幽谷の王


 ヴラマンクたちがデグレ隊の最後尾に追いついたのは、アスール村から1リューほど離れた森の中だった。


 デグレ隊は大きく蛇行を繰り返しながら、じわじわと、ポラックをある場所に追い込んでいるようだ。

 ポラックを乗せた馬が意に沿わないほうに走れば、速度を落として休んでいた隊が馬に鞭を入れて追いたてる。ポラックが速度を緩めたところを捕えるかと思えば、デグレ隊も速度を緩め、ぴったり後ろについて走り、一時も相手を休めない。


(海に追いつめるつもりか)


 ポラックも馬上から反撃をくり返してはいたが、ヴラマンクほど華印フルールの扱いに熟達していないのか、デグレ隊の数を減らすことはほとんど出来ていない。


 やがて、森が終わり、霧にけぶった断崖が現れる。


 ポラックを乗せた馬が観念したように足を止めた。

 長命将軍ロンジェ・ヴィテの行く手には、急な波が打ち寄せる音が絶え間なく響いている。乳を注いだような白く濃い霧が海をおおい、崖がどれほど高いかも分からなくしていた。


「終わりだな、ポラック・メルロ。観念しろ」

 デグレ隊が半円形に隊列を組んで、敵将を取り囲んでいる。

 背後には果てしない断崖が広がり、ポラックに逃げ場はない。ヴラマンクは一歩進んでポラックに剣を突きつけた。


「……ダンセイニが97年間、侵攻しなかった理由を知りたくない?」

 うかがうような顔で、黒髪の“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”が問いかけてくる。


「敵の情報は大事だが、今はお前を討つことのほうが優先する。取引には応じない」

 そう言って、一歩踏み込んだ。


 もはや、一跳びで懐にもぐりこめる距離だった。

 ポラックが〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉を使ったとしても、これだけ距離をつめれば、ヴラマンクなら〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の植生界面エクスクルシフを素早く展開して被害を出さずに押さえこむことが出来る。


