あなた!ワタクシの夫なら魔王を倒してきなさいっ!

@Alicechan

第1話 出逢いと旅立ちと・・・。

 時は遥か昔、この世は3つの世界で構築されていた。

 神界と呼ばれる神々が住む世界、地上界と呼ばれるヒト種を筆頭とし亜人種達が住む世界、魔界と呼ばれる神が追放されし世界である。

 元々は神界しか存在しなかったが、暇を持て余した神、悪さをする神が現れたことから、神の父である絶対神が地上界と魔界を創造された。

 地上界が創られた理由、それ即ち神々の暇つぶしである。神々は互いに様々な人種を創造し合い、この者達がどのような行動を取るか観察した。その成り行きを賭事の対象にする神、地上界にちょっかいをかける神なども現れた。またいつしかまるでゲームのように、地上界でより多くの民に崇められた神は、階級の上位に君臨出来るというルールが出来上がった。

 そして現在、この神界は人気トップの絶対神、1級神と呼ばれる神々によって、治められているのである。そのため、同じ神でも序列の高い1級神と序列の低い6級神とでは、周りの見る目も大きく違っていた。

 この物語はそんな時代の6級神、エロースの冒険譚ぼうけんたんである。


 「エロース、何その浮かない顔は。今月のゴッデス足りないなら、また良い仕事紹介しよっか?」


「うーん。でもバイトルの紹介してくれる仕事って何かいつも割に合わないって言うか、ブラックバイトっていうか、信用ならないんだよね。」


「うわっ、何それ。こっちは親切で仕事紹介しているのに、ヒドいっ。シクシク・・・。」


「ご、ごめんバイトル。そんなつもりじゃなかったんだ。僕は正直者だから、許しておくれよ!」


「グッ、グスン。う、うん。エロースがそこまで言うなら許してあげる。そ・の・か・わ・り・・・。」


「うん。分かったよ。その仕事引き受けるよ。僕も魔界へ落とされたく無いし。今回はバイトルを信用するよ。」


「良かったわ!前ゴッデス頂いていたから、紹介出来なかったらどうしようかと思っていたの。さすが、エロース。持つべき者は幼なじみね♥」


「ちぇ、バイトルは調子良いなっ!」


「私は求職の女神。私もゴッデス集めないといけないんだから、それぐらい協力してよね。ロハって訳にはいかないけど、これでも一応、紹介手数料安くしてるんだからね♥」


「分かった、分かった。で今日の仕事はどこに向かえば良いんだい?」


「髪の神サスーン様のところよ。なぜか知らないけど、あの方エロースを気に入ったみたいなのよね。ヘアーモデルの仕事、私ではどうですか!?って言ったんだけど、あなたが、指名されたわ。あれだけの美男子なのに、お客様は男性ばかり。でも、まあ、私にはエロースがいるから我慢しないとね!エッヘン♪」


「いやいや、エッヘンとか言われても、まったく説得力無いんですけど・・・。とは言え仕事先がサスーンさんの店だとは。あの人ヘアカット中に体触ってくるんだよね。何か気味が悪くって。」


「良いじゃない、触らせるぐらい。減るもんじゃなし!」


「いや、物質的に減らなくても、精神的に色々と持って行かれるんだよ。色々。はあっ」


「溜息つかないの!せっかくの美男子が台無しよ!早くお仕事に行った行った!」


「う、うわっ。背中押すなって。そんなにしなくてもちゃんと行くからさっ!」


 バイトルは僕の幼なじみ、求人の女神である。彼女の父はリクナビはその筋では有名な紹介屋で3級神である。通常、父親の階級、つまり3級を引き継ぐことが出来るのだが、リクナビさんはバイトルを甘やかさず、ゴッデスも譲渡していない。だからバイトルは6級神からスタートしていずれ彼女の父である3級神以上を目指すつもりらしい。そして僕はというと地上で特別崇められる存在でもなく、日々他の神々からゴッデスを稼いで、魔界降格を防ぐ日々が続いている。どうしてこうなった・・・。


 神界は円形6層で形成されており、外側6級神から始まり、中心部は絶対神と1級神が住んでいる。これから向かうサスーンさんの店はここから2層離れた4層にある。つまり彼は4級神ということである。元々は5級神であったそうだが、ゴッデスを効率良く稼ぐため、地上界でシャンプーなる物を販売し、神としての名声を高めたそうな。僕も見習わなくてはならない。ちなみに彼は女神達の間では度々イケメンと称され、彼のかきあげるサラサラ金髪ロングヘアーは女子を魅了していた。


「よう、エロース。今日も仕事かい。泡ゴッデス稼ぎに精が出るねえ!」


「あはは!ケルベには叶わないな!これでも少しづつ貯まってきてるんだからね。」


「へー。そいつは失礼したぜ!ちなみに今日は何層まで行くんだい?」


「えっと、今日は4層まで行くよ。サスーンさんの店に・・・。」


「お、そいつはお気の毒に♪せいぜいお尻に気をつけなよ!:


 この陽気なしゃべる犬、基い、ケルベロス種のケルベは階層の門番をしており、事情通である。他の階層にも兄弟犬のケルルやオルトスなどが階層守護者、ではなく番犬として門を守っている。また一々各階層の門を通らなくてもケルベ達には特殊能力が絶対神より付与されており、その力により目的の階層まで転移されてくれる。だから必要な時以外に他の階層をぶらつくことは殆ど無いのである。


 ケルベに案内された通路を程なく歩くと時空が歪み4階層の通路に到着していた。サスーンさんの店はこの門を出て、左に500メル(メートル)程行ったところにある。門のそばにはケルベの兄弟犬、オルルが日差しの暑さにやられ双頭を地面に擡げていた。


 そんなオルルを尻目に、門を出ると僕はなぜか尻を抑えながら、サスーンさんの店へと向かう。この店には紹介された仕事で何度か足を運んでいるため、迷わずに辿り着いた。


ートントンー


店の扉を叩き礼儀正しく挨拶をした。


「サスーンさん、こんにちは!バイトルからの紹介で仕事にきました!」


店に気配はあるものの、サスーンの姿は見当たらない。エロースは心配になり、店の中にあるドアを開けその奥へ進もうとした・・・、その時、背後からヌウッと尻を鷲掴みにされた。エロースは過去に免疫があったため、素早くその背後から現れた手首を掴み、そして180度ねじ曲げた。


