第12話 制圧

 アイリーンが突入の直前に確認した生体センサーの表示では、4人の影が5階の一番奥にあった。

 1人が萩生田所長だとすると残る敵は3人だ。


 5階のフロアに立ったアイリーンは、廊下一番奥の部屋に銃口を向けながら戦闘姿勢のまま、すり足で進んだ。

 本来ならば援護の兵士が来るのを待つべきなのだろうが、アイリーンの気持ちは逸っていた。

 今にも萩生田に危害が及びそうに思えたからだ。


 アイリーンが扉のノブに手を掛けようとした瞬間だった。通り過ぎてきた後方の2つの扉が一斉に開き、二人の男がアイリーンの背中に銃口を向けた。


――しまった、焦りすぎた――


 アイリーンの脳裏に微かな後悔が走った。


「銃を置いて、ゆっくりとこちらを向いてもらおう」

 男の一人がアイリーンに話しかけた。


――相手は二人。しかもこいつらは、戦闘の訓練を受けている――


 醸し出す殺気が先程の男たちと全然違っていた


――明らかに不利――


 一瞬の内にアイリーンは判断を下した。


 ライフルを床に置くために、アイリーンがゆっくりと膝をたたもうとしたちょうどその時だった。

 下の階から二人の兵士が駆け上がってくる靴音が聞こえた。


 背後の殺気が一瞬揺れた。


 アイリーンはそのままの姿勢で振り返り、瞬時に二人の男たちの胸を緑色のビームで射抜いた。


 レーザーライフルは最大の特長、照準の正確さの他に、更にもう一つ重要な機能を持っている。出力の調整が可能だという事だ。


 アイリーンが設定していた出力はレベル3。服を通して撃たれているので、致死レベルではない。

 火傷の治療は必要だが、二人とも1時間もすれば目を覚ますはずだ。


 階段を上がってきた兵士たちは、開いている2つの扉の奥を確認した。室内には他に誰もないようだ。


 アイリーンは気を取り直し、もう一度廊下正面の扉に銃口を向けた。

 合流した兵士2名はアイリーンの前に移動し、突入態勢をとっている。


 アイリーンが目で合図をすると、兵士の一人がドアノブを引き、同時にもう一人が援護のために室内に銃を差し込んだ。


 ドアの向こう側。アイリーンの正面には、萩生田を盾にしながら、軍用拳銃の銃口を萩生田の頭に当てている長身の男がいた。


 アイリーンの銃口が放つ緑色のポイントは、しっかりと男の額を捉えている。


「撃て、撃つんだ!」

 萩生田が叫んだ。


 アイリーンは迷った。引き金を引けば、確実に男にはダメージを与える事できる。

 しかしレベル3程度の出力では、瞬時に男を仕留めることは出来ない。


 撃たれたショックによる筋肉の収縮で、男が萩生田を撃ってしまう可能性もある。


「私に構わず、撃ってくれ!」

 萩生田はもう一度叫んだ。


「どうした、撃たないのか?」

 男はにやりと笑みを浮かべた。


「銃を捨てなさい。あなたに勝ち目はない」

 アイリーンは言った。


「そっちこそ、銃を捨てたらどうだ。ミスター萩生田が大切ならな」


 アイリーンは射撃姿勢を保ったまま、男の目を見つめた。

 感情の無い目、或いは感情を完全にコントロールできる男の目だった。


 何度も死線をくぐり抜けてきたのであろうその眼は、美しいブルーの瞳のその奥に、真っ黒な無限の空洞が広がっているように思えた。


 この男は必要とあらば、躊躇なく萩生田を撃つ。アイリーンはそう確信した。


「ライフルを床に置いて」

 アイリーンは援護の兵士たちに短く告げた。


 二人がゆっくりと銃を下そうとしたその時だった。

 ほんの一瞬だけ男の視線が、左右の兵士の手元に揺れた。


 アイリーンは瞬時に、照準の緑のポイントを僅かにずらして、男の左目に移動させた。


 男はレーザー光に網膜を焼かれ、その光を遮ろうとして、反射的に両手を眼前にかざした。


 萩生田から短銃が離れたその時、アイリーンは人差し指に力を込め、威力を増した強い光が男の顔面を捉えた。


        ※


「萩生田所長、ご無事で良かった」


 アイリーンは身に着けていたフェイスマスクとゴーグルを外すと、萩生田に駆け寄った。


「アイリーン……、なぜ君がここに?」

「後で全てお話しします。歩けますか?」


 アイリーンは萩生田の両手と両足を車椅子に縛り付けていた、ベルクロのベルトをバリッという音と共に剥がした。


 萩生田の意識は正常に戻ってはいたが、まだ少しだけ眩暈を感じていた。


「ビルの正面玄関まで下りてお待ちください。そこにいる二人がサポートします」


 アイリーンが部屋の外に控える二人の兵士に目で合図をし、呼び寄せたその時だった。


 パン、パンという破裂音が2つ聞こえたかと思うと、二人はその場に膝を落とした。


 ボディーアーマーとフェイスマスクが保護していない首の付け根の部分を、たった2発の射撃で正確に射抜かれたのだ。


