二方向

「よう、怪我はないか?」


「え、ええ。ない――と思います」


 穏やかな笑顔をうかべる大男に、鋼太郎は自信なさげに答えた。


 白銀の鎧を纏い大盾を手にする男はひきつった笑顔に頷きながらも、見える範囲で身体の各部位に視線を素早く這わせた。


「そいつは良かった。だが念の為にチェックをしておこうか――千登勢ちゃん頼んだよ」


「はい」


 そう答えた大荷物を背負う美少女は優しく微笑みながら近づいていった。


 両の手の平で包み込むように優しく鋼太郎の頬に触れたかと思うと、顔を右へ左へと向けさせ、額を擦りるかと思いきや髪をすくように指を這わせて後頭部に指をからめ、首を撫でながら肩へ、脇へと、全身をそのほっそりとした指先がなぞっていった。


 なんの冗談かと思った鋼太郎は千登勢と呼ばれた少女の顔を覗いた。


 彼女の目つきは真剣そのもの、冗談がはいる余地のないほど引き締まった表情をもって何かを探っていた。


 自分の身体に一体何がと空恐ろしくなった鋼太郎は、安堵の溜息も束の間、急速に血の気が引くのを感じた。


「リンコは横道と来た道を警戒、雪緒ちゃんはそっちの階段踊り場を。千登勢ちゃんはチェックが済んだら携帯電話の用意を。今日は引き上げよう。こんなとこで『新人』を拾うとは思ってもみなかったからな」


 周囲に視線を巡らせると、そこにあるのは改札や駅員室ではなく、縦と横の通路が交わるT字路だった。


 大男の言う横道を覗いてみると、駅地下構内としては不自然なほど暗かった。


 天井の照明は消え、遠くに小さな光が見えるだけだった。


 長い直線通路なのだろう、光点を飲み込む暗闇が遠近感を狂わせる。


 縦の通路は照明こそまともなものの、両端の壁はところどころで途切れて口を開けていた。


「災難だったな。だけどまあ安心していい。すぐに安全なところまで連れて行ってやるからな」


「は、はい……」


 鋼太郎は、わけが分からず、そう応えるほかなかった。


 

 


