第6話 柚葉としての初登校

「はぁ」

 今日何度目かの溜息を吐いた。今日は退院した次の日で月曜日。これから学校に行かなくてはならないため憂鬱だ。

 別に学校が嫌いなわけでもないし、勉強も好きではないが、それほど苦痛でもない。この気持ちの原因は学校そのものにあるわけではない。

 身だしなみを確認するために自分の身長よりも高い姿見に自分を映す。白いトップスに濃い水色の丈の長さ膝上くらいのミニスカートを身につけた可愛らしい女の子が映っている。

 着方などは問題ないはずだ。十分可愛らしいが問題はそこじゃない。

「……スカートスースーする」

 体は柚葉のものなので女の子の格好をするのは当たり前なのだが、心は男である悠輝のものだ。似合っていようが恥ずかしいものは恥ずかしい。出来ればスカートなど穿きたくは無かった。それならズボンを選べば良かったかもしれない。

「でも、柚葉スカート穿いてること多かったしなぁ」

 出来る限り入れ替わる前の柚葉と同じようにしようとすると、毎日ズボンというわけにはいかない。それなら慣れるためにも、しばらくはスカートで生活しようと思ったわけだ。

「柚葉、そろそろ学校に行かないとだぞ」

「うん、分かってる」

 慌てて赤いランドセルを担いで部屋を出る。玄関の方でお兄ちゃんが既に靴を履き終えて待っていた。

 急いで自分も玄関まで行って靴を履く。二人で一緒に玄関から出て鍵を閉めた。両親は既に仕事に行っている。

「別に今日くらい休んでも良かったんだぞ」

「……うん。でも……」

 先送りにしてしまうと、どんどん行きたくなくなりそうだったので退院翌日の今日から学校に通うことにした。二人でエレベーターに乗ってマンションの正面玄関まで降りて、そこで別れる。小学校は右に、中学校は左に行くのだ。

「行ってきます」

「おう、行ってらっしゃい」

 お兄ちゃんに声を掛けてから右に進む。登校時間なので他にランドセルを担いだ子供達が何人かいた。体力が戻りきったわけではないため、ゆっくり着実に歩いて行く。

 下半身を覆うスカートの無防備さにどぎまぎした。これ、簡単に捲れてしまうんじゃないだろうか。そう思うと、恥ずかしさが増した。

「柚葉ちゃん!」

 少し先の方で薫子が手を振っている。もしかしたら、待っててくれたのかもしれない。少しだけ速度を上げてそこまで行く。走ったりはしない。体力的にもスカート的にも難しい。

「おはよう!」

「うん、おはよう」

 目の前まで行くと元気よく朝の挨拶をされる。自分も同じ言葉で応えた。

 学校に行きたくなかった理由は、何もスカートだけではない。友人関係である。柚葉として過ごすということは、悠輝の頃の友人は友達じゃなくて唯のクラスメートだったりするし、あまり話したことの無かった相手も柚葉とそれなりに親しければ、上手く話さなければならない。現在ちゃんと把握出来ているのは、お見舞いに来てくれた薫子と3人娘だけ。ある程度慣れた場所なのでボロを出しそうで逆に不安しかない。

「柚葉ちゃんが月曜から学校に来るって言ってたから待ってたんだ。体大丈夫?」

 薫子が心配そうに聞いてくる。昨日の夜、薫子から自宅に電話があった。退院おめでとうと伝えたかっただけのようだが、ちょっとしたお喋りをして、その時に月曜から登校することと、時間が掛かりそうだから、早めに出ることを伝えていたのだ。まさか待っているとは思わなかったが。

 入院中も何度もお見舞いに来てくれたので、薫子と話すのは大分慣れた。基本的に良い子だし一緒に居ても結構楽しい。

「まだ、体力戻りきってなくて疲れやすいけど、他は大丈夫。体育とかは無理そうだけど」

「じゃあ、疲れたら言ってね。私も一緒に休むから」

「薫子も休んじゃうんだ」

 朝から中々に天然なことを言ってくれる。しかも、冗談ではなく本気で言ってそうなところが可笑しかった。

 二人で談笑しながら学校まで歩く。大分足取りがゆっくりになってしまって、普段の登校時間の倍以上掛かってしまった。早めに家を出ていなかったら、遅刻だった。

 下駄箱で一瞬悠輝の内履きに手を伸ばしかけて、気づいて手を引っ込めた。

 危ない危ない。つい癖でいつも通りに履き替える所だった。高木柚葉と書かれたシールが貼ってある場所を薫子にばれないように探す。すぐに見つかり、柚葉の内履きに履き替えた。