「いっイタタタっ。ま、参った参った!エロース君。もうしないから離しておくれよ!」


「サスーンさん、冗談は顔だけにして下さい!」


そう言うとエロースはサスーンの手首を乱暴に離した。


「エロース君は、よ、容赦無いなあっ。僕が触ってあげると喜ぶ者も多いというのに。はあ、痛ったたた。」


そう言いながらサスーンは手首を摩りながら、手の平を開閉して先程の尻の感触を味わっていた。


「それで?」


「うん?それでとは??」


「だから、今日呼ばれた仕事の内容です!」


「まあまあ、そう焦らなくても良いじゃないか♥ちょっと待って!今飲み物入れるから♪」


「いえ、結構です。サスーンさんは飲み物に何を入れるか分かりませんから。」


「ま、またまた!僕がそんな卑劣なことをする神に見えるかい?」


「いえ、見える見えないの話ではありません。実際に有ったかどうかの話をしているまでです!」


「あ、そんなことも有ったね。でも僕は過去に有ったことを忘れることを美徳としている。君もそんな些細なことは忘れてしまいなさい。」


「あの時僕があの飲み物を飲んでいたらどうなっていたのでしょう。ぜひ教えて頂きたいものです。」


「さ、じゃあ、さっそく仕事の話をしようか。」


「最初からそうしてくれれば良いんです。」


「まったく、最近のエロース君は遊び心に欠けているねえ。っと、また怒鳴られちゃうか。えっと、エロース君にやってもらいたいことは、ズバリ、ヘアカラーのテストだよ。まあカットも同時にするからいつものカットモデルと一緒と考えてくれて構わない。と言ってもわたしが試すので、エロース君はじっとしていてくれれば問題ない。ノープロブレムだ♪」


「ちなみに何色に染色されるのでしょうか!?あと、持続時間を教えて頂ければ・・・。」


「そうだね。色はこの色にしようかと思う。持続時間は大体1週間前後と見てくれて構わない。」


と、サスーンが取り出した染料瓶は青。空の色とでも行った方が適切かもしれない。そう言ったすがすがしい蒼穹である。その瓶を見つめる僕の表情を見た彼は続けてこう言った。


「その様子だとこの染料を気に入ってくれたみたいだね。アクアマリンから特別な方法で抽出した、まだ世間に出回っていない商品だ。まだ生産が少量で高価な物なんだけど、この色が一番映える男の娘を探していたところ、君の顔が真っ先に浮かんだ!という訳だ。」


「染髪するのにさして時間は掛からないからその辺も安心してくれて良い。もちろん、染髪中は僕が集中出来る様にいつも通り目隠しをさせてもらうがね♪」


「分かりました。ではいつも通り、この服を着てその椅子に凭れ掛れば宜しいでしょうか?」


「うんうん、ありがとう。手順を説明する手間が省けて助かるよ。」


エロースはサスーンに案内された革製椅子の背に凭れ掛かりながらゆっくりと腰を下ろした。そして瞼を閉じる。


「いつ見ても綺麗な銀髪だね。本当にうっとりするよ♥」


「そんなことはどうでも良いですから、手早く染めて下さい!」


「分かった分かったよ!本当にせっかちなんだから。」


僕が早く終わらせたいのはせっかちだからではない。サスーンさんには前歴がある。そう、僕の目が見えないことを良いことに、ことあるごとにボディタッチしてくるのだ。パワハラですよ!と何度も注意したが、一向に止む気配がなかったのである。今日も隙あらばその手腕を遺憾なく発揮してくるだろう。


「じゃ、はじめるわよん♪」


暫くは髪を染髪しながら、どさくさに紛れて何度も僕の体に触ろうと試みたみたいだが、僕が軽やかに抵抗を続けるうち、ようやく諦めてくれたようだった。目の前が暗闇でも僕の鋭さは尻を掘られる恐怖心から、いつも以上鋭利に研ぎすまされていた。


ザワッ。あ、危ない。僕の感が危険を察知した。その危険の現況であるサスーンの手首を握ると、僕は目隠しをもう片方の手で外した。


「い、痛いわね!お、終わったから起こしてあげたんじゃない。まったく、油断も隙もないわ。」


それはこっちの台詞だ!と思いながら、今の今まで眠っていたことに気づいた。


「それにしてもぐっすり眠っていたわよ。本当に気持ち良さそうに。誘われてると思って、わたしも何度か触ろうとしたわよ。まったく、罪な体ね♥」


「そうそう、それよりも、ちょっと見てみて!どうこの色!とても素敵じゃない♪あなたの地毛の銀髪とも相まって素敵なライトブルーに輝いているわ!これなら、商品化しても成功しそうねっ♪」


確かに。今までの染料ではどうしても染めている感が強かったが、今回の新製品は本当に生まれ持った髪色のようだ。鏡に映る自分が、少しだけ別人に見えた。

そし両肩に手を置かれ、染髪が終了したことを告げられた。


「はい、今日はこれでお終い。あとは2週間程様子を見たいから、その時期になったらまたここにきてちょうだいな♪それと、これ!今日の仕事分のゴッデス。受け取って頂戴な♪」


そう言うとサスーンは両手を僕の胸に当てながらこう呟いた。


「ゴッデス継承!」


サスーンの両手に光が灯り、それは空中を伝わって僕の体に宿り発光した。そしてその光は体へ吸い込まれ消える。これがゴッデス継承である。この儀式は自分が集めたゴッデスを他の神に分け与える時に行う。ゴッデスは言わば、地上界の人々の信仰の別称。その神がいかに人民に愛され、そして尊敬されているかで、神のゴッデス量は変わってくるのである。つまり、この量が多ければ多い程、神界では己の力を発揮することが出来るのである。ただし、このゴッデスがある一定量まで枯渇した場合、神として力量不足と判断され、魔界へ落とされる。この制度が出来てからというもの、今まで魔界に落とされた神は少なく無い。エロースの6級神という階級は言わば崖っぷちである。地上界で名声を高めることが難しい彼にとっては、こうやって日銭成らぬ、日ゴッデスを稼がなければ、いつ神界を追い出されるか分からないのである。


「ゴッデス継承ありがとうございました!また2週間後にお邪魔致します!」


サスーンにそう告げて、エロースは店を後にした。今日も神でいられることに感謝しながら・・・。


 エロースが6層へ戻ろうとしていたその頃、その6層では地上界から許嫁の帰還を待つ、一人の女神とその両親がゲート付近に到着した。その容姿は6層の神達の間でも注目の的となっていた。それもそのはずである。1級神である神々が6層を訪れること自体が稀なのである。今回はその例外と言っても過言ではない。理由は地上界と神界を結ぶゲートの存在である。このゲートは一番外側である6層にしか存在しない。従って、もし地上界から帰還する神に会いたい場合には、どこの神であろうと6層まで訪れるしかなかったのである。また、1級神の訪問だけが、この注目の理由ではない。その1級神の名声や容姿が他の神々の間でも取り分け有名であったからである。


