華印《フルール》

「おい。ここに、ルイがいると聞いたんだが」

 ヴラマンクは厩舎きゅうしゃの脇にある掘立小屋の扉を叩いた。


 中から何やら楽しそうな女たちの嬌声が聞こえる──。

 嫌な予感がして扉をあけると、丸々と白い豊満な胸を揺らして、半裸の女性が飛び出してきた。


「あらぁ~! このおチビさんが例の王様? ずいぶんお若くていらっしゃるのね!」

「やだぁ~、かわいい! こっちに来てわたしたちと遊ばなァい?」


 中にいたのはいずれも若く美しい娘たちだ。そして、そのいずれもが半裸、もしくは全裸だった。

 刺激的な光景に、ヴラマンクは思わずむせこむ。


「ごご、ご婦人方、これは一体……? いや、こんなふうに女性の肌を見ては、礼を失する。俺はここにいるから、ルイを連れて来てくれないだろうか」


 だが、娘たちはヴラマンクの話を聞かず、その腕をつかんでヴラマンクをぐいっと小屋の中につれていった。


「お、おい!」

 ヴラマンクが焦ると、娘たちは楽しそうに笑う。


「なぁに~? ルイちゃんをご指名なのォ?」

「ルイちゃ~ん! こんなところでサボってるから、王様がお迎えに来たわよ!」

 女が小屋の奥へと声をかけた。


「一体なんでしょう、王さま? 御覧の通り、取り込み中なのですが」


 入り口からは見えにくくなった一角でルイが積み藁の上に寝転がっていた。着崩れた衣服の中に、別の赤髪の女が手を入れてまさぐっている。──この女も半裸である。


「お、お前なぁ……。なんだ、国王の前で、その態度は……」


 由緒正しい貴族の血筋であるルイは、少し見れば麗しの姫のような美貌である。女たちが群がるのも、無理はないのだろうが──。


「このような姿ではご無礼でしょう。今、着衣の乱れを整えさせますので、王さまに置かれましては、また後ほどお越し頂けますでしょうか」


 まったく起き上がる様子も見せず、ルイが応える。ヴラマンクはしばし天を振り仰ぎ、そして命じた。


「いや、今すぐだ。サングリアル国王の権をもって、宝の鍵の番騎士ばんきしどのに要請する。宝物庫の鍵を開けてもらいたい」


 その言葉を聞くと、ルイはうんざりした様子で女の手を払いのけた。

 傍らにかけてあったマントを手元に引き寄せ、きつく前をしばる。ルイが立ち上がると、藁山から柔らかな白い手が突き出した。


「ルイさまぁ~? もう行ってしまわれるのぉ?」

 積み藁の下から現れた一糸まとわぬ姿の寝ぼけ眼の女を見て、ヴラマンクは顔をおおった。


「王さまの要請とあらば、ご用件を伺いましょう。しかし、宝の鍵を開けるかどうかは、また別です。王さまの要請に従い、協力はいたしますが、我らには断る権利も保証されております。この鍵を使うのは、ボクが必要と認めた時だけですので」


「今日は中身を確認するだけだ。俺の記憶とどう変わっているか、確かめたい」


「必要とあらば、目録を作ってお渡しいたしますが?」


「いや、俺でなければ分からんものもある。……俺でなければ、開けられん物もな」


「ふん。仕方がありませんね……」

 ルイは娘たちに服を着るよう告げた。


「──何を見ているのです?」

 ヴラマンクは慌てて、掘立小屋を飛び出した。


       †   †   †


 小屋の外でルイの着替えを待つことしばし。2人は居館の地下に足を向けた。やや湿った薄暗い階段を下り、やがて重厚な扉の前に出る。


「この中にあるのは、サングリアルの秘宝。傷つけたり、失くしたりなさらぬよう」

「あのなぁ。国王をなんだと思っていやがる。とりあえず、今日は国宝と“華印フルール”だけ確認できれば充分だ。まさか、売り払ってなどいないだろうな?」


「何度も申しあげますが、サングリアルの国庫には本当に余裕がございません。国宝に手をつけず、今日までやってこれたのも、歴代の侍従卿じじゅうきょうの苦心の賜物なのですよ」


「分かった、分かった」


 ルイににらまれつつ、ヴラマンクは宝物庫をあさりはじめる。

「──よし。宝箱はあらかた空だが、国宝と“華印フルール”だけはちゃんと残っているな。今度、国王の目覚めを記念して式典でも開くか。おとぎ話で聞かされて育った国王にひと目会いたいという者も多いだろう。その時、参列者全員がこいつに1回ずつ触るようにしてくれ。国王に拝謁する前の礼儀だとでも言ってな」


