第7章 ICBM

第18話 ヘスの影

 コツッ、コツッ――


 乾いたノックの音と共に、テレプレゼンスルームの扉が開き、外から数枚の資料が届けられた。


 部屋に控えていた将校がそれを受け取り、さっと内容に目を通した。


「ミスター萩生田、L&Wビルディングのオーナーの経歴が分かりました」

「読み上げてくれ」


 将校は萩生田の求めに応じた。


 名前:ヘルムート・ベルゲマン

 国籍:ドイツ人。

 年齢:42歳

 学歴:

 ベルリン工科大学に飛び級入学

 18歳で首席卒業。

 専攻:応用地球科学

 職歴:

 大学卒業後、フランス陸軍の外人部隊に入隊。

 5年間の兵役後、除隊

 BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)入社

 中東、主にエジプトで天然ガス田の開発に従事

 2032年に同社を退職

 以後、企業への在籍記録なし


「日本への入国はどうなっている?」

「2年前に就労ビザで入国していますが、企業に勤務していた形跡はありません」


「写真は?」

「あります。ご覧になりますか?」


 将校は写真を萩生田に渡した。


「私があのビルで話をしたのは、確かにこの男だった。ヘルムート・ベルゲマンというのか……」

 萩生田はその名を記憶に刻むように反芻した。


「レポートにはもう一つだけ、特記事項が記されています」

「特記事項?」


「はい、ヘルムートは10歳からヘス社の奨学金を得ていたようです」


「なに? ヘスだと!」

 萩生田は思わず声を上げた。


「どうなさったのですか、所長?」

 アイリーンは、萩生田らしからぬ険しい口調に驚いた。


「氷村もヘスから奨学金を得ていたんだ」

「へスの奨学金と言えば、難関で知られていますが……」


「一つの事件に2人もヘスの奨学生が登場するとは、おかしいと思わないか?」

「確かにそうです。直接か間接か分かりませんが、何らかの形で、ヘスが今回の事件に関わっているのかもしれません」


        ※


「アイリーン、君はヘスについて何か情報を持っているか?」


「通常以上の情報は持っています。

 私が所長の秘書になる前に、諜報員としてエジプトに赴任していたことは、先程車でお話した通りです。当然ながらヘスも諜報先に入っていました」


 アイリーンはかつて得た知識を、まるでファイルをめくるかのように思い出し始めていた。


「一体、どんな企業なんだヘスは?」 


「国際貢献を重視している優良企業。それがヘスの表向きの姿です。

 しかしその裏では、石油や天然ガスの価格を統制し、意図的に吊り上げていると言われています」


「君の知っている限りのことを教えてくれるか? 妙に引っ掛かる、そのヘスが」


「ヘスの綴りはアルファベットでH・E・S・S。“Human & Energy Solution Service”の各頭文字を拾って社名にしています。

 2016年に設立され、ドイツのデュッセルドルフに本社を置くエネルギー商社で多国籍企業。

 創業者はカール・トゥムラーという人物で、現在のCEOでもあります。トゥムラー家はバイエルン公国の時代から続くミュンヘンの名門です」


「創業からまだ30年足らずか。社歴としては浅いのだな?」

「そうです。2020年台に入って突如台頭し始め、急速に今の地位を築きました。

 現在は、フォーチュン誌のグローバルランキング上位の常連で、エネルギー部門では、ロイヤル・ダッチ・シェルを抜いて一位の座にあります。

 今や世界の原油の20%はヘスが握っていると言って良いでしょう」


「会社の内部はどうなっている?」


「非上場かつ同族経営であるため、詳細な経営内容や組織体制は公開されていません。

 また異常なほどに経営層の結束が固いために、NSAだけでなく、CIAも情報収集に手を焼いています。

 重要な内部情報は、全くと言って良いほど外部には漏れてきません」


「先程、2020年台にヘスの躍進が始まったと言ったが、その理由は何だったんだ?」


「ヘスは創業以来、ずっと逆張りの経営戦略で急成長してきたことで知られています。内陸部の油田開発に投資を集中した事が、ヘスの成功の鍵です」


「逆張りの経営? もう少し詳しく説明してくれ」


「一般的に油田とは、沿岸部の方が、内陸部よりも評価が高いものです。

 井戸が港に近ければ、タンカーを横付けすればすぐに輸出が出来ますが、内陸からだとパイプラインかトレーラーで、港までオイルを運ぶ必要があり、輸送費が余分に掛かってしまうからです」