「お父様、もうすぐ帰って来られるのでしょうか!?」


「ああ、そうだな。アレスからはそう聞いている。まったくなぜワシ自ら彼奴の息子を迎えに来ねばならんのだ。まったく腹立たしいわ。」


お父様と呼ばれる男性は究竟せいかんな体つきの大男で、髭を蓄えた顔とその鋭い目つき、その姿は見る者を畏怖させるには十分だった。彼こそ、世に名高い炎と鍛冶の神ヘパイストスそのヒトである。またその傍らには妻であり、愛と美、そして性の女神アフロディーテが、娘の嬉しそうな姿を眺めていた。


「お父様、アレス様のご子息、マルス様とは一体どのような殿方なのでしょうか?」


「うむ。あれの話に寄ると自身同様に勇猛で美男子ということじゃ。まあ、あれの言うことじゃか|ら話半分で聞いておれば良い。何しろワシはアレスが好かん。よってアフロディーテが賛成しなければ、ワシは即刻断っておったわ。」


「まあ、お父様ったら。焼いてらっしゃるのね。安心して下さい。ワタクシ、お父様が大好きですわ♪お母様に聞いたお話と合わせるととても素敵な殿方のようですわね。お合いするのが楽しみになってきましたわ!お合いしたら一目で分かるような特徴はないものかしら?お父様、お母様!」


「マルス殿の髪の色はとても美しいと聞いております。その色は透き通り、輝く。まるで蒼穹のような青色と伺っておりますよ!」


女神アフロディーテが娘の好奇心をあおるようにそう答えると、娘プシュケは居ても立っても居られないように、まだ到着していないマルスの姿を思い描きながら想像に思いを馳せた。


 プシュケは母のアフロディーテから見ても美人である。さすが美の女神の娘と言ったところであるが、アフロディーテの中には複雑な感情が入り交じっていた。そう、美の女神としてのプライドである。自分で腹を痛めて産んだ娘でありながら、その若さと美しさに嫉妬していたのである。もちろん彼女のこの、どす黒い感情は誰も想像することは出来なかった。そして、ついにアフロディーテはその嫉妬を解消すべく行動に移した。彼女は娘のプシュケに耳打ちする。


「プシュケ、もしマルス殿を見て胸がときめいたなら、すぐにでも射止めてしないなさい。彼ももう年頃。神界に戻ったらすぐにでも婚姻してしまうでしょう。あなたには許嫁というアドバンテージはありますが、他の娘達も彼を夫に迎えようと画策するはず。その前に彼をときめかせるのです。どのようにすれば良いかは昨晩教えています。昨日の通りすれば、プシュケ、マルス殿も嫌とは言えないはず。誰も邪魔は出来ません。それが例えヘパイストス、あなたのお父様であっても。」


「はい。ワタクシ、必ず射止めてみせますわ!」


プシュケはその話を聞き、より一層凛々と目を輝かせた。

その隣で母親は今朝娘に飲ませた興奮剤の効き目を確認しながら、今か今かと計画遂行の時を待ち望む。そして時は来た。


 エロースは仕事を終え、意気揚々と6層へ戻るため門に向かっていた。そう言えば、帰り際サスーンが何か言っていた様な・・・。


ー女難に注意すべしー


毎日隣に住む幼なじみのバイトルによって女難にあっているエロースにとっては、このアドバイスがどのようなものなのか、この時はまだ想像出来なかった。

 門の側では相変わらず双頭のオルルが仕事をサボって惰眠だみんふけっている。

まあ、ケルベのようにしゃべりすぎるのもどうかと思うけど、ずっと寝ているのも何だかなあという気持ちになってしまう。そんなことを考えながら転移を終え、ちょうど門の近くを通り過ぎようとしたその時、それは起きた。


 なんと世にも美しい、そう、このような女性に今まで出会ったことは一度として無く、絶世の美女という言葉はこのようなヒトを見た時に初めて使うのだと改めて認識した。金髪碧眼の美女。纏う衣もまた彼女を一層引き立てていた。そして、その美女がエロースに向かって駆け寄ってくるのである。その姿は恥じらいに頬を赤く染め、喜びに微笑み、まるで聖女のようなその少女が・・・。エロースはこの状況を現実と認識する暇も無いまま、ただただ、その状況に立ち尽くし、そして呆然としていた。

 その美しい少女はとうとうエロースの側まで接近して、こともあろうに口づけを交わした。それも熱烈な、本当に切ないキスである。彼女は一頻ひとしきり、キスした後にこう告げた。


「想像した通りの男性でした。本当に空のようにお美しい御髪おぐし。それに綺麗な面立ち。お母様から聞いていた通りですわ!マルス様、ワタクシをどうぞお嫁さんにして下さい♪一目惚れ致しました。これからの一生をあなたに捧げます♥」


ーずきゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅゅうーーーーーんー


エロースは恋に落ちた。ただ、そのことが罪悪感を生み、そして、より現状を冷静に把握させた。彼は彼女の行動について理解に苦しんだが、一つだけ確かなことがある。彼女は人違い、勘違いをしているということ。エロースはエロースである。マルスではない。そして、既に取り返しのつかない自体になっていることにも彼は戸惑いを隠せなかった。人違いと分かっていながら彼はこう答えた。


「状況は分かりませんが、接吻した以上結婚するしかありません。あなたには申し訳

ありませんが、こんな僕で良かったらあなたに全てを差し上げましょう!」


「も、もちろんですわ。ああ、愛しています。マルス様。」


娘の積極的な行動にヘパイストスは唖然として眺めているほか無かった。そして策を巡らせた張本人であるアフロディーテは、この状況を心の中で楽しみながら、娘の願いが成就した喜びを演じてみせた。


 ただ、この状況も長くは続かなかった。良く冷静に考えれば分かることなのである。地上界から戻った場合、6層のゲートから転送されることはまずあり得ない。その場合、調度逆側のゲートから転送されるのである。そしてそのゲートには精悍な顔つきの青髪の青年が、昼間からキスし合う二人の若者の姿を見て、こう悪ついた。


