Flowar—花戦—

牟田かなで

第1話 「木の上」

ゼノイトは会議場の二階の傍聴席で不審な影がちらつくのを見た。しかし彼には、そのことについて深く考えるいとまがなかった。


「だから!」


苛立ちまじりの彼の声が、よく声のとおる設計の会議場に轟く。けれども、周囲の弛緩した空気は一向に変化しない。


「いやいやですから」

「いやいやいやいや!だから——」


父が他界して2年が経ち、東の小国リティアの国王としての振る舞いも板についてきたゼノイトだが、現在ある問題に頭を抱えていたのだ。

玉座の周りをぐるりと囲った貴族に、彼は負けじと声を張った。


「俺はしない!」

「いやいやいやいやいや」


この応酬は決まって国会の最後に繰り広げられるが、今日は国民が国会を傍聴している時間内で口論が始まったことに、若き国王は内心、焦りに焦っていた。


「陛下」

一際鋭く通る声がゼノイトの座る玉座の左隣から上がると、貴族達が示し合わせたように口をつぐんだ。陛下と彼を呼んだのは、宰相のヒセである。武人然とした厳ついご面相には似合わない落ち着いた声色は、宰相である彼の威厳を高めるのに一役買っていた。


「今日こそはお決めいただけますかな」

彼は穏やかな口調と裏腹な、鋭い視線をゼノイトに向けた。


「ヒセ、この場で議論すべきでない——と納何度申したか忘れてしまったが、お小言なら後にしてくれ」

「いいえ陛下。この場で話さずしてどこでお話しできましょうか。後で、と申されますが、ここ最近でその言葉を何度うかがったことかわかりません。さっさと腹を決めることですね」


まるで他人事、いや、確かに他人事ではあるのだが、この問題はそれだけじゃ済まされない。


「まてまて、腹を決めろとお前は申すが一国の国王の婚姻だぞ」

「なにをおっしゃいますか相手方はサリミレ国のお姫様ですよ。ぶっちゃけ断れるわけがありません、陛下」

傍聴席からくすくすと忍笑いが聞こえた。

今日の会議は一般国民も出入り自由なので、いびられる若い国王が面白くてしかないのだろう。


この国は本当に小さいし、利益も農作でまかなっているような田舎の国だ。貴族も大臣も、そして王族でさえ国民と親しいような変わった国なのである。

しかし、だからと言って。


「ちょっとぶっちゃけ過ぎじゃないかヒセお前」

「致し方ありません。リティアはサリミレの属国の立場ですからな。他の国から嫁さんを貰おうものなら、他国とのつながりを持とうとしたとしてサリミレは怒りくるうでしょう。遅かれ早かれ結局サリミレの姫と結婚する運命です」

宗主国であるサリミレに抗えないのはわかる、わかるが。


「往生際が悪いですぞ」

「それとも、他に好きな女子ができましたかな」

「いや、陛下に限ってまさか」

「だよな〜」

「やいのやいの」

他国の国会は絶対にこういったものであるまい。いやもはやこれは会議などではない、ゼノイトを吊るし上げる会である。


「今日はここまで!」

そろそろ我慢しがたくなってきので、ゼノイトは半ば強引に会をお開きにして席を立った。


「陛下!」

追いすがる彼らを振り切るため、足早に会議場を出て吹きさらしの廊下を自分の部屋めがけて一目散に歩き続ける。


「お待ちを。ご返答を」

しかしヒセだけはその大きな体軀で早々にゼノイトに追いつき、振り切ろうと歩調をあげてもどこまでもついてきた。終いにはゼノイトのほうが先に息が上がる始末で、今年で御歳58になるはずのヒセは汗ひとつかいていない。


「陛下、私は心配しておるのですよ。先王を亡くされてからあなたは弱音一つおはきにならない。さみしいならさみしいと、どうか、本当のことをおっしゃってください。私共はみなあなたの味方でございます。陛下が嫌と申されるなら私どももなにも申しませんし、姫を迎えるとおっしゃるなら国を挙げて祝福いたします。どうか、本当のことを」



