16 魔に属する者達


 しんひらじんぐうさいじょう、その観客席には隙間を詰めるように大勢の人妖が集い、厳粛な面持ちで舞台を見つめていた。

 野外に開かれた縦横百メートルほどある真四角の舞台。舞台は全てはっこうせきでできていて、舞台とその周囲を眩い純白の輝きで照らしている。

 光り輝く舞台の上には四十二人の巫女達が並んで荘厳な楽の中、淡く幻想的な舞を踊っている。

 彼女達の踊りに合わせて無数の淡い燐光が揺れ動き、時に激しく燃えあがり、時には穏やかに明滅する。

 やがて巫女達は静まり舞を止める。

 楽の音が変わり、南側の観客席からざわめきが起きた。

 社殿の奥から仮面をつけた装束姿の行列が舞台に向かってくる。

 その行列の中に、取り分けて目立つ純白の巫女装束に身を包んだ細身の少女がいた。

 少女は顔に青い龍を模した仮面をつけ、流麗な長い青髪をなびかせながら悠然と歩いている。

 少女の名前はあおぎみみず。彼女はしんひらじんぐうの巫女であり、この春の大祭の儀式を執り行うかげの役を担っている。


 御影が舞台に立ち、これから春の大祭を締めくくる最後の儀式が行われようとした――――その時、突如黒い靄がさいじょう全体を包みこんだ。

 じりりと緩やかに祭祀場全体の空間が塗り変わる。かつかつと舞台を叩く音が複数鳴り響く。


 白い光を放つ舞台の中央、そこに黒装束を身に纏った者達が七人並び立っていた。

 全員顔にぼうの仮面をつけている。


 中心に立つ黒い獣の仮面をつけた男――アベルは静かに、観客席の端にまで届くほどに強力な黒い魔の波動を放った。

 それを合図にアベル以外の六人が同時に仮面へと手をかざす。

 仮面からぐらりとそれぞれの色の影が伸び、舞台に立つ六人の全身を包み込む。影は爆発的に大きく膨らみ、そして散った。

 舞台には二十メートルを超える大型の魔物が六体端然と並び立ち、一斉に憤怒と怨嗟を滾らせた咆哮を奏でた。

 これから始まるのは、血と闇で彩られる魔の演目だ。


 観客達はみな突然の出来事に何がどうなっているのかと戸惑うだけだ。だが儀式を執り行う者達はこのイレギュラーな状況をすぐに理解し行動に出るはず。

 その行動は想像以上に早かった。

 まるで現れるのが分かっていたかのように警備隊、巫女達、そして観客席からも六体の魔物とアベルに向かってほぼ同時に、一切容赦のない攻撃が仕掛けられた。

 様々な属性、多彩な色を持ったれいげきがアベルと魔物達を襲う。軽く見て攻撃を放った人数は二百を越えている。

 放たれ続ける霊撃の放射は次々と魔物達に激突してゆき、炸裂音を断続して轟かせた。


 数十秒ほどして自然と攻撃が止んだ。

 しんと静まった時の中、粉塵が晴れていく。

 そして声なき声が場内を支配した。

 そこには無傷で立つ魔物達の姿があった。ダメージは一切見られず、魔物達は再び祭祀場全域に咆哮を響かせた。


 大型の魔物達は四方に用意されたさいじょう特別席、そこに居る礼家達に向かってそれぞれ攻撃を始めた。

 巫女や警備隊達が呆気にとられているのも束の間、今ほど攻撃を行った者が次々と上空から豪雨の如く降りかかる光弾に襲われる。

 連続で放たれ続ける霊撃の軌跡を辿る。舞台から離れた空、そこにもまた黒装束を纏う者達の姿があった。

 その中心には長い漆黒の髪に豪奢な黒いドレスを纏った女。

 女の顔の上半分は黒い硬質な仮面で隠されていて、黒い翼を大きく広げたようなドレスのあちこちには銀色のメタリックな装具が散りばめられている。

 その黒ドレスの女は、アベルの妹イヴだ。

 イヴは今、ぼうの仮面を使用して〈第四魔女・アルテメ〉へと存在を完全に移行させている。

 そして亡化の仮面で半分魔物へと化した者達が九人、伝説の魔女と化したイヴの周りを固めながら、大型の魔物達へ攻撃を仕掛けた者に向けて容赦なく霊撃を打ち続けている。その霊撃は術師達が展開する防壁をことごとく砕き、続々と沈めていく。


 今、さいじょうを覆っているこの黒い靄は、アルテメと化したイヴが展開させているものだ。

 アルテメの魔術、〈ブラックヘイズ〉は〈国神の領域〉を〈魔の領域〉に塗り替える力を持っている。それにより国神の加護は失われ、この国に住む者達は急激な体内霊力の乱れに襲われることになる。

