医務室にて

 風花学院の医務室は、一般の学校にある医務室と大きく異なる。

 その最たる違いは、医療設備の充実さだ。命懸けでファントムとの戦闘に挑む幻想を砕く者ブレイカーの育成に力を注ぐ風花学院の授業は上級生になるほど苛烈を極めたものが多い。実戦訓練の授業中に瀕死の重傷を負うことも決して珍しい話ではない。

 そのため、風花学院の医務室には常に最先端の医療設備が用意され、生徒たちは皆平等に最先端の医療を受けることができる。


 それは魔力の限界行使によって気絶した春市も例外ではない。


「……ん、っ」


 光が滲むように広がる感覚に、春市は意識を覚醒させた。

 目を開けた視界に広がるのは真っ白な天井。鼻につく薬品の匂いが、この場所が医務室であることを教えてくれた。


(あー、身体中が痛えぇ……)


 首を回し、窓を見上げると外には星がまたたいている。

 あれから何時間も眠っていたらしい。


「いっ⁉︎ つう……」


 起き上がろうとした体に電気が走ったような痛みが襲い、春市はベッドに再び倒れこむ。魔力の限界行使によって悲鳴を上げた肉体が、起き上がることを拒絶しているようだ。傷自体は包帯が巻かれた右腕を覗いて、ほとんどが治っているようだが、疲労による気怠さと筋肉痛にも似た痛みが鉛のように残っている。


「気がついた?」

「……凪沙? なんでここに居るんだ?」


 声がした方に振り向けば、そこには春市が横たわるベッドの側に座り、スマホをいじる凪沙がいた。

 予想外の人物に春市の頭に疑問符が浮かぶ。


「なによ、その言い草は。春市ハルの鞄をわざわざ持ってきてあげたのに」


 椅子の下から春市に見せつけるように凪沙が取り出したのは、春市が普段から使っている学生鞄だった。放課後になっても戻って来ない春市のために、高等部校舎から医務室まで持ってきてくれたらしい。


「サンキューな。助かった」


 素直な感謝の言葉を贈ると、凪沙は満足そうに頷き、


「お礼はカフェテリアのスペシャルケーキセットでいいわよ」


 とんでもない見返りを求めてきた。


「それ一個二千円以上するじゃねぇか!」


 学生寮にある食堂とは別に設置された学生たちの人気スポットのカフェテリアはお洒落な内装と、茶葉や豆にこだわった紅茶とコーヒーが売りの店である。とりわけ、女子生徒たちの人気が高く、放課後や休日には多くの女子生徒が会話に花を咲かす場所だ。

 ただし、そのぶん値段がかなり張る。その中でもとびきり高いスペシャルケーキセットのお値段は、なんと一個二千五百円。学生が頼むには、少々ではすまないくらいに高い。


「ファントム退治でお金貰ってるんでしょ? ちょっとくらい奢ってもバチ当たらないわよ」

「アレは麻耶先生が面倒くさいからって、自分に回ってきた討伐依頼を無理やり俺に押し付けてるだけで、金を貰ったことなんて一度もねぇよ」


 つまりただ働き。一応、足りない内申点の補助や追試免除などの見えない報酬は支払われてはいるので、まったくのただ働きというわけではないが、やはり現金みたいな形ある報酬も欲しいとは思ってしまう。


「ふうん……まぁ、そういうことにしといてあげるわ」


 凪沙が足を組み直しながら、わざとらしく無関心な口調で呟いた。

 ふと、春市はある事を思い出す。


「そういえば、ハーネットのやつはどうなったんだ?」


 医務室をぐるりと見渡すが、現在この医務室にいるのはベッドに横たわる春市とその見舞いに来た凪沙しかいない。


「ハーネットさん? なに、気になるの? 」

「当たり前だろ」

「当たり前……ねぇ」


 春市が即答した途端、凪沙の整った顔に皺が寄った。

 第三者から見ても、明らかに不機嫌な様子の凪沙に春市は首を傾げる。


「おまえ、なんかいきなり機嫌悪くなってない?」

「なってないわよ!」


 怒鳴られた。しかも理由もわからず。


「……ハーネットさんならあの後直ぐに教室に戻って来たわよ。放課後に水無瀬先生が事後報告をするから生活指導室に行くように言ってたから、たぶんまだ学校じゃない」


 不貞腐れた表情で話す凪沙を見て、春市は目の前の友人が何故こんなに不機嫌になったのかを考える。


(まあ、初日からクラスメイトを医務室送りにしたやつなんだから、この反応は当然か)


 導き出した結論に一人うんうんと、うなづく。

 春市本人からすれば、よくある魔力暴発を止めただけなのだが、いかんせんその規模が大き過ぎた。無事に事を終えれたからよかったが、下手をすれば命に関わる危険な行為を春市が行ったのもまた事実だ。

 それなのに、深い眠りから覚めた当人の第一声が暴発させた張本人の心配となれば、身を案じてわざわざ見舞いに来た凪沙としては機嫌も悪くなる。

 そんな、ある意味で正論で、ある意味では見当違いな考えに至った春市は、申し訳なさそうに自分の頬をかく。


「あー……悪かったな」

「なんであんたが謝るのよ?」

「いや、なんとなく?」


 そう答えると、凪沙が呆れを孕んだ目で見つめてきた。

 しばらくの間、時間にして数秒程度。自然と春市と凪沙の視線が見つめ合う。


(なんだ? 本当に俺はなにをしでかしたんだ?)


 沈黙に耐え切れなくなり、助けの声が出そうになる中、凪沙が大きな溜息を吐き出す。


「なんとなくで謝んないでよ。あたしが春市ハルをイジメてるみたいじゃないの」


 凪沙はそう言って、膝の上で頬杖をついた。そして、そのまま横目でちらちらと春市を見ながら、


「そ、そういえばあの子と春市ハルって、どういう関係なのかなー……なんて思ってみたりして」

「あの子?」

「ハ、ハーネットさんよ。朝のホームルームの時、すっごく仲良さそうにしてたじゃない。べつに興味なんて微塵もないんだけどさ」

「はい?」


 そういえば説明を求められていたな、と春市は朝の一件を思い出す。そのあとの出来事が強烈過ぎたせいで、頭の中から綺麗さっぱり抜け落ちていたのだが。


「関係もなにも、ただ昨日寮の前で偶然会っただけなんだけど」

「本当に?」

「嘘いてどうすんだよ。女子寮の場所がわからなくて困ってたとこを補修帰りに見つけただけだっての」

「ふ、ふーん。そっか……そうなんだ」


 二度三度うなづいて、凪沙は表情を明るくして顔を上げた。


「あー、びっくりした。春市ハルがいきなりロリコンに目覚めたのかと思っちゃった」

「だから、濡れ衣だって。それに、俺はどっちかって言えば凪沙みたいな女の方が好みだし」


 ぽろりと呟いた春市の言葉に凪沙が顔を真っ赤に染める。


「ばっ、馬鹿じゃないの‼︎ なに変なこと言ってるのよ! 変態! エロ魔人!」

「えっ! いや、そういう意味じゃなくて! こう、女の体の好みてきな話でだな」

「うっさい! 馬鹿! わざわざ口に出すな!」


 自分の体を両手で抱きしめて、凪沙は有らん限りの罵倒を叫ぶ。

 ただし、表情はどこか嬉しそうにニヤけているが。


「とにかく! あたしはもう帰るから、春市ハルも早く着替えて帰りなさいよね!」


 笑顔で他人を罵倒するという器用なことをやった後、椅子に立てかけてあった鞄をひったくるように拾い上げた凪沙は逃げるように医務室から出て行った。

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