第4話〔5〕あがなえる大輪

 

 

 

 

 

 オオカミベーカリー&カフェでの一件のあと、色々と用事ができてしまってメルヴィル城へ帰り着いたのは日もずいぶんと暮れてからになった。

 

昼間の出来事を城主に報告すると、彼は心底ほっとした様子で3人の無事を喜んでいた。

 

ことのついでの休日ではあったが、思い返してみればあわただしい一日であった。

 

 ニアは小休憩ののちエプロンドレスに着替え、アステルの専属メイドを再開した。

 

そしてこの夜、さっそくステラが城主の部屋へ呼ばれ、彼からくだんの品が贈られたのだった。

 

それは、アステルが街の宝石匠に作らせていた、シオンの花をかたどったブローチのついたネックレスだった。

 

 

アステル「君を外仕えに送り出すにあたって、これをプレゼントしたい。

先方のランプリング伯爵はとても忙しい方で、ひとつ所に長居をしないという話だ。

当然ステラも一緒に各地を転々としなければならないだろう。

もし万が一、旅先で不測の事態が起こり、客土かくどに一人投げ出されるようなことになったら、このネックレスを質草しちぐさにするといい。

この城までの路銀くらいにはなるはずだから……」

 

 

ステラ「ありがとうございます、ご主人さま……。

きっと大事にいたします……」

 

 

アステル「フフ……私の役目は終わった。

これからの君の主人は、ランプリング伯爵だ。

あちらで新しいメイド服を用意していただけるそうだから、

よく尽くしておいで」

 

 

ステラ「はい、おまかせ下さい」

 

 

 交わした言葉はそれだけだったが、ネックレスを手渡されたステラはとても大事そうにそれを両手で包みこんでいた。

 

 ハーフリング族の、笑顔のやさしい女の子。

 

青空色の髪に春カスミ色の瞳を持つ。

 

鼻の上にそばかすを散らした素朴な顔立ちではあったが、まだ13という歳を考えれば充分美人になる顔立ちだ。

 

小人特有の小柄すぎる上背ながら、彼女は立派に城仕えを全うしたのだった。

 

 翌朝、ステラはアステルとともに馬車に乗り、ランプリング伯爵のもとへ送られていった。

 

彼女と仲の良かったアイビーが涙ながらに見送ったが、ステラは最後までりんとした姿をその親友に見せていた。

 

あとは伯爵の側仕えとして、懸命に勤めを果たすであろう。

 

 メルヴィル城の花乙女たちは、こうして外の世界へと巣立っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペテュニアがアイリスのもとで見習いメイドをこなして、3年の月日が流れようとしていた。

 

その間いく度となくアステルを取り返そうとストリンガー家へ働きかけたのだが、手紙もなしのつぶて、直接たずねていっても門前払いをされて、面会さえもかなっていなかった。

 

 その上、アイリスが城主を引き継いだメルヴィル家は、ここへ来て窮地きゅうちに立たされていた。

 

じょじょに力を付けてきたメルヴィル家に、どうやらストリンガー家が横やりを入れてきたらしいのだ。

 

 このままこちらの勢力が増して、ストリンガー家の内情にまで干渉されることを怖れたのだろう。

 

ある時期から顧客が減り出し、新人メイドの外仕え先も決まらず、メルヴィル家の経営が赤字にかたむいてきたのだ。

 

 一時は城兵らが武力をたのみにストリンガー邸へ乗り込もうと勇み立ったこともあったが、アイリスはそれを許さなかった。

 

それこそ、お義父とうさまの思うつぼである、と。

 

 とは言え、もはや経営は行き詰まり、アステル奪還のめどもつかない今、残された手立ては多くなかった。

 

それが最後になるであろう手紙に、兵士たちが殺気立っているむねのおどし文句をしたためて、面会を迫ったのだった。

 

 ここでようやく相手が折れた。

 

アイリス一人で来るというのであれば面会に応じると、返事をよこしたのだ。

 

 もちろん罠であろうことは誰の目にも明らかだった。

 

行けば生きては帰れない。

 