 そう言って、ヴラマンクは小さな宝石箱を開けた。


「花をかたどった宝石にしか見えませんが──、参列者にこれを触らせて、どうするんです?」


「そんなの、決まってるだろ。“華印フルール”を使える“魔風士ゼフィール”を探すんだよ」


「なんですか、その“魔風士ゼフィール”って?」


 一瞬、からかっているのかとも思ったが、ルイは本心から聞いているようだ。

「春の訪れを告げ、花々を咲かせる、西風にちなんでつけられた名だ。“華印フルール”を操ることが出来る者はそう呼ばれる」


「その“魔風士ゼフィール”を見分けるにはどうしたらいいのです?」


「そんなの、素質と適性を持った人間が触れれば、体から風が吹き上がるから分かる」

 うんざりしながら、ヴラマンクは何も知らないルイに説明した。


「では、その素質と適性というのは」


「……分かった、ちゃんと説明してやるか。ちょっと座りな」

 宝物庫の床に2人して座り込む。ルイに砂金の入った袋を開けさせ、ヴラマンクは人差し指を立てる。と、ヴラマンクの体から薄紫の風が湧き起こり、砂金の粒を舞い上げた。


「いいか。“華印フルール”を操るためには『素質』と『適性』が必要だ。素質ってのは、一説には血に宿るという。生まれ持ったものだ。一方で適性のほうは訓練で習得できる」


 ヴラマンクがそう言って指を2回ふると、床すれすれに一陣の風が吹いて、砂金の粒がさらさらと落ちた。

 床には砂金で『素質』と『適性』という文字が書かれている。


「わぁっ」


 ルイが目を見開いたのに少し気を良くしながら、ヴラマンクは説明を続ける。

「世の中には、生まれたときから“華印フルール”を扱えるやつがいる。こういうやつらは『素質』がものすごく高い。俺とか、ダンセイニ国王“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードがそれにあたるな。

 こういうやつの場合は、大体がひとつの“華印フルール”と結びつきが強くて、その“華印フルール”しか使えなかったりするもんだが。その分だけ、強力な力を引き出せる場合が多い」


 ヴラマンクが再び指をふると、床にこぶし大の砂金の円ができた。

 中には『素質の高い者』という文字が書かれている。


「お次は『普通の素質を持つ者』だ。“魔風士ゼフィール”の大半が、これに当たる。こういうやつらが“華印フルール”を使うには、素質だけでなく『精神的な適性』が必要になる」


「『精神的な適性』ですか?」

 ルイがそう問い返す。ヴラマンクはひとつうなずき、説明を続けた。


「そうだ。“華印フルール”にはそれぞれがあるんだ。“華印フルール”は人間の精神に呼応して力を与える。“華印フルール”固有の『精神的な適性』に到達しなければ、“華印フルール”は扱えない」


 地面をつつくように2回指差すと、風が舞って、床に座るルイを囲うほどの、大きな砂金の円ができる。

 円の中には『普通の素質を持つ者』という文字が現れた。


「では……、王さまが〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の開花条件を満たしたらどうなるのです?」

 本質を理解していないと出ない質問に、ヴラマンクは少し驚く。


「そうだな。俺は開花条件を半ば無視して〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉を使えるんだが、その場合は発揮される力が大きくなると思ってくれればいい」


「へぇ……。では、どちらの場合でも『適性』は後から伸ばしていけると」


「そういうこった」


 飲み込みが早いルイに感心しながら、ヴラマンクは両手を振り上げる。


 すると、袋から砂金が恐ろしい勢いで飛び出した。

 砂金の奔流は、宝物庫のなかをぐるりと囲む巨大な光の渦と化す。その中心に、金色の文字が浮かび上がった。


「あ……」


 ルイは見とれたようにため息をこぼし、宙を見上げたまま放心している。

(こいつもまだ15歳だ。こうして素直にしていれば、まだ可愛げもあるんだがなぁ)


 口を開けてぽかんとしているルイを横目に、ヴラマンクは続けた。

「そして、もっとも多いのが『素質を持つか分からない者』たちだ。そいつが“華印フルール”に触れた時点で『素質』と『適性』の両方があったら、“魔風士ゼフィール”を探すのも簡単なんだけどな。どちらかが欠けていた場合、適性が足りないのか、それとも、元々の素質がないのかは、訓練してみないと分からないんだよなぁ」

