11 いわゆる一つのランスルー



『♯1 お前のニュアンスが有り余る!』 



 翌日、人間が塩を製造する機械だと証明するような梅雨入り前の火曜放課後。

 一人そそくさと教室を後にした長江恭平は、メールに貼られたスタジオへの地図を確認しながら指定された場所へとやってきた。


「……ええっと」


 指定の時間は十八時。まだまだ十分に青い十七時前の空の下、ウェブ上の地図に突き刺さったポイント目指し雑楽坂の登山に近い傾斜を上り切り、駄菓子問屋を通り過ぎて謎喫茶『アミーゴ』の先を右に曲がる。取りあえずはその奥にある坂上神社までやってきたものの、ポイントが示すのはまだまだ先だった。


 地元とは言えさすがにこの神社の奥まで足を運んだことは無かった。一端自転車を止め、きょろきょろしながら住宅街の小路を押し歩いて行くと、なにやら小洒落たアパートが立ち並ぶ辺りでストリートビューと周囲の風景が一致する。


「……ここ?」


 教えられた住所にあったのは、一見プレハブ小屋の様な造りの随分と年季の入った事務所だった。自転車を置き、恐る恐る引き戸に手をかけると指先に施錠の感触が伝わってきてはたと困る。

 扉をノックしようか、それとも呼び出し人である村田Dに電話をしようかと恭平が決めあぐねていると。


「おや? 早いね、恭平君。一人?」


 村田慎之助の良く通る声が右側の斜め下方。見れば、小屋のすぐ横の地面の中からひょっこりとにこやか眼鏡に細面の地底人が不健康な顔を覗かせていた。


 きょろきょろ辺りを見回しながら、短い地下への階段を降りていく。

 目につくのは、黒い壁紙に覆われた壁に貼りつけられた古臭いポスターや褪せた宣伝紙の類。アメリカの映画で見たライブハウスみたいだな、と少し思った。だとしたら、この扉の先では屈強な男達がパーティーを繰り広げているのだろう。元野球選手なんかがホームランより気持ち良いのを打ってたりして。


「珍しいかい? ここは少し前まで古い劇場でね。こっちは搬入口だったんだよ。と言っても、舞台の関係で客の入り口にすることもあったけど」


「へー、そうなんですか」


 微かに煙草の匂いが残る階段下の突き当りでふわりと笑ったディレクターに相槌を打ちながら、彼が開けた黒い引き戸の向こうを覗く。


 すると。


「あ? もう来たのか? 六時じゃなかったっけ?」


 薄暗い照明の中、時計があるのだろう場所に目をやったのはタオルを頭に巻いた黒Tシャツにゆったりズボンの無精ひげの男性。足の甲一枚分高くなった平らな舞台の上で胡坐をかいていた彼は、右手から登場した恭平を遠慮のない視線で眺めた後。


「こいつか? シンの一押しの高校生ってのは?」


 鋭い眼光を放つ瞳をどきっとするくらいに甘く歪めて笑ったその人は、曖昧な笑みを浮かべた『シン』こと村田慎之助ディレクターを振り向いた恭平の元へと歩み寄ってきて。


「よろしくな。金曜にやることになった『波多野飛鳥』だ。アスカでいいぜ」

「……あ、はい。アスカさん」


 それはそれは、顔立ちに相応しいキリッとしたお名前で。


 何と言うか、《きょーへー》と言う音に相応しい間の抜けた顔面に育った少年としては羨ましいことこの上ない。

 そしてそんな髭と清潔感が小さな間取りで同居する良い男は、『一押しの高校生』という言葉を気にした間抜け少年に向かってパチッとウインクなどをして。


「まあ、お前達の席はきちんとあっためておくから、任しとき」


 カラカラと笑いながら両手を広げるアスカさん。その台詞を、恭平は『自分達は金曜日の担当だから万遍マンデーの前にいっちょやったるけんね』と言う意味で受け取った。

 なので『お願いします』みたいなことを笑いながら言って、長江少年は鉄パイプが迷路みたいに張り巡らされた天井やそこに吊るされた照明とか、黒い壁に立てかけられたやたらと長い座布団だとかを見回してみた。

 感想としては、本当に劇場なんだな、とか。ここでラジオをやるのかな、とか。出来るのかな、とか。そんな事を考えていると。


「アスカ達は、昔の劇団仲間なんだよ。で、今日はちょっとした改装を手伝ってもらったってわけ」


 言葉と同時、肩にポンと置かれた手の主を恭平はびくりと振り返る。


「……改装?」


 っていうか、劇団? ディレクターが? 


