第12話 鬼なりの懸命

 朝。

 いつものように目覚まし時計が鳴る前に起きる。

 隣には綺麗な長い黒髪の少女、座敷童子の幸。すうすうと可愛らしい寝息を立てて眠っていた。

 概念種の人外とはいえ、相互干渉が可能になっていると子供特有の高い体温が伝わってくる。真夏だとちょっと暑い。

 何もなければいつも通り目覚ましが鳴るまでの短い時間の間に幸の寝顔を何の気なしに見ているところだが、今朝はそういうわけにもいかない。

 鳴る前にアラームを止め、幸が起きないようにそっとベッドから出た。

 忍び足で部屋の外に出て、隣の部屋の前まで歩く。

 部屋のドアをノックするが、返事は無い。まだ寝てるのだろうかと思い勝手にドアを開けるも、そこには誰もいなかった。

「…?」

 おかしいな。昨日ちゃんとあの子にはこの部屋を当てがったはずなのに。

「あれ、どこ行った。おーい、篠。しーのー」

 いないのだから意味がないと知りつつもなんとなく独り言のつもりでそう呟いた時。


「はい、ここに」


 返事は真後ろから来た。

「うおぉ!?」

 驚いて勢いよく振り返る。

 視線を下げると、そこには背の低い少女がきょとんとした顔で立っていた。

 墨染めの黒装束を着た、忍者のような出で立ちの少女。額には人外、それも鬼性種きしょうしゅであることの証明である小さな角が一本。

 肩に触れるかどうかという辺りで揃えられた髪が、小首を傾げる少女の動きでさらりと揺れる。

「どうかされましたか?主様あるじさま

「どうかもなにも、驚かすなよ…。篠、お前朝早いんだな」

 まさかもう起きてるとは思わなかった。

「そうですか?朝が早いのではなく、単に起きていただけですが」

「…え?」

 さらっとおかしなことを言ったが、聞き違いじゃなさそうだ。平然としているがもしかしてこいつ、寝てないのか?

「鬼は寝なくても平気なのか?」

 俺も鬼性種の生態までは知らない。概念種である幸も睡眠を必要としてるんだから、まさか寝なくていいわけもないとは思うが。

 案の定、篠は俺の疑問に首を左右に振る。

「いいえ、他より睡眠時間が短くても問題ない程度でしかないです。一睡もしないのは鬼でも辛いので」

 そりゃそうか。

「じゃあお前、昨夜は何してたんだよ」

「この家の全体を把握して、そのあとは外に出てこの街の地理をある程度は掌握しておこうと思い、散歩していました」

 いや寝ろよ。何してんだこの鬼。

「昨日は主様が救ってくださってから夕刻まで眠っていたので、夜もあまり眠くなかったのです」

 確かに、昨日は祓魔師と死霊を倒してから篠と俺の傷を閃奈さんに治癒してもらって、それから自宅に運んで夕方までずっと熟睡していた。

 午前から午後の夕方までずっととなれば結構な睡眠時間だ。人間でもそれだけ寝れば夜眠くならなくなっても不思議じゃない。

「そうか、それならいいけどさ。でも夜に出歩くのも俺は感心しないな。夜道は危ない。篠は女の子なんだから尚更だ」

「…えっと、鬼ですが」

「性別上は女だろ」

「大丈夫です。もしもの時には隠形術で隠れるなり逃げるなりできますから」

 まあ、鬼性種の特徴である頑丈で強靭な肉体があれば人間の通り魔くらいなら余裕で撃退できるだろう。篠には特化した隠形術もある。この自信も頷けるだけのハイレベルな力だ。俺の心配の方がよっぽど余計なのはわかっている。

 が、それでもだ。

「でも、出掛けるならできるだけ明るい内にしてくれ、何があるかわからんしな。お前が俺の意見を尊重してくれるんなら、頼む」

 助けた手前の責任感ってのもある。仕えたいと言ってくれた篠の身をできるだけ案じたいという俺の気持ちも多少は汲んでほしい。余計なお世話だとしても。

「…はい。主様がそれを望むのであれば」

 俺の口出しに迷惑がるかと思ったが、篠はあっさり了承してくれた。内心どう思っているかまでは分からないけど。

(うーん、どう扱ったらいいのやら)

 一応、俺と篠は主従の契約を交わした間柄だ。この子の中では主人の命令は絶対、従うのが当然という認識らしい。

 だからといって無理に言うことを聞かせるようなことをするつもりはもちろんない。だが、この子にとっては違うだろう。俺の言葉を、この子が拒否することは出来ない。俺が黒だと言えば、たとえ白でも黒になってしまう。