 すぐに教室には行かず、一度職員室に向かう。2ヶ月近く学校を休んでいたので先に報告に行かなくてはならない。一応、金曜の時点でママが連絡を入れているはずなので、念のためである。薫子も心配だからと同行してくれた。

 入り口で薫子と分かれて、職員室に入る。

「失礼します。5年1組の高木柚葉です。加藤先生はいますか?」

 私の小学校では入ったら、まず学年とクラス、名前と用がある先生を言うのがルールである。席を外していたりすれば、他の先生が教えてくれる。

「はーい。高木さんこっちに来て」

 真ん中辺りの机で何やら作業していた加藤先生が手を上げて返事をした。呼んでいるようなのでそこまで歩いて行く。

「久しぶりね高木さん。もう体は大丈夫そう?」

 目の前まで行くと手を止める。こっちに向かって椅子を回転させ、声を掛けてきた。

 加藤先生は、悠輝と柚葉の担任である。フルネームで加藤光子。女子の一部からは光子先生とか呼ばれていたが、柚葉は加藤先生呼びだったので今まで通り加藤先生と呼ぶ。

「まだ体力が戻りきってなくて、体育は無理そうですが座って受ける授業なら大丈夫です」

 先程薫子にも同じことを聞かれたが、その時と同じようなことを言った。もしかすると教室に行ってからも同じような質問をされるかもしれない。

「無理はしないでね。辛くなったりしたら、授業中でも保健室に行ったりしていいからね」

 加藤先生の言葉にはいと返事をする。その後は、親に渡すプリントを渡されたり、授業に関することを教えて貰ったりした。

「失礼しました」

 一礼してから職員室を出る。薫子が掲示物を眺めながら、待っていてくれた。

「あ、柚葉ちゃん! 終わったの?」

「うん。教室に行こっか」

 二人で教室に向かう。5年生の教室は一番上の階にあるため、かなり階段を上らなくてはならない。

 2階にたどり着いただけでもかなり消耗していた。5年生の教室は4階。あと2階分上がらないといけない。

「柚葉ちゃん、ランドセル持とうか?」

「大丈夫……じゃないかも。お願い」

 女の子に物を持たせるなんて男としてどうかと思ったが、このままでは教室にたどり着ける気がしない。今は柚葉なので心はともかく女同士だ。友人を頼っても良いだろう。

 ランドセルを肩から降ろして薫子に預ける。少しは身軽になった。必死になって上り続けて4階に辿り着いた。

「柚葉ちゃんお疲れー」

 薫子が労ってくれる。教室に行くだけでこんなに疲れるなんて。自分で思っているほど体力は回復していなかったらしい。

 ランドセルを受け取ろうとすると薫子が首を振って、教室まで持つと言ってくれたので、その言葉に甘えて、手ぶらで教室まで向かった。

 心臓がドキドキする。体を動かしたせいかもしれない。それとも、クラスメート達の前で柚葉を演じなければならないことへの緊張からだろうか。

 5年1組の教室の前に立ち、扉を開ける。先生が来たと思ったのか、教室内の全員の視線が自分に集まった。

「お、おはよう」

 誰にともなく口にする。どうしたものかと立ちす竦んでいると、教室の後ろの方で談笑していた佐藤達がこちらに駆け寄ってきた。

「おはよ、柚葉もう大丈夫なの?」

「えっと、怪我とかは大丈夫だけど体力が」

「ああ、そういえば病院行ったときも体力なくなりすぎてリハビリしてるって言ってたね!」

 佐藤が矢継ぎ早に言ってくる。階段だけで疲れ切っているので、反応する元気がない。

「リハビリ終わったの? 体育とか出れそうな感じ?」

「いや、体育は……」

「あとちょっとで7月になるしプールの授業も始まるし休んでられないよね!」

 お願いだから、ゆっくり話してくれ。その早さで喋られたら返事をする余裕がない。

「こら香奈、柚葉困ってるじゃない。少しは落ち着きなさいよ」

 田中が佐藤を止めに入ってくれる。田中ありがとう。今は感謝しかない。

「そうだよ! 病み上がりなんだし無理させちゃ駄目だよ」

 渡辺の追撃に佐藤がしまったと顔を曇らせた。

「ごめん、柚葉」

「ううん、平気だよ。あと体力全然戻りきってないから体育は当分無理かな」

 今日は会う人みんなに体力が戻ってないって言ってる気がする。そんなやりとりをしていると加藤先生が来てしまった。

「あなたたち、朝礼するから早く席に着きなさい」

