Ⅹ-2

 その夜は佳代が入学祝いにちらし寿司を作るからというので真由美も呼ばれていた。


「お父さんからお祝いが届いたんだ」

「へぇ。何くれたの?」


 幸也が父親の話をするのを初めて聞いた真由美は、少し驚いた。幸也が見せてくれたのは、木製のシャープペンシルとボールペンのセットだった。嬉しそうに少し照れながら話す幸也を佳代が微笑みながら見つめている。


 この同じ三人で、こんな風に穏やかに食事をするなんて、あの頃は考えられなかった。


「この間、一日だけ帰ってきたんだよ」

「え?聞いてないよ」


 初耳だ。毎日会っているのに。


「真由美が春休みで合宿に行ってた時だったんだ」

「一日だけ?」

「うん、赤ん坊が生まれたときに何日かまとめて休みをとりたいから、今回は本当は帰らないつもりだったんだって言ってた。だけど、これを直接渡したいからって」


 ペンケースをちょっと持ち上げてみせる。


「それで、わかったんだ」

「何が?」

「お父さんも、口下手なんだなって」


 真由美の隣で佳代がぷふっと噴き出した。


「確かに口下手よね」

「仕事の話とか、僕が訊いたらいろいろ話してくれるんだけど。基本あんまりしゃべらないよね?」


 母に同意を求める。


「そうね」

「それでかなぁ。あたし全く印象にないんだ。会ったことはあると思うんだけど」


 真由美は首を捻って考えてみるが、やっぱり思い出せない。背広姿のイメージだけが浮かんできた。

 と同時に今朝の男のことを思い出す。シャキッとスーツを着こなした初老の男。


「あのさ、今日入学式が始まる前に校門の前の信号の所にスーツ着た男の人が立ってたんだけど、幸也、見なかった?」


 身を乗り出して訊いてみる。


「ああ、いたね、おじいさん」

「知ってる人みたいなんだけど、誰だかわからなくって」

「ええ!?」

 

 首を捻りながら真由美が言うと、幸也が驚きの声をあげた。


「真由美、わからなかったの? あのおじいさんだよ?」

「あのおじいさんって?」

「だから、僕にこの懐中時計をくれたおじいさんだよ」


 ポケットからそれを取り出して見せる。


「ええ~っ!!」


 一瞬フリーズした後、真由美が目を丸くして素っ頓狂な声をあげた。その様子をみて幸也がくすくす笑い出した。真由美は少し口を尖らせる。


「だって全然別人だったじゃない。幸也はあの人があんな格好で来るの、知ってたの?」

「知ってたわけじゃないけど」

「じゃあ、なんで幸也はわかったの?」

「歩いているところを見たんだ」


 真由美は脚の悪い老人の独特な歩き方を思い出し、なるほどと納得しかけて、でも服装から髪型から姿勢から全く違ったのに歩き方だけで本当にわかったのかと不思議に思う。

 何とも言えない顔をしている真由美に佳代が説明した。


「私と幸也で一度、お礼に行ったことがあるのよ。この懐中時計をもらったときのことを聞いて、私がどうしても会いたくなって。会ってお礼を言いたくて」

「僕ももう一回話をしたかったんだ。でも、なかなか会えなくて。……あの人、いつも同じところにいるわけじゃなかったみたいで、会えたのはあの日から一カ月くらいたってからだったと思う」

「その時にね。もう一度ゼロからスタートしてみる気になったって仰っていたの」

「それを聞いてたから、見た目が違っていてもわかったんだよ」


 今朝の老人の様子を思い起こした真由美は、

「そっかぁ。やり直し、できたんだね」

 感慨深げに言うと柔らかく微笑んだ。

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