ブルードライブ

チョイス

第1話 ブルー

超高層ビル群が世界を覆い、青空を切り取った。


この街を、日本の首都を牛耳る企業「ミスミ・トーキョー」の息がかかったビルばかりだ。

大企業の資産価値が小国の国家予算に例えられることがしばしばあるが、ミスミ・トーキョーグループは日本を支配できるだけのカネとチカラがある。事実、支配している。


ラジオ、テレビ、インターネットなどの各メディア、各番組のスポンサードに加え自社でもテレビ局を持っている。彼らは公共の電波をすべて意のままに操ることができる。


グループの社員であれば、例え小さなスーパーマーケットの社員であっても一生安泰と言われるほどの高水準な給与、福利厚生で、当然社員に求められるものも大きい。ふと立ち寄ったコンビニ「ミスミストア」のレジを打っている人間が、日本の最高学府を卒業し5ヶ国語を操り一等地に一軒家を持っていることもままある話である。


俺が買った栄養ドリンクにテープを貼って渡してくれた男も、高級外車を乗り回しているのだろうか、とブルーは思った。会計を済ませると両手を拡げて空気を思いきり吸った。春先の爽やかな空気もどこかミスミの匂いがするような気がする。ブルーはゆっくりと歩き出した。


1ヶ月前、スポーツ紙の1面が「ミスミ・トーキョーグループの御曹司、失踪」の文字で大きくにぎわった。それ以来素顔を隠すためにブルーはサングラスをかけた。騒ぎは1週間もせずに沈静化したが、一度晒された顔はインターネット上に蔓延し永久に消えることがない。生きづらい世の中だな、とブルーはひとりごちた。


ミスミ・トーキョーグループのトップである「ミスミ・トーキョー」CEO、三角友春は会見で失踪した次男をバカ息子と言い放ち、特に捜索はせず勘当すると発表した。しかし、見返りを求め次男を捜索する人間は未だに少なからず存在している。それでなくてもこの時代は有名人の目撃情報がSNSに氾濫している。人間が人間を監視する社会だ。


俺はあんな企業を背負って立つ人間にはならない。ブルーはそう誓っていた。しかし、内実はならないのではなく、なれないのだ。帝王学とも呼ぶべき教育に彼は耐えられなかった。文句一つ言わずに淡々と勉学にはげむ兄に憧れつつも、比較され罵倒される日々に耐えきれず、家を飛び出した。


しかし彼は今、生きるということを学んでいる。家を出てからの1ヶ月、食べるものもなく彷徨った。飲食店のごみ箱をあさったこともあった。空き缶を集めて回収業者から日銭を稼ぐこともあった。彼は苦しみながらも今までの生活に戻りたいとは思わなかった。この苦しみを悦びにさえ感じていたのだ。


ブルーは3日前に職に就いた。運び屋である。首都トーキョーはミスミの街と呼ばれるまでに彼らの影響力が強く、遂には自警団「ミスミ・ガード」を組織し、商業地区、高級住宅街を無数のカメラで監視している。そんな彼らの死角において運び屋は活躍している。運びづらいもの、家族にバレてはいけないもの、主に違法薬物であるが、そういったものを依頼人の顧客に届けるのが仕事である。


運び屋を束ねている組織は事務所や店舗を持たず、仕事が入れば通信端末で近くの運び屋に連絡をとり仕事をさせる。彼らが摘発されることはほとんどなく、もし運び屋が逮捕されても実態のない大元について話すことはできない。そうしたアウトローへの対処は完全とはいえない現状を、ミスミをよく思わないマスコミは「準監視社会」「不完全監視社会」と揶揄した。


栄養ドリンクを飲み終えると、ブルーは携帯電話の不在着信に気づいた。緑色のランプが時折輝いている。

登録されていない番号。

仕事だ。

彼は電話をかけ直す。


「今どこだ?」


挨拶のない低い声。おそらくこの前と同じだ。ブルーは顔の見えない相手を想像した。

「3-N地区です。コンビニのあたり」

「じゃあ、コンビニの裏の路地に10分後に来い」


わかりました、と言ってブルーは電話を切った。

裏路地にまわったが、5分かからない距離だったためブルーは時間を持てあました。

運び屋に支給されるタバコに火をつけ、男を待った。

吸い始めて3日目だが、ブルーは未だに吸い方を理解できないでいた。


それからさらに15分経って1人の背の低い男が現れた。

電話口の男とは違う人間であることが一目で分かるほど弱そうなチンピラだ。


「じゃあこれ、今回のAMDと、ブツと、地図ね」

AMDとはanti-gravity moving deviceの略称で反重力移動装置と訳されている。アメリカの靴メーカーが開発した次世代型ストリートスポーツ用のローラースケートである。ローラーと言っても車輪はついておらず、地面と反発する特殊な磁力を靴底に発生させ、リニアモーターカーのように摩擦を限りなく0に近づけてとても軽やかに速く移動できるマシンである。運び屋は仕事のたびにこのAMDが与えられる。


今回のブツもクスリだな、とブルーは思った。中身が分からないように密閉はされているが包み方が雑である。要人の機密文書でも、金持ちのお歳暮でもなく、これはクスリだ、と感じた。


「じゃあ、今から30分以内でよろしく、4-B 地区だからそんなにかからないと思うけど」

チンピラはそう言うとどこかに消えていった。

ブルーはAMDを両足に履いて一度しゃがんだ。

キイン、という甲高い音とともにブルーの体は動き始めた。


10分で目的地に着いた。貸し出されたAMDは最初期のモデルで塗装がところどころはげ上がっている。時速30キロ程度まで加速できるが、現行モデルは時速100キロまで加速できるものもある。ブルーが履いているものはいわゆるオンボロである。