 みんなではいと返事をして、席に向かう。柚葉の席はちょうど薫子の隣だったのでそこまで行ってからランドセルを受け取った。

「皆さんおはようございます」

 加藤先生が教壇に立って朝のホームルームが始まった。柚葉としての学校生活が幕を開けた。




 3時間目の算数の授業がそろそろ終わる。

「今日はここまで。宿題のプリントを配るので次までにやってくるように」

 入院中に遅れた分をやっていたのもあって今日の内容は十分理解出来た。まだまだ先の方まで予習してあるので当分は余裕がありそうである。

「はい」

 前の席の子からプリントを受け取って、内容を確認。簡単に解けそうな問題ばかりで安心した。柚葉の名前で提出する以上間違うわけにはいかない。自分の失敗で柚葉の成績が下がったら申し訳ないとか言うレベルじゃない。

 そんなことを考えながら、プリントを眺めているといつの間にか教室から男子が居なくなっていた。さらに2組の女子が教室に入ってきている。そこで思い出す。

「あ、次体育か!」

「柚葉ちゃん忘れてたの?」

 隣の席でファンアニのニャニャミ柄の体操着袋から体操着を取り出しながら薫子が笑いかけてくる。

「う、うん」

 教室を見回してみると、他の女の子達も着替えを始めようとしている。

 どうしよう。ここにいるのはまずいような……。

「柚葉ちゃん、着替えないの?」

「い、今着替えるよ……」

 体育は見学する予定だが、見学でも体操着に着替えないといけない。しかし、ここで着替えて良いのだろうか。体的には柚葉だけど、中身は一応男だぞ。

「柚葉っ早く着替えないと遅れるよ!」

 いつの間にか、後ろの席で着替え始めている佐藤が大きな声で楽しそうに言った。そういえば朝から体育の話をするくらいだし、運動好きなんだね。

「全く、本当に元気ね。何が楽しいのやら。こんな熱い中動き回るなんて……」

 一方田中は憂鬱そうである。確かにもうすぐ7月だし、まだまだ蒸し蒸しする梅雨時期だしで運動したくないのも分からなくもない。

「体育の時はともかく、終わった後暑いしね。何でうちの小学校はクーラーないのかなぁ」

 渡辺も暑いというのは賛成らしい。

 3人の会話に耳を傾けていたが、内心はそれどころでは無かった。休み時間も長くはない。早く着替えないと。

 教室の後ろにある柚葉(じぶん)のロッカーから今日持ってきた水色の体操着袋を取り出して、自分の机に戻る。途中、他の女の子の会話が聞こえてきた。

「あっ渚、もうブラ付け始めたんだ」

「うん。お母さんがそろそろ付けた方が良いんじゃないかって。千夏もお母さんに言ってみたら」

 男子としては気恥ずかしくなる話題が聞こえてきて顔が熱くなる。慌てて通り過ぎて自分の席に辿り着いた。

 これ以上着替えを見てしまうのは周りの子達にも悪いし、個人的にも男として大切な何か失いそうな気がしたので視線を下げて回りを見ないようにする。

 体操着を取り出して急いで着替え始める。スカートなので先にハーフパンツを穿く。その後、スカートを降ろして脱ぐ。次にシャツを脱いで、すぐに体操着の上を着た。

「ふぅ」

 着替え終わって一息吐く。とりあえず、薫子達が着替え終わるまで下向いてよう。

「柚葉、今日着替えるの早いね」

「えっ」

 佐藤に声を掛けられて振り向く。もしかして不審思われたのだろうか。

「あっ」

「何か慌ててたみたいだけど、どうかした? やっぱり柚葉も体育出たいとか?」

 声に釣られて振り返って固まった。お喋りしながらだったせいか、自分よりも先に着替え始めた3人はまだ着替え終わっていなかったらしい。佐藤はちょうどシャツを脱いだところである。

「ん? どうかしたの」

 佐藤を見て固まっている私を見て、田中も佐藤を見る。どうかしたというか見ちゃいけない物を見てしまった罪悪感というか。恥ずかしさというか。多分分かってないと思うけど。

「あ、香奈いつの間にブラ付け始めたの。この前まで付けてなかったのに!」

「ん? お母さんが動き回ってるから付けた方が良いって」

「私もまだなのに……香奈に先を越されるなんて……」

 さっき耳に入った話題がこっちでも……。女子の間ではあるあるネタなのだろうか。ていうか、分からないとは思うけど男子の心を持った人がいるから本当にやめて。

「ゆ、柚葉ちゃんもまだだよね?」

 ずっと黙っていた薫子が自分の胸元を確認しながら聞いてくる。えっ何、薫子も!?

