第15話 Rape 2

 どのくらい経ったのだろうか。慎吾は自分が地面に落ちた衝撃で、気を取り戻した。


「――ふん、すぐ気絶しちまって、つまんねえガキだな」


 浅田の白けた声が、吐き出された鐔とともに頬へ落ちて来る。続けて肩を踏みつけられ、背中を一発蹴られた。だがすでに、感じる痛みは鈍い。それほどに、レイプされた苦痛は大きかった。

 何度も気を失い、そのたびに無理やり戻されたのは何となく記憶にある。だがリアリティはなく、ごく客観的な情報の一つのように感じられた。

 痛めつけられた体はもとより、心も鉛と化してしまったようだ。何も考えられず、何も感じられない。身を預けたコンクリートの床に、自分の体の重みで飲み込まれて行くような錯覚に陥る。正直、自分が生きているのかすら、良く判らない。

 生に対する気力が鈍って行く慎吾の目に、ふと鮮やかな赤が映った。


(ま、すみ……)


 目の前にあるタイヤの隙間から、倒れたままの姿が見えた。止血はされておらず、床には血だまりが出来つつある。失神しているのか、それともそういうふりをしているのは不明だが、ぴくりとも動かない。

 彼を助けなければ、と慎吾がぼんやり思った矢先、車の向こう側から上ずった声が聞こえた。


「あ、浅田さん。あ、アッチの女、ヤっちゃって良いっスか?」

「あんな死にかけをかよ? お前も物好きだな」


 浅田の声に許可のニュアンスが混じる。すると下卑た笑い声が響き、一人の男――スキンヘッドがズボンの前を押さえながら、真澄へ近づいて行った。


(ますみ……起きろ、にげ、ろ……)


 必死に叫ぼうとする。だが洩れるのはカサカサした呼気だけだ。そのうちにスキンヘッドは真澄のところまで行き、爪先でその体を転がした。ぐるりと仰向けになった真澄は動かなかった。


「もう死んでんじゃねえ? ま、アイツは死体でもブチ込むから、カンケーねえか」


 浅田が大声で笑い出し、スキンヘッドが膝をついて、真澄の投げ出された両脚を掴んだ。止めさせなければ真澄が死んでしまう。


「ま、すみ……真澄いいいぃ!」


 慎吾が力いっぱい叫び、浅田が視線を慎吾へ戻した矢先、外から甲高い空裂音が響いた。


「ナニ……ぐわっ!」


 直後に爆発が起き、倉庫が揺れ、鉄の扉が吹っ飛んで来る。吹き荒れる突風と熱に、その場にいた全員がたじろいだ瞬間、闇と砂塵を破り、真っ黒なハマーが突っ込んで来た。


「誰だ!」

「うわ、く、来るっ!」


 ハマーは猛スビードで、銀のセダンへ近づく。慌てて逃げる角刈りをはね飛ばして通過すると、鮮やかなドリフトターンを決め、再び向かって来た。


「うわっ!」


 浅田とスキンヘッドが全力でコンテナの陰へ逃げ込む。その隙にハマーはタイヤを鳴らし、セダンの横に転がった慎吾のすぐ脇で停まった。助手席と左後部のドアが開き、中からフルフェイスのヘルメットを被った、黒づくめの男が二人飛び出す。一人は真澄へ、もう一人は慎吾へ駆け寄った。


「おい、しっかりしろ!」

「……遅えよ、バカ……」


 ヘルメット越しに吠えるタイガへ、慎吾は弱々しく笑った。本当に、助けに来てくれたのだ。途端に安堵が溢れ、目の前が暗くなる。ほどなく慎吾は意識を手放した。


「おい!」


 半裸で傷だらけの慎吾を見て、タイガは一瞬息を詰めたが、すぐに臀部に装備したナイフを抜き、彼を拘束から解放した。それから下げられたジーンズを適当に引っぱり上げ、ぐったりした体を抱えた。

 何をされたかは、慎吾の状態を見れば容易に推測できる。人間として、男として、どれほど辛かっただろうか。


「悪かった、あとは任せろ」


 タイガは慎吾を抱き上げて、ハマーの後部席に座らせた。それから再びセダンの脇に潜み、左脇下に携えたグロック19を抜いた。スライドを引き、安全装置を外す。盾にしたセダンへいくつも着弾する音が響いた。