見知った高級住宅街にブルーは何か複雑な想いを抱いた。幼い頃、さまざまな習い事を抜け出してこの住宅街で暮らす友達の家によく訪れていた。各家庭、道路、公園、公衆トイレにまで監視カメラは仕掛けられているが、何か事件でも起こさない限りは「ミスミ・ガード」も動き出せない。大抵荷物を届けるところで不法侵入として警報が鳴り、彼らが動き出すが、到着まで5分はかかる。完全なる防犯は各家庭に門番でも用意しなければ完了しない。


なるべく防犯カメラには映らないように歩みを進める。この地区で仕事をするのは初めてだが、何日も着替えていない青色のパーカーとカーゴパンツでは不審者リストに登録されている可能性が高い。ひょっとしたらもう「ミスミ・ガード」の連中が動き出しているかもしれない。ブルーは焦りを感じ、キョロキョロと辺りを窺いながら歩いていた。


辺りが気になって気がつかなかったが、目的地に到着してからブルーはハッとした。幼い頃によく遊んでいた家が目の前にあった。よく手入れされた庭はあの日のままで、懐かしさに笑みすらこぼれる。


薬物に手を染める人間はクズだと思っていた。薬物の運搬を生業としている自分もクズだが、こんなクズに金を渡して自分の身を滅ぼすような人間はそれ以上にクズだ。ブルーはそう思っていたが、唯一友達と呼べる人間の堕落に屈辱のような感情を抱いた。


移動中に届いたメールには「屋根から2階に上がれ」という指示があった。ブルーは家の前の庭には足を踏み入れず、塀を迂回した。そこから裏庭に忍び込むと案の定防犯カメラに引っかかり警報が鳴った。彼は迅速に雨どいの金具に足を掛け、2階への足場となる低い屋根に登った。


窓から部屋の中を窺う。暗い上に窓に陽光が反射してよく見えない。が、メープルの机に赤い椅子、幼い頃のまま残っている家具がいくつか見受けられる。まちがいなく美智夫の部屋だ、とブルーは確信した。


窓を手の甲でノックする。ためらいながらだったが、警報に急かされ猶予がなかった。

中から反応はない。

もう一度、ノックする。

反応はない。ブルーは窓に顔をつけ中を覗き込んだ。


「嘘だ」


ブルーは、自分が一瞬虚構の世界に迷い込んだと錯覚した。テレビカメラを持ったクルーがどこかに潜んでいて、番組の仕掛けです、とニタニタと笑いながら現れるだろうと考えた。


「嘘だ」


いつの間にか彼は窓を蹴破り、薄い闇をまとった部屋の中でうつ伏せに横たわる男に近づいた。

男の背中からは生気が感じられない。蝋人形の方がよっぽど人間らしく見える。彼は男の背中に触れた。黒いTシャツの奥に薄いビニール膜があるような気がする。これが人間の身体、人間の皮膚なのか。初めて死人に触れたブルーは愕然とした。


男の身体を起こす。頬が瘦せこけて血色は失っているが、ブルーの腕の中にいる死体はまちがいなく美智夫だった。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」


外傷はない。薬物による中毒死である。ブルーは自分が運んでいた薬物が人々を苦しめていることに特に罪悪は感じていなかった。しかし、初めて死人に触れ、薬物で死んだ人間を見、それが唯一の友であったことで、後悔や怒り、それらの思いを全て吐き出すように感情的な涙を流した。


ブルーは気づいていないがすでに「ミスミ・ガード」は門前に到着し、広い庭を横切って玄関に張り付いていた。

玄関のドアが開く音でブルーもようやく気づいたが、彼に焦りはなかった。もうどうでもいい、このまま牢屋にぶちこんで殺してくれ、そう思っていた。


階段を駆け上がる音。どんどんと近づいてくる足音に期待すらこみ上げてくる。


黒のヘルメットに防弾チョッキ、手には電流が流れる太い警棒を握った屈強な男達が4人、美智夫の部屋に入ってきた。


「侵入者確認、1名負傷者らしき人間も確認」

「手を挙げろ」


ブルーは応じない。応じる気力すらなかった。


「お前が殺ったのか?」

「手を離せ」


ブルーの耳には届いているが、ブルーは動じなかった。美智夫の身体の下に両手が隠れていて、「ミスミ・ガード」も迂闊には近寄れなかった。遠く一点を見つめる男と屈強な男達はこの狭い部屋で対峙していた。


1人の警備員が業を煮やし、ブルーの腕を掴んだ。続いてもう1人がもう片方の腕を掴む。ブルーは抵抗することなくごく自然に逮捕された。


「被疑者確保」

通信端末でリーダー格の男が本部に告げた。


-その時だった。


リーダー格とその隣、部屋のドアを背にした男2人が短く声を漏らし倒れこんだ。

彼らが倒れこむと1人の女がその奥から現れる。

長いオールのような形をした黒い棒を持ち、身構えている。紫色の長い髪に小柄な痩身が包まれているようだ。


もう2人の男がブルーから手を放すと警棒を振りかぶり女に襲いかかる。オールのような棒で2人の警棒を制すると、片方の急所を蹴り上げ、もう片方を棒で殴りつけた。


「捕まりたくなかったら来て!」

半ば引きずられるようにブルーは美智夫の部屋を出た。紫色の髪から花のような香りがすることだけ、ブルーの記憶に残った。

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