第54話

 今回は見送りはできなかった。

 それは、天津の事が好ましくない、とかそんな話でない。

 朝、目を覚ますともう家を出た後だった。

 確かに、朝になれば出て行く、と言っていたが、二人が起きてからでもいいだろうに。

「ま、アイツらしいと言えばそうだけどね」

 と天津は言うが、忠泰としては残念だった。

「また、ご飯を作ろうと思ってだんだけどね」

「別にいいでしょ。あんなヤツ」

 相変わらず辛辣な言葉だったが、やはり以前ほど言葉は強くはない。

「これからどうするの?」

「私は……」

 そうして数秒の沈黙。

 まだ、彼女も決めかねているかもしれない。

 これからどうするべきか。

「それよりも、片付けちゃおうか」

「……そうだね」

 その前には焦げた鍋がそこにあった。

「なかなかいいセンを言ってると思うけど、ちょっと火が強すぎたね」

 作ろうとしていたのは肉じゃがだった。

 煮込みの地点で強火にし過ぎて焦がす、という初心者にありがちなミスだったが、最初に比べれば可愛いものだ。

 最初こそ知識がなかったが、変なプライドもないので素直にやってくれる。最初は基本に忠実にやることが、上達の早道だ。

「でも、洗濯たたみも掃除も上手くなったよね」

「そうかな?」

 そう言って、鍋を洗う手を止める。

「……ねぇ、タダヤス君」

 ポツリと言った。

「私は天津に言われたわけじゃないけど、お母さんとしっかりと話してみる」

「藤吉?」

 突然な話に忠泰も手を止める。

「私、お母さんからずっと逃げてた。しっかりと向き合わなかった。だから、拗れたと思う」

 そこまで言って、思い直す様に首を振った。

「いや、お母さんはさほど気にしてはいないと思うんだ。私が勝手に拒絶して、お母さんのことを何も分かってなかった」

 そうして、まっすぐ浅葱は目の前の忠泰を見る。

「だから、話し合ってみたい。お母さんと」

 それは、平城邸を出るということ。

 それに対して浅葱に言えるのは一つだけ。

「……いいんじゃない?」

 いや、そもそも最初からそうするべきだったはずである。

 そうしなかったのは、浅葱が向き合う精神が出来ていなかったから。

 それができる様になった事は非常に喜ばしいこと。

「いつお母さんと?」

「明日にでも」

 明日。それは天津と同じ様に急な話だった。

「お母さんと、しっかり話し合ってきなよ」

 しかし。

 浅葱がこの家からいなくなる。

 それはなんだか寂しかった。

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