第五章 戦嵐の前触れ

ガスコーニュの町

 王都から南に80リュー、元はと言えばジュール・レーモンの領地だったガスコーニュの町に、8千人の難民が逃げ延びていた。


 フィリポ島を狼に例えるならば尾の付け根にあたるガスコーニュは、大陸との貿易路がサングリアル国内で唯一開けている町でもある。

 市場には大陸から伝わった幾何学模様の絨毯、赤の顔料が鮮やかな陶器の皿、色とりどりの果物など、目を楽しませるありとあらゆるものが並んでいるはずだった。


 しかし――、今、市場をおおい尽くすのは人々の怨嗟のため息と、恨みの声、そして何かをあきらめたような民の顔ばかり。


「陛下、この鶏肉すごくおいしいです! もうお召し上がりになられましたか? 取り分けて差し上げますね。――どうしました? はい、あ~ん」


 窓の外を見つめるヴラマンクの口元に、香辛料がたっぷり効いた鶏肉が運ばれた。


「ええい、うっとおしい! 自分で食べられるわ! この愚かヤロウっ」

 まるで葬式のような民の様子に心を痛めていた王は、過保護なペギランの手を払う。


 ジュール・レーモンが使っていた屋敷は近隣の有力領主マントノン家に譲られていた。今はそのひと部屋を借りての食事中である。


「まったく。150年続いた王宮を燃やしてしまうなど……」

 ルイがヴラマンクに文句を言いながらも、羊の発酵乳をかけた焼きナスをひと口大に切り分けてほおばる。


 食堂にはヴラマンクと城主のマントノンのほかに、ルイ、ペギラン、アテネイ、そしてパルダヤンという、いつもの顔触れがそろっていた。


「そう言うなよ。どうせ、俺が造らせた城なんだし」


「だからといって、燃やしてもいいということにはならないでしょう?!」


「それはそうだけどな……」


「まったく……。なんだって、あんなことを」


「何度も説明しただろ? 糧食を絶やすためだって。さすがに9000もの大軍勢がすべて知能のない“屍人モール”のはずはない。なら、進軍には絶対にメシが必要になる」


 そこまでは何度か説明していたが、どうにもルイは納得がいかない様子だった。

「それは分かりますが。それでも……」


「ダンセイニは実りの少ない土地柄だ。持ってこられる食糧も、たかが知れてる。あれだけの大軍勢を食わせるためには、サングリアルから奪う食糧をあてにしていたはずだ。食糧庫にはほとんど食いもんなんてなかったが、焼いてしまえばやつらもあきらめる」


 ジュールに代わって蔵の鍵を守っていたパルダヤンは、王都が襲撃されたとき、迅速に蔵の鍵を開けて食糧を民に配っていた。そのおかげで食糧庫はほとんど空だったのだが、わずかに残っていた食糧も、ヴラマンクは躊躇なく燃やしてしまった。


 わざわざ、王宮だけは襲わずにいたダンセイニだ。食糧はぎりぎりだったに違いない。

 ヴラマンクの読み通り、食糧が燃え尽きたことを悟ったダンセイニ軍は、追撃をあきらめてロウィーナ砦に引き返していった。


「あれで、サングリアルを追いつめたら、『また』食糧を焼くかも知れないっていう可能性がやつらの脳裏に刻まれたはずだ」


「そういうものでしょうか」


「近隣の農村から奪った食糧がロウィーナ砦に集められているんだろうが、それだって長くはもたないだろう。あのままこの地の奥深くまで入り込んで、糧食が尽きて全滅するなんていう愚を、やつらは絶対に犯さない」


 まだ不満げなルイを諭すように話す。


 リュードの野心には果てがないことをヴラマンクは知っている。

 サングリアルを倒したら、次は大陸にまで侵略の手を伸ばそうとするはずだ。その時に必要となる『駒』を減らすような真似を彼らはしない。――よって、安全策を取る。ヴラマンクはそこまで見通していた。


「どうだ、ルイ、納得したか?」


「……納得はできませんが。現に民のほとんどが脱出できたわけですし、ダンセイニの侵攻も今は止まっていますので、……許して差し上げます」


「まったく……」


 サングリアルは自滅を覚悟してでも、食糧を焼き払う。その可能性が頭に入った以上、食いぶちが確保できるまで彼らはうかつに侵攻は出来ない。

 乗り込んできたダンセイニ軍も、本隊ではなく先遣隊のはずだ。様子見がてら、あわよくば可能な限り進軍するくらいの考えで、この急停止すら想定の内なのかも知れない。


「こちらの国力をそぐために農村を焼き払っていたのが、今は裏目に出たな。支配地から税を取れるなら、多少は無茶な進軍も出来るんだが。今のやつらにはそれがない」


「ひとまず、命拾いしたということですか?」


「ほんの少し、延命しただけだけどな。次に、やつらの侵攻が始まるのは半年後か、それとも明日か。体の中に蛇を飼っている以上、いつ腹を食い破られるか分からない」


「怖いですね、その例え……」

 ルイがつばを飲んで、長い息を吐く。


「あのォ、陛下。よろしいでしょうか?」

 それまでヴラマンクの世話を焼いていたペギランが、急に真顔になり口を挟んだ。


「ようやく2400人にまで増えた騎士が、950人にまで激減してしまいました。各地の領主は領地と領民を守るため、今まで以上に、騎士を貸し出すことを渋るはずです。今いる200少々の騎士が我々が自由に動かせるすべてだと思うのですが……」


 よどみなく話すペギランをヴラマンクは呆然と見つめる。


「……ペギラン、お前」


「ん? なんでしょう?」


「いや……、お前、成長したなぁ、と思って」

 初めて会ったときは、ずいぶんと情けない大献酌だいけんしゃくがいたものだと思っていたが……、7年と4か月ほどの間に、ペギランはかなり成長していたようだ。


「デグレ卿がいなくなってしまったのですから。私がしっかりしませんと」


 今のサングリアルは決して一枚岩ではない。

 4か月半前にいきなり現れた少年王を、自分たちの盟主だと認めていない貴族たちは、まだたくさんいる。改革を優先させたため、顔を合わせてすらいない貴族もいるのだ。


「デグレがいなくなったのは痛かったな……」

 大主馬だいしゅめとして貴族たちに一定の評価を受けていたデグレがいれば、各地の貴族たちを味方に引き入れるのもずいぶん楽になったことだろう。ペギランが身を乗り出した。


「陛下、デグレ卿が最期に伝えたというお話は、結局なんだったのです?」


「ん?」


厩舎きゅうしゃの奥にあるのは武器庫だけです。最も大事なものとは、一体なんなのですか?」


 ペギランの言う通り、厩舎の奥には武器庫しかない。軍事を司る役職である大主馬だいしゅめが、その鍵を開けられるのは当然なのだが……。


「……いや、今は言えない。不確実なことが多すぎる。“月を約束するプロメトル・ラ・リュヌ”ようなもんだ。それに、デグレがくれた情報を有効に活用するにも兵力が足りなすぎる。例え、すべての騎士を借りられても、だ」


「そうですかぁ……」

 ガスコーニュ城の食堂にペギランのため息がやけに大きく響いた。

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