「なるほど、それは当然の理屈だな」


「ヘスはエネルギー商社としては最後発なので、創業当初は信用力も資金力も乏しかったため、競合の少ない内陸部の油田ばかりを狙って、採掘権を落札していました。

 しかし2020年台に入ると、沿岸部の油田が次々とハリケーンの被害に遭って破壊されたことから、全体のパワーバランスが変わりました」


「どういうことなんだ?」


「内陸部の油田の方が自然災害に強いと再評価され、沿岸部との評価が逆転したのです。実はそれこそが、ヘスの成功の最大の理由といえます」


「安定供給が担保される内陸部の油田の方が、価値が上と言うわけか?」


「そういう事です。内陸部の原油は、先物価格が常に高止まりの状態であるため、低いリスクで思い切った先行投資が可能です。

 そのためヘスは、港までのパイプラインの敷設費用を賄って余りある、高水準の利益を上げることができるのです」


「ハリケーンがヘスの高収益を支えているという訳か。ひょっとするとヘスこそが、ハリケーンを操る黒幕なのかもしれないな」


「断定はできませんが、可能性はありますね」


        ※


「氷村とヘルムートが得ていたヘスの奨学金については、何か知っているか?」

 萩生田は話題を変えた。


「あの奨学金は、ヘスの潤沢な資金を背景とした慈善事業との位置付けです。

 10歳から16歳までの青少年が受験の有資格者であり、国籍は問われません。

 選抜には全年齢で共通の学力試験があり、運動能力も厳しく評価されます。とりわけ高いハードルとして、IQ140以上という規定があります」


「試験に合格するとどうなるんだ?」


「ヘスの奨学生には、毎年夏休みに、本社のあるデュッセルドルフで開催される、ヘス・ユーゲントと呼ばれる夏季合宿セミナーに参加する事だけが義務付けられます。

 渡航費も滞在費も全てヘスが負担します。一度選抜試験をパスした奨学生たちは、その義務さえ果たしていれば、大学院卒業までの学費ばかりでなく、生活費までもが全額保障され、しかも返済義務がありません」