「分かった、アタシの“華印フルール”を渡すよ。それでどうかな」


「お前を殺してからいただく」

 ヴラマンクは剣を持たない左手で、命乞いをする敵将の腕をつかんだ。


 慌てたようにポラックが叫ぶ。

「だ、ダンセイニが97年もの間、侵攻できなかったのは、王国の地下に最悪の“華印フルール”が埋まってるからだ! き、聞きたくないか?」


「どういうことだ?」

 ヴラマンクはポラックの心臓に突きつけた剣を止めて聞き返した。ほっとしたように、ポラックが小さな笑みを見せる。


「分かった。話すから、手を放してくれない?」


「ダメだ。すぐ話せ」


「……アタシはいいんだけど、困るのはあんただよ?」

 瞬間、両脇から伸びた何者かの腕に後ろから羽交い絞めにされた。


「なん……だっ!」

 すかさず、剣を持っていた手をポラックにつかまれ、“華印フルール”の力を封じ込められる。


「すみません、ヴラマンクさま。こうでもしないと、また死んでしまうもんで」


「デグレ……! 裏切ったか!」


 自分の背よりもかなり高い位置から聞こえるとぼけた声は、大主馬だいしゅめデグレ・ボーフォールのものに違いなかった。

 体をよじり、何とか顔を上げてデグレの目を見る。

「とんでもない。操られておるだけですよ。わしはもう、生きてはおりませんので」


「な? 手を放しておけば良かっただろ? アタシの力を封じてなければ、とっさに“華印フルール”で身を守れたかも知れないのに」


 ポラックはヴラマンクから剣を取り上げ、その切っ先をヴラマンクの首筋に向ける。

「後ろのやつらも動くなよ。あんたらの王サマが死んじゃうからね」


 デグレがヴラマンクの後ろでぼやき始めた。

「ヴラマンクさま。死ぬってのは恐ろしいもんですなぁ。こうなっちまうと、痛みも、苦しみも、飢えも、渇きも、何も感じないんですわ」


「本当に、死んでいるのか」

 その問いとは裏腹に、ヴラマンクはデグレが“屍人モール”化していることを、すっかり分かってしまっていた。──首を締めつけるデグレの腕が日陰の土のように冷たい。


「分かりますかね。自分の体が、陶器の人形にでもなった気分ですわ。空っぽなんです。中にゃ、何にも入っていない。王を捕まえている腕も、何も感じていないんですわ」


 ポラックが退屈そうに告げる。

「さて、そろそろいいかな?」


 ヴラマンクがにらみつけると、ポラックは言い訳するように言った。

「さすがにアタシだって、千人もの騎士を一人で相手にするのはきついからね。アタシが手を放したら、あんたも“華印フルール”を使ってくるだろうし。──もういいよね?」


「もういい、だと?」

 ポラックの問いの意味を考える前に、背後からペギランの怯えた声が聞こえた。

「陛下、霧の中に、影が……」


「あんた、ヴラマンクだっけ? 気づかなかったんだね。この暑いのに、こんなに霧が出てるなんて、おかしいとは思わなかった?」

 可憐な将軍は嬉しそうに笑いながら、くちびるに指をあててしなを作る。


 だが、ヴラマンクにそれを見ている余裕はなかった。ポラックの背後の海上に、巨大な、あまりにも巨大な影が見える。

 暑い日に霧が立ち込める理由、それをヴラマンクは知っているはずだった。


「王さま、あれ!」「ハハ……、軍艦、です、かねぇ?」


 ルイとペギランが同時に声を上げる。

 崖の下に見えるのは、王宮の主塔よりも高い船首を悠然と伸ばした船だった。荒れ狂う高波を超えられるだけの、巨大な軍艦である。

 船首の頂きについた顔は、トカゲとも蛇ともつかない。

 そのどちらとも違うのは、後頭部とアゴの後ろから、無数の凶悪そうな角が生えているところだろう。長く緩やかな曲線を描く首には、鎧のように硬質な蛇腹状の皮膚がある。その姿は獰猛でありながら、どこか優美で、見る者に等しく畏怖の感情を与えた。


「軍艦、だが、あれはむしろ──、」

 ヴラマンクはつぶやいた。


 確かに船だった。

 巨大な軍艦であることは疑いようがない。


 しかし、それではポラックが先ほどから含みを持たせて話す意味が分からない。

 霧の母にして、幽谷の王。その天を衝く威容の正体は──、


「これは、この船は、まさか“王樹竜アルブル・ドラゴン”なのか?!」


「その通り! 信じられないだろ。竜が船だなんてさ!」

 ヴラマンクが驚いたことに満足したのか、ポラックの声が嬉しそうに響く。


 それは竜の背を大きくくり抜いて造った船だった。

 霧のためにかすんで見えないが、あの巨大さならゆうに500人は乗せられるだろう。それが何十隻も波間を漂っている──。


「これは“王樹竜アルブル・ドラゴン”の死体を利用して船を造ったってことか!」


 考えられないことではなかった。

 木材の少ないダンセイニだ。利用できるものなら、何でも利用するに違いない。だが、“王樹竜アルブル・ドラゴン”など、数千の軍を持ってしても倒せない、化け物中の化け物である。それをどうやって、あれだけ大量に倒したというのか……。


 ヴラマンクの疑問にもポラックがわざわざ答える。

「死体じゃないよ。死体だとしたら、霧を吐く理由がないだろ?」


「じゃあ、生きてるのか、あれは……?」


「ねぇ、信じられる? あいつらって、生木のように瑞々しく火を寄せつけないのに、雲のように軽く、それでいて、鉄よりも頑丈なんだ。まるで船になるために生まれてきたようなもんじゃないか!」


 新しいおもちゃを手に入れた子供のように、美しい“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”がはしゃいでいる。


「上陸した敵の数は2000ほどと、わしはちゃんと真実をお伝えしましたよ」

 ヴラマンクを羽交い絞めにしていたデグレがやれやれといった調子でぼやく。


「上陸していない兵士も含めたら、9000人の大軍勢だけどね!」

 自慢げに語るポラックの声はどこまでも楽しそうだった。


「あんたらに以前の兵力がないって聞いた時点で、こいつらに乗って王都を急襲してやっても良かったんだけどさ。デグレが4大貴族をまとめて仕留める方法があるって言うんで、話に乗ったわけ。兵士を何千人殺したところで、“魔風士ゼフィール”を1人取り逃したら、のちのち厄介になるからね。ま、あんたの絶望した顔を見れただけで、こっちの案にして良かったよ」


「すみませんねぇ、わしはもうその時は死んじまってたもんで」


「そうだよ? デグレを責めんなよ。こいつ、殺されたとき、娘に言い残したことがあるって言って、リュードさまの“風の種ヴァン・グレイン”を受け入れたんだ。たった200人ぽっちでロウィーナ砦を守らせてたあんたが悪いよ」


 少人数で防衛できるように造られた城塞といえども、たったの200人で“魔風士ゼフィール”に率いられた軍を相手どるのは無理がある。──しかし、砦の防備には200人しか割けなかったのもまた実情だった。


「まぁ、そういうことです。わしは幸運にも生前の遺志を残したままで“屍人モール”にしてもらいましたが。ダンセイニに盾突くようなことをしたら、すぐにまた、ただの死体にされてしまうんで。ヴラマンクさまには悪いですが、ここはこらえて下さい」


 こらえろも何も、ポラックに“華印フルール”を封じられている上、大柄なデグレに完全に押さえこまれている以上、ヴラマンクには手も足も出ない。


「ま、あんたはそこで見ててくれる? 部下たちがこいつらに殺されていくところをさ」

 デグレはヴラマンクの体を崖ではなく、騎士たちのほうへと向けた。

 いつの間にか、デグレ隊の騎士に周りを囲まれている。──彼らも“屍人モール”だったのだ。


 そして、一方的な虐殺が始まった。

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