インスタント死神 <後編>

 そして、翌日。

 少女は、死神を閉じ込めたカップを鞄に入れて、学校に行った。

 学校に着いて、教室に入るなり、タカクラさんの姿を探す。

 タカクラさんは、先に来ていた。自分の席に座って、友人たちと談笑していた。その姿を確認した少女は、再び廊下に出た。

 教室から少し離れたところまで来て、少女は、抱えてきた鞄を開け、中から死神入りのカップを取り出した。壁に向かい、自分の体でカップを隠すように持ちながら、そのフタを、そーっと持ち上げる。

 カップとフタの間に、少し隙間を作ったところで、カップの中を覗き込んでみた。

 死神は、ちゃんと中にいた。ドクロの中のタカクラさんの顔も、そのままだ。昨日見たときと、変わりないようである。


「――ようし、行け!」

 小声でそう命じ、少女は、カップのフタを大きく開けた。

 死神は、音も立てず、ふわりとカップの中から飛び出した。

 スウーッと宙を滑っていく死神から、目を離さないよう注意しつつ、少女はそのあとを追う。死神の飛ぶスピードはそんなに速くはなく、ちょっと速足で歩けば、見失う心配はなさそうだった。廊下にいる生徒たちの目が気になったが、小さな死神がこうして飛んでいるというのに、周りで騒ぐ声などは聞こえない。どうやら、この死神は、少女以外の人間の目には見えていないようだった。


 ほどなくして、死神は、タカクラさんのいる教室にたどり着いた。

 死神のあとに続いて、少女は自分も教室に入る。

 死神は、迷うことなく、一直線にタカクラさんのもとへ飛んでいって、そして――。

 タカクラさんの背後で鎌を振り上げたかと思うと、次の瞬間、それを勢いよく振り下ろした。

 スコッ、と。

 小さな鎌の刃は、タカクラさんの背中の肉を、すり抜けたように見えた。

 けれど、その直後。

 友人たちとお喋りしていたタカクラさんは、不意に言葉を失い、動きを止めて、内から体を支える力がなくなったように、ぐらりと傾いた。


 タカクラさんの体が、椅子から転げ落ちる。彼女の周りにいた生徒たちの口から、短い悲鳴が上がる。きゃっ。どうしたの? ちょっと、大丈夫? 口々にタカクラさんに声をかける生徒たち。クラス中に、ざわめきが広がっていく。

 やだ! と。息、してない! と、誰かが叫んだ。

 そのあとに、何人かの、今度は長い悲鳴が、次々に重なって響き渡った――。


 非鳴、叫び声、ざわめきの渦の中で。少女はその顔に、半分は演技、半分は本心である驚きを浮かべ、そうして周囲の空気に溶け込みながら、騒ぎの中心を見つめていた。

 その視線の先に。おそらくは、少女の視界の中のみにある、小さな死神の姿。

 それは、倒れたタカクラさんの体の上で、次第に色を薄め、輪郭をぼやかし、やがて、霧の粒でできた砂細工が崩れるように、霧消した。

 死神は、その役目を終えたのだ。


(本当に……死んじゃった)

 少女は、ほうっと息をついた。周りに気づかれないように、小さく。しかし、深く。安堵の溜め息を。

 タカクラさんは、死んだ。万引きの目撃者は、この世から消えた。これでもう安心だ。

(死神。インスタントだけど、その力は、本当に本物だったのね。たった百円で、いなくなってほしい相手を、この世から消してしまえるなんて。……ラッキー)

 心の底から、晴れ晴れとした気分だった。

 インスタント死神。なんてすばらしい商品だろう。あの自販機を偶然見つけた自分は、なんて運のいい人間なのだろう。思わず鼻歌など漏れ出そうになって、少女は慌ててぎゅっと自分の鼻をつまんだ。