「そのヘス・ユーゲントでは、何をやっているんだ?」


「詳しくは分かりませんが、欧州のトップレベルの学者から講義を受けているという情報は掴んでいます。

 数学、物理、哲学、神学など、幅広い分野の学者が招聘されています」


「天才児を効率よく青田買いし、英才教育を施すシステムという事か」

「そういう事ですね」


 アイリーンは頷いた。


        ※


「ところで所長、ヘスが毎年、WMOに多額の寄付をしている事をご存じでしたか?」

「いや、知らないな」


「創業当時からずっと寄付は続けられており、今やヘスはWMOへの寄付を通じて、WMOだけでなく、国連にまで発言力を行使する立場にあります」


「一体、何の目的で?」

「表向きは気象学への貢献ですが、真意のほどは分かりません」


「気象学への貢献ではなく、気象学の支配が目的なのではないか?」


「可能性はあります。しかし寄付は、短期的な成果が期待できないものです。そこまでの考えを持っているのかどうか……」


「いや、むしろ私はそこに凄みを感じるよ。逆に考えればそれは、ゆるがぬ長期ビジョンと、リーダーシップなければできない先行投資だ」


「そういう考え方もできますね。そしてそれは、奨学金にも言えることです」

「手ごわい相手かもしれないな、ヘスという存在は」


 萩生田は、ヘルムートという男が語っっていた言葉を思い出していた。


 あの男は、自分たちの組織がWMOを介してIMLの設立に関与したのだと言った。そして萩生田の所長就任にまで影響力を及ぼしたのだとも……


 氷村とヘルムートとの接点はヘス……

 ホンファの迷走も元を辿れば、ここ数年で顕著になってきたハリケーンの異常行動に繋がって行く。

 そしてそれこそが、ヘスに利益をもたらした最大の要因……


 萩生田は一連の出来事が、実はヘスと言うただ一つのキーワードに集約されている事を強く感じた。


       ※※※


「終わったぞ!」

 ラミーヌの執務室で、ニコラスが声を上げた。


 すぐさま、氷村とラミーヌが駆け寄った。


「システムのコピーと、ホンファの自動誘導プログラムの両方ともだな?」

 氷村が念を押した。


「ああ、完璧だ。ベリファイもデバックも終わっている」

「コピーしたシステムは?」

「この中だ」


 ニコラスは1枚のメモリーカードをつまんで見せた。


「ラミーヌ、このカードの複製を作ってくれ。念のために私とお前とで、1枚ずつ持ち出す」


 氷村はニコラスからメモリーカードを受け取って、ラミーヌに手渡した。

 ラミーヌはすぐに自分の端末にそれを差し込んで、データのコピーを始めた。


 氷村は時計を確認した。ニコラスが告げた予定時間よりも若干遅れはしたが上出来だ。


「ニコラス、ひまわりの制御をロックアウトするぞ。我々がここから退去する時間を考慮して、今から丁度60分後にタイマーを掛けてくれ」


 ニコラスはキーボードを叩き、「できたぞ」と告げた。


「最後に、ホンファの上陸先の入力だ」

「どこに向かわせるんだ?」

「上海にセットしてくれ」


「上海? 日本のどこかだと思っていたが、本当にそれで良いのか?」

「ああ、最初からそこがターゲットだ」


 ニコラスはもう一度キーボードを叩いた。


「上海に上陸させた後は、ホンファをどうするつもりだ?」

「放っておけば良い。今回は上海に上陸させるだけで、目的は達成だ。その後は知った事では無い」


 氷村は嘯くように言った。


「複製が出来たぞ」


 ラミーヌが二枚のメモリーカードを持って氷村に歩み寄り、その内の一枚を氷村に差し出した。


「よし、これで全作業が完了だな」

「やっと重圧から解放されます」

 ラミーヌは安堵からか、微かに笑みを浮かべた。


「退去しよう。私はまだIMLでやる事が有る。君たちは先に逃げてくれ。ここから先は別行動だ。いつかまた会おう」


 氷村はラミーヌ、ニコラスと握手を交わした。


       ※※※


「動き始めた!」


 自室でモニターを見つめていたアニルは、思わず声を上げた。


 ホンファは石垣島の南でカテゴリー5間際まで成長した後、ゆっくりと真北に移動を始めていた。時速は40㎞ほどだが、まだ速度は増しそうだ。


 アニルはそのホンファの軌道を眺めながら、首をかしげた。


 北方向へのベクトルは、自身の回転力と、南から北に流れる大気が自然に生み出しているので何も問題は無い。


 しかし、本来ならば偏西風と長江気団の影響を受けて、東方向へのベクトルも多少は加わっていなければおかしい。


 コンピュータがはじき出した気象予測上の移動地点と、実際の移動の異方性は10%。


 異常行動と言うには微妙だが、気になる挙動である事は確かだ。


 アニルは萩生田から聞いた起動コードで解析プログラムを立上げ、ホンファの目周辺の気圧変化を画面に重ねた。


 ホンファの目の東側には昨日の会議で見たように、高気圧を示す赤いポイントの列が明滅しており、ホンファの東向きの動きをせき止めて、まるで北に導くかのように寄り添っていた。


「もうホンファは操作されているのか……」


 一瞬アニルは、それを認めたくないとでも言うように、かぶりを振った。


 これまで気象の専門家を自負していた自分の経験を、目の前の小さな赤いポイントが、嘲笑っているかのように思えたからだ。


 アニルはすぐに気を取り直し、キーボードに向かった。自分にはやらなければならない事がある。


 データの履歴を遡り、最初に赤いポイントが現れた時間を探し出すのだ。


 すぐにそれは見つかった。ポイントが現れ始めたのは、わずか5分ほど前だ。

 アニルは急いで萩生田に電話を掛けた。


「所長、異常行動です。ホンファが動き始めました。現在東向きの動きを、局地的な高気圧の壁が遮っている状態です」


「わかった。こちらでも動きは確認できている。データは送ってくれたか?」


「はい、先程送りました。ホンファに高気圧による操作が始まった瞬間に遡って、所長とアイリーンに送信してあります」


「よし、異常行動が続いている間はこのままデータを送り続けてくれ。引き続きホンファの監視を頼む。これからが本番だ」


 電話を切った萩生田は、傍らにいるアイリーンに視線を向けた。


「アイリーン、ホンファが移動を始めた。既に進路を操作されている状態だ。

 NSAに、アニルから来た情報を転送してくれ」


「分かりました」

アイリーンは萩生田の隣で、キーボードを叩いた。


「いよいよ始まったな」

 萩生田はぽつりと呟いた。


       ※※※


 タクシーを降りた吉松は、埼玉県警が坂戸西スマートインターチェンジに差し向けてくれたパトカーに乗り、ⅠMLに向かっていた。


 移動中に三田村に状況報告をするつもりでいたが、何度コールしても三田村は電話に出ない。


「妙だな」

 吉松は呟いた。


「どうなさったんですか?」

 パトカーを運転していた、埼玉県警の警官が吉松に訊いた。


「相棒の先輩刑事が電話に出ないんだよ。いつもなら3度ベルを鳴らせば繋がるのに……。もう10回は掛けているだがな」


「ご心配ですか?」

「ああ、何だか嫌な予感がする」


 吉松の脳裏には、三田村が先程電話で言っていた、不審なトレーラーと、黒のコンバットスーツを来た外国人という言葉が妙に引っ掛かっていた。


――何かに巻き込まれたのかもしれないな――


 確信に近い黒い影が、吉松の心をびっしりと覆っていた。

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