田舎町の子爵婦人が一人消えたところで、いちいち気に留める者などいない。

 

 全てはストリンガー伯爵に有利だった。

 

それでもアイリスは、このチャンスに命を賭けた。

 

 こうして、冬の寒い日の夜、メルヴィル城城主アイリス・メルヴィルは、彼女のレディーズメイドとなったペテュニアただ一人を連れて、ストリンガー伯爵のいるストリンガー邸へと訪れたのだった。

 

 

番兵「使用人はここまでだ」

 

 

アイリス「いいわ、ここからは一人で。

ペテュニア、あとで会いましょう」

 

 

ペテュニア「かしこまりました、ご主人様」

 

 

 以前は配されていなかった門番に邸門ていもん前で止め立てされて、ペテュニアは彼らとともに脇戸をくぐり入るあるじと別れた。

 

アイリスに仕えてもう3年。

 

メイド服は体になじみきっていて、言葉づかいもすっかり使用人のそれだ。

 

 18歳となったペテュニアは、前よりずっと世の中がよく見えるようになっていた。

 

だからこそ、あるじに“死にに行く”と聞かされていても、それが彼女の意思である限り、それを受け止めて最後まで付き従う覚悟ができたのだった。

 

 エプロンドレスの上に羽織ったクロークのえりもとをかき合わせ、あきらめた風をよそおって来た道を引き返す。

 

林にさしかかり、充分距離を置いた所で道をそれる。

 

月は冴えて明るかったが、都合のよい暗がりを選んで伯爵邸の裏手へ回り込んでいった。

 

 高い塀に飛びつき、軽やかな身ごなしで登り越し、敷地内へ入ってしまえば、あとは楽なものだった。

 

急場しのぎで増員したらしい警備兵は、三々五々とかたまって、肝心の警備も穴だらけ。

 

それらをやり過ごし、足音をしのばせて居館の壁を駆け登ってゆくと、窓明かりのもれる部屋のバルコニーへとたどり着いた。

 

 

声『うぬぼれるな!』

 

 

 柱かげの中にすばやくひそんで中の様子をうかがうと、ストリンガー伯爵と思しき人声がした。

 

 

パキラ『使用人だった分際で、お前が息子をそそのかしさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ!』

 

 

アイリス『彼は真実の愛を求めた。

お義父さまが用意した“いつわりの愛”ではなく、私との“真実の愛”を……』

 

 

パキラ『だまれ!』

 

 

 対話はすでにこじれてしまっているようだ。

 

りんと立ってたんたんと主張を言うアイリスに、伯爵は理性を失って怒鳴り声を上げている。

 

 

パキラ『だまれだまれだまれ!!

亜人に血道ちみちを上げる愚かな端女はしため、お前など死んでしまえ!』

 

 

 伯爵が指でさし示した方向に人影があった。

 

ペテュニアは危険を察し、手近にあった木製のテラスイスを持ち上げて、窓ガラスに向けて振り投げる。

 

【パァァン!】

 

テラス窓を割り、千切れたイスとガラス片が飛び散る中へ飛び込んで、彼女はそのままあるじの背後から襲いかかろうとする人影に迫った。

 

【キン……ッ!】

 

 スカートの下からすばやく抜いたナイフを逆手に振り上げ、相手の得物の軌道をそらす。

 

よく見れば、それは少女だった。

 

 

アイリス「ペテュニア……!」

 

 

ペテュニア「背中はお守りいたします。

ご主人様は伯爵を……!」

 

 

 あるじと背中合わせになって、伯爵の護衛をにらみ据えるペテュニア。

 

ナイフを手にし、メイド服を着たその少女は、かつての自分に似ていた。

 

 

声「カトレア、下がれ。

こいつは俺が殺ろう……」

 

 

ペテュニア「ハッ……!」

 

 

 さらに少女の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

そいつを確認して、ふつふつと燃え上がる感情に、ペテュニアは目をけわしくする。

 

 燭台の火明かりに照らされて浮き出る、浅黒くしわめいた壮年の顔。

 

瞳は闇色をして、泥色となった長髪のはざ間から不気味げにのぞく。

 