 常識の範疇を超えた出来事の連続――無人の電車、見知らぬ駅、文字化けした壁広告、精神異常者ともみえる素っ裸の異形達、血の赤、不可解な構造の駅構内。


 鋼太郎は彼らに身を任せるほか選択肢はないと考えた。


 彼らはそれぞれの身につけるものに統一感はなく銃に鎧に刀と異様ではあるが、先ほどの狂人じみた三匹よりかは安全であると判断できた。


 なによりも共通の言語で会話が成り立ち、ぎこちなくとも微笑めば、ちゃんと微笑み返してくれたからだ。


 そういえばあの三匹――と視線を移そうとするも、千登勢は鋼太郎の顔を両手で掴んでニコリと笑ってそれを許さなかった。


 つまりそっちは向くなということだ。


 しかし視界の隅でじわじわと広がる赤がさきほどここで何が行われたかを明確に物語っているものの、鋼太郎の痺れた脳はそれをうまく処理できないでいた。


「鉄兵さん、異常なしです」


 千登勢は腰のベルトに付けたポーチから携帯電話を取り出しながら言った。


「うっし。それじゃあ帰るとすんべか」


 鉄兵と呼ばれた大男はニカッと健康的な白い歯を見せて笑った。



 ――その時、連続する炸裂音が鳴り響いた。



 鋼太郎が耳を塞ぐよりも早く、大男は盾を構え二人を庇うようにして前に進み出た。


 千登勢は携帯電話を耳に当てたまま、姿勢を低くするよう鋼太郎の後頭部を押さえつけた。





 鉄兵が口を開こうとするのを遮るかのように、耳を聾する炸裂音が鳴り響いた。


 鋼太郎は周囲を見回し何が起きたのか把握しようとしたが、首根っこを掴む千登勢がそれを許さなかった。


 だができる範囲のなかで情報を集めようと右へ左へと視線をめぐらした。


 タイルとタイルの溝をじくじくと埋める歪な楕円の血だまり、


 湯気が沸き立つ赤・白・黄の内臓とその内容物、


 そして転がる生首の魅力的なウインク――今どきの女の子っぽく舌までだしている。


 映画や漫画のように嘔吐こそしなかったものの、鋼太郎の思考を停止させるには十分すぎる代物であった。


「敵襲! 九時方向残り三! 12時方向に四!」


 おさげの女の子・凛は叫ぶとT字路の縦通路に向き直り、壁面から湧き出て迫る二匹の異形に素早く狙いを定めた。


 そして肩付けしたサブマシンガンの引き金を絞る。


 煙を吐き出し飛翔する弾丸はそれら二匹の重心を捉えた。


 バランスを崩して床を無様に転がるそれら二匹が再び動くことはなかった。


「ったく、どっから湧いてきたんだ、俺達が来た道だぞ? コールはいくつ?」


「呼び出し音……これで七回目です」


 軽い苛立ちを見せる鉄兵に、千登勢は答えた。


「まったく、あの中年め。これで『スコア』を稼いでいるっていうのに……」


 日本刀を手にする雪緒が鉄兵に近づき、唸るような声で悪態をついた。


「――うまくないな、敵が近すぎる。雪緒ちゃん、頼むから飛び出さないでくれよ。見かけの割に血の気が多いんだから」


 鉄兵は少しおどけて言いいながらも怯える者の視線に応えた。


「なあに心配しなさんな。ちょちょいのちょいでひとっ飛びさ」


 鋼太郎は自分に向けられた言葉の意味が何を意味しているのか、理解できなかった。





 いまは死体となって転がっている三匹とは大きさこそ多少違えども、同じような格好の素っ裸の狂人が、T字路の縦横二方向からぞくぞくと現れた。


 横道の暗がりからヒタヒタという足音をたてて近寄ってくる狂人は、ベロリと舌なめずりをしながら距離をじりじりと詰める。


「もー、ブラブラと汚いもん見せつけるなよな――っと」


 ウージーサブマシンガンを手にする凛は、横道から迫る一体に銃弾を浴びせた。


 垂れ下がる陰茎と陰嚢を的確に弾き飛ばされると、悲痛な声をあげて床を転げまわった。


 それを脇で見た狂人たちはすぐさま重心を落とし隆々とした筋肉にエネルギーを溜めこむや一瞬の反動をつけた跳躍で宙を泳ぐも、くぐもった声を漏らし無様な格好で次々と地面に落ちていった。



 幼い少女が手にするウージーサブマシンガンが雄叫びを上げていた。


 迫り来るそれらにむかって放たれる9mmパラベラムが、毛深く厚い胸板や腹部に次々と黒点を穿ち、黒点はすぐに赤い線となり、悲鳴に変わった。


 これは好機と横通路から狂人が一体、猛然と突進した。


 サブマシンガンを肩付けで構え射撃する、側面を無防備に晒すその小さな姿めがけて。



 ――電光石火。


 

 ウージーサブマシンガンのグリップを握る右手は、素早くスイッチ。


 左手がウージーを受け継ぎ、縦通路に牽制射撃を開始する。


 身体を揺らす反動が右腕に到達するよりも、速く、右手はレッグホルスターの拳銃を掴んだ。


 ――発砲。


 シグザウエル・P239のシルバーステンレスのスライドが三度後退し、高速回転する9mmパラベラムは狂人の頭部を突き破った。


 小突かれたように頭部を後退させる狂人は、だらしなく舌を踊らせ、床に胸を激しく擦りつけてすべった。


「はい、おつかれさん!」


 一瞬肝を冷やした凛であったが、元気な声で労いの言葉かけた。


 音もなく駆け寄った雪緒はそれを無視し、倒れる狂人の後方に撒き散らされた脳・目玉・毛・骨片の混合物を見て深くため息をついた。


「――出番がなかったな」


「そんなことないよ。そっちはお願い」


 日本刀を携えゆらりと構える雪緒のポニーテールにむけて凛は言った。


 やっぱり二丁拳銃はダサいな――おさげの少女はそう思いながらシグザウエル・P239をホルスターに戻した。


「最悪……後続がいるよ。こっちは――全部で六!」


 凛が声を張り上げと、


「こっちは五だ」


 首を切り落とされもたれかかる狂人をひらりと避け、雪緒は静かに応えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る