 俺としては、幸と同じように篠も応対していこうと思っているんだがそれで問題ないだろうか。子供の面倒を見るような感覚で。

 昨日もどうしたもんだかで苦労したもんだが。




「とりあえず、俺からお前に何か強制することは無い。好きにしてくれ」

「はい」

「ここの家主である日和さんの許可はもらったから、篠もこれからはここで寝泊まりしてくれていい。俺と幸の部屋の隣が、お前の部屋だよ」

「わかりました」

「うん。では解散」

 自室のベッドに腰掛けて、俺はそう話を締めた。締めたつもりだった。

「…」

「…」

「……よお、篠っち」

「はい、主様」

「自分の部屋行けば?」

 篠は部屋の角で、微動だにせず直立していた。

「はい。睡眠をとる時は使わせて頂きます」

 なるほど、それ以外はここに居座ると。

 どうやら俺の言葉を額面通りに受け取ったらしい。隣の部屋はそれこそ眠る時にしか使わないつもりか。

 最初なんて外で寝るつもりだったくらいだしな。野宿とすら呼べない。ホームレスのように家の近くでどこか寝床を見つけて寝ると。

 それを止めて、日和さんから余っている部屋を篠の部屋にできないかお願いした。日和さんは快諾してくれたが、篠は家の中に置いてくれるなら寝床は屋根裏でいいとか言いだした。

 ろくに手入れも掃除もしていない。使い道の見つからない屋根裏のスペースなんて埃だらけで寝れるわけもないんだが、篠は本気だった。

 やむなく命令という形で篠を部屋に留めることに成功したわけだが、これだ。

「なあ篠よ。あれはお前の寝床ってだけの場所じゃない。お前が好きに使っていい空間なんだよ。俺なんかに気を遣わないでくつろげる場所だ」

「?」

 駄目ださっぱりわかってねえ顔してる。

「プライベートって知ってるか?」

「えと、私的な、とか私用の、という意味合いの」

「そうそう、つまりそういうことよ。隣のお部屋は篠の私的空間プライベートルームだ」

 こう言えばわかるだろうか?

「主様に仕えるわたしにプライベートは必要ありません」

「いや俺には必要あるんだよ」

 ここまで言えばわかるかな?

「……プライベート……」

 流石に俺が言いたいことが伝わったのか、篠は小さく呟いた。

 そして、その視線がベッドの上でころんと横になっている俺の後ろの幸に向いた。

 痛いところを突くね。何も言ってないけどさ。

 いや違うよ、別にお前が邪魔とかっていうことじゃないよ?あくまでも篠個人の時間も必要だろうと思って提案しただけであってね?うんわかるよ、幸は平然と俺の部屋にいるのに自分はいちゃ駄目なの?って言いたいんだよね?でも違うじゃん。幸はまだ心身ともに子供だし、人間の子供だってこの歳じゃまだ自分の部屋なんて与えられないよ?危ないからね。俺にとって幸は娘のような存在だし、あまり目を離すのも落ち着かないだけであって同じ部屋で一緒にいるだけであってね?まあだから何が言いたいのかっていうとそこら辺は誤解することなく察してくれると非常に助かる。

「…わかりました」

 そのわかりましたはどういう意味なんだろうか。何をどう理解した上でわかったんだろうか。

 いや、信じてるよ篠。君は頭の良い子だ、きっときちんと言外の意思も込みで全て把握したんだよね?

「では、何かあったらすぐにお呼びください。契約に直接呼び掛けてくださればどこにいても分かりますので」

「お、おう。お前もゆっくり休めよ」




 で、結局それからは寝ずに外に出てたってわけか。まあ呼んだらすぐ来れるだけの距離しか移動していないんだろうが。

(もっと好き勝手やってくれていいんだけどな)

 縛り付けるつもりはないんだから、篠は篠のやりたいことをやってほしい。四六時中俺に付いてたら大変だろうしつまらないだろう。

 あまり危なっかしいことをされるのもそれはそれで困るけどさ。

「主様、ありがとうございます」

「え?」

 唐突な感謝の言葉に、思わず間抜けな声が出た。

「わたしのことを心配してくれているんですよね。…本当に、主様はお優しいです。鬼にそんな優しくしてくれる人間さんも、従者わたしを尊重してくれる御主人様も、初めてです。すみません、わたしの中での主従関係というものが、少し主様の認識と異なっているようで。迷惑を、かけてしまっています」