 霊力が乱れる状態で展開する霊術は精度、威力が大幅に落ちる。さらにこの魔の領域は魔物にとって本来の力を発揮できる空間でもある。

 だからこそ先ほど魔物達に向けられた攻撃の全ては取るに足らないものとなった。


 傷つき倒れていく者を見て観客席から、おそらく何の情報も聞いていない、ただの観客として訪れていた人妖が戦いに参戦しはじめていた。

 また戦いに向かわずに、力のない観客を飛び交う攻撃から守るため観客席にぼうへき・結界を何重にも展開して広げている者達も居る。


 見ると各所に散らばった大型の魔物達の攻撃がすでに収まっていた。

 大型の魔物達はさいじょうに居るかげ以外の礼家の者達を行動不能にすることを一番の目的にして行動させていたはず。

 どうやらその目的は大方達成したようで、魔物達は攻撃を仕掛けられれば反撃はするものの、ほとんど待機状態になっている。


 御影を含む礼家の者達全員の周囲にはイヴが集中して〈ブラックヘイズ〉の濃度を上げていた。やはりいくら礼家といえど、まともに霊術を使えない状態では大型の魔物達の強襲に対応できなかったようだ。

 現在こちら側でまともに動いているのは九人の半分魔物となった者達だけ。それでも魔の領域による影響は絶大で、場内は魔族側が完全に支配していた。


 本命へと目を向ける。

 乱戦の中、御影はまだ一度も動きを見せておらず、舞台の上でじっと立ち止まったままでいた。

 それを見かねたアベルが大型魔物を一体、御影へと向かわせた。

 ムカデのように長い胴体と白銀の甲殻を持つ大型の魔物が、赤い猛毒のガスを全身から吹き出しながら御影へと突撃する。

 それでも御影は動かない。

 しかし、白銀の魔物が御影の直前にまで迫ったその瞬間、白銀の魔物は巨大な水の球体に閉じ込められた。動きを完全に封じられ、赤い毒もまた水の中で止まっている。

 そして御影が動いた。

 御影の両手に蒼く細長い剣が二刀現れる。水を高度に圧縮させた剣だ。

 御影は舞台を蹴って舞うように飛んだ。蒼の斬撃が一閃、二閃と空間に走る。御影が着地すると同時に、白銀の魔物の胴体が水の中で三つに分断された。


 周囲から大きな歓声が沸き上がる。

 本来では力を出せないこの領域の中、かげは変わらずに戦えている。

 他の礼家と同様、御影の周囲はイヴにより靄の濃度が強められている。通常の〈ブラックヘイズ〉よりも効果はおよそ六倍。正気ではいられないほどに体内霊力が乱れていたはずだが、どうやら御影は乱れた霊力を律することに成功したようだ。

