5月30日 誰のせい…!?

 真剣な話。


 過去に戻ることができるなら、どんなことでもするつもり。なんだったら、魂だって渡してやる。わたしに不気味な予言を授けて、この日記帳を法外な金額で購入させたあの黒フードのおばあさんに。


 だからお願い。


 だれかわたしを、5月25日の夜に戻してぇぇぇぇ!


 マシュー=ガレスと城を抜け出す前に!なんでもするから――――!!


 うう、せめて、せめて城を抜け出す前に、マシューにひとこと忠告しておくことができたなら……。

お願いだから、誰かの誤解を招くようなウソだけはつかないようにって。

 

 分かってる。マシューが悪いんじゃないってことは。もちろんわたしが悪いのよ。ええ、わたし、この愚かな悪の化身コレット=マリーが、ユービリア国で引き起こされる大半の惨事の諸悪の根源ですとも。


 でも――――!!だとしても――――!!かんべんしてよ――――!!


 しかもしかも、女の友情のなんてもろいことよ……。


 まず、ベルシー=アリストン。わたしの同室の子。で、わたしがユービリア城で得た国宝なみに貴重で素敵な親友だと思ってた子。


 今朝同じ早番だったのにも関わらず、わたしが寝坊するって分かってて起こしてくれなかった。出勤したの昼過ぎ。当然ながら、わたしの背後に冷たい石像のように立っていた女中頭補佐に手招きされて、


「次の非番の日、中庭の草むしりなさい」

 

 ですよね!ハンパない。


 次に、レジーナ・グランダ。リリアナ・フロール。シモーヌ・コートバン。バラ石鹸を貸してくれたり、食堂とか掃除のときとか、わたしが一人にならないようにいつもつるんでいてくれた優しい子たち。

 

 夕食の時間に、その三人に厨房から歩いて十分ほどかかる裏井戸にとつぜん呼び出されて、こう切り出された。


「マシューと城抜け出して花館に行ったの、マジ?」

 

 なんで、と言わなかったレジーナ。マジ。


「あんたの態度って、どーしてそぉ、あいまいなわけぇ?別れたんじゃなかったのぉ?」


 首を斜めに傾けて、舌うちしたリリアナ。マジ。


「開き直った感じ?抜け駆け上等、みたいな」


 鼻をふんっと鳴らしたシモーヌ。マジ。

 

 全部、マジ。体温下がりすぎて、死ぬかと思った。

 

 前には三人。後ろには井戸。深い井戸。真っ暗な井戸。

 

 脳裏によみがえる、あの言葉。

「何人もの宮廷女中が、事故に見せかけて井戸に放りこまれたり……」


 いないんだもの。誰も。周りに。だからこそ、その時間に呼び出したに決まってる。


 殺られる、って思った。事故と見せかけて井戸に突き落とされるんだって。辺りも薄暗くなってたし、藍色の宮廷女中服着た役立たずが井戸に落とされたところで、発見される可能性は限りなくゼロに近かったから。


 それに緊急時のわたしの悲鳴って、ほぼしゃっくりだし。


「ウゼェから、これ以上調子づくなよ」


 レジーナはそれだけいって、二人を連れてその場を去った。わたしは――生かされたのだ。


 でも、心臓にナイフを突きつけられたのも同じこと。


 わたしはしばらくその場を動けなかった。足がもう、自分の足じゃないみたいで、ガクガクしてたから。けっきょく、女中棟に戻れたのがついさっき、八時だから……わたしは二時間もあの裏井戸でしゃがみこんでたの?


 やばい。思い出しただけで胸がざわざわしてきた。発狂しそう。落ち着いて。何事も冷静になることが大事なの。


 心の中を整理してみよう。


・まず、わたしはそもそも“マシューとは付き合っていない”

・だからリリアナの「別れたんじゃなかったの」という言葉はおかしい

・そもそも、開き直って抜け駆けの意味が分からない

・そもそも、あの三人はおかしい。怖い。マジ。

 

 ダメだ。吐きそう!頭の中はレジーナたちのこととマシューのことでだいぶもみくちゃになってる。レジーナは脅してくるし、マシューは門番たちにとんでもないウソを吐いてくれたみたいだし。


 そうね。嘘偽りなく本音を言えというのなら、いまから部屋を飛び出してマシューの首を絞めに行ってやりたい。けど、どうしてわたしにそんな資格がある?日記を読み返してみなさいよ、コレット!


