レトロガメ

鳥辺野九

第一部 相対性ノスタルジィ

第1話 地球外知的生命体より愛を込めて テトリス

『それで、ひきこもり生活にはもう慣れたの?』


 僕は引き篭もりじゃない。


 百歩譲って、現状が非生産的だと言うことは認める。大いに認める。しかし認めはするが、今の僕を取り巻いている環境はいたって健全で、そして献身的な経済活動の一環だ。


 一見して引き篭もりのように見えるが、これでも高度な技術を必要とする職務の真っ最中だ。


 と、声高らかに言い返してやりたいが、ディスプレイの中の悪戯を仕掛けた子どものような笑顔に上目遣いで見つめられると、ついつい視線をそらしてしまう。


「うん、まーね」


『それにしてももったいないなあ。コータくんレベルの腕ならどこでも雇ってもらえると思うけどなあ』


 しなっと柔らかく前のめりになって甘えたくなるようなとろんとした声を出すモニターの中の人。


「もったいないのはサクラコの方だ。オペレータライセンス持ってるのに、何が悲しくて転職先がメイドカフェなんだよ。人生行き詰ってるぞ」


『別にメイドさんに転職した訳じゃないもーんっ。メイドロイドのオペレータだよっ』


「変わんねーよ」


『私のことよりもコータくんの方が心配よ。この先どうするの? ずっとそんな狭いとこで引き篭もりみたいな仕事していくの?』


 モニターの中の桜子が形のいい眉毛をきゅっと寄せた。相変わらずの潤んだ上目遣いで僕をじぃっと見つめる。


「これがね、実に居心地いいんだよ。天職と出会えたって感じだ」


 広さにして六畳間ぐらいか。必要最低限の家電と生活物資が、これが理路整然の良い見本だとばかりに整列し、天井部分にまで収納ボックスが据え付けられている。壁には寝具がくくられていて、唯一のくつろぎスペースの小さなテーブルには私物のパソコン一式。


 この狭い空間こそが僕の生活のすべてであり、同時に職場でもあり、下手をすれば棺桶になるのだ。


『天職ねえ。今度のフライトはどれくらいなの?』


「火星のフォボス軌道まで12週間」


『12週間も! そんな密閉空間にひとりぼっちで三ヶ月だなんて、私には耐えられないわ』


「それが耐えられちゃうから天職なんだよ」


 僕は桜子の憐れむようなうるうるした瞳から逃げるように申し訳程度の小窓を覗き込んだ。


 どこまでも真っ暗な宇宙空間に青白い惑星がぽつんと寂しそうに浮かんでいる。僕が管理する貨物船はまだ月軌道上にいる。


「住めば都だよ、宇宙も」




 宇宙大航海時代! 大宇宙開拓史! 宇宙冒険物語!


 なんて心踊る言葉だろうか! 人類は母なる地球から巣立ち、無限の大海原へと希望の船を漕ぎ出したのだ。


 しかし、残念なことに現実と言う厄介な足枷は外れることなく、大宇宙もあっと言う間に市場主義者達の弱肉強食の場となってしまった。


 僕は小さな運送会社の宇宙貨物船パイロットだった。それがいつの間にか競合他社に負けて経営が傾いていた親会社が、木星に激突したシューメーカー・レビー彗星のごとくに、さらなる大企業に吸収されてしまい、やむなく僕の職場だった小さな小さな運送会社は解散となった。僕はリストラされるのを避けるため、基本給も労働条件もランクが下がるが、大企業に吸収された親会社の歯車の一部分となる決意を固めた。


 そして企業として合理化と経費節約を推し進めた結果、貨物船のほとんどがコンピュータ制御のオートパイロットとなった。僕は宇宙職の花形、宇宙船パイロットから一瞬で荷物管理人に転がり落ちたのだ。


 万が一にもコンピュータ様が癇癪を起こさないかお守りをする人間を一人だけ乗せて、無限の大海原へと漕ぎ出す希望の船。僕達人類はどこでどう間違ったんだろう?


 『宇宙の半分は希望でできている』


 人類初の火星着陸を果たした宇宙飛行士が吐いた名言だ。どこの頭痛薬だよ。それは嘘だ。宇宙は99%現実でできている。あとの1%は過酷な現実だ。




「今回の旅のおともは、こいつだ」


 じゃじゃん、とモニターの中の桜子に夢の機械を見せてやる。両手で掴んでしっくりくる大きさと適度な厚みで、やや細長い薄いグレーの本体に十字キーと丸ボタンが二つ。モノクロの液晶画面がなんとも時代を感じさせる名機だ。


『なに、それ?』


「今やファーストゲームボーイって呼ばれてる過去の遺産だ。化石レベルの機械だぞ。手に入れるの苦労したよ」


 実機はもう百年以上前の機械だ。博物館にしか存在していないだろう。販売ライセンスを買い取ったゲームメーカーが自作キットとして正規販売しているものをオークションでやっと見つけたんだ。資料価値の高い逸品で、もう僕のオークション史に残る入札ラスト30秒前の大激戦だったんだ。


『それってゲーム機? ずいぶんでっかいケータイかと思った』


 桜子がモニターにぐいっと近付いた。カメラ近付き過ぎたせいかきれいな顔立ちがぐにゃりと歪む。


「昔はこれでもびっくりするくらい小さかったんだよ、たぶん」


『で、それでプライベートタイムをゲーム三昧って訳? ずいぶん楽しそうな12週間になりそうね』


 ぷいっ、今度は拗ねたようにそっぽを向く桜子。感情の起伏がずいぶん激しいな。


「プライベートタイムって言っても、航行任務中は8時間の睡眠義務があるし、メディカルチェックとか、定時点検連絡とか、けっこうやること多いんだぞ。そんじょそこらの引き篭もりと一緒にしてもらっちゃあ困る」