「ふん。こっちが地上界で大変な思いをしてきたってのに、良いご身分だな。まったく・・・。」


その青髪の青年は2人の横を白い目で通り抜け、上層に向かうゲートに消えて行った。そう、彼こそがアレスの息子マルスであった。ただ、当のプシュケはまだ気づいていない。彼の存在には気づいていたが、目の前にいるエロースがマルス本人であることを疑わなかったのだ。なぜなら、母親から聞いていた通り、髪は透き通るように美しい蒼穹。顔は精悍では無いが、美しく神々しい。正に美男子である。それに引き替え、先程横を通り過ぎた男性は精悍さはあるが、無骨な印象。そして何より、髪はくすんだ群青である。このことから彼女は目の前の男性がマルスであると確信していた。母親が嘘をついたとは知らずに。


 そして、そろそろ淡い夢を終わりにするため、母親であるアフロディーテが動いた。そうこれから実の娘であるプシュケの気持ちを文字通り天国から地獄へ突き落とすのだから・・・。


「プシュケ、あ、あなたなんてことをしたのですか!?あなたはマルス様と添い遂げるのではなかったのですか?ああ、愚かな娘よ。この母の育て方に何か間違えがあったのかしら。ああっあっ。」


彼女は嗚咽おえつを漏らすフリをしながら、夫であるヘパイストルの体に凭れ掛かった。父親であるヘパイストスも、妻のその姿に唖然としてはいたが、娘同様理解出来ていない。なぜなら真相を知るのは、今回の一件を仕組んだアフロディーテだけなのだから。


「ああ、アフロディーテ。泣くのはお止め。どうかワシに事情を説明してみなさい。お願いだから泣き止んでおくれ。」


そして、頃合いとみたアフロディーテは、冷静に演技をしながら、話し始めた。

内容は至って簡単である。目の前にいる男性はマルスではないこと。先程横を通り抜けた男性こそ、マルス本人であったこと。そして、娘が口づけを交わしたことにより、目の前の男性を夫として受け入れなければならないことを・・・。


 その話を聞いたプシュケは顔面蒼白になり、また父親であるヘパイストスも目の前の現実を受け入れがたく、ただただ立ちすくんでいた。そしてプシュケは一頻ひとしきり泣いた後、父と母に向け笑顔でこう答えた。


「お父様、お母様。ワタクシこの殿方と結婚致しますわ。この男性がどのような方かは存じませんが、ワタクシきっと幸せになってみせます。ですので、どうかそのような不安な顔をなさらないで下さい。」


 そんな娘の心情を察したヘパイストスはエロースに容赦ない眼光を浴びせた。


「貴様、名は何と言う?あの時娘のキスは避けられなかったのか!?どうだ、答えてみよ!」


「ぼ、わ、わたしはエロースと申します。お嬢様の美しさに目を奪われ、そして動くことが出来ませんでした。」


「そうか。ちなみに貴様、何級神ぞ!?」


「わたしは6級神エロースです。」


「そ、そうか。6級神か。そ、そうだな。ここは6層。冷静に考えれば普通かもしれん。上位神がいるわけがない・・・。」


ヘパイストスの淡い期待も打ち砕けこれからのことを考えねばならなかった。なぜなら、この二人に残された道は結婚するしかないからである。もし結婚しない場合、誓いを破ることとなり、魔界へ落ちなければならない。キスとは誓約。その意味は神々にとっては非常に重要であり、このように定められている。

ー神と女神が結婚する場合、女神から神に対して口づけを交わす。これを神が承諾する場合はその口づけを受けよ。もし拒否する場合は避けよ。ーと。

即ち成り行きはどうあれ、今回は正式な手続きを踏み、結婚したのである。そのことだけは紛れも無い事実。そしてこの誓いは絶対である。


「プシュケよ。今こやつの言った意味が分かるか。これからワシ達はお前と一緒に暮らすことは出来ぬ。1級神であるワシ達と6級神である男を娶るそなたでは、一緒に住むことが出来んからじゃ。」


「はい、お父様。心得ております。ワタクシ必ず目の前の殿方、そ、そうエロース様を1級神まで成長させてみせますわ!ですから、お父様、そんな顔なさらないで下さい。ワタクシは大丈夫ですから。」


そう言ってプシュケはエロースの腕の間に自分の腕を通した。


「エロースと申したな。そちは何の神ぞ?」


「はい、わたしは恋心と性愛を司る神でございます。」


ヘパイストスは顎髭を撫でながら、一考した。もしかしたら、可能性があるかもしれん。それにアフロディーテとは同系統。何とかこやつを一人前にせねば・・・。そしてヘパイストスはアフロディーテの元に向かい、何やら相談を始めた。彼女は夫の考えに面白みを感じ、そして娘のために協力することを彼に伝えた。無論、娘のためではない。面白そうだからである。このエロースがどの程度成長するか見てみるのも一興。もし本当にモノになるような男なら、それはそれでプシュケに運が有ったというだけのこと。その間、娘が苦しむことには変わりはない。それにこの美少年が成長したなら、とても魅力的な男性になるかもしれない。そう考えると嫉妬よりも興味の方が幾分か勝ったのである。


「エロースよ。プシュケとの結婚、このような状況ではあるが、認めない訳にはいかない。ただし、我が娘プシュケは1級神。そのことは理解しておるか。」


「はい、もちろんです。」


「良かろう。ワシはプシュケに不憫な思いをさせたくない。よって、エロース、貴様が今後活躍することで名声を高めることが娘の幸せのためにも重要と考える。そのことに異存はあるか、申してみよ!」


エロースは思った。今更後に引けないでしょ。これ、完全に言うこと聞かなければ死にますよっていうパターンですよね。僕これからどうなちゃうんでしょう・・・。ああ、神様・・・。って僕自身神様じゃんorz。オワタ。嫁可愛いけど色々オワタ・・・。エロースは半ば自暴自棄になりそうだったが、持ち前の精神力で何とか踏ん張り、冷静に努めた。


「異存ありません。」


「ではこれから、このゴッデスを持って、娘と6層で暮らすが良い。そして半月の間

に娘であるプシュケから地上界について学ぶのじゃ。」


「ち、地上界ですか・・・。わたしのようなものが地上界へ赴けるのでしょうか!?」


「安心しろ。そう出来るようにこれから準備に取りかかる。」


「ゴッデス継承!」


ヘパイストスはエロースの胸部に手をかざし、ゴッデスを注ぎ込んだ。1級神からの継承は初めてであったため、エロースはその光の強さと量に戸惑ったが、しばらくするとその思いが自分の胸に収束するのを感じた。

