第26話 Postscript 1

 事件からおよそ三週間が経った。

 うららかな陽射しが眠気を誘う昼下がり、タイガは警らの制服を着て、小さな派出所のパイプ椅子にだらしなく座っていた。


「あーあ、クッソ暇だなあ!」


 海原市の南端にある、海にほど近い小さな町だ。タイガが籍を置いていた中央署組対課とは裏腹に、この街はすこぶる平和だった。

 揉め事と言えば、どこかの畑にイノシシが現れたとか、町外れの養豚場から豚が逃げ出したとかで、殺人などここ何十年も起こったことがない。ちなみに昨日の通報は一件で「猫がいなくなったから探してくれ」と、裏に住む年寄りからのものだった。


(まあ、すぐ見つかったし、ババアも泣いて喜んだから良かったけどよ)


 都会の歓楽街を縄張りに、暴力団相手に渡り合っていた頃が既に懐かしい。タイガは眼前の机にあるラムネを一気に半分飲み干し、溜息と共に盛大なゲップを洩らした。


 何故、彼がここで警らの真似事をしているのか。

 実は潜入捜査中に命令違反したことで、期限付きながらもタイガへ、降格ならびに派出所勤務という「罰」が下ったのだ。

 覚悟はしていたが、あの「クラブハザード事件」で収めた功績を考えれば、この処分はかなり重すぎた。だが、一度下ってしまった決定に異議を唱え、覆すのは至難の技だ。「三カ月遊んで来い」と口端を上げたオヤッサンを六割ほど信じ、タイガはここで一人のお巡りさんとして過ごしていた。


「あー畜生、俺もジジイになりそ……」


 開け放したサッシの玄関越しに通りを眺めれば、行き交うのは年寄りばかりだ。そのうち丸い影が揺れ「よっこらしょ」という小さな声が聞こえた。


「ああ、ちょっと虎屋さん、今ヒマでしょ? アンタに良い話があるんだけどさあ」

「げ、山田のオバチャン!」


 ふらりと現れたのは、年の頃五十過ぎで小太りの快活な女だ。彼女は良くいる「町の世話好きさん」で、タイガのような結婚適齢期を迎えた青年に片っ端から見合いを薦めるという、迷惑な趣味の持ち主でもある。

 山田のオバチャンは遠慮なく派出所へ入ると、目を合わさないようそっぽを向いたタイガの前に、数冊のファイルを広げた。


「ねえ、うちの三軒お隣の、ご親戚の友人に、おまわりさんとお見合いしたいって女の子がいてね」

「へー、変わってんな」

「それでさ、とっても美人だし頭も良いのよ。あの子将来、きっと良い奥さんになるわあ」

「俺は一生結婚しねえから」


 そっぽを向いたまま、タイガが速攻切って捨てる。だが山田のオバチャンはひるまず、机の前にもう一つ椅子を引っ張って来て座り、長期戦の構えを取った。


「良いじゃない、見るだけならさあ。本当に美人さんなのよ、女優の、ええと何ていったかしら。ほら、朝の連ドラに出てる、あの韓国の人にそっくり!」

「知らねえ。つうか、その連ドラ観てねえし」

「そうなの? じゃ、こっちの人はどう? 月9のドラマに出てる、宝塚出身の……」

「パス」

「ちょっと虎屋さん、人が心配して色々気を利かせてるってのに、アンタ、話も聞けないのかい! それでも男かい!」


 あまりにつれないタイガの態度に、山田のオバチャンが説教を始める。タイガは両手の人差指でおおっぴらに耳栓すると、派出所の窓からすっかり高くなった空を見上げた。



 三週間前。

 事件が決着した翌朝、医務室のベッドで目覚めると、隣で眠っていたはずの慎吾は既におらず、金城へ返すバッグもなくなっていた。


「マジかよ……」


 まさかここでトンズラされると思っていなかったタイガは、慌てて病衣のまま医務室を飛び出し、周辺を捜した。しかし姿はなく、すでに外へ出たようだった。


「アイツんとこか?」


 憎たらしく笑う金城の顔が浮かんだ。今すぐ向かえば、恐らく慎吾に会えるだろう。

 タイガは忘れ物保管庫へ走り、適当な理由をつけて、体に合う服と靴を持ち出した。浅田宅へ押し入る際に万一を考え、財布や携帯、衣服などの所持品はすべて金城に預けたので、手元には猫ババしてきた札束しかないのだ。残されていたツナギとブーツはボロボロで、とても着て歩けるものではなかった。