 純粋に優れた戦闘力。そしてなによりこの争乱の中で冷静に霊力を制御してみせた豪胆さ。

 さすがは神宮の巫女を担うだけのことはある。


 水中で分断された魔物の体は白銀の影に包まれ、影は一つに集まり散った。

 影が散った水球の中には黒装束の男が一人漂う。

 御影はそれを見ると術を解除した。


 御影は舞台を蹴って急加速。中央に立つ、未だぼうの仮面でそんざいこうを行わないアベルに斬りかかった。

 アベルはゆらりと影のように動いて蒼の剣閃を躱し、さっとかげの前に開いた右手を出す。

 双方、ぴたりと動きが停止する。

 おそらくアベルは今、思念で御影に例の話をしているのだろう。その提案を御影が呑むとは到底思えないが。


「ふざけるな!」


 そして案の定、御影は叫んだ。


様への神事を穢した上によくもそんな戯言を……!」


 かげは水剣を激しく振り下ろした。アベルは軽々とそれを右手で受け止め、そして砕いた。


「――ッ!!」


 御影はもう片方の剣で切り払いながらアベルから距離を取る。

 砕けた剣を生成し直し、両方の剣の刀身を伸ばした。

 御影の水の剣は自由自在に間合いを変えていく。蒼い斬撃が揺らぐ空間をアベルは宙に浮き、のらりくらりと躱していく。

 剣筋を見切ったアベルは再び御影が持つ右の剣を、さらに続けて左の剣を掴み取り、砕いた。

 だが砕かれた水の剣は格子状に大きく空間に広がる。

 次の瞬間には、アベルは巨大な水の球体に閉じ込められていた。


 すかさず御影は大技を展開する。

 御影の背後から舞台外に立つ大型の魔物達よりもさらに大きな水龍が現れた。

 水龍は舞台から上空で水牢に閉じ込められたアベル目がけて空を切り裂き進む。

 水龍の牙がアベルの水牢もろとも噛み砕こうと迫る中、水中に封じられたアベルは御影に右手の人差し指を向ける。

 そして放たれる極細の黒い閃光。

 閃光は水の牢を抜け、水龍、御影と一直線に貫いた。

 御影の胸部、純白の巫女装束が赤黒く染まる。血がぽたりと静かに溢れて落ちる。

 水龍が消滅していくとともに、御影はぐたりと身を崩して倒れ、白光の舞台の上に血溜まりをつくった。


 実に見事だった。

 霊力が乱れる圧倒的に不利なこの空間の中、よくあそこまでの戦いを繰り広げた。


あおぎみみず……やはり殺すには惜しい逸材だ)


 勝負は決した。

 この場にはまだそれなりに実力を持った者もいるようだが、彼女以上に霊力を律して戦える者はいないだろう。

 御影という希望が倒れ場内から悲鳴が渦を巻きはじめる。


 水牢から放たれたアベルはさいじょう全体を見渡せる高度まで上がっていく。

 そしてアベルは亡化の仮面に手をかざした。

 仮面から黒い影が伸びてアベルの右腕を包み込み、散る。

 アベルの右腕は黒い硬質な獣の腕へと変化していた。


 アベルのつけている仮面には〈こくろう・ドグマ〉が封じられている。

 〈こくろう・ドグマ〉は数多に存在する魔物の中でも最上位に位置する凶悪な魔物だ。

 その〈こくろう・ドグマ〉の力をアベルは全て引き出すことができる。

 だが、アベルが変化させたのは右腕だけだった。

 その姿では二割程の力しか発揮できない。

 それでも、この場を終わらせるには十分な力だが。


 黒狼の鋭い爪が開き、手の平を御影へと向ける。

 その手元に荒々しい膨大な魔力を凝縮させていく。

 目撃者を残すため全力ではないものの、これが打ち放たれれば御影と共に、神聖なさいじょうは地獄へと化す。


 これで終わりか。

 アベルの右腕から静かに終幕のあんかいが放たれる。


 ――――きんっ。


 地獄とは不似合いの清澄な音がさいじょうに鳴り響いた。

 そして、目を疑うような出来事が起こっていた。

 アベルが放った闇塊はいつの間にかどこかへと消え去って、無数の光る桜色の花びらがひらひらと祭祀場の上空を舞っていたのだった。

 桜花の幕は全て舞台に降り注ぐ前に空中で消えていく。

 それからほどなくして祭祀場を包んでいた〈ブラックヘイズ〉が四散し、祭祀場は月と星々が浮かぶ元の夜空を取り戻していった。


(何が起きた……? ……あれは……!)


 光り輝く舞台の上で何者かが膝を折って倒れ伏したかげに触れている。

 その謎のちんにゅうしゃは白い和服を着ていて、顔には鮮やかな光を放つ紅と白で咲いた花の仮面をつけていた。

 そして舞台端からさいじょう全体に耳をつんざく大きな咆哮が轟く。

 大型魔物が一体、体勢を低くして跳びだした。

 赤い大型の魔物は全身に豪炎を纏い、高速で闖入者に向かって突進する。

 闖入者はそれに一切意をとめる様子はなく、アベルの霊撃で貫かれたかげの胸元に触れ続けている。

 巨大な炎の弾丸が闖入者の目前まで迫る。闖入者はまだ動かない。

 直撃は免れないと思われた。だが、


(……!)


 巨大な炎の弾丸は闖入者の前でぴたりと停止した。

 闖入者は細い左手一本で赤いきょじゅうを受け止めたのだった。

 その左手が巨獣の炎と同じ赤々とした炎に燃え上がる。そして闖入者は左手一つで巨獣を押し戻し、地面を蹴って消えた。

 ダンッ!!

 次の瞬間には大音と共に赤い炎の巨獣は舞台の瓦礫に沈んでいた。

 場内は水を打ったようにしんと静まり返る。

 両手に赤い炎を燃え上がらせた闖入者は軽やかに舞台上に着地する。

 そして静かな気迫と共に、空中に居るアベルに向けて顔を上げた。


「てめえら覚悟しろ」


 低い、怒気をみなぎらせた少女の声がさいじょうに広がった。

 観客席で出来事を眺めていた男にはその少女の声に聞き覚えがあった。

 一時間ほど前にぼうの仮面を通して話をしたあの少女で間違いない。

 男は仮面の中で笑みを浮かべる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る