そしてヘパイストスは自分の近くにプシュケを呼び、今後どのようにしていくことが望ましいか彼女に伝えた。そして彼は最後に娘へこう告げる。


「この者を信じよ。そして支えよ!さらば与えられん!」


父は娘を抱きながらそう言い残し、半月後にここで再開する約束を交わした。

二人が門をくぐった後、美しい少女と青髪の少年がその場に残された。


「では、エロース様。ご自宅へ案内して下さるかしら。」


「はい、畏まりました。」


「エロース様、もうワタクシ達は夫婦も同然。そのような言葉遣い必要御座いませんわ。もっと砕けた口調でお願い致します。あと、そうだわ、前後してしまったけど、マリッジリングを買いに行きましょう。夫婦の誓いを交わしたのに、指輪が無いのではしっくりきませんもの。」


エロースはお金の心配をした。普段から慎ましやかに暮らしてはいたものの、1級神の彼女にどれぐらいの物を送ったら良いか判断出来なかったからである。また今後の新居についても同様である。今後もこのような心配がついて回るだろう。そんな顔色を察してか、プシュケは彼にこう言った。


「指輪は安い物でも構いません。今から二人で見に行きましょう。そのかわり、いずれ素敵な指輪をプレゼントしてくださいね♪」


彼女の顔には先程までの悲壮感は一切無く、ただ前向きに生きて行こうという強い意志が漲っているのを感じた。ああ、僕はこんなに素晴らしい女性を本当に幸せに出来るのだろうか・・・。いや、幸せにせねばなるまい。道中彼女の美しさに目を奪われる者が多かったことは言うまでもないだろう。


 銀の指輪と夕食を買い終えた二人は、ようやくエロースの自宅へ辿り着いた。そしてエロースは彼女の手を取り、中へ入るように促した。彼女はしばらく扉の前で戸惑っていたが、少しすると気持ちを落ち着けたように、深呼吸をして自宅に足を踏み入れた。


「あの、このようなところで申し訳ない。」


「い、いえ。多少驚きはしましたが、調理場もありますし、ちゃんと厠も浴室もありますから。た、多分生活出来ると思います。ち、ちなみに厠と浴室が一緒なのには何か意味があるのでしょうか!?」


「これはユニットバスと言って6層では比較的ポピュラーな様式です。本当は別が良いのですが、僕は独り身ですし、今まで不便を感じたことはありませんでした。ただ、これからはプシュケさんと二人暮らしということを考えると少し手狭かもしれません。」


「そうですわね。もしエロース様さへ宜しければ、明日にでも新居を見に行きませんこと?」


「そうですね。そうしたいのは山々ですが、先立つ物が無いといいますか、お金が無いといいますか。」


エロースは少し恥ずかしそうな顔で俯いた。先程ペアリングを買ったばかり。もっと安い指輪を購入すれば、引っ越しも容易に出来たかもしれないが、エロースは多少無理をしてでも彼女が選んだ指輪を買ってあげたかったのだ。この神界では階級や地上界の信者の数で己の稼ぎが決まる。そのため、階級が高ければ高い程必然的に集るゴッデスも多く、またお金も多く集る。エロースはまだまだ新参者。地上界の信者も居ない状況で、お布施も集らない。神と言えども決してお金持ちでは無いのである。そして階級により神界からのお給金も1級神と6級神とでは雲泥の差である。エロースは1級神であるプシュケにこのような生活を強いるのは非常に心苦しく罪悪感を感じていた。その様子を察したのか、プシュケは彼にこう告げた。


「エロース様、そんな顔をなさらないで下さい!先程指輪を買って頂いた時、ワタクシは嬉しゅうございました。部屋のことは心配なさらず。確かに多少手狭ではありますが、二人きりで過ごすには十分。それに、エロース様には半月後に地上界へ旅立って頂かねばなりません。そうしたら、きっとこの狭い部屋も広く感じることでしょう。もし、ワタクシを大事に思って下さるなら地上界でご存分にご活躍下さい!そして、名声を高めワタクシを高みへとお導き下さいまし。」


「ぼ、ぼく頑張ります!プシュケさんを必ず幸せにしてみせます!」


「良かったです。エロース様が前向きな方で!そ・れ・か・ら、ワタクシのことは今後プッシーとお呼びください。もう夫婦なのですから、遠慮は不要ですわ♪」


「プッシーですか?いや、それは、ちょっと、倫理上・・・。」


「倫理??」


「いえ、こっちのことです。ではプシュさんと呼んでも?」


「さんはいりません。プシュで結構ですわ♥」


「じゃ、じゃあ、プシュ。今日から宜しく♪」


「こちらこそ、宜しくですわ!ただし、地上界のお勉強はみっちり教えさせて頂きますからそのおつもりで♪ビシバシ行きますので♥それでは、ワタクシは夕食の準備をさせて頂きますので、先程買って来た本でもお読みになってお待ち下さいませ!」


ー初心者でも分かる地上界、これで冴えない僕も信者獲得♪入門編ー


それが彼女の用意した本のタイトルだった・・・。


2日も過ぎた頃、隣に住む求職の神バイトル、6級神は、いつもと違う日常に少し戸惑っていた。


「遅いっ!ていうかなんで来ないのよっ!エロースの馬鹿!ばかばかばかばーか!」


そう、エロースの家の近くに店を構えるバイトルはエロースを待っていた。しかし待てど暮らせどエロースが姿を見せる気配はない。いつもなら1日おきにでも顔を見せ、仕事を探している。それがここ10年以上の日常である。なのに彼は現れない。


「もうどうなっているのよ!エロースのために高ゴッデスの仕事を見繕って揃えているのに、何で、何でこないのかしら?ひょとして病気かしら?でもエロースは丈夫さだけが取り柄だし。もうもうもう、どうして私が心配しなきゃならないのよー!・・・。そ、そうだ。たまにはこちらから会いに行ってあげるのも良いかもしれない。エロースもビックリドッキリかも!かもかも♪そうと決まったら早速突撃よっ♥幼なじみのと・っ・け・ん♪」


こうしてバイトルは、プシュケがエロースに地上界について教えている現場に出くわすことになるのである・・・。


ートントン♪ー


扉が鳴る音に反応したのか、部屋の中からこちらに近づく足音がする。


「ルンルンルン♪」


そう鼻歌まじりでバイトルは最高の笑顔を作ってみせた。そして扉が開く瞬間に合わせて、話しかけた。


「エロース!もう、いるならちゃんと毎日店に顔見せなきゃだめだぞっ!もう、プンプンなんだからね♪」


その頬を膨らましながら、こちらを見て固まっている、ちょっとあれな少女に、目の前の美しい女性は声を掛ける。


「あのう、どちら様でしょうか?エロース様は只今勉強中でございます。ですので御用があれば妻であるワタクシが承りますわ!」


「へ?エロースが勉強?妻?」


神であろうと予期せぬ出来事が起これば、驚くものである。バイトルの思考は一瞬停

止したが、さすが長年仕事斡旋をしてきた彼女は、この状況を理解するために目の前の美しい女性に話しかけた。


「あなた誰?ここはエロースの部屋よね?あ、もしかしてエロースのお姉様かしら。私はバイトル、エロースとは幼い頃から知り合い、つまり幼なじみです。今後とも宜しくお願い致します。お姉様。」


