第20話 最後の選択肢

 萩生田はホンファの動きを追いながら、マイヤーズからの連絡を待った。


 待つ以外にないもどかしさがあった。

 恐らく次の連絡が、作戦が成功したか否かの最終回答になるだろう。


 萩生田は作戦の成功を願いながらも、マイヤーズからの回答が思わしくなかった場合の事を、考えざるを得なかった。


 萩生田が考えたことは2つ。

 一つ目は、上海に上陸した場合の被害を、最小限にする方策。

 そしてもう一つは、不可能を可能にできるかもしれない、窮余の一策。


 じりじりとした時間が過ぎた。

 何時間も待ったような気がするが、僅かに5分ほどの間だっただろう。

 やがてスピーカからポーンと電子音が聞こえた。

 

「どうでした長官?」

 萩生田は、画面にマイヤーズが映るのと同時に話しかけた。

「残念ながら……」

 マイヤーズは無念そうに、首を横に振った。


「やはりそうでしたか」

 覚悟をしていたことではあるが、やはり萩生田の落胆も大きかった。


「ハリケーンの操作は、我々の知り得ない、全く次元の異なるプロセスで行われているのかもしれません」


「長官が先ほどいわれたように、エモーションアンプが重力場に影響を与えているのだとすれば、それはありえる話です。

 重力場は相対性理論によれば空間の歪みです。理論上説明はされていても、何がどうそこに作用するのか、だれも知らないに等しいのですから」


 萩生田とマイヤーズの間には、一瞬沈黙の時が流れた。


 しかしここですべてを投げ出すわけにはいかなかった。自分たちが観念してしまった時点で、多くの人命が失われる事が確実となるからだ。


「出来る手立ては全て尽くしましょう。IMLからは、すぐに中国政府に警報と避難勧告を出します。

 深夜ですから、避難出来る市民は限られるでしょうが、逆に過剰なパニックを避けられます」


「上海への上陸時間はどうなりますか?」

「今後の移動速度次第ですが、上陸はあと7~8時間後でしょう。日本時間で10時前後、上海時間で9時前後になるはずです」


「未明の時間で無いのがまだ救いですね」

「確かにそうです。暗闇は人の心を不安に駆りたてますから、被害を大きくしがちです」


「NSAはアメリカ海軍に対し、中国沖への出動を要請しましょう。ブラジル沖の作戦に参加していない、横須賀の第7艦隊を向かわせます。

 被災後の二次災害を食い止める事に全力を注ぎます」


 マイヤーズの顔には相変わらず苦悩が張り付いていたが、何かをしなければならないという思いが、彼を駆り立てていた。


        ※


 萩生田はマイヤーズと善後策を話しあいながらも、その脳裏には、ある考えが何度も浮かんでは消えていた。


 萩生田はその考えを口に出すか否か、逡巡しては、その都度口をつぐんだ。

 やがて萩生田は、ある決意を秘めて、マイヤーズ姿が映るモニター画面を見据えた。


「実は長官――、ホンファの上海上陸を防げるかもしれない方策が、一つだけあるのですが……」

 萩生田は言葉を絞り出すように言った。


「何ですって、どんな方策ですか?」

 マイヤーズは即座に反応した。


「もしも打つ手が何も無くなった時に、最後の手段としてご提案しようと思っていた事です」

「どんなことでも構いません。僅かでもチャンスがあるのなら、」


「先程長官は、大統領が核兵器の使用も辞さない覚悟だと仰いました。あれは本当ですか?」

「もちろん、本当です。軽はずみに言える言葉ではありません」


「それでは私も覚悟を決めてお話しします――。

 ホンファに向けて大陸間弾道弾ICBMを発射してください。それが最後の手段です」


 萩生田の言葉に、マイヤーズは驚きのあまり、両目を大きく見開いた。


        ※


「お言葉ですがそれに賛成しかねます」

 それがマイヤーズの回答だった。


「ミスター萩生田、20世紀の中ごろまでは、核兵器でハリケーンを消滅させることができると信じられ、アメリカ軍も真剣に研究していました。

 しかし、研究が進めば進むほど、それには現実性が無いことが判明し、結局実行される事はありませんでした。

 考えてもみてください。核弾頭数十万個のエネルギーに匹敵するハリケーンを、一発や二発の核ミサイルで蹴散らすことなど、とても出来ない話です」


「長官、私は核兵器でホンファを消すのだとは言っていません。ホンファをコントロールから解放する手段として、ICBMの使用をご提案をしたのです」

 萩生田の発した声は、極めて冷静だった。


「どういう事なのですか?」

 マイヤーズは萩生田の真意を訪ねた。


「今、ホンファの進路を制御しているのは、エモーションアンプが作り出した局地的な高気圧です。

 高気圧がホンファの進路に壁のように立ちふさがり、特定の方向以外には進行できないようにしているのです」


「高気圧の壁?」

「そうです。その壁はとても薄く、そして、それほど高くはありません。