ヒセの真摯な言葉はゼノイトにもちゃんと届いていたし、16の若さで玉座についた時から支えてくれた彼のことを慕う気持ちもあった。父を亡くしてからさみしいと思う気持ちもなかったわけではない。それでも、皆が心配してくれるからこそ、弱音を吐くわけにいかなかった。


「そうだな、最近、少し思うことがある」

ゼノイトは自室の前まで来るとノブに手をかけ、うつむいた。

「少し、さみしくなってきた、と思う」

「殿下……」

「お前の髪の毛」


言い残してゼノイトは素早く部屋の中に身を滑り込ませて鍵をかけた。扉を勢いよく閉じたことで発生した風は、ヒセの寂しくなった残り少ない毛髪を虚しくなびかせる。ドアの向こうでヒセが何やら叫んでいるようだったが、シカトを決め込むことにした。


「な、に、が、腹を決めろだ。結婚だあ?今はそんな余裕ないっての。ジジイどもの小言でもういっぱいいっぱいなの!それなのに嫁の小言まで増やしたかないの!」


暑く着込まれた正装を無造作に脱ぎ散らかしながら、ヒセの前では漏らさなかった本音を漏らした。これを彼の前で言ってみろ。「は?今、なんと申されましたかな」と都合よく耳が遠くなるに決まっている。

だからゼノイトは言わなかったし、弱音なんて吐いたら一生笑のネタにされそうなので意地でも彼らの前で弱味は見せないと決めていた。


熱がこもった部屋の空気を入れ替えようと、勢いに任せてカーテンを開け、窓を開けはなつ。


「あのくっそジジ————い?」

勢い良く開ききった窓。そばには中庭から伸びる大木の枝と城壁がある景色が常だが、今日はなぜか、その景色の中に異物が混じっていた。


「あ」

それは短く高い声を上げて驚くと、細くて頼りない枝の上でバランスを崩した。

「ちょ」

ばきっと枝の折れる音がなると同時に、ゼノイトは反射的に手を伸ばしていた。



普通ならおかしいと思うだろう、一国の王の自室の、しかも窓の外の木の上にいた人間だ。まして体型に対して大ぶりなコートを身に着け、フードを目深に被った怪しい人間など。


「大丈夫か」

なんとか掴んだその手首は細く、ちらりと覗いた肌は透き通るように白かった。その人物は鮮やかな身のこなしでゼノイトが支えているだけの状態から体を立て直し、さっきよりも太い枝に飛び乗った。


「あ」

その時、フードがとれて、艶やかな長い髪がふわりと宙を舞う。——女だ。

その容姿は優れて美しく、身のこなしからしても、ただ者ではない事が知れた。よく見ればその影は、先ほど会議場の傍聴席でみかけた影によく似ている。


「お前、どっかの間者か」

そう聞くと女は目を丸くして、呆れたような笑顔をのぞかせた。

「間者と思っていながら私をお助けになったのですか。リティアの王は酔狂でいらっしゃる」

この女はやはり、この部屋がゼノイトの自室である事を知っていて窓の外にいたのだった。


艶のある茶の髪は腰まで伸び、色素の薄い大きな瞳は硝子玉のようにきらきらと輝いて、唇は朱をさしているのか白い肌によく映えるうつくしい赤。一瞬目を奪われたゼノイトだったが、女の言葉に少々険のある視線を返した。


「恩人に向かって酔狂とはご挨拶なことだな。お前が正式なお客人だというなら入り口はあっちだ。これは窓といって出入りに使う場所ではない」

「あっ、これは失礼しました。一国の王に酔狂などと、歳が近いようにお見受けいたしましたので……ご無礼をお詫び申し上げます。しかし、いささか不用心ではありませんか。もし私が本当にあなた様のお命を狙う間者であったなら、どうするおつもりだったのですか」


木の上で身軽な動きを見せた彼女は、少し慌てた様子で、しかしどことなく上品な感じでそう言った。その雰囲気からも、彼女が間者であるとは思えない。だとしたら、この女はいったい何者なのだろうか。