「そう。あれ、見てごらん」


 苦笑に似た笑みで村田ディレクターが指さしたのは、舞台の向こう側に広がる広くて平らな空間の一番後ろ。目に入ったのは、教壇みたいな材木が段々型に積まれたピラミッド。


「本来とは反対側だけどね。あそこが、君達のステージだ」

「……あ」


 黒塗りの壁に開いた小窓に向かって積み上げられた材木群の一番上の段に、四つの椅子と大き目の机。机の上には、小窓から伸びるいくつかのコードがつながる機材。そして、ひょろりとくねった数本の――マイクがあった。


「おぉ……」


 それは、ぼんやりと思い描いていた《スタジオ》とは随分と違うものだったけれど。


「これ、アスカさんが作ったんですか!?」


 気が付けば駆け寄り、積み上げられた長方形の壇を叩きながらこの場で唯一の肉体派である波多野飛鳥を振り返る。すると、手ぬぐい頭の髭面兄さんは指を顎に当てて笑いながら。


「おうよ。全部俺の手作りだ、感謝しろい」

「へ~いアスカちゃん。ウチらの貢献を忘れるなっちゅうの」


 ふいに響いた声は、恭平の頭上から。見上げれば、テーブル脇の小窓からウェーブのかかった橙髪の頭がひょっこりと覗いていた。


「よっ。初めまして。オレは宵原善人よいはらよいと。そこの二人と金曜のお喋り、それから君らも含めた他の曜日の音響を担当する人間だぜい」


「あ、は、はい。よろしくお願いします」


『ピースピース』と言いながら犬の形にした右手を小窓から伸ばす輩に、音響と言うのはつまりミキサーさんなのかなと頷いた恭平は、慌ててぺこりと頭を下げた。


 それから、まだ自分がきちんと名乗っていない事に気が付いて。


「あ、僕、長江です。月曜のパーソナリティ―の、長江恭平です。アスカさんも、よろしくお願いします」

「へえ、キョーヘー君か。良い名前じゃん。名字が柴田だったら百点なのにな」

「ぁん? 長江? ああ、お前、そっちか。悪い悪い。よろしくな」


 にこやかに言う宵原さんと隣で首を傾げた波多野飛鳥、それに我らがディレクターの村田慎之助。そんな良く分からない事を言っては笑い合う『平日の夕方にフラフラしているタイプの二十代半ばを過ぎた男性達』に囲まれた恭平が戸惑い気味の愛想笑いを浮かべていると、小窓に両肘を掛けていた宵原善人が。


「ちょうどいいや。な、キョーヘーちゃん、ちょっとマイクでなんか喋ってみてよ。テストしてみっからさ」

「え? テスト……ですか?」

「うん? ジッサイ回線にのっけた時にさ、BGMとか両方のマイクのバランスとか、そういうののテストなんだけど……説明してないの、シンさん?」


 呆れた顔を向ける宵人に向かって、村田慎之助は肩をすくめた。


「それは俺達の仕事で、彼らがやる事じゃあないだろう。だから単に、本番に近い形でリハーサルをやるとだけ伝えてあるよ」


 小窓に肘を掛けたまま『あ、そ。』と眉尻を下げて笑った宵原ヨイトは、恭平に向かってクイクイと指で手招きをして。


「んじゃま、そういうわけで。せっかく早く来たんだから、やれるとこだけちゃっちゃとやっちゃおうぜぃ」

「あ、はい」


 極めて明るい茶色のパーマに大きなピアスと《チャラチャラ》を擬人化した様な兄さんの指示に頷いて、恭平は山の麓へと足を踏みだした。自然と自分が行く先を見れば、その山の頂には幅広の机とそこから伸びるマイクが見えた。