「ま、まだだよ」

 口に出すのも恥ずかしい。その手の話題を振らないで欲しい。

 そう言うと薫子がほっとしたような表情をする。やっぱり気になる事なんだろう。正直気持ちは分からない。このまま戻れない日々が続けば、分かる日が来るのだろうか。出来ればそんな日は来て欲しくない。早く元に戻らないとなと、改めて思った。




 給食の時間が終わり昼休み。中々どうして辛い時間が続いていた。何が辛いって、会話の内容がほとんど分からないのだ。

 昼休みに入ってから、教室の一角で5人で集まってあれこれと話をしていた。

 テレビの話題は、まだ良かった。あのドラマが面白いだの、あの俳優さんがかっこいいとか、この前のバラエティ番組が面白かったとか。昨日は、お兄ちゃんと一緒にテレビを見て夜を過ごしていたし、内容も分かるので何とか話についていけた。

 しかし、話題が女の子向けの雑誌の話になった辺りから完全に相づちを打つだけの存在となった。

 あのモデルさんが可愛いとか、どこどこの新作の服が可愛いから欲しいとか、着てみたいとか、予備知識無しでは全く分からないことばかりである。

「柚葉はどう思う?」

「か、可愛いと思うよ」

「やっぱり? 柚葉ああいうの好きだもんね」

 とりあえず、話を聞き逃さないようにしつつ無難な返事をするか相づちを打つか。それを続けているだけなので疲れるだけである。そもそもこの手の話に佐藤が混ざっているのが本当に謎。運動しか興味なさそうなイメージなのに。

 薫子も時折発言をしているのでちゃんと内容を分かっているらしい。病院では、ほとんどファンアニの話をしていた薫子も、今日はファンアニのファの字も出さない。

 悠輝の頃は、休み時間はクラスの友人達と体育館で鬼ごっこをしたり、バスケットなどの球技をしたりしていた。この時期は晴れていればグラウンドでサッカーをして過ごすことも多かった。

 今まで休み時間を一緒に過ごしていた友人達は、昼休みに入ってすぐに教室を飛び出して行ってしまった。今日は何をしているのだろうか。晴れているしグラウンドでサッカーとかしてるのかも。

 いつも心待ちにしていた休み時間も、今日は辛いだけの時間である。会話の内容が分かるようになったなら、女の子の考えを理解出来るようになれたなら柚葉としての休み時間も楽しめる日が来るのだろうか。

 そんなことを心の中で思いながら、休み時間をどうにかやり過ごした。




 午後の授業を終えて放課後になった。また昼休みのようなことになると困るので早く帰るように言われてる、と言って早々に帰宅することにした。

「私、柚葉ちゃん送ってくる」

 そう言って、教室を出るとき薫子も一緒になった。

 靴を履き替えて小学校を出て、家路につく。

「心配だから、柚葉ちゃん家の前まで一緒に行くよ」

「途中までで大丈夫だよ?」

「いいからいいから」

 結局、家まで送って貰うことになった。朝、階段でバテていたのもあってか、薫子に心配されすぎている気がする。

「そういえば、ファンアニのお店がオープンする日決まったの?」

 薫子が食いつきそうな話題を振る、もし、昼休みの続きになってしまったらとても会話にならない。

「前に8月1日って教えたよー」

「あっ……そうだったね」

 話題のことばかりに意識がいってうっかりしていた。

「だから、7月のニャニャミ買うには、また風宮まで行かないとかな」

 薫子もファンアニの話に乗ってくれる。一先ず安心である。

「7月ってどういうの? 6月がアジサイだったんでしょ?」

「多分、七夕関係かなぁ。織り姫とか彦星とか。少し早いけど海系かもしれないよ」

 薫子が目を輝かせる。やっぱりファンアニの話をしている時の方が楽しそうだな。いつも熱心にファンアニのことを語ってくれるので、少し興味出てきていた。

 柚葉が目覚めたら、誘って一緒に行くのも良いかもしれない。男一人だと行きづらいが女の子がいれば、まあ大丈夫だろう。だから、早く目覚めてよ。そんなことを考えながら病院で寝ているはずの幼馴染みのことを思った。



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