 でも、マシューだって、もうちょっと、当たり障りのない、一晩で消化可能なウソを吐くとか。他にも方法はあったんじゃないの?


 いいわ。書きましょう。目を背けていてもしかたないもの。


 というのも、あの晩、わたしとマシューがひそかに城を抜け出したって事実が、なぜだかユービリア城中の使用人や兵士の間で空気感染の伝染病なみに広がってたの。


 その口実がまた、ハンパなくて。

 口から心臓が飛び出すかと思った。


 屈辱とまでは言わないけど、煙のように消えてしまいたい衝動に駆られたのは事実。


 おっと。煙のように消える(消される)前に、これだけはたしかめておかなきゃならない。


 わたしたちが城を抜けだしたこと、城中で言いふらしたの、誰。


 門番?マシュー?おやっさん?


「遅かったわね」

 と先ほど部屋に戻ってきた見るも哀れなわたしに珍しく声かけてくれた、ベルシー?


 とにかく、世間体に伏せておくべき事柄を城中に暴露してくれたやつ。生かしちゃおかない。


 激しい動悸と嫌な汗がようやくおさまってきた。ベルシーは隣の書き物机の上で、かなり真剣な表情で怪しげな薬草を調合している。いつも思うんだけど、“オカルト主義”で“魔女崇拝者”の方々最終的な望みはなんなの?国家転覆?世界平和?

ったく、なんだってかまうものか。そんなことより、いまは真実を突き止めなきゃならない。


「ベルシー、ちょっと聞きたいことがあるの」


「なにかしら」


 今朝わたしを見放したように無視されるかと思ったけど、彼女はちゃんと“現実主義”のわたしと意思疎通してくれた。わたしは意を決して訊ねた。


「しゃべった?この前の晩、わたしとマシューが城を抜け出したこと」

 

 ベルシーは相変わらず薬草を調合しながら、「ううん」と否定した。


「そう。疑って、ごめん」

 

 報復が怖かったから、すぐに謝った。英断だと思う。


「でも、何か、とんでもない話を聞いちゃって」


「昨晩マシューがあなたを城から連れ出して宿で男女の営みを交わしたって話?」

 

 やっぱりベルシーがしゃべったんじゃないかなって思った。一息で答えたし。わたしの罪悪感が生んだとんでもない幻想の中で自暴自棄にさせて乙女を消失させたってことに対する、彼女なりの復讐と思えば、それなりにしっくりくるし。


「あなたはひどく哀れで無知な田舎者なのね、コレット=マリー」

 

 赤と紫と黒のまだら色の(いかにも自然界に存在する色とは思えない)枯れた草を束ねながら、彼女はいった。そこはかとなく田舎者をけなしたような発言にも聞こえたけど――ううん、彼女はちょっと言い方がよどみないだけ。本当はとても優しい女の子なのよ。そう願いたい。


「一つ教えておいてあげる。危険な任務を負っている、または危険な地に身を置いている男は、ふつうに安穏と暮らしている男に比べて性の欲求が高まるらしいの。いつ死ぬか分からない状況に身を置くっていう環境が、彼らの精神を追いつめるから。最後になるかもしれない、こうしておきたい、っていう気持ちが高ぶると、どうなると思う?」

 

 わたしはあ然としながら答えた。


「暴走する?」


「……まあ、そういうこと。気になる女性を呼び出して、こっそり城を出る兵士は多いわ。もちろんお互い同意の上でだけど。そして、城の制度はそれを容認してる。あなたの天敵たる女補もね。だから、あなたたちの密事が城中に広まったところで、お咎めはないと思う」


 ね?彼女って優しいの。故郷に帰るための足がなくて、宮廷女中の仕事をクビになることをなによりも恐れている同室仲間のことをちゃんと把握してくれている(どうも寝言で「クビしないで!なんでもするから!」と発言したことがあるらしい)。


 同時に、些細な疑問も浮かんできた。


「なんで女補がわたしの天敵だって分かるの?」


「魔女修行してるから」

 

 魔女修行ってハンパない。


「じゃあベルシーは、あの晩のこと、誰がしゃべったのかも知ってるの?」

 

 ベルシーはメンドくさそうにわたしに目を向けた。


「調合で忙しいの。今夜はもう大人しく寝てくれるって約束してくれるなら、あなたの質問に、あと三つだけ答えてあげる」


 彼女、まるくなったでしょ。とるにたらない同室の子に、三つも質問を許してくれたのよ!