 篠が当たり前のようにしていたことは、やはりこの子にとっては当たり前のことだったのか。

 自らの自由は一切無く、その意思は問答無用で切り捨てられ、まるで機械のように淡々と従者として命令を受け続けること。

 それが、篠にとっての主人と従者の関係の全て。

「…篠さ、俺の前にも結構いろんな人に仕えてたのか?」

「いえ、わたしは…このわたしは、主様の前に仕えていたのは一人だけです」

 『この』わたし。

 人外は同じ存在を維持したまま代を重ねる。そういうものだと前に日和さんから聞いたことがある。ただ、先代と今代の間に記憶の引き継ぎなどは無い。当然、今代から次代へもだ。

 幸も、今の幸は先代『座敷童子』としての記憶は無いはずだ。今が何代目なのかはわからないけど、幸は今代の『座敷童子』としてここに存在している。

 篠が言っていることはそういうことか。

「そうか」

 勝手にそう判断して、俺は頷く。

「前の主人がお前にどう接していたかは知らないけど、多分俺はそんな風にはしないよ。切り替えろとは言わないけど、少しずつ慣れていこう。俺とお前で仲良くなって、そんで徐々に関係を築いていこう。俺とお前だけの主従関係をさ」

「…はい」

 いつも幸や紅葉くれはにするのと同じように篠の頭をくしゃっと撫でる。されるがまま抵抗しない篠は、俺を見上げてただ一言そう頷いた。




     ーーーーー

「君が鬼性種へ向けて発動する、強制的に言うことを聞かせる命令権なんだけどね」

 幸ももう少し寝かせてあげようと思い、篠の部屋を出た俺はそのまま自室がある二階から一階の居間へと向かった。

 そこで朝も変わらずいつもと同じ椅子に同じ姿勢で座った日和さんがいて、俺が居間に入ると同時にいきなり口を開いて言った。

「それは主人である君自身が意識して行わなければ絶対遵守の命令権限としては発動しないよ。何も考えずにこうしてくれああしてくれと言うだけなら、あの鬼性種も無理に従うことはない。抵抗もできる。今のところ、君はあの鬼性種に抵抗不可能な命令はしていないね」

 まるで俺の心の内を読んでいるかのような口ぶりとタイミングだ。

「まさか日和さん、読心術まで使えるんですか?」

 日和さんが三重能力所持者トリプルホルダーなのは知っているが、三つある『異能』全部を知っているわけじゃないし、その可能性も否めないから怖い。

「はは、まさか。私だってそこまで万能じゃないよ」

 肩甲骨に届くかどうかという長さの髪が左右に振るう顔の動きに合わせてゆったりと動く。朝だからか、いつもなら後ろの方で適当に束ねてあるのに今は何もされていない。

「君の考えていることは分かりやすいから、こっちも先手を打ちやすいだけだよ。君は真っ直ぐで純真だからねえ、眩しいったらない」

 そんなあっさり思考を読まれるくらい顔や行動に出てるってこと?顔に出やすいってのは紅葉や玲奈にも言われてきたけど、マジで自分じゃわからないもんだな。軽くショックだよ…。

「とりあえず、そういうことだから気にしなくていいと思うよ。あの鬼性種は自分の意思で君に従っているんだから」

 契約で構築される主従関係はそういう風になるのか。ってことは俺の言葉には常に篠を強制的に従わせる効力は無い。

 絶対順守の命令権限は常時発動型パッシブスキルではなく状況で使用の有無を使い分けられる任意発動型アクティブスキルなんだな。

 よくできてるというかまあ、便利っちゃ便利だけど。

「それと日和さん。あの子は篠です、そんな呼び方はやめてください」

「ああそうだったね。…ふふ、その名前に行き着くまでの君の思考も容易に読み取れてしまうから困ったものだ」

「……だとしても、誰にも言わないでくださいよ?こんな安直で浅い考えがバレたら俺が恥ずかしい」

「わかっているよ。私は好きだけどね」

 楽しそうにくすくすと笑う日和さんに釘を刺しておく。

「日向様、おはようございます」

「んむ、話をすれば。おはよう篠」

 二階から下りてきた篠が日和さんに頭を下げる。

 挨拶を終えて頭を上げた篠は不思議そうな顔をしていた。

「?、話ですか?わたしの」

「うん、まあ。別に大した話じゃねえから気にすんな」

 適当に誤魔化して、これから朝食を作ろうと腰を上げた日和さんの手伝いをするべく俺も台所に立った。

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