エロースに姉がいるかどうかは別として、この美しい女性がここにいる状況を何とか自分の持ちうる常識で当てはめた。そう、これがバイトルの限界であった。


「いえいえ!ワタクシはエロース様の妻でございます。先日婚姻致しました!バイトル様ともうしましたか?主人がいつもお世話になっております。今後とも宜しくお願い致しますわ♪」


「え、何それ?ちょ、ちょっと待って!え、エロースは独身よ、6級神のしがない男よ!優しさと真面目さが取り柄なだけな、つまらないひよっこよ!あなたみたいに綺麗で品の良い女神が相手する訳が無いじゃない!何、これ?新手の詐欺?どういうことよっ!エロースを出しなさい、エロース、いるんでしょ!出てきなさいよー!」


「ワタクシはあなたを騙してなどおりません。2日前に正式に婚姻致しました。その証拠にこれをご覧下さい。」


そこには左手の薬指に光る女子ならば誰しも憧れる神々しいリングがはめられていた。


「な、何よ。そ、それがどうしたのよ!それが結婚した証拠だとでも言うの?」


「ええ。それにワタクシ達はもう結婚の儀式である誓いキスも済ませておりますわ♪」


その時、プシュケの後ろから足音が近づいてきた。そうこの騒ぎが気になってエロースが扉の近くまでやってきたのである。彼の髪は透き通るような青い空のようだ。


「おや、バイトルじゃないか?どうしたんだい?うちまで来るなんて珍しいね♪」


そう言って手を挙げたエロースの左手にはいつもはめていない指輪が光っていた。


「え、エロース。私仕事紹介しにきたのよ!そしたら、この女がエロースと結婚した妻ですって!笑っちゃうわよね。本当に!エロースもそう思うでしょ。」


「そうだ。バイトル。遅くなったけど紹介するよ!こちら、ぼ、僕のつ、妻になった1級神プシュケ。僕なんかじゃ釣り合わないかもしれないけど、今後努力して彼女に相応しい男になるよ♪」


「ほ、本当なの?彼女の話・・・。本当に結婚したの??ドッキリかサプライズじゃないの?」


「うん、結婚したよ。出会い方は普通じゃなかったけど、今では彼女を迎えられて本当に幸せなんだ♪」


その言葉を聞いたプシュケは彼に腕を絡めて、笑顔で微笑んだ。


ーがーんー


そんな擬音が相応しいくらい、バイトルは今までに無い衝撃を受けた。それでもバイ

トルは自分の優位性を主張しようと話を続ける。


「で、でもでも。仕事はどうするの?6級神のあなたじゃ、日ゴッデスもままならないでしょ。あなたみたいな男は無理せず、身の丈にあった生活をするのが一番よ!ねっ、そうでしょ、エロース!」


「そのことなんだけど、実はあと2週間ぐらいしたら僕は地上界に旅に出るんだ。だから、それまでの間地上界の知識を身につけなきゃならない。」


「ち、地上?エロース?何を考えているの?地上界なんて私達6級神に行ける訳ないじゃない?もっと現実を見なさい!それにあなたの地上行きの支援は誰がしてくれるっていうの?この女にそれが出来るって言うの?」


そう言うとバイトルはエロースの顔を見据えた。多少彼に失礼とも思ったが、彼女に間違ったことを言っていない自信があった。地上界へ行くにはある程度のゴッデス、つまり信者が必要である。地上での神はあくまで信仰の存在。その神が地上界で実体を得るには、多くの民に崇め奉られなければならない。そのため、もし信者の少ない6級神程度の神が地上界へのゲートをくぐれば、忽ちその存在は無に帰り、地上界を幻体で彷徨うことになる。つまり、生涯神界へ帰還出来ないのである。それ程地上界へ行くことにはリスクがあり、常識から見ればエロースの発言は彼女にとって、馬鹿げた話に聞こえた。


「先程からあなたのお話を伺っていましたが、少し失礼ではなくて。バイトルさん、あなたがエロース様とどのような関係だったかは存じ上げませんが、仮にも彼はワタクシが見初めた殿方。彼は地上界に行っても立派に務めを果たされるはずです。それに、地上界へのバックアップはワタクシを含めたワタクシの家族が致します。どうぞご心配なきようお願い致しますわ。」


と、今まで黙っていた代わりとでも言うように、そう言い放った。その強い姿には隣にいたエロースすらも驚いている。


「あ、あなたの家族って誰よ?そんなことが可能な神なんて数えるぐらいしかいないんだから!さあ、答えなさいよ!」


「ワタクシ、あなたにそこまで答える義務はありません。ですが、あなたがそこまでお知りになりたいなら教えて差し上げますわ・・・。父は1級神ヘパイストス、母は1級神アフロディーテ、そしてワタクシはその娘、1級神プシュケですわ。どうぞお見知りおきを!」


バイトルは特段上位神について詳しい訳ではない。しかしそんな彼女でも知っているのが1級神という存在。その中でもヘパイストス、アフロディーテは有名である。否、ただの有名神ではない。超有名神である。バイトルは自分の考えの浅はかさに打ちのめされた。しかし、なぜ、そんな神々がエロースを。エロースより相応しい神はいくらでもいるはず。なぜ、なぜ、なぜ?そんな疑問が彼女を支配したが、この場を撤退するには十分な衝撃であった。


「良く分かったわ。最後に一つだけ質問させて。どうして彼なの?本当に彼じゃなきゃ駄目なの?」


「はい。ワタクシは彼でなくては駄目なのです。」


彼女はそう一言だけいうとエロースの腕を強く自分の胸に引き寄せ、自分が妻であることをバイトルに強烈にアピールした。

その姿を見たバイトルは、エロースの隣に自分の居場所が無いことを悟り、そして最後に彼にとびきりの笑顔を向けた。


「エロース!気をつけて行ってきて!立派になって帰ってきたら、今までよりもっと良い仕事紹介してあげるんだから、それまで死なないでよね・・・。」


そう言った振り向き様、バイトルの目に光るモノがあったことを、エロースは見逃さなかった。なぜかエロースの胸はチクチク痛んだ。そんな姿を察したプシュケは胸に抱え込んだ腕を引っぱり部屋の中へ連れ込んだ。