 本当はいつも山ほど聞きたいことがある。だから、必死に三つに絞った。


「マシューと城を抜け出したこと、しゃべったの誰」


「トマス・レオルト。彼、マシュー=ガレスの相棒で、マシューとよく組んで行動するから、マシューがいなくなるとどこで何をしてるのかだいたい分かるんだと思う。情報通だしね。ついでに、おせっかいで、おしゃべりだから。あと二つ」


「その、けっこう多くの兵士と女中が城をこっそり抜け出すっていうのなら、なんでわたしとマシューのことだけこう、話題になるの?」


「あなたはともかく、マシュー=ガレスって労働階級出身にしては優秀で周りから期待されてる兵士だから。もともと、修行熱心で、理性的で、仲間からの信頼が厚くて、危険な任務を負ってる身だからって心を乱して宮廷女中を無理やり花館に連れ込もうとするような少年じゃないから。あなたはともかく、彼が話題になるのは無理ないと思う。あと一つ」


「……今朝、早番で一緒だったのに、起こしてくれなかったのはなんで?」


「わたしは自立心と独立心を養うために宮廷女中になったの。だから、あなたの失敗をフォローする義理はないし、私の失敗をあなたにフォローしてもらおうとは思わない。同室だからというだけの理由で馴れ合いになるつもりはないし、お互いの距離を保ちながら、あくまで仕事仲間として良い関係を築けたらと思っているの。終わり」


 わたし、思うの。ベルシー=アリストンって、もう十二分に自立できてるし、独立してる。新米宮廷女中の中で一番優秀だし、仕事早いし、もう初日から孤高の宮廷女中だったし。未来の女中頭候補で、ユービリア城が高額な賃金を払ってでも手放したくない人材だと思う。いっとくけど、彼女、十六歳だからね。わたしと同い歳。

 

 それから、マシュー=ガレス。どう考えてもわたしみたいなへっぽことつるむべきじゃない少年。誠実でまっすぐなところは尊敬しているし、翡翠色の瞳はキレイだし、顔だってそう悪くなくて……。


 でも彼、鼻血で、木箱に入ってて、寝言で「おやっさん」よ!?わたしが一緒にいて、他愛ない話をしたって良い類の友人だって、思っちゃうじゃないの!気楽なんだもの!


 でも、それってかなり失礼だったみたい。

 

 そうね。そうよ。分かりそうなものなのに。とびきり優秀でカッコいい兵隊長のロランさんから、親善試合出場の剣士候補として抜擢されるような有能な少年。体温がひゅんって下がるような乱闘が目の前で発生しても、勇敢に飛び込んで、的確で冷静な判断を下して、その場に応じた対処ができるような柔軟性の高い兵士。

 

 待って。いま、ちょっと思い出したんだけど。マシュー、あの晩、「教えない」って、門番に言ってなかったっけ?


 言ってた!わたしの真実の日記にそう書いてある!

 

 どうして「あれは嘘だったんだ」って言わなかったの?もう戻ってきたんだから、否定すれば良かったのに。事後だったんだも(違う!そういう意味じゃなくて!)「教えない」だなんて意味深な言い方をしたら、そ、想像力が、野暮な使用人たちの想像力が刺激されちゃうじゃないの!

 

 それって……わたしのとのひどくばつの悪いデタラメなうわさが、広がってもいいって思ってたってこと?


 そんな……そんなわけないでしょーが!愚かな想像力を働かせるんじゃない!


 よく考えて。本当に悪いのは誰か。


諸悪の根源候補1 コレット=マリー

諸悪の根源候補2 門番(絶対いいふらしてるはず)

諸悪の根源候補3 ベルシー=アリストン(※同室人を哀れに思うなら、援護してくれていいと思う。「コレット=マリーとマシュー=ガレスが寝た?まさか。ありえないわ」とかって……)

諸悪の根源候補4 マシュー=ガレス(※もっとべつの……べつの口実があったはず!)


 でも、本当は分かってる。

 

トマス=レオルトは呪われて魂を抜かれてしまえぇぇぇ!!

 

 あいつだけは生かしちゃおかない。臆病者を甘くみすぎ。人の顔も名前もすぐ忘れるけど、恨みはそうそう忘れないんだから。


 生かしちゃおかない。


〈明日の標的〉

トマス=レオルト

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