 コンテナの陰から、浅田とスキンヘッドが発砲して来る。タイガとともに、ハマーの運転席から覆面の金城がUZIで応戦した。コンパクトなボディには9ミリパラヘラム弾が三十二発装填されており、金城はそれをフルオートで、しかもたっぷり積み込んで来たマガジンを次々に交換しながら、惜しみなく撃ちまくる。降り注ぐ弾丸の雨に、たちまちハンドガンの浅田達は防戦一方になった。


「早く乗せて!」


 金城の指示に急かされ、荒木が抱えてきた真澄をハマーの最後部席に押し込み、自分も乗り込む。タイガは銃弾が飛び交う中、セダンの陰で銀色の円筒を取り出した。ショートのコーヒー缶サイズのそれには、小さな赤いスイッチがついている。タイガはそれを押下し、全力で投げた。


「伏せっ!」


 打ち合わせ通り叫ぶと、金城と荒木が顔を背けた。自分も屈んで顔を伏せる。絶妙なコントロールで投げられたそれは、コンテナの陰へ落ちて強い閃光を放った。

 閃光付き対テロ催涙弾だ。しかもホンジュラス製の、なかなかえげつないシロモノである。


「ギャアアアッ!」


 浅田達の悲鳴と怒号が響き、辺りに煙幕がもうもうと広がって行く。タイガはその間にハマーへ飛び込んだ。


「出します!」


 ドアを閉める間も惜しみ、金城が急発進する。タイヤを鳴らして倉庫を脱出すると、後ろから黒いミニバンが一台追って来た。


「荒木、状態は?」

「脈あり、意識ははっきりしません! 止血と輸液します!」


 激しく揺れる車内で、荒木はあちこち巨体をぶつけながらも、真澄へ応急処置を施した。口にくわえたペンライトで真澄を照らしながら、その小さな左手の甲の細い血管に、一発で点滴針を打ち込む。無骨な荒木のイメージからは想像しがたい、繊細かつ鮮やかな技を目撃し、タイガは思わず賞賛の口笛を吹いた。

 ハイビームで追って来るミニバンが、眩しい光の向こうから断続的に発砲してくる。いくつか着弾し、ハマーに火花を散らした。防弾仕様の車体はもちろん、タイヤを狙われても特殊なノンパンクタイヤだから問題ないが、このまま追いかけられるのは腹が立つ。タイガは助手席の背に引っ掛けられた銃へ手を伸ばした。


「ったく、ウルセエ蝿だな。金城、コレ使うぜ」

「どーぞ、お好きに。って言うかソレ、虎屋さんに撃てるんですか?」

「ったりめーよ、マル暴ナメんなよ。何だって撃ってやらあ!」


 金城のイヤミに唸ると、タイガは揺れる車内で後ろ向きに座り直し、助手席の背に寄り掛かった。

 P90――ベルギーのFN社が開発したPDW(個人防衛火器)である。人間工学に基づいて考案された円形グリップや、銃身に乗せるタイプの長いマガジンなど、形状は先鋭的でユニークだ。装填される5.7ミリ弾はボディアーマーすら貫通する威力を持つ。その高性能ゆえ、正規の軍隊組織にのみ販売されているはずなのだが、金城はどこからかちょろまかして来たようだ。

 新しいオモチャを手にしてウキウキする子供のように、タイガは急いで窓を全開し、躊躇なく身を乗り出した。思ったより軽く、バランスも良い。

 強い風圧と振動に踏ん張り、左手と肩でP90を固定し、右手を銃口側へ添える。安全装置を解除し、左の人差指をトリガーに掛け、光学サイトを作動させた。とたんに危険を察知したのか、ミニバンはライトを消し、タイガの眼から逃れるように左右へ蛇行し始めた。


「逃げんな、コラ!」


 赤い小さなレーザー光が、ボンネットの僅かな輝きを捉えた一瞬、迷わずトリガーを引く。発砲音と共に反動が肩を揺すぶり、ミニバンの前面に激しい火花が散った。


「くたばれッ!」


 フルオート射撃のため、銃身下部から高速で薬莢が排出され、鈍い光を残して闇へ紛れて行く。タイガがあっという間に全弾撃ち尽くすと、ミニバンは煙を上げながらみるみる減速した。そのうちに急激に右へ逸れ、ブレーキの耳障りな悲鳴が響き、車体がゆらりと傾がる。勢いは止まらず、そのまま二回、三回と派手に横転した。


「おおっ、カイ・カン! ってか、畜生が!」


 腹をさらけ出し、ようやくミニバンが停まる。タイガは映画の台詞を吐くと、満足そうに右手の中指を突き出した。


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