「さあ、エロース様、旅立ちの日まで余り時間がありません。ここからは多少厳しく教えさせて頂きますね!」


「僕に出来るでしょうか・・・?」


「そんな自信の無いことでどうするのですっ!あなた、ワタクシの夫なら魔王の一人や二人倒してきなさいっ!」


「は、はい!」


そういうプシュケの目はいつもより迫力があった。そう少なくとも彼女はバイトルという娘の彼に対する愛を感じ、そして嫉妬したのである。こうしてその日のエロースは、プシュケの嫉妬と知らずに、いつもより厳しい授業を受けることになった。


旅立ちの日、つまりプシュケの両親と再開を果たす約束の日が明日に迫った夜、エロースはプシュケと横になって最後の日を過ごしていた。


「エロース様、いよいよ明日が出立の日です。ワタクシはあなたと一緒に地上に降りることは叶いません。以前お話しした通り、エロース様には地上界に降り、魔王、つまり魔界から地上界へ転移した元神を討伐して頂きます。地上はワタクシ達神々が創造した言わば遊び場のようなもの。今回エロース様が行かれる地上はその1つとお考え下さい。ワタクシ達はそこに転移した神を悪魔の神、魔神と呼称しています。地上界では転じて魔人、魔王と呼ばれる存在です。エロース様には信者がおりません。ひょっとしたら数人ぐらいはいるかもしれませんが、エロース様が6級神であることが、信仰の低さを証明しております。今回の目的はより多くのゴッデスを獲得すること。即ちより多くの信者を獲得することに他なりません。本来であれば地上に行かずとも、ある程度地上に干渉すれば名が知られ、ゴッデスを増やすことも可能なのですが・・・。」


「僕には、そ、その地上に干渉する程度の信仰も無いということだね。」


「はい。残念ながら・・・。」


「そのため、地上に直接乗り込んで、信者を獲得しながら力を蓄え、魔人を倒すことにより英雄になる、ということだね。」


「その通りです。ですので、地上界へ行く通常の神々とは違い、最初は特別な技も使えないはずです。本来であれば神具しんぐがあれば、神技しんぎが発動出来るはずなのですが、それすら期待出来ません。ですので、少しづつ名声を稼ぎ、エロース様の中に眠る本来の力を取り戻して下さい。どのような技かは分かりませんが、きっと旅の手助けになるはずです。」


「僕一人で大丈夫だろうか・・・。」


「心配はご無用です。この半月ワタクシの方で教育させて頂いたのですから、何の心配も無用でございます。戦い方、言葉、儀礼、エトセトラ。これらのことがエロース様の中に染み付いているはずです。ワタクシは確信しております。必ずや手柄を立ててくれるということを!なのでワタクシは何も心配などしていないのですよ♪」


そういうとプシュケはエロースの大事な部分に手をかけた。体の上に羽織っている毛布で姿は確認出来ないが、感触でそれと分かる。


「プシュケ、一体どうしたというんだい?」


「エロース様、そういえば、ワタクシには一点だけ気がかりなことが御座います。」


プシュケはそう言いながらエロースの装束のベルト部分を外し始めた。


「ぷ、プシュケ。それは良く無いことだ。僕が手柄を立てるまで、は、初めては我慢すると二人で誓いあっただろう・・・。」


「まあ、エロース様。何か勘違いされているようですわね♥」


するとエロースの大切な部分には徐に固いコルセットのようなモノがあてがわれた。暗闇で見えないので、彼は頭の中で想像するしかなかったが、少しゴツゴツしたモノだ。そして金属同士がはまるような音が響いた。


ーガチッー


「今のは?」

流石にエロースも不安になり、プシュケに問いかけた。そしてそれを察したプシュケは彼に対し不適な笑みを浮かべこう答えた。


「貞操帯でございます♥」


「て、貞操帯?」


「はい。旦那様の貞操を守るための術法とでも思って下さい。ワタクシはエロース様の妻です。もちろん、初めての男性もあなた。そしてエロース様の初めての女性もワタクシでなくてはなりません。これ絶対です♪」


「は、はあ。」


「もちろん、エロース様のことは神明に誓って信じております。しかしながら、エロース様、あなたは押しに弱い傾向が見られます。そのことがワタクシにこのような行動に駆り立てました。」


エロースはプシュケのもっともらしい話に違和感を感じながら聞いていた。そしていくつかの疑問を彼女にぶつけてみた。


「プシュケ、そ、その、これを付けている時、かわやで、そ、その・・・。」


「厠に行く時でございますね。ご安心下さい。これは普段そのような行為の邪魔にはなりません。今確かめてい頂いても結構ですが、通常は何も穿いていない状態と同じです。ですので、普段は意識して頂く必要はないのです。目にも見えないはずですから。ワタクシもその辺はしっかり心得ています。た・だ・し、もし、エロース様が良からぬ行為、即ちリビドーを高めるような行為に及ぼうとした場合、多少覚悟をして頂く必要が御座います♥」


「ち、ちなみにどのような感じになるのかな?」


「聞きたいですか♪」


「こ、後学のために・・・。」


「もし不埒なことを考えた場合、またはそのような行為に及ぼうとした場合、その貞操帯は顕現し、一晩神ですらも堪え難い苦痛、まあ、この場合、快楽ですが、そのようなモノがエロース様を襲うでしょう。次の日は抜け殻になること必至ですわ♪」

エロースは彼女の不適な笑みにこれ以上深く突っ込んだ質問をすることを止めた。


ープシュってもしかしてヤンデレ系ヒロイン!?ー


そんなメタなことを考えていると、表情が一転した。


「さて、ワタクシの一番の懸念材料も排除されたことですし、そろそろ寝ましょう。明日はお父様達も6層ゲートにいらっしゃるはずです。明日からエロース様と離ればなれになるのは非常に寂しいですが、ワタクシ、我慢致しますわ・・・。」


先程の恐ろしい程不適な笑みを浮かべたプシュケと違い、今度は殊勝な感じの彼女を見て胸がキュっと締め付けられた。そして二人はお互いの体温を感じるため、手を繋ぎながら眠りについた。


翌朝、手を繋ぎながら眠りについた僕は、彼女の体温に欲情してしまったようだ。しかしその直後、昨晩着けられた貞操帯の効果を不覚にも体感することになる。そう、それは己の中に沸き上がったリビドーが一気に搾り取られるような感覚。正に出し尽くした後の疲労感、倦怠感。そんな言葉が適切であろうか。やつれた自分の顔を確認して現実であったことを再度認識した。