 アイリーンはもう一度レーザーライフルを構えようとしたが、それよりもずっと素早く、男はまるで豹のような柔らかな身のこなしで、部屋を駆け抜けていった。


――考えられない――


 レベル3に威力を落としてあったとはいえ、先程アイリーンが放った一撃は顔を直撃している。動ける訳がない。


 アイリーンがそう考える間もなく、外ではもう一発パンという音が聞こえた。


「所長、ここを動かないで下さい」

 アイリーンは先ほど音が聞こえた方に走った。


 五階フロアの廊下奥にある非常扉をゆっくりと開くと、そこには兵士が仰向けに倒れていた。先程の突入時に、見張りのために待機させた兵士だ。


 やはり首を撃ち抜かれており、装備していたはずのレーザーライフルが無くなっていた。男に奪われたのだ。


 アイリーンは自分のレーザーライフルの出力をレベル5に上げ、戦闘姿勢で屋上への階段を登って行った。


 屋上はそれほど広くは無い。相手と対面すれば一撃で勝負は決まる。


        ※


 階段を登り切り、物陰から辺りを伺うが、当然のように相手の姿は無い。


 向こうはどこからか、こっちの出方を伺っているはずだ。どこにいる?

 アイリーンは意を決し、屋上の中央に転がり出た。


 レーザーライフルは、照準を合わせた時点で相手の居場所まで緑色のビームが真っ直ぐに伸びる。

 それは照準を外さないと言う長所であると共に、自分の居場所を相手に知らせてしまう欠点でもあった。


 アイリーンが一見無謀な策に出たのは、それが相手の居場所を知る最も手っ取り早い手段だったからだ。


 屋上の片隅に一区画だけ飛び出しているエレベーターの機械室の上から、緑色の真っ直ぐな光がアイリーンの体を捉えた。

 その光は一瞬にして眩しく輝くと、アイリーンの首の付け根に鋭い衝撃を伝えた。


 アイリーンはその光の源に向け、迷うことなくレーザーライフルの引き金を引いた。


 眩い緑色の光は真っ直ぐに伸び、闇の中に立つ黒い影で止まった。アイリーンの反応時間はコンマ1秒もなかった。

 もしもその場で、誰かが露光時間の長い夜間撮影をしていたら、暗闇に二本の緑色の平行線が写ったはずだ。


 一瞬の静寂の後、重い金属を床に落としたような、ガチャリという音が響いた。


 アイリーンの暗視スコープには、男が左目と頬、そして脇腹から鮮血をほとばしらせながら、うっすらと口角を上げて笑う姿が映っていた。


 その姿はスコープの下方に消えて、ドサという砂袋が落ちたような鈍い音がその場所に聞こえた。


 階段からは、下の階の制圧を終えた兵士が一人、応援に駆けつけてきた。


「大丈夫ですか?」

「レベル3の出力では、セラミックプレートは貫けないわ」


 繊維が焦げた匂いの立ち上る、タートルネックの折り返しからは、鼠色の一枚の板が足元に落下した。


 アイリーンはその細長いセラミックプレートを拾い上げると、もともとそれが収まっていた左胸のプレートキャリアに差し込んだ。


「援護して」

 アイリーンは応援の兵士に短く言うと、屋上を一直線に走った。


 そして機械室の壁に背中を当てて後ろを振り向くと、兵士が銃口を上に向け、援護姿勢をとっている事を確認した。


 アイリーンは機械室の脇に取りつけられたタラップを登った。

 そこには男の体が横たわっているはずだった――


 しかしそこにあったのは、置き去りにされたレーザーライフルと、血だまりだけだった。


 周囲を見回すと、コーナーに取りつけられた避雷針の付け根に、登山用のカラビナが掛かっており、ザイルが結ばれていた。


「ここから懸垂下降したようですね」

 アイリーンに続いてタラップを登ってきた兵士が言った。


「初めから逃げるつもりで準備がしてあったみたいね」

「ミスター萩生田を確保するのが難しいと判断した時点で、奴らは首謀者一人を逃がす事に目的を変更したのでしょう」


「何故わざわざ屋上から逃げたのかが分からないわ。事前に私たちの行動に感づいていたのだから、突入前に一階から逃げる事だってできたはず」


「そうとも言えません。逆に犯人側の立場に立つと、あの時点では我々の突入のタイミングも、こちらの陣容も分からなかったはずです。

 まずは我々に突入させ、戦力を見極めてから逃げる方が確実だと判断したのではないでしょうか」


「確かに、こちらは戦力をビル内に集中させたので、外には誰も残っていなかったわ」


「恐らく下の階にいた男たちは、我々をビル内に呼び込むための囮に使ったのでしょう」


「あの時、犯人達が突然動いたのは、陽動作戦だったという訳ね」

「多分そうです。我々の存在は、何らかの方法で事前に犯人に察知されていた。しかし向こうには、それがただの偵察行動なのか、それとも救出作戦の一環なのか確信がなかった」