 気づけば、いつの間にか、救急車のサイレンの音が近づいてきていた。クラスの誰かが携帯電話で呼んだのだろう。けれど、もう遅い。死神は、すでに役目を果たしたのだ。

 少女は、机の下に隠した両手の指先を軽くくっ付け、こっそりと合掌した。


 と。そのときであった。

「あっ、よかった! タカクラさん、目を開けたよ!」

 タカクラさんのそばにいた生徒が、そう叫んだのである。

 少女は耳を疑った。

 そんな、まさか。だって、さっきは、息をしてないって。それに、死神も、やるべきことはやり遂げたとばかりに、消え去ったじゃないか。それなのに。

 少女は席を立って、タカクラさんを取り囲む人垣に、割って入った。

 すると、そこには、確かに目を開けて、すでに体を起こしたタカクラさんの姿があった。「私……どうしちゃったの?」と、タカクラさんは、ぼんやりした顔で呟いた。


 どういうことだ、一体。タカクラさん、生き返ってしまったじゃないか。なぜ? あのインスタント死神は、不良品だったというのだろうか?

 少女はそうっと人垣を離れ、鞄を持って、再び教室を出た。そして、人目に付かないところまで来てから、鞄の中にしまっていた死神のカップを取り出した。

 そのカップのフタを、隅々までよくよく見れば、ひどく小さな文字で、昨日は見落としていたこんな表記があった。


※ このインスタント死神は、写真の相手を "3分間だけ " 殺すことのできるタイプです。


 それを読んで、少女はがっくりと肩を落とした。

 三分間だけ、相手を殺すことができたところで、そんなのなんの意味もない。しょせん、百円で買ったインスタントの死神なんて、この程度のものなのか……。


(――ちょっと待って。そういえば!)

 少女は、そこであることを思い出して、ハッとした。

 そうだ。昨日、自販機でこのインスタント死神を買ったとき、カップは二種類あった。もう一つのほうのカップは、あまりに値段が高すぎて、あのときは買う気にならなかったけれど。でも、あちらのカップのインスタント死神なら、もしかして。


(そう。きっとそうよ。このカップが「相手を三分間だけ殺せるタイプ」ってことは、ほかのタイプのカップもあるってことだもの。それが、このカップの隣に並んでいた、あの高価なカップの死神なんだわ。百円ぽっちじゃ、こんな役立たずの死神しか買えなかったけど、もっと高いカップを買えば……)


 ちょっと値段が張るくらい、問題ではない。一度は殺せたと思った相手。一度は手にしたと思った心の平安。――どうしても、このまま諦めることなど、できなかった。



          +



 そして、その放課後。

 少女は、いったん家に帰ってお金を取ってきてから、例の自販機のある場所にやってきた。

 自販機の陳列窓には、昨日と同じく、二つの黒いカップが並んでいる。

 右のカップの値段は、百円。左のカップの値段は、一万円だ。

 少女は、背伸びをし、陳列窓にべたりと顔を貼り付けて、左のカップのフタを覗き込んだ。

 左のカップのフタには、


『もう、インスタントとは呼ばせない! 本格派の死神を求めるあなたに!』


 と、黒地に映える、研ぎ澄まされた鎌のような銀色の文字が、光っている。

 さらに、右のカップにあった表記よりも、ずっと目立つ大きな文字で、


※ このインスタント死神は、写真の相手を 100年間 殺すことができます!


 と書かれていた。

 少女は、迷わず自販機に一万円札を突っ込み、左側のボタンを押した。

 ぽこん、と商品が落ちてくる。

 それを自販機から取り出して、両手でしっかりと持ちながら、少女は、フタの上で光を反射する、頼もしい銀色の太字を見つめた。

「本格派の死神……。作り方は、安いカップと、何か違うのかしら?」

 呟いて、少女はカップを傾け、カップの横の作り方の欄に目をやった。

 そこには、こう書かれていた。



◇ インスタント死神の作り方 ◇


① ふたを開けて、中にドクロが一つ入っているのを確認します。

② いったんドクロをカップから取り出し、呪い殺したい相手の写真を、表が上になるようにカップの底に置き、その上にドクロを乗せます。

③ ドクロと写真の上から、カップの内側の線までお湯を注ぎます。

④ ふたをして、100年間待ってから、ふたを開けます。


★ これで、写真の相手を呪い殺してくれる、

  あなただけの死神のできあがりです ★






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