身につけた物もことごとく黒く執事のような身なりではあったが、こんなにまがまがしい容姿をしていただろうか。

 

 それはかつての師父だった。

 

 

ペテュニア「し……師父!?」

 

 

師父「久しいな、ペテュニア……。

もうすっかり使用人になり果ててしまっているじゃないか」

 

 

 こちらが的を変えて得物を構えなおすと、彼はにたりとしゃくに障る顔で笑った。

 

予期していなかった師との再会に、ペテュニアの心は激しく動揺してしまう。

 

 

ペテュニア「なぜわたしを裏切った!?

あんなに尽くしていたのに……信じていたのに!」

 

 

師父「勘違いするなよ小娘が。

お前は俺が育てた。

闇の世界で生きてゆくすべも、お前のその力も、全て俺が与えたものだ。

お前をどのようにしようと、俺の勝手だ」

 

 

ペテュニア「そうやって、また何も知らない女の子を使い捨てにする気か!」

 

 

 3年ぶりに会って本性を隠そうともしない男の勝手な言い分に、ペテュニアは彼の後ろに下がった少女をもう一度はたと見て言い放つ。

 

 

ペテュニア「聞きなさい、かつてのわたし!

この男は育てた者を金で売り飛ばすような非道のアサシンだ!

だまされてはいけない、少しでもこの男に疑問をいだいているのなら、剣を納めて逃げなさい!」

 

 

師父「余計なことを、ほざくな!」

 

 

【ガッ!!】

 

 色をなして、彼が一足飛びに打ちかかってきた。

 

師父が腰もとから引き抜いたのはダガーナイフ。

 

しかもただの刃物というわけではないらしい。

 

 ペテュニアはその第一撃目を鼻先ぎりぎりの所で弾いたのだが、彼の持つ得物にフリントロック式のピストルが仕込まれていたのを確認したのは、弾いたあとだった。

 

 

ペテュニア「それは……っ!」

 

 

師父「ふっ、なかなか面白い代物だろう?

俺がこの引き金に指をかけていたら、今お前の眉間には風穴が開いていたところだ」

 

 

ペテュニア「……くっ」

 

 

 いちいちしゃくに障る笑い顔で、得意げに変わりナイフを見せつける師父。

 

どこまでも子供扱いをしてくる男をペテュニアは苦々しくにらみ返した。

 

 気迫で負けていてはいけないと、こちらも果敢に攻撃をしかける。

 

 

ペテュニア「ヤッ!」

 

 

【ガァンッ、カンッ、カンッ!】

 

 双方の刃がかち合って、うす暗い部屋に鉄火てっかを咲かせる。

 

ピストルナイフというものは、溝を切った刀身にそわせて銃身がはめ込まれている。

 

十字つばにある引き金を引けば、切っ先からまっすぐに銃弾が発射される寸法だ。

 

 しかしそれはただ一発のこと、外せばあとは取り回しの利かないダガーナイフとしてしか用を成さない。

 

したがって、使い手も慎重に使い所を見極めなければならないのだろう。

 

ペテュニアとの激しい応酬をくり広げている間、師父は一度も引き金に指をかけるそぶりを見せなかった。

 

 

師父「フンッ!」

 

 

【ドッ!】

 

 

ペテュニア「ぐっ……!」

 

 

 銃口の向きばかりに気を取られていると、鋭いひじ鉄をもらうことになる。

 

ペテュニアは腹をやられて飛びすさり、思わずせぐくまって足をもつれさせた。

 

 

ペテュニア「ぅうあっ!」

 

 

【キンッ……!】

 

 止まって狙いをつけさせるすきを与えてもいけない。

 

彼女はすぐさま体勢を立て直し、ナイフ一本をたのみに猛攻を続けた。

 

 打ち合いは激しさを増していったが、いかんせん師弟の力の差は今も健在であった。

 

どのような攻撃も難なくいなされて、あげくはこちらが息を切らせ始めてしまうという有り様だった。

 

【ズン……ッ!】

 

 

パキラ「ああああああっ、あああっ!」

 