「エロース様、お目覚めでございますか?只今朝ご飯のご用意をしておりますので、しばらくテーブルでお待ち下さいませ♪」


エロースはプシュケの姿を見てふと思った。妙に機嫌が良い。何かあったんだろうか・・・。


「エロース様、そう言えば、昨晩ワタクシで感じて下さったのですね♥ワタクシはとても嬉しゅう御座いました♪」


「ぷ、プシュ。な、なに言ってんの・・・?ぜ、全然身に覚えがないんだけど・・・!はははっ。」


「まあ、エロース様ったらどもってしまって!可愛らしいわ。安心して下さい!そちらの貞操帯はワタクシの術法。ワタクシの一部も同然ですわ。よってエロース様が感じて下さったことは、ワタクシも感じることが出来るのです。これでいつも一緒ですね♪テヘッ♥」


お、重い。朝から重過ぎる。日々プシュケのイメージがエロースの中で音を立てて崩れて行った。


「朝ご飯を食べたら6層ゲートへ向かいます。エロース様、心の準備は宜しいですか!?しばらく神界に戻ってくることは叶いません。ですので、この半月間教えさせて頂いたこと、決してお忘れなきようお願い致します!」


エロースは再度、この神界へ必ず戻ってくることを心に誓った。


そして、朝食を食べたエロースとプシュケは6層ゲートへと向かった。そこには既に半月前に一度対面しているプシュケの両親、ヘパイストスとアフロディーテの姿があった。そして二人はすぐにこちらの姿を認め、近づいてきた。


「ふむ。半月前とは別人のようじゃ。プシュケにだいぶ仕込まれたようじゃの!」


「それに少し男を上げたかしら♥」


と夫婦は互いにエロースを見た感想を述べた。


「その目を見る限り、覚悟も出来ているようじゃな。小僧、これから進む道は決して楽なモノではない。お主の階級では通常、地上界へ転移することもままならん。そのため、今回はわしらの力を使い送り込むことになる。ワシも6級神を送り込むことなんぞ初めてのことぞ!もし、万が一不測の事態が起こることも十分ありえる。それでも行くか、小僧?」


その威圧する目は冗談ではない、本気の目だ。正直恐い、恐過ぎる。でも、ここで行かなければ、これまでと何も変わらない気がする。だから行く、自分の為に、そして何よりそれを望む彼女のために!


「行きます!」


「うむ。では其方にこれらを授ける。心して持って行くが良い。」


「こ、これは?」


「これはワシが鍛えた武具アキレウスじゃ。今は剣の形状をしているがお主の力、ゴッデスが高まれば、その姿、鎧にも楯にも槍にも自在に操れるじゃろう。ほれ、このように!」


そう言うとヘパイストスはその剣を槍や楯に変えて見せた。そして、元の剣に戻す。


「ぬしの力では剣の形状を維持するのが精一杯じゃろう。まあ、このままでも十分其方の力となろう。そして・・・。」


ヘパイストスの傍らに居た美しくも妖艶な女神アフロディーテ。その姿は娘プシュケと似てはいるが、流石三美神と呼ばれるだけのことはある。その姿はどのような神をも魅了するだろう。そんな彼女はエロースに向かって弓を差し出した。


「エロース殿、こちらもお持ちなさい。そなたを目的地へ導いてくれることでしょう。」


「これは?」


「わたくしが創造した弓です。あなたの想いの力で、つまり愛の力が高まれば、その力を発揮することでしょう。名前は、そうね・・・。考えっていなかったのだけれど、名がないとなると想いを込める際に不便ね。そうだわ、アモール、愛を意味するアモールでどうかしら?」


「アモールの弓・・・。」


「そうです。アモールの弓。矢はあなたの想い、即ち愛。その想いが矢を形作り其方を約束の地へ導くでしょう。さあ、お持ちなさい。」


エロースは二人からそれぞれ、アキレウスの剣とアモールの弓を受け取った。そして、それに続き、隣にいたプシュケに声を掛けられる。


「エロース様、最後にこちらをお持ち下さい。これはエロース様に何かあった時、きっと力になります。これがあればいつでもワタクシを感じることが出来ましょう。一緒にいない間はこちらをワタクシと想い、肌身離さずお持ち下さい。」


そう言ってプシュケから渡されたのは見たことも無い美しいクリスタルの首飾り。


「名前は、そうですね。アリアドネの首飾りとでもお呼びください。ワタクシはいつでもあなたの側におります!」


三人から餞別を受け取り、ゲートへと歩みを進める。横にはプシュケが付き添ってくれているが、ゲートに近づきすぎると、プシュケまで転移に巻き込まれる恐れがある。あと数歩一緒に歩いたらしばらくお別れだ。

その時、見覚えのある男性が姿を現した。


「どうやら間に合ったようだね。君もヒドいじゃないか。二週間経ったら、髪の状況を見せてくれると約束したのに。」


「すみません。それどころではなくてすっかり忘れていました・・・。すみません、サスーンさん。」


「いやいや、良いよ、そのことは。しかし、君もいきなり大変なことになったね!そんな君にこれを持って来た。餞別代わりと言っては何だが、先日君に協力してもらった染料だよ。三色用意してあるから自由に使うと良い。君の髪質に合わせたオーダーメイドだ。って別にオーダーされた訳じゃないんだけど、ようは君専用ということさ。すっかり美しい銀髪に戻ってるようだから、地上界で変装にでも使ってくれたまえ♪持続時間は使った量によって変化するから、使用前には必ずこのマニュアルを読むように!」


「サスーンさん、代金は?」


「いやいや、君には普段世話になっているし、それに迷惑を掛けたお詫びも含めてというところかな!とにかく、気にしなくて結構♪」


そう言うと、彼はアフロディーテの方を見て少し微笑んだ気がした。気のせいかもしれないが、そう見えた。エロースはサスーンから三つの染料瓶を受け取りかばんにしまう。


プシュケはゲート前、ギリギリのところまで一緒に付き添った。そして、歩みを止める。僕はそのままゲートに踏み込んだ。あとは呪文を唱えればそのまま地上界に転移するはずだ。

少し手前にはプシュケ、サスーン、そしてその先にはヘパイストスとアフロディーテの姿。そして・・・。よく見ると遠くの柱の陰、そこにはバイトルの姿があった。彼女はこの状況に遠慮して、見送りを遠目からでもしてくれているのだろう。エロースは送り出してくれる人達を見て、再度決心を固める。何としても魔王を討伐し、そしてこの神界へ帰還すると・・・。


「ー異界転移トランスポジションー。」


こうして、僕エロースは不安と期待を胸に地上界へと舞い降りた。そう、この転移が自分に与える影響について考えもせずに・・・。

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