 もしもホンファがその壁を越えることができれば、コントロールから外すことが出来るはずです」


「核爆発の力でその壁を壊すのですか?」

「いえそれとは逆です。ホンファの勢力を、壁を乗り越えられる程度まで強くしてやるのです」


「仰っている内容が、私には理解できません」

「ハリケーンのエネルギーとは結局のところは熱量です。ホンファの中心で核爆発を起こせば、ホンファの熱量は急激に増加するでしょう」


「どうなると言うのですか?」

「ホンファは消滅するのではなく、逆に成長するのです。

 今よりも少しだけ力を与えてやれば、ホンファは自力で壁を乗り越えるはずです」


 マイヤーズは萩生田の考えを、完全に受け入れたわけではなかった。しかし、一理あるというように、首をゆっくりと縦に振った。


「ミスター萩生田、壁を乗り越えたホンファが、もう一度相手に捉えられてしまう可能性は無いのですか?」

「瞬時にそれが行われるのでない限り、相手にとってはもう手遅れです。

 通常、東シナ海のハリケーンの挙動には、北向きと東向きのベクトルしか働きません。

 もしもホンファを西に進めたければ、北向きのベクトルを利用しながら、東向きに押す力に逆らって、北西方向に行かせるしかない。

 真西に進める事は不可能なのです。帆船の挙動と似たようなものです」


「結果的にはどうなるとお考えなのです?」

「一度コントロールを外れたホンファは、北東方向に大きく移動します。

 その後でいくら北西に誘導しても、もう上海には行きつけないという事です」


「核爆発による、衝撃波や放射能の影響はどうでしょう。中国や日本、韓国が被害を受けるのではありませんか?」


「衝撃波はホンファの厚い雲が吸収してしまうので、問題はありません。放射性物質による被爆は皆無とは言いませんが、人体への影響は極めて少ないはずです。

 また核爆発は東シナ海の上空で起き、しかも一気に広範囲に撹拌されるので、単位面積あたりの放射線濃度は一気に薄まると考えて良いでしょう。

 核被爆の被害はむしろ、原子炉が1つでもメルトダウンした場合の方が、深刻なはずです」


「ホンファはその後どうなりますか? 上海とは別の場所に上陸し、より大きな被害をもたらす事にはなりませんか?」

「3時間以内にホンファをコントロールから外すことができれば、東方向への移動が始まります。恐らく陸地は直撃しません」 


「その後は?」

「東シナ海の大陸棚でホンファは大きく勢力を落とし、次に日本海の冷たい海面で、ホンファを弱体化するでしょう。

 ホンファは最初、核爆弾で一時的に勢力を拡大するものの、後は急速に減衰するということです」


 マイヤーズは萩生田の言葉を頭の中で反芻し、そして頷いた。


「よく分かりました。後は我々がミスター萩生田の提案に対して、どう決断を下すかという事ですね。

 大至急統合戦略会議を招集し、大統領と閣僚で検討します」


        ※


「念を押すようですが、3時間後にはICBMが着弾していなければなりません。間に合いますか?」


「確約はできませんが、とにかく結論を急ぎます。

 西海岸の基地からICBMを発射するとして、東シナ海への着弾まで約30分必要です。

 また核ミサイルは、大統領からの発射指令が出た後も、幾つもの複雑な確認手続きを必要としますし、発射前には着弾地点を入力する時間も必要です。

 これらに10分掛かるとして、着弾時間から逆算すると、今から2時間20分以内に大統領が決断し、尚且つ中国政府への了解を取り付ける必要があるという事です」


「こちらも急ぐ必要がありそうです。ホンファにICBMを打ち込むには、暴風の影響を受けにくい場所、つまり目の部分を直撃する必要があります。

 発射から着弾までに30分のタイムラグがあるという事は、言い換えれば発射の時点で、正確に30分後のホンファの目の位置を予測しなければなりません」


「お互いにこれから時間との闘いという事ですね。まず私は大統領に、今の話を伝えます」


「私は大至急IMLに戻ります。進路予測はIMLのスタッフが行いますが、こういう時に限って不測の事態が起こるものです。私は現場で指揮します」


 萩生田の目の前ではモニター画面が暗転し、マイヤーズの姿が消えた。


       ※※※


 吉松の乗った埼玉県警のパトカーは、暗い夜道を走ってIMLに向かう山道に入っていた。

 サイドウィンド越しに最後の建物が見えてから、もう3キロほどは走っているだろう。


 左に回り込むように緩やかなカーブを登っていくと、不意に眼前に明るいゲートが見えた。

「IMLに着きました」

 パトカーを運転している警官が言った。


 吉松は無言で頷き、そしてスマートフォンに目を落とした。しかし、三田村からのコールバックは入っていなかった。


 吉松はフゥと大きく一つ息を吐き、下腹に気合を入れた。 

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