるの?


 たとえば、箱の中に金貨が入っているよっていわれて箱を開けてみたけど、中になにも入ってなかったら?仮に本当に金貨が入っていたとしても、開けた本人の目に見えなかったら、まるで役に立たないじゃないの。(いや、もちろん、他の人に見える金貨だったら、他の人に頼んでそれを見えるお金に換金してもらうんだけど……)

 

 やれやれ。いとこのポーラを思い出す。十歳の可愛げのないわたしのいとこどのは、なんちゃって魔女崇拝者を気取りやれ占いだ、予言だといっては、わたしの未来にどれほど暗雲がたれこめているかを嬉々として告げてきた。ったく。大都市で流行ってるってだけで“オカルト主義”をものすごくお洒落なアクセサリーみたいに考えてる子って手に負えない。自分が相手から同じことをいわれたとき、どれほどいやあな気分になるか分かっちゃいないんだから。

 だけど、かわいそうに……そんなポーラも、いまはどこかのお屋敷に奉公に出ているんだろうな。


 とにかく、わたしは“オカルト主義”に関してはものすごく懐疑的だ。でも、黒フードのおばあさんに対しては……そんなのデタラメでしょって言い返せなかった。だって初めての遭遇にも関わらず、わたしのことをすべて見抜いていたんだもの。

ユービリア国では人々をだますニセ魔女が話題になっていたこともあったけど、この人は別格……いやむしろ、本物の魔女かもしれないって思わされる雰囲気だった。


「お前さん、このままその悪質な不運を背負ってたら、あと半年の命だよ」

 

 そんな魔女めいたおばあさんから、とびきり不吉な予言もいただきました。

 

 信じない。そんなの信じないわよ。そんな根拠のないこと……。

 

 だけど、わたしの臆病心はとても正直で、恐怖に震え上がっていた。その場から逃げることも、相手に反論することもできずにいると、「そんなお前さんに、ぴったりのものがあるんだ」と黒フードのおばあさんが懐から何かを取り出してきた。


 それがこの、日記帳。革張りの表紙に金色の文字で人間には読めない文字が刻まれ、背表紙に黒い六芒星が描かれている、まるで魔術書を思わせるような日記帳。


「これはね、世界にたった一冊しかない貴重なものなんだ。異世界から抽出した魔魂が宿っている日記帳でね」

 おばあさんはゆっくりと説明した。

「お前さんの“真実の言葉”をこれにつづっていきな。そうすれば、身についた不運もまあ多少は……気休め程度にはやわらぐかもしれない。お前さんの身の回りで起こったことを書いていくんだ。呪い、欲望、恨み、願い、思い、すべて嘘偽りなく吐き出しな。じゃないと、書く意味がないからね。魔魂は嘘を嫌うんだ。お前さんはとびきり哀れだから……5万リギーにまけておいてやろう」

 

 いやいやいや。とびきり哀れでその金額?って思ったけど、気づけばわたしはブーツの中に隠していた5万リギーを差し出して日記帳を受け取っていた。

嘘偽りなく書いておこう。お金を渡さなかったら呪われてたと思う。わたしの中じゃ、あのおばあさんこそ“死神”だったに違いない。わたしは五万リギーを献上することで、危機を一つ回避したってこと。その点では、どれほど愚かでも、英断といえるはず。


 それに……もしかしたらあの黒フードのおばあさんは本物の魔女で、善意がひじょーに分かりづらいけど、不運なわたしを救ってくれようとしていたかもしれない。そう思うと、なんだか、ありがたいじゃないの。そうよ。人を恨んではダメ。清らかな心でいきましょう。だって運が悪いのは事実なんだもの。わたしの身にふりかかる不運を蹴散らしてくれるというのなら、人外の力、大歓迎。


 いまだって心の底からこの日記帳に願ってる。どうか、明日やってくる同室の子が、わたしの唯一無二の親友になってくれますようにって。

勇気も度胸もないビビリのわたしには、恐れ知らずな強靭な精神を持つ友人がぜったい必要だもの……そう、フィエン=ジーゼみたいな女の子が。



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