 

 突然、背後で悲鳴が上がる。

 

 

師父「ちっ……!」

 

 

 何が起こったのかは分からないが、これに反応して師父が彼らしくなく、強引な動作で得物の切っ先をこちらに差し向ける。

 

目をすがめて狙いをつけると、その引き金を引いた。

 

【パンッ!】

 

 ペテュニアはとっさに頭を低め、切っ先から火花を散らすピストルナイフの凶弾から身をかわした。

 

これを勝機と捉えて彼女は、ただちに彼との間合いを詰めてこちらの得物を叩き込む。

 

【ドスッ……!】

 

 ナイフは師父の、のどくびに突き刺さる。

 

 

師父「……シュッ」

 

 

 狙いを定める動作のまま彼は、驚きと嘲笑ちょうしょうの入り混じったひずみ顔を浮かべて固まった。

 

師として学んだ男の最期は、あっけないものだった。

 

 男の瞳に生色せいしょくが消えたことを充分に確かめてからペテュニアがナイフを引き抜くと、その肢体はひざからくずおれて豪奢な敷物の上に横たわる。

 

肺にたまっていた空気が抜けてゆき、まぶたをぴくぴくとけいれんさせて懸命に死にあらがっていた様子だったが、やがて彼は床に血だまりを広げてなきがらとなり果てた。

 

 

ペテュニア「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 これら一部始終を見届けていたカトレアと呼ばれた少女は、ただ呆然と立ち尽くすばかりだった。

 

どうやら攻撃してくる気配もなかったので、ペテュニアは得物をにぎったままあるじのほうを見返った。

 

 師に打ち勝って師との決別をとげた彼女が目撃したのは、ストリンガー伯爵の心臓に刃物を突き立てるアイリスの姿。

 

有り得べからざることには、そのどちらの体からも、鮮血が流れ落ちていたのだった。

 

 

ペテュニア「アイリス様……!!」

 

 

 ペテュニアは青ざめて、すぐさまあるじのもとへと駆けつける。

 

師父の血を帯びたナイフを放り出し、力が抜けてゆくアイリスの体を背中から抱き止めてさしあげることができたので、凶器のを胸先から突き出した伯爵のみが床へと崩れ落ちた。

 

 彼はすでに事切れていた。

 

しかし、アイリスのほうも虫の息だった。

 

おそらく師父の放った銃弾が彼女の背中を直撃し、体内に深く突き刺さって心臓にまで達してしまっているのだろう。

 

 何のことはない。

 

伯爵をアイリスが刺し、アイリスを師父が撃ち、すきができたその師父を自分が労せずしてほうむっただけのことだった。

 

 

アイリス「ペテュニ……ア……」

 

 

ペテュニア「ここでございます……」

 

 

 くずおれるあるじをできるだけ楽な体勢にしつつ、床に座ってそのかぶりをひざの上にいだくペテュニア。

 

アイリスのうつろな眼をのぞき込んで、構えて言葉を聞いた。

 

 

アイリス「アステルを、探し出して、彼に……メルヴィル家を、継がせるのです。

あなたが……後見人よ、ペテュニア……。

今の名を捨て、過去を消して……あの子に、仕えなさい。

それから……伝えて……、

”……と……」

 

 

ペテュニア「おまかせ下さい、命にかえても、

アステル様にお仕えいたします……」

 

 

アイリス「…………」

 

 

 あるじは最後に一度だけうなずいて、両目を閉じた。

 

全身が弛緩して呼気がゆっくり吐き出されてゆく。

 

息絶えるその瞬間まで、ペテュニアは彼女の安らかなかんばせから目を離さなかった。

 

 結局、守ってさしあげられなかった。

 

死を覚悟されていたとは言え、あわよくば自らの命と引き替えにでも守ってさしあげられればと、ずいぶん甘い考えであった。

 

むしろそのほうが、たやすい道であったのだ。

 

 師に打ち勝ったなどと、勘違いもはなはだしい。

 

父を手にかけ、母を死なせ、どのつらをさげてアステルに会いに行けば良いというのだ。

 