 身支度を整え、足早に正面玄関へ向かう。一階ロビーへ着くと、ちょうど捜一の内籐とカチ合った。


「おい虎屋!」


 大声で呼ばれたが、タイガは知らん顔をして通り過ぎた。先輩であり、面識もあるが、自他ともに認める犬猿の仲である。そのまま出て行こうとしたが再び呼び止められ、仕方なく振り返った。


「……何スか?」

「ちょっと話がある」


 内籐が機嫌の悪い顔で、階段下に設置された喫煙室を示す。タイガは渋々そちらへ向かった。

 喫煙室には二人の先客がいたが、内籐とタイガの顔を見た途端に驚き、すぐに煙草を揉み消して出て行った。署内のエリートとマル棒のヤンキーの組み合わせは迫力があり、とてもリラックスして煙草を楽しむどころではない。

 体よく人払い出来たところで、内籐は一本くわえ、珍しくタイガにも勧めて来た。遠慮なく貰った煙草は細いメンソールで、無駄に爽やかな味がする。タイガが顔をしかめていると、内籐が咳払いした。


「ところで虎屋、アイツと仕事してたんだろ?」

「は? アイツって誰スか」

「トボけなくていい、俺もソッチに絡んでいる。モグリの榊だ」

「……ああ、アイツっすか」


 横柄に応えると、内籐は少しだけ目を泳がせた。


「ヤマで一緒だったんだろ。今、どこにいる?」

「……誰が?」

「榊だよ! 言っただろっ」

「ああ、さあ」

「さあ? 何処行ったんだよ」

「さあ」

「知らないのか?」

「知らねえなァ」


 だから何だ、というニュアンスで返すと、内籐はムカついたように舌打ちした。


「アイツ、確か情報屋飼ってたな。どこのヤツだ?」

「さあ」

「それも知らないのかっ」


 さすがに苛々来ている内籐へ、タイガはわざと余裕の表情を作った。


「つうか何スか? さっきから根掘り葉掘り。まるで何にも知らねえって感じッスね、内籐サン」

「……だまれ、このヤンキーが」


 内籐のこめかみに欠陥が浮き、今にも切れそうにピクピクし始めた。


「良いか、榊の正式なバックアップは俺だ。お前は俺の代わり、代打なんだよ。代打のくせに、偉そうな面するな」

「連絡先も知らねえくせに?」

「何だと……もう一度言ってみろ」


 低い声で凄んで来る。だがタイガはまったく相手にせず、煙草を大きく一服し、乱暴にもみ消した。


「ゴチでした。つうかクッソまず」

「は?」

「じゃ、しっつれーしまーす」

「あ、おい待て、っ!」


 急いでもみ消した煙草の火種が飛び、焦った内籐がスーツの裾をほろう。タイガはその隙に署から出て、喫茶スマイルへ足を向けた。



 タクシーを拾い、尾行を気にしながら急かせた。そうして到着すると、スマイルはシャッターを下ろしていた。叩いても反応はない。公衆電話を探し、そこから掛けてみるが応答はなかった。


「まさか、金城までトンズラかよ……」


 ここがダメなら、あとの手掛かりは署長だ。とりあえず署に戻ると、マル棒の先輩に呼び止められ、タイガ宛てに荷物が届いていると知らされた。

 自分のデスク上に置かれた段ボールには、偽名と嘘の住所が書かれている。きっと金城からだろう。開けると案の定、彼に預けた物が全部入っていた。

 繋がっていたはずの糸が、次々に断ち切れて行く。必死に掴もうと、オヤッサンに署長との直談判を申し込んだ。ところがオヤッサンは署長の長期出張を理由に、それを許してくれなかった。


