圧倒

『クク……アッハハハ! あーあ、カワイソー。大統領が煮え切らないコトばかり言いやがるから……幼気なお子サマの片耳が吹き飛んじゃった』


 酷薄な微笑を浮かべながら、テュランが言った。止め処なく溢れ出る鮮血が、ケイシーのパジャマをどんどん濡らしていく。

 彼は引き金を絞る直前に、銃口を少年の左耳にずらしたのだ。僅かな躊躇もしなかった。ぽろぽろと流れ続ける透明な涙を、テュランは汚物でも見るかのように目を細める。


『……大統領、テメェは何か勘違いをしているぞ。良いか? 主導権を握っているのはオマエ達ではなく、俺なんだ。人間は人外から条件を出して貰っている立場だということを理解しろ。繰り返すが、例えこのガキが死んだとしても代わりの人質なんて腐る程居るんだ。そのまま時間を稼ぎ続けるつもりなら、オマエのことを信じる人間……千六百人の国民を、目の前で嬲り殺し続けてやるよ』


 テュランは再び銃口を少年の後頭部に突き付ける。


『今から一分以内に結論を出せ。条件が飲めない、もしくは結論が出せないならコイツの頭を吹き飛ばす! ついでに……そこで震えている医者もだ!!』


 テュランが口調を荒げる。ひっ、とフェデーレの情けない声が画面の外から聴こえた。


『その後で他の人質も全員殺す。例外は存在しない。武力で殲滅するなら勝手にしろ。俺も、他の人外も、死ぬまで止まるつもりはないからな。テメェの決断一つで、想定以上の被害が出ることを覚悟しろよ?』

「待ってくれ、せめてもう少し時間を――」

『わかった、三秒数えてやる。三……二……一』

「ッ、わかった! 条件は飲む、望み通りにする!!」


 ローランは頷くしかなかった。大統領という立場ではなく、人間としての理性が耐えられなかったのだろう。

 これで、もう撤回は出来ない。大統領がテュランの条件を受け入れたことは、アルジェント全域に放送されてしまった。


『……くくっ。とりあえず、命拾いしたな。ケイシー・エイミス』


 満足そうに嘲笑しながら、テュランが拳銃を持つ手を下ろした。安堵か、それとも絶望か。ローランは重々しく嘆息しながら、椅子に腰を落とした。


『ブツの引き渡し場所については、あとで教えるから。今日中に準備しておけよ。あ、そうそう。戦車に時限爆弾とか仕込む、なんてつまらないことはするなよ? 犠牲になった人外の倍の数の人間を同じように爆破してやる』


 では、とテュラン。


『二つ目の条件だ。これはハルス病院の患者の家族や友人、その他親しい立場にある人間サマに出そう。ところで、ケイシー。お前には家族が居るか?』


 びくりと、ケイシーの肩が震える。顔面は青ざめ、怯え切った双眸でテュランを見上げながら、か細い声で答える。


『……お、お父さんとお母さんと、おばあちゃんが、います』

『家族以外に仲の良い人は居るか?』

『隣の、家のお兄ちゃんが……お勉強を教えてくれるし、えっと、よく病院まで遊びに来てくれ、ます』

『ふうん、つまんね……ま、ガキならそんなもんか』


 気分を害したように、しかし今度は暴力を振るうことなく、テュランが言った。


『病院に居る患者には、誰かしら仲の良い……例えば、家族とか? そういう別の人間が居る筈だ。解放して欲しい患者が居るのなら、そういう立場の人間が代わりに人質になれ。つまりこのケイシーの場合で言うと父親と母親、それから祖母と近所の友人、この中の誰か一人の身柄と引き換えにケイシーを解放してやる。それが、二つ目の条件だ』


 満面の笑みを浮かべるテュランが、人差し指と中指を立てて言った。ローランが苛立ちを露に、拳で机を叩く。


「どういうことだ!? 話が違うではないか!」

『何が違う? 俺は人質の身柄を解放するとは言ったが、人質の数を減らすとは一言も言ってないぞ。それでも大統領、アンタは条件を飲んだだろう。俺と、国民の前で』


 ちなみに、とテュランが続ける。


『解放するのは、患者だけだ。医者や看護師は対象外だから。人質の解放を望むヤツは、顔写真付きの身分証明証みたいなのを持って来いよ。さあ……どうするんだ』


 人間サマ? 狂気のワータイガーが、アルジェントの人間に問い掛ける。


『可哀想な人質を見捨てるか、それとも自分を犠牲にしてでも助けるか? 全てはお前達の自由だ。身柄の交換は、大統領から兵器を貰った後で開始する。期限は三日間を予定しているが、来るなら早くした方が良いぞ。猫科の生き物は、気まぐれだからな』

「ま、待て――」

『それじゃあ、バイバーイ』


 ぶつん、と乱暴に映像が途切れる。アーサーは急いでローランの元に駆け寄る。映像が切れたとしても、電話はまだ繋がっている筈。許可を取る暇もなく、アーサーは電話をスピーカーモードに操作する。


 刹那、乾いた発砲音が部屋に響いた。


「い、今のは……まさか」

「閣下、しっかり!」


 ふらふらと受話器を取り落とすローランを、サヤが支える。もう悲鳴は聴こえない。不自然なまでに、静かであった。一体、受話器の向こうでは何があったのか。

 問い質すよりも先に、テュランが一方的に要求を伝え始めた。


『さて、と。それじゃあ大統領? これから兵器の引き渡し場所を指定する。一回しか言わないからよく聞けよ』


 放心状態となったローランの代わりに、アーサーがその場所をメモに書き留める。場所は第一区の再開発予定であった地区。時刻は午前三時。

 一言も聞き逃さないよう気をつかいながらも、腹の底からは煮えたぎるような怒りが湧き出ていた。


『じゃあ、そういうコトでヨロシク――』

「待て、テュラン」


 アーサーが呼び止める。構わず通話を切られるかと思いきや、テュランはアーサーの声に応えた。


『何? つか、誰……大統領じゃねぇよな?』

「貴様……今、ケイシーを殺したのか?」


 数秒の沈黙。そして、返ってきた答えにテュランの薄笑いが見えるようであった。


『ハイ、殺しちゃいました! だって、薬品クセーんだもん、このガキ。吐きそうになるんだよな、この臭いニオイ』

「……!!」


 言葉すら出なかった。脳が怒りに耐えられず破裂するかとさえ思った。普段のアーサーは、感情の起伏が激しい性格ではない。むしろ冷静沈着で、自分の感情のコントロールには慣れている。

 それでも、今の状況では抑えることなんて出来なかった。


「こちらは要求を受け入れた筈だ!」

『どうせ生かしておいても出血多量で死ぬっつの。さっきコイツのカルテ見たケド、白血病で造血幹細胞移植をしたとしても治癒の可能性は低いんだって。どうせ病気で死ぬなら、俺が殺してやっても問題ねぇだろ?』

「ふざけるな! まだ、まだ子供だぞ!?」

『そうだな……だから、何?』


 平然と、テュラン。


『ガキだから殺すなって言うこと? それなら、年寄りは殺して良いんだ? アンタはそうやって、年齢で命の価値を区分分けしているんだな。クククッ、ご立派だねぇ』

「ち、ちが――」

『ていうかさー……俺としては、むしろ感謝して欲しいくらいなんだケド。はい、ココで問題デス。健康なヤツと、怪我とか病気を持っているヤツ。一体どっちが多くの物資を消費するでしょうか?』

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