「だから、中で慌ただしく動いたように見せて、我々の出方を見た」

 アイリーンの推測に、兵士は首を縦に振った。


「私たちは、それにはまんまと乗せられたという事ね」

「そうです。ただ、“まんまと”と言えるのは半分だけでしょう。

 折角拉致したミスター萩生田を、ここに残して行った訳ですから、明らかに犯人側に油断と誤算があった事は間違いありません」


 アイリーンは兵士の言葉に、何も答えなかった。


「アイリーン、あなたが迅速な判断で、ミスター萩生田の後を追った事が功を奏したのだと思います。

 あなたは一階を制圧した直後に、一目散に5階に駆け上がった。

 実戦の経験者であれば、絶対にしない無謀な行為。あれこそ、相手には予想外だったはずです」


 アイリーンが屋上から5階に戻ると、兵士たちが倒れた男たちに、拘束帯を付けているところだった。


「撃たれた仲間は?」

 アイリーンが訊くと、兵士は無言で首を横に振った。

 アイリーンは胸に湧き上がる感情を辛うじて押しとどめた。


「それが終わったら、ミスター萩生田を一階にお連れして。私はホテルに預けた車をこちらに回します」

 近くにいる兵士に、アイリーンは告げた。


       ※※※


 アイリーンは一人コンテナに戻っていった。そして後部扉を開けて中に入ると、彼女は首に掛かったゴーグルとヘルメットを脱いで壁に掛けた。


 側にあった椅子に腰を下ろし、一度だけ深く息をつくと、アイリーンの脳裏には先ほどの突入の場面が蘇った。


 5階への単独突入――、あれは明らかに勇み足だった。


 自分自身を危機にさらしただけならまだしも、兵士3名を犠牲にし、ことによれば萩生田所長まで銃撃戦に巻き込んでしまい兼ねなかった。


 以前の自分ならば、絶対にあのような行動はとっていないはずだ。

 あの時、なぜ自分はあんなに取り乱してしまったのだろうか?


 アイリーンには自分自身の行動の理由がまったく理解できず、途方に暮れる思いであった。


 椅子に座ったままで、両肘、両膝のプロテクターを外し、重いボディーアーマーを脱いだ。


 身に着けた装備品を一つ外していくごとに、アイリーンは自分がひ弱で何の力も持たない、本来の姿に戻っていくように感じられた。


 いたたまれない思いが胸に広がった。

 今、自分はどんな顔をしているのだろうか?

 アイリーンは自分の姿を鏡に映してみた。


 そこには黒いコンバットスーツとは不釣り合いな、気の抜けたたような、なさけない女の顔があった。


 このまま服装まで元の姿に戻ると、張りつめていた気持ちや覚悟までが一気に崩れてしまう。

 アイリーンはそんな気がして、コンバットスーツを脱ぐのを止めた。


 幾つものピンで留めて、ひっつめにしていた長い髪を下すと、アイリーンは自分の頬を、パチンと音が聞こえるほど強く両手でたたき、コンテナを後にした。


       ※※※


 人けのない神保町の路地裏を、西に向かって走る影があった。しなやかな動きでありながら、その足は時折もつれているように見えた。


 その影の後方から、もう一つの陰が追っていた。

 三田村だった。


 トレーラーの動向を物陰から見張っていた三田村は、L&Wビルの上方から数発の銃声を聞いた。

 そして事を見極めようと、三田村が物陰から出ようとしたその時、隣のビルを壁伝いに、転げるように落下してきた人影があった。


 眼部からかなりの出血があり、脇腹を押さえた状態の男。その男はよろよろと歩き始め、やがて駆けだした。


 恐らく常人であれば、動く事さえままならない程の怪我だろうと、三田村には容易に察しがついた。


 男は路地を左右に揺れながら進んだ。


 はじめ三田村は、男がよろめいているのだと思ったが。しかしすぐにそうでないことが分かった。

 男は路上に設置された監視カメラの位置を把握しており、その死角をついて移動しているのだ。


 車通りの無い白山通りを最短で横切り、男はまた路地裏に飛び込んだ。


 迷いのないその行動に、それが予定され訓練を積まれたものであることは明らかだった。

 この道は、万が一の避難経路として確立されたルートなのだろう。


 男が進む方向は九段下駅方面。

 神田署の管轄から、麹町署の管轄に移る境界が近づいていた。


――ここで男を取り押さえるべきか――

――それとも、麹町署に男の追跡と確保を託すべきか――


 三田村は瞬時にどちらの考えも否定した。


 自分で男の行先を突き止めるべき。

 そう決意したのだ。


 首都高5号線の高架下をくぐり、目白通りを横切った。

 男は一体、どこに向かっているのか?


 もう目と鼻の先には、靖国神社が迫っていた。

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