「お前は、いったい俺に何の用だ。なぜわざわざこんなところから俺を覗いていた」

女は困ったように、そして慎重にゼノイトの問いに答える。

「私は、あなたに忠告をしに参りました。身の上の事情から、私があなた様に正式な客人としてお会いする事は叶いません」


口を結んで、言葉を躊躇っているふうな彼女は、決心したようにゼノイトの目を射抜いた。


「どうか——サリミレの姫とのご婚姻をお考え直し下さい」

真っ直ぐな視線を向けられて、ゼノイトは戸惑った。サリミレの姫との話は以前からあったが、国民に知らせてはいなかったし、他国ならなおさら知るはずのない情報だ。先ほどの会議を聞いていたなら別であるが、その話題になってすぐ会議場を出て、自室まで急いだゼノイトを先回りして木登りまでするのは、時間的に難しいと思われた。


「無理だ。かの姫との縁談はこちらにとっても悪い話ではないし、なによりサリミレの姫との縁談を断る訳にはいくまい」

「いいえ、それなら何とかなりましょう。それに、以前このリティアが独立に失敗して圧政を強いられてからから、リティアの民はサリミレに良い印象を持っていないはずです。先の王が亡くなられたのもサリミレが一枚噛んでいるかもしれない、というのもご存知でしょう。国民が納得しません」


ゼノイトは、誰よりも尊敬していた亡き父のことを思い出した。国の独立を目指していた父は、サリミレにとって邪魔な存在に違いなかったのだ。

彼女はその美しい顔を歪めて、つらそうに話を続けた。

「それに——縁談の相手はサリミレの第四王女、リタです。彼女は王族から邪険にされている。彼女には人質の価値も、王女としてサリミレの王族に交渉する力も何も持たないのです」

「なぜお前がサリミレの内情を知っている」

「私がサリミレの者だからです」


根拠などなかったがゼノイトは、自分には人を見る目がそこそこ備わっていると思っていた。そして、彼女は嘘を言っているようには思えなかった。

「どうして、お前は俺にそんな忠告をする」

「それは——」

ふわりと吹いた風が彼女の髪をさらい、木の葉を揺らす。


真摯な眼差しが、こちらに向けられていた。

「私があなた様をお慕いしているからです。それでは、理由になりませんか」

どこかで彼女を見た事がある——ゼノイトはふと、既視感にとらわれて彼女のきれいな瞳にすい込まれた。ふわり、となにか甘い花の香りが鼻孔をかすめたような気がして、彼は自分の記憶の中に目の前の彼女を捜す。


「お前は、だれだ」

ついに思い出せなくて、ゼノイトは女に聞いた。彼女はこちらに届かないにもかかわらず、白く長い腕を差し伸べて、嬉しそうな笑顔を見せた。


「あなたに命を救われた者です、ゼノイト・レーウェルバルト・リティア様。たとえあなたがずっと思い出せなくとも、私はあなたをお慕い申し上げております。どうか、ご結婚の話はお考え直し下さいますよう」


彼女は丁寧に頭を下げてから、背後に視線を遣った。ぴーっと短く口笛をふくと、背後の城壁からロープが投げ入れられた。彼女は一瞬のうちに、あの洗練された身のこなしでロープを伝って壁の向こう側にその姿を消した。田舎の小国といえど、警備がおろそかである訳ではない。


「そんなこと言われても、俺はもう……」

婚約の話と同時に持ちかけられた関税の減税や農作物の買収価格の見直し等、圧力をかけられているために首を横に振れる立場にないことは知っていた。ぐだぐだとヒセや大臣に文句を言って先延ばしにしてきたが、そろそろ潮時である。

ため息をついて、ゼノイトが卓上の呼び鈴を鳴らす。


「およびですか、陛下」

側近の文官、ロークが扉の外から呼びかけるので、ああと軽く返事を返す。

「ローク、ヒセを呼んできてくれ。サリミレとの縁談の話を進めたい」

開け放した窓から新しい風が吹き込んできた。

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