彼が待ち望んでいるであろう人は、もはやアイリスしかいなかったというのに。

 

ここで彼女の代わりとなって自分一人が犠牲となっておけば、はるかに楽だった。

 

 しかしペテュニアの罪は、それを許さなかった。

 

なきがらとなったあるじをその場に横たえると、ペテュニアは立ち上がった。

 

 

カトレア「あの子は……2階……」

 

 

ペテュニア「……!」

 

 

 突然話しかけられて振り返ると、放り投げていたペテュニアのナイフをこちらに差し出す少女がいた。

 

 

ペテュニア「あなた……」

 

 

カトレア「閉じ込められてる……部屋の鍵は、これ」

 

 

 さらに驚いたことに、にぎっていたもう一方の手を開いて、彼女は持っていた鍵を見せた。

 

 

ペテュニア「あなた……どうして」

 

 

 どうして味方をしてくれるのかを問おうとして、やめた。

 

悟ったのだ、この少女もアステルと言葉を交わしたのだろう、と。

 

 自分もそうだったように、彼と過ごしているうちに、彼に何か特別な感情をいだいたのだろう。

 

アステルには、人を引きつける不思議な力があるらしいのだ。

 

カトレアがかつてのペテュニアだとするならば、それは充分納得のいくことだった。

 

 

ペテュニア「カトレア……一緒に来てちょうだい。

アステル様を、助け出すわ!」

 

 

 そうして2人はアステルの部屋を目指して闇の中を駆けた。

 

途中、何人かの警備兵を斬り伏せ、武器を帯びぬ使用人らを手刀しゅとうで眠らせた。

 

伯爵にやとわれていたのであろうカトレアも、得物を振り回すのにちゅうちょはなかった。

 

 やがてその部屋の前までたどり着くと、持ってきた鍵をドアの鍵穴にさし込んで手際よく回す。

 

【カチャ……】

 

重厚なドアを開け、室内へ踏み込むと、カトレアが外からそのドアを閉じにかかる。

 

 

カトレア「外で見張ってる」

 

 

【バタン……】

 

 短く言い置いて彼女はドアを閉じた。

 

ペテュニアは肩越しにそれを見届けてから、室内に目をやる。

 

 弱々しい月明かりが窓から射し込むだけの部屋は暗かったが、目のほうもずっと闇になじんでいる。

 

ゆえに、天蓋付きのベッドで上体を起こし、こちらをながめている人影に気付くのにも、それほど時間はかからなかった。

 

 

ペテュニア「失礼いたします……」

 

 

声「……だれ?」

 

 

 相手を怖がらせてはいけないと、形式的に声をかけてみたが、返ってきた声と言葉に、ペテュニアの胸がとくんと波打った。

 

 

ペテュニア「アステル様、お迎えにまいりました……」

 

 

アステル「ペテュニア……!

どうして……!?」

 

 

 あくまで表情はうかがえなかったが、確かに彼の声であった。

 

そこにあるシルエットは、11歳となった男の子のものであったが。

 

 

ペテュニア「……あなたのお父様も、お母様も、そしておじい様も、すでにこの世にはおりません。

ですが、あなたを待っている大勢の臣下がおります」

 

 

アステル「どういうこと……!?

今度はどこへ連れていこうというの?」

 

 

ペテュニア「いいえアステル様、……いいえ」

 

 

 ペテュニアは着ていたクロークをぬぎつつアステルのかたわらまで歩み寄って、彼に寝巻きの上からそれを羽織らせる。

 

 

ペテュニア「連れて行くのではありません。

連れて帰るのでございます、あなたのお家……

メルヴィル城へ」

 

 

アステル「おじいさまが言っていたんだ……!

父上を殺したのは、ペテュニアだって!

