22 リスナーとの遭遇
『♯4 お前のガンジー、皆のと違くね?』
翌日、教室にて。
いつものルートで自席に向かった恭平の視界に、尾張ユリカはいなかった。恭平がそれに気づいたのは、御園さんと愛の『おはよう』を交換した直後、今日も今日とて爽やかに立ち去ろうとした恭平の鞄をはしっと両手で掴んだ愛天使こと御園志桜梨さんが
「ね、長江君。今日、ゆりぴょんて休みなの?」
などと、思わず抱きしめたくなるような不安気な表情でお尋ねくださったからだった。
「……ん?」
ん? ん? ん? と疑問符の連打が頭の中を右から左に埋め尽くす。そして弾き出された答えは。
「……ゆりぴょん?」
なんだその可愛い発音は。『ぴょ』って。分かっているのか、君のそのぷにっとした唇が『ぴょ』を発音する時の動きがどれだけの……ええと、そうじゃなくて。
なんだそのダサいあだ名は。あいつのどこに『ぴょん』の要素があるのかと。
「うん。ゆりっぺ、大丈夫?」
…………ん?
いや、真に突っ込むべきはそこじゃ無く。
「……何故、それをワタシメに?」
何故、長江恭平がゆりぴょんの事を知っていると?
ちょいと格好をつけて鞄を肩に担いだまま呆然と立ち尽くす恭平の顔をしばらくぱちくりと見つめていた彼女は、ハッと気が付いたように両手を口に当てて。
「あっ……ご、ごめん。やっぱり、内緒だった?」
「……ええと、何が?」
苦笑いを誤魔化しきれない恭平の引き攣り頬を見た御園さんは、むぐむぐっと何か言いたげないたずらっぽい笑みを浮かべると。
ちょいちょいちょい、と。
席に座ったまま、世界一可愛いまねき猫の様に手招きをした。
「?」
何ですか、それは? 何なのですか、その仕草は。この私に、何をどうしろと?
戸惑う恭平を誘う様にじっとこちらを見つめた天使兼小悪魔な彼女は、そっとそろえた指先を口の片側に添えて『内緒話』のポーズを取った。そして周囲を警戒しながら、すうっと伸ばした背をネコ科の女怪盗の様にしなやかに恭平の方へと寄せてくる。
据え膳食わねばなんとやら。きっと御園さんの手作りならば落ちているどんぐりでも据え膳に見えるだろう少年は、まるで王女様にかしずく騎士の様に静かに優雅に同じ中学校出身の現クラスメイトの唇に耳を寄せた。
すると御園さんは、脳味噌までがとろけてしまいそうな甘い匂いのするささやき声で。
「えっとね、二人が付き合ってる事」
「………………………あぁん?」
恭平がその声を発した瞬間、学年でも五指に入る美少女と足の親指に溜まったゴミが内緒話とは何事かと彼らの様子をこっそり見ていた女子が、『ひぃっ』と小さな悲鳴を上げて顔をそむけた。
ほんの一瞬凶鬼の表情を浮かべた長江恭平は、己の右腕を押さえるのに必死だった。これが尾張ユリカだったら、最速で顎を跳ねあげていただろうその拳を。
顔面に暗い闇を宿したまま、ゆっくりと己の禍々しき身体を天使から離す。そして。
「ええと、何て?」
とブリキの様に軋む笑顔で御園さんを見た。
どこかで、例えば昨日の帰り道など。二人でいる所を見られたのだろうか、などと。まあ確かにあの時間に男女が二人で歩いていたら、付き合ってる認定を受けても致し方ない――いやしかし、相手は尾張ユリカだぞ?と。 友達なら君も知っているだろう、と。あいつがどんな奴なのか。
恭平がそんな事を考えている間、じっとこちらの目を見つめていた彼女は、やがて堪え切れないという風に口元を押さえながら。
「ん。んふふ、ひひひ。えへぇ~」
と目の前の少年の息の根を止める程に恐ろ可愛らしく破顔して。
「えへへ。『付き合ってないわー!』って言わないんだあ。くっくっく」
喉から漏れる引き笑いを隠す様に拳を唇に押し当てながら、可笑しそうに笑う彼女。
しばし呆然とその様子を見ていた恭平は。
――ええと、これは、つまり。要するにきっと、そういうことであるが故に。
「……それ、ゆりぴょんさんは知ってるの?」
「? ……んん? 何を?」
どうやらとぼけているわけでは無いようで黒髪ロングの上に小さなはてなを三つ並べる御園さんの姿に、長江恭平は鼻を掻いた。
「君が、万遍マンデーを聞いたという事を、尾張ユリカは知っているのかな?」
誰にでも分かりやすいように文節を切って滑舌よく丁寧に喋ると、彼女は軽く手を叩いてぱっと笑った。同時、頭の上のはてながお花のマークに変わっている。勿論この表現は『例えて言うなら』であり、実は長江恭平は薬を決めていましたという伏線では無いのであしからず。
で、『……まんべん?』と斜め上に向かって呟いた後、ちょんと指先を合わせて『ああ!』と言った御園さんは。
「そういうことかぁ。あのね、長江君はもっと順番に喋ってくれないとわかんないよー。えへへ、『ラジオの時も』、ね」
などとのんびり口調の末のひそひそ声にウインクまで付けてダメ出しをして来た。
窓から差し込む朝の光は眩しくて、教室はいつもと同じ程度に騒がしく、御園志桜梨さんは相変わらず可愛らしい。
そんな瞳に映る可愛らしさで瞼の裏にバチッと散ったイラつきの火花を消火しながら、待つ。もちろん先程恭平が問いかけた質問『尾張ユリカは知っているのか』に対する答えを、だ。
――が。
「…………ええっと」
お行儀よく膝の上に手を乗せたまま、にっこりきょとんと恭平の顔を見つめている彼女のお口が開かれる様子は頑として無く。それどころか、その頬はぷくっと膨れたりなどをして。
「あ、もーだめだよ長江君。間が悪いなあ。ほらほら、ちゃんと順番に聞かなくちゃ。ね、ね、聞いて聞いて。『……ど、どうして君が知ってるんだい!?』って、私に聞いて」
驚愕の表情を交えた迫真の演技を見せるや否や、ルンルン♪と自分の顔を仰ぐように両手でカモンカモンと。
一つ、深く、息を吐く。
「ええっと――」
正直を言って、彼女と正面を切って話すのは中学時代を通じて初めてと言って間違いない。なのに、まるでいつものお友達と喋っているかのようなこの距離感。
頭の隅で感じていた疑問がほどけていくと同時に、その結び目から感想が湧き上がる。
――この子、ちょっと変だ。
成程道理であの尾張ユリカが友達をやっているだけの事はある。そして、ちょっと可愛い。
「でも私びっくりしたよ。長江君て喋るんだぁって」
「……あ、うん」
座ったまま楽しそうに見上げる女子と、鞄を手にしたままそれをまじまじと見つめる男子。
そんな風に見つめ合う若い男女の甘い一時を邪魔する様に『キーンコーンカーンコーン』と始業のチャイムが無粋に鳴り響いた。
やはり尾張ユリカの欠席の原因が昨日の風邪にあるのだという事を恭平が知ったのは、他のクラスの人達と同じく出席を取りに来た担任の口からだった。
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