 肺に流れる空気すら異なる知らない場所、年齢も見た目も違う知らない人達、目に映る全てが新しい何か。


 始まりの予感に、どきどきして。


「……あ」


 瞬間、吸い込まれる様に階段へと伸ばした恭平の足が、はたと空中で停止する。


「ん? どうした?」


 そのまま平地へと足を戻した恭平は、ぱちくりと瞬きをするミキサーの宵原さんと、スマホを取出したディレクターを見比べて頭を掻いて見せながら。


「えっと……その、かんざし――っていうか尾張さんが来てからでも大丈夫ですか?」

「ほぇ?」


 せっかくのピラミッドなんだから二人で同時に上った方が楽しそう。なんていうか、砂場で作ったトンネルを両側から貫通させるみたいに。そんな気持ちで言った一言に、一度ひっこんだ黄色混じりの茶髪が再び小窓からひょっこりと。そして、それとほとんど同時か少し前に。


「そうだね。丁度彼女も来たみたいだよ」


 振り向けば、スマホを掲げたディレクターがにこにこと笑っていて。


「場所が分からないから神社まで来いってさ。どうする? 今日は迎えに行くかい? 相棒を」


 いたずらっぽく眼鏡越しの瞳を歪ませた人生の先輩に、恭平は苦笑と共に頷いた。



「……おぉ」


 スタジオと言う名の小劇場に入るや否や、不審感と猜疑心を制服に包んで階段を降りてきた尾張ユリカが、恭平の背後で感嘆をもらした。


 振り向けば細い瞳を丸くして、口は三角形に開いたまま。右手に提げたお菓子屋のビニール袋をぷるぷると震わせている。


「な、なんだこれは?」


 ギザギザおかっぱに縁どられた目をぎょろぎょろと動かす彼女が見つめているのは、ピラミッド型に積み上げられたマイクステージ。そして、そんな彼女の疑問に答えてくれたのは心優しき手ぬぐいバンダナのお兄さん。


「おうよ、あれは機材の関係でな。音響卓の近くにマイクを持ってこうって事になったんだ。どうだ、かっけえだろ?」

「だ、誰だお前はっ!?」


 親切につい無礼で応えてしまう社会常識を欠いた女子高生に、社会人とは言い切れない風体の劇団員はビシッと己の胸を指し示して。


「俺か、俺は波多野飛鳥。よろしくな、女子高生」

「ふん。現役JKだ。ひれ伏せ、おじさん」

「おっ……おう」


 挨拶代りに微妙な乙男心を抉った少女は、落ち着きなく辺りを見回して。


「ん? あっ、マイクだ! おい、マイクがあるぞ、長江! ヘイ、マイク! マイネームイズ尾張! テール張・ユリカだ!」


 とピラミッドの上を指差して一気に階段を駆け上がっていく。その際無防備なミニスカートの下から小宇宙(コスモ)が爆発しかけたが、恭平は『おいおい』と思うだけで特に覗こうと言う気も起きなかった。というより、せっかくだから二人で入場して――などと思っていたのを台無しにされた事と相まって、だんだん『お前のパンツなんか見せてんじゃねえよ』と苛立ちすら覚え始めた位だ。


「あー、あー、テステステス……ヘイ、ロングビーチ! 聞こえるか!?」


 お山の上から向けられた子供みたいな笑顔に、苦笑する。


「聞こえてるよ。声が、普通に」


 あと、どっちかというと長江はロングリバーだし。


「そうか! あはは、ラジオだ! 何だこれ、ラジオみたいだ!」


 それでもちょっと嬉しいのは、彼女が割とテンション高めでいてくれること。もしかしたら本当にそれ程やる気が無いのかと思っていたから、安心して。


「おお、台本だ! わーい! ホントに台本ってあるんだな! おい長江! お前も早く来い! タイトルコールだっ! マンベ~ン――」

「ま、マンデーー! って、ちょっと待てって尾張さん!」


 天空ブースの上で暴れ笑う相方の元へと、いそいそと駆けだす。

 何か――とんでもない何かが始まる予感に、得体のしれないドキドキを感じながら。

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