だから、ペテュニアも生きてはいないって……!」

 

 

 言い募ってゆく彼の言葉に、かがみ込んでクロークのえりをただしていたペテュニアの手が止まる。

 

彼の声音には、怒気と疑念がありありとにじみ出ていた。

 

 当然だ。

 

あの日もこうして、この子を不幸のふちへと連れ出したのだから、ペテュニア自身が。

 

 自責の念に胸をひしがれ、目をきつく閉じて下を向く彼女だったが、それでも目を開けてアステルの瞳を見つめ返さなければならなかった。

 

闇にきらめく星空の瞳が、見つめるべき物を見失った様子でこちらに差し向けられていた。

 

 

ペテュニア「アステル様……わたくしが……。

わたくしがデュランタ様を……殺したのは事実でございます……。

でも……」

 

 

アステル「うそだ!

そんなの、信じないぞ!」

 

 

ペテュニア「アステル様……!

アステル様……!」

 

 

 あらがって、今身につけたクロークをぬぎ払おうとする彼に、ペテュニアはなおも呼びかける。

 

 

ペテュニア「お聞き下さい、アステル様!

わたくしはアイリス様から、あなたを助けるように言いつかってまいりました。

納得のできないこともございましょう、ですが、今は何としてもあなたをここからお連れいたします。

どうか……どうかもう一度だけ、わたくしをお信じ下さい……」

 

 

アステル「うるさい!

父上を殺したくせに……!

私にはもう……っ!」

 

 

 こんなにも、この方にお仕えすることが哀しいことだとは思わなかった。

 

苦しいことだとは思わなかった。

 

彼の言う通りだ、父を殺した仇でしかない人殺しの女を信じろなどと、これほど冷酷な仕打ちを新たなあるじとなったアステルに課そうとは。

 

それでも、そうまでしても、ペテュニアは彼の従順なメイドとしての義務を全うしなければならないのだった。

 

 うずたかく積もった罪の重さに押しつぶされる。

 

もう自分ではどうしようもなくなって、気が付けば彼女はあるじに抱きついてしまっていた。

 

彼の首に両腕を回し、あふれ出した涙でほほを濡らし、まるでそうすることで、わずかでも罪の苦痛から逃れられそうな気がして。

 

 けれども、言葉が思い付けない。

 

 

アステル「……私にはもう……君しかいないんだ」

 

 

 耳の近くで、あるじがささやいていた。

 

 

アステル「君しか……いないんだ。

ペテュ……ニア。

ずっと……そばにいて……」

 

 

ペテュニア「……命に代えても……お守りいたします」

 

 

 アステルの悲痛な訴えに、訴え返すように答え、ペテュニアは彼をベッドから抱き上げた。

 

涙をぬぐって、両腕に力をこめて、カトレアとともにストリンガー邸を脱した。

 

 この後、無事に逃げおおせた3人は、そのままメルヴィル城へたどり着いた。

 

アステルは歓迎をもって入城し、若すぎる城主となった。

 

 伯爵を失ったストリンガー邸ではあったが、デュランタの弟のアフェランドラ、つまりリリィの父が後を継いでその地を治めることとなった。

 

生前アイリスがそのように手はずをととのえていたのだ。

 

この出来事があってしばらく混乱が続くのだが、それも内輪だけのことと家系存続の危機などという大事には至らなかった。

 

 こうしてペテュニアは、子爵となったアステルから“ニア”という新しい名前をちょうだいして、彼の専属メイドとなる。

 

アイリスとの約束で過去を断ち切るために、名を変え、髪型を変え、あるじのすすめでメガネをもかけるようになった。

 

 あれから6年を経た今でも、ニアはアステルに仕えている。

 

“ニア、私は君を許さない”

 

メルヴィル家を継いで間もなく、彼は彼女に言った。

 

“だからこそ、君は私のそばにいなければならない”

 

 どれほどあがなおうとも、ニアの罪は消えない。

 

命ある限り、ニアはあるじの従者。

 

それを理解した上での言葉だった。

 

 罪を許されるということは、すなわち彼のそばにいることを許されないという意味だ。

 

2人の間をつなぐものは、罪というしかなかったのだから。

 

ならば、いばらをかかえた一輪の花として、彼のかたわらで咲き続けることこそが、つぐない。

 

 消えない罪を胸に抱き、ニアはアステルのそばに仕えるのだった。

 

 

 

 

 

── つづく ──

 

 

 

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