 ヴラマンクがぼやく。

 まだルイは砂金の渦に見とれているらしい。


「おい、ルイ!」


 ヴラマンクがくるくると2回指を回すと、『素質を持つか分からない者』と書かれた砂金の文字は『ルイ、話を聞け』に変わり、渦は一気に狭まってルイを囲んだ。


「きゃあっ!」とルイが驚く。


「……何だお前、女みたいな声を出して」

 ヴラマンクがぽかんと言うと、ルイがヴラマンクをにらみつけた。


「王さまが驚かすようなまねをなさるからです」


「悪い、悪い。ちゃんと聞いてたか?」


「失礼な。どこぞの寝ぼすけ王のように、眠ってなどおりませんとも」


「お前なぁ。王に対して、口が過ぎるんじゃないか?」

 ヴラマンクの抗議に、しかしルイは取り合わない。


「それで。すぐに“華印フルール”が使える“魔風士ゼフィール”を探すためには、まず“華印フルール”に触らせてみるのが一番の近道、ということでしょうか?」


 ヴラマンクは大きくため息をついた。

「やれやれ。まぁ、その通りだな。ただし、とある“華印フルール”の素質がなかったとしても、他の“華印フルール”を操る素質はあるかもしれないから厄介なんだ。なにせ、“華印フルール”は20万種もあると言われる花々と、同じだけ種類があるようだから」


「ですが、今回は関係ありませんね。今はわが国にある“華印フルール”を操る“魔風士ゼフィール”を探すのが目的でしょう。サングリアルにない“華印フルール”を扱える者がいても、意味がない」


 ヴラマンクはパンと音を立てて両手を叩き、そのままにぎりこんだ。

 と、空中に渦を巻いていた砂金の粒が袋の中に吸い込まれていく。


「そういうこった。理解したようだな。式典の際、俺は民の前で愛想を振りまかなきゃならんから、くれぐれも盗まれることのないよう工夫してくれ」


 すると、ルイはこれ見よがしにため息をついた。


「まったく。祝賀の式典を開くにも警備の兵の増員が必要です。貴族の皆さまを棒立ちにさせるわけにもいきませんでしょうから、別に席を用意する必要があるでしょう。夜にはお顔合わせの夜会も開くべきでしょうし、何事も、人を動かすのにはお金がかかるのですよ?」


「うっ!」

 急に現実的な話をはじめるルイから、ヴラマンクは目をそらす。


「せっかく宝の鍵を開けたのですから、丁度いい。歴代の侍従卿じじゅうきょうでは売っていいものかどうか判断がつかなかった宝物がまだいくつか残っているはずです。これを機に、王さまには売って良いものかどうかの目録を作っていただきましょう。──ご異存ありませんね?」


「いやぁ、ははは……。俺も色々と忙しいんだが」


「ご異存、ありませんね?」


「う……。はい」


「では、さっそく──」


「ま、待て、ルイ! まだ用事があるんだ」

 有無を言わせぬルイを制止し、ヴラマンクは宝物庫の最奥へと足を運ぶ。


 宝物庫の奥にひっそりと置かれた長持ちの鍵穴に薄紫の風を送り込むと、かすかな音を立てて鍵が開いた。中に入っていたのはひと抱えもある白くて長い包みだ。


「ルイ、お前にはこれを渡しておく」


「なんですか、これ? ──剣?」


 包みに入っていたのは、幅広の長剣だった。ルイが二、三度試し振りをすると、それだけでふらつく。明らかに、ルイには大きすぎた。


「ボクには、少し大きすぎるようですが……」


「ペギランに稽古してもらうことだ。──あぁ、言っておくが、くれぐれも売ったりするなよ。それはサングリアルを救う鍵となる、大事な剣だからな」


「どういうことです?」


「今は言っても分からないだろう。いずれ、必要になった時に教えてやる」


「ふぅん……。ボクはどちらかといえば、弓のほうが得意なのですけどね」


「剣は使えるようになっておけよ。“魔風士ゼフィール”相手に弓は効かん」


「来るかどうかも分からない、ダンセイニの“魔風士ゼフィール”相手には、ね……。

 さて、では宝物庫の宝を整理し、目録を作りますよ。まずはめぼしい宝を一度並べてひとつひとつ確認いたしましょう。王さまは向かって左を」


「はぁ……。仕方がないな」

 ヴラマンクは肩を落とす。2人の作業は夜半過ぎにまで及んだ──。

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