「マジかよ……」


 二週間の自宅待機という休暇を命じられ、帰宅の途中で、タイガはうなだれた。

 正直、ショックだった。

 一週間と少しとはいえ、慎吾とは死線をくぐったパートナーであり、恋情を抱きあった仲でもある。だからこの先も変わらず付き合いが続いて行くのだと、タイガは何の根拠もなしに信じていた。

 ところが慎吾は一言も残さず、連絡先も告げずに消えたのだ。裏切りとまでは言わないが、タイガにとっては腹立たしく、そして寂しいことだった。


(まさか……男の抱き方を知らねえから嫌われた、とか?)


 どうしようもないことをぐるぐる考えているうちに、ズボンの右ポケットに入れた携帯が震えた。確認すると非通知だった。


「誰だ?」

「あ、虎屋さん? 荷物、ちゃんと届いてますよね」


 金城だ。途端にタイガは携帯にかじりつく勢いで叫んだ。


「おいテメエ、アイツ、ドコ行きやがったんだよ?」

「え? そっちにいないんですか?」

「いねえから聞いてんだろボケが!」

「何ですそれ。人がせっかく気を使ったのに、ありがとうも言わないで、いきなりボケとかって」

「スマン悪かったありがとう、そしてアイツはどこだよ?」


 一気にまくしたてると、溜息が聞こえた。


「……たぶん本宅にいると思います」

「本宅? どこだそりゃ」

「ご自分で探して下さいよ、榊さんと同じ職場なんだから」

「探せねえから聞いてんだろうが」


 いらいらしているタイガへ、金城がクスクス笑った。


「ああ、そうなんだ」

「ハァ?」

「いえ、何度かバックアップも務めた仲なのに、そういうことも知らされてないなんて。きっと慎吾さんにとって、アナタはやっぱり、タダの遊び相手だったんだなって」

「何だとコラァ!」

「あっ、つい言い過ぎました。どうぞお気になさらずフフフフ」


 嫉妬に満ちた台詞を悪意と皮肉で飾ると、金城は通話をぷっつり切った。


「畜生、ナメんな金城!」


 思いっきり怒鳴りつけたあと、うっかり携帯を地面に叩き着けそうになり、タイガはあわてて自分の右手を止めた。

 慎吾の心を確かめたいと思っても、行方が掴めない。だが、ここで諦めるわけには行かない。必ずチャンスは巡って来ると、タイガは自分を叱咤しながら自宅へ向かった。そしてくまなく荒らされた自宅を数日かかって片付け、京田の勧めを考慮して引っ越しの準備を進めていた矢先、今回の辞令が下ったのだった。



 窓から空を見上げていたタイガは溜息を吐くと、リーゼントを気にしつつ、お馴染みの制帽を被った。そして身につけるべき武器、備品を確認し、残っていたラムネを一気に飲み干した。

 あれこれ考え、思い悩んでも仕方がない。まずはこの派出所勤務を終え、中央署へ戻るのが先だ。それに署へ戻れば、いずれきっと慎吾に会えるだろう。その時こそ、必ず捕まえて自分のものにすると、タイガは心の中で決めていた。


「じゃ、山田サン。俺、見回りの時間だからよ。ほら、茶はその辺にあるから、適当にしてってくれ」

「ええっ? ちょっと、虎屋さん!」


 引きとめる声を無視し、深く制帽を被り直す。それから玄関横の古びた自転車に跨ると、タイガは軋むペダルをこぎ出した。

 路肩のあちこちに亀裂が入り、傷んだ狭い舗装路を、白い自転車に乗ったタイガが去って行く。ここから山側の地域を回り、道なりに下って中心へ、そして海側へ回るのが基本の巡回ルートだ。

 窓からタイガを見送った山田のオバチャンは、手にしていた見合い写真を机に置くと、ポケットから携帯を取り出してどこかへ掛けた。


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