レスカトールの使者

 再び、マントノン邸の食堂にて。滞在中のファラジとの交渉の席が設けられた。


「さて、軍馬3000頭、代金は用意してもらえたんでしょうね?」

 浅黒い肌の青年が単刀直入に尋ねる。


「悪いんだが、金は用意できていない」

 ヴラマンクが答えると、ファラジは片方の眉をぴくりと上げた。


「……では、人でお支払いに?」

「いや、王国の民は全員俺の大事な孫のようなもんだ。1人も売り払うつもりはない」


 まだ15歳ほどにしか見えないヴラマンクが、国民を『孫』と呼ぶのにも興味を覚えたようだったが、ファラジは笑顔を変えないまま応じる。


「金もない、人も売らぬ、では通りませんね。それとも、サングリアル王国はレスカトールと一戦を交えるお覚悟がおありか?」

 それは最大級の脅しだった。食堂の空気が固まる。


 しかし、ヴラマンクはファラジの視線をかわし、話を続けた。

「いや、隣国とは仲良くしたい。……こちらは“華印フルール”を売り払う予定がある」


「お、王さま、何ということを!」「そんな、ダメですよ、陛下っ!」


 途端、同席していたルイとペギランが立ち上がり、ヴラマンクの元に走り寄った。


「もう、王国内での“魔風士ゼフィール”の捜索は終わっている。残りの“華印フルール”は持っていても無駄なだけだ」


 そうは言っても、“華印フルール”の保持数はそのまま国力に直結する。

 ダンセイニと違い、普通の国では“魔風士ゼフィール”は永遠に生きるわけではない。“華印フルール”を多く持った国ほど“魔風士ゼフィール”が死んだときに補充しやすいのは自明であり、“魔風士ゼフィール”の数こそが戦争の勝敗を分ける。長期的な視野で見れば“華印フルール”はひとつでも多く持っておくべきなのである。


「“華印フルール”を売り払うとは……、よほど切羽詰まっていらっしゃるようだ」

 ファラジだとて、この10日間で何もしなかったわけではないだろう。出来うる限りの情報を集めていたに違いない。

 そもそも、道にはまだまだ難民があふれているのだ。勘の悪い者でも何があったかは容易に想像がつくだろう。


「では目録をお見せいただけますか」

 勘が悪いとは到底思えないファラジが冷静に要求する。


 パルダヤンが側に控えていた騎士に目録を渡すと、ファラジはそれを受け取って、内容をぱらぱらと確認した。


「ふむ。“上位華印オー・フルール”もいくつかある。物は悪くない。が──、数が少なすぎる」


華印フルール”は平均して金貨2万から2万5千オールほどで取り引きされる。重要な“華印フルール”を除くと、売りに出せる“華印フルール”は十数個が限度だ。


 一方で、軍馬3000頭となると、例え相場が安いレスカトールでも120万オールは下らないだろう。──桁がひと桁違う。

 不穏な顔をするファラジに、ヴラマンクが笑い声を上げた。


「ひぃっひっひ。ちょっと待ってくれ、俺がいつ軍馬を『買う』と言った?」


「……なんですって?」

 ファラジの顔がますます曇る。だが、それにかまわずヴラマンクは続けた。


「わずか1か月で、3000頭を用意できたあんたらだ。騎馬民族っていうぐらいだし、そちらも馬は余っているんだろ? その馬を、少しの間、この“華印フルール”と交換で貸してくれないか?」


「『貸す』、ですって?」

 ファラジが怪訝そうに問い返す。


 夏なのに、部屋の空気が寒い。その場にいる誰もがヴラマンクの言葉を待って、話し出せないでいた。


「ああ、そうだ。貸してくれ。もちろん、タダとは言わん。今渡した目録の“華印フルール”は、貸すなんて言わないからそちらのもんだ。それから、馬が死んで返せなくなったら、その分も通常の代金を払わせてもらう。その条件で、軍馬3000頭、貸してもらえんか?」


 その提案に驚いたのか、笑顔を浮かべたままファラジの口が止まる。


 だが──、

「良いでしょう」

 ファラジが固まっていたのは数瞬だけだった。


 自分の常識にはないことを提案されても微笑みは絶やさず、しかも相手にあなどられる隙を与えずに、すぐ答えを出す。


(見上げた商人根性だな)

 ヴラマンクもまた笑顔のまま交渉相手を見つめていると、ファラジが言った。


「面白い提案をなさる方だ。私はあなたの提案に、非常に興味を持ちました。こちらも、あなたがたの“華印フルール”はお借りするだけでよろしい」


「……いいのか?」


「もちろん。ただし、素質と適性を持つ“魔風士ゼフィール”が見つかった場合、その“華印フルール”はお譲りいただくという条件で。それで、どうでしょうか?」


「こちらとしては、願ってもない条件だが……」

 ファラジの対応が信じられない。

 サングリアルに損がない、破格の条件である。


「──どうして、そこまでしてくれる?」


 脳裏を占めた疑心を、ファラジは笑い飛ばしてみせた。

「あなたのように頭の良い人となら、利害を超えてよしみを結んでおいたほうが、わが王国のためになる。そう思ったまでです」


 どうやら、その言葉に嘘はなさそうだった。

 ヴラマンクはただただ頭を下げる。


「では、軍馬3000頭、この町に置いていきましょう」


 そう言って席を立ったファラジが、思い出したように付け加えた。

「……それに、あなたがたには〈ラ・モール〉の脅威から大陸を守っていただかねばね」


 その言葉を最後に、大陸の雄レスカトールの商人は飄々と去っていく。


「はぁ……。なんだか、すごい方でしたねぇ」

 交渉中、ずっとヴラマンクの後ろで立ち尽くしていたペギランがぼそっとつぶやいた。ヴラマンクは振り返って、ペギランの胸を握りこぶしで軽く叩く。


「さぁ、これでようやくダンセイニに反撃が出来る」


「で、ですが、軍馬が3000頭いても、それで戦えるんですかぁ? 馬を操れるようになるには10年以上の訓練がいると、陛下がおっしゃったんですよ? そもそも“魔風士ゼフィール”が砦から出て来てくれなければ、いかに騎士が大勢いようとも、何も出来ませんし」


 心配顔で尋ねる長身の騎士に、ヴラマンクはにいっと笑って見せる。

「ああ。それについても、俺に考えがある。まずは荷馬車を出来るだけ用意してくれ」


「荷馬車を? 何を運ぶんですか?」

「がれきと、それから、弓矢だ」


「はぁ、がれきですか? それに、弓矢? でも、確か“魔風士ゼフィール”には──」

 不思議そうに首をかしげるペギランを見て、ヴラマンクは「ひひひ」と笑った。

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