 そうだ。僕は一応名目上は宇宙船パイロットなのだ。それも単独航行と言う危険な任務なのだ。本社だって放置プレイって訳にもいかない。それなりに仕事は多い。


『ずいぶん忙しい引き篭もりね』


「まったくだよ。めんどい毎日のメディカルチェックだって、結局それは僕がちゃんと生きているかどうか調べてるんだろうし。さあ、箱の中の僕は生きているでしょうか? まるでシュレディンガーの僕じゃないか」


『しゅれでぃんがーのぼく、は意味不明のキーワード。検索しますか?』


 意味不明なのは、桜子、君だ。




 レトロゲームは相当に奥が深い。旧世代のゲームとなると、下手に首を突っ込むと帰ってこれないほど謎めいている。


 文字通り世紀を跨いだ時代、やたらたくさんのゲームハードが誕生した時代があったと聞く。まさにゲーム群雄割拠時代と言うべきか。


 厄介なのは、それぞれのハードはそれぞれ専用のソフトしか走らせることができないと言う点だ。探して探して、ようやっと手に入れたオリジナルゲームデータが超レアハード専用ソフトだったりすると、残念って感情を通り越して悔しくなってくる。今度は超レアハードを探してネットの海に潜ることになるのだ。


 もうそうなったら『レトロゲーマーの会』頼みになる。どこそこのゲームメーカーがどのゲーム機やソフトの販売ライセンスを買ったとか、数量限定で再販がかかったとか、今回手に入れたゲームボーイのように自作キットが販売されるとか、世界中のレトロゲーマー達が情報をやりとりしている。


 ハードばかりじゃない。ソフトだって厄介な問題をはらんでいる。古過ぎるゲームにはもはや著作権が切れてしまってフリーソフトになってしまっているのも少なくない。フリーソフトなら簡単に手に入るかと言うと、実はそうじゃない。手を加えられたリメイク版だったり、好き勝手にデータが改造されたチート版だったり。そんなものには遊ぶ価値もない。ましてや海賊版だなんて。


 レトロゲーマーならオリジナルで遊べ。ゲーム制作者が遺したメッセージだ。余すところなくありのままを受け取れ。それがレトロゲーマーって奴だ。


 オリジナルデータはネットの海底に沈んでしまい、誰にも気付かれずにデータベースの奥底で眠っている。もう遺跡発掘をしている考古学者な気分だ。僕達レトロゲーマーは、そんなゲーム達が再び陽の目を見る日が来るように願ってやまない。




「このゲームボーイってハードのユニークなところは、有線で相手と繋いで対戦ゲームができたりするところなんだ。有線だぞ、有線!」


『有線って、すごいの?』


 有線で対戦。なんてレトロチックでワクワク感を煽ってくれる言葉なんだろうか! なのにモニターの桜子の反応は薄い。なんだかな、このもどかしさ。この感動をどうすれば伝えられるんだ。


「ドット絵ならではの味わい! ハードの技術面に限界があるから表現力でカバー! わかる? このシンプルイズベストな世界が!」


『ごめん、よくわかんない』


 ああ、もう。きょとんと首を傾げて困ったような笑顔を作っている桜子。こうなったら「プディングの味を理解させるにはプディングを食べさせるしかない」作戦だ。


「待ってな。いまそっちにゲーム送る。擬似的だけど、有線で遊ぼう」


 ゲームは、ゲームボーイ史上最大の売り上げ本数を記録した落ち物パズルの元祖だ。知らない人はいないだろう。ゲームボーイ自作キットを正規販売しているメーカーが同梱してくれた有線ケーブルとゲームデータだ。しかし、この大宇宙に未だにゲームボーイなんかで遊んでいる人類はいるんだろうか。ひょっとして地球外文明と遭遇するに等しいレベルのコンタクトになるんじゃないか。


「ほれ、送信完了。さ、立ち上げてくれ」


 と、モニターの中の桜子がフリーズしていた。片方の眉毛を少し傾けた笑顔のまま彼女は凍りつき、まるで静止画のようにピクリとも動かない。


「あれ? サクラコ?」


 すると、モニターの中にもう一人の登場人物が現れた。笑顔のまま固まっている桜子によく似た、でも雰囲気が違うもう一人の桜子だ。


『メイドロイドが自発的にゲームなんてできる訳ないだろ。相手の単語からコミュ演算しているんだ。ましてやゲームプレイだなんて自律行動なんて無理』


 眼鏡をかけて黒髪をボサボサにしたぶっきらぼうな口調の桜子が、はきはきと喋り笑顔を絶やさない桜子をぐいと押し退けてモニターの中に居座った。


『対応できない単語でべらべら熱く語ってくれちゃって。メイドカフェの客よりも性質悪いぞ』


 生身の桜子がもう一度メイドロイドの桜子の顔をモニターの中に引っ張り込んだ。生きた桜子と作り物の桜子。おんなじ顔なはずが、どうしてこうも印象が違うんだろうか。


「それって僕の責任かよ。メイドロイドオペレートの手伝いしてやってたんじゃんか」


『うるさい。ゲームオタク』


「レトロゲーマーだ」


『知るか。で、どうだった?』


「何が?」


『萌えたろ?』


 ニヤッとぶっきらぼうな桜子が笑う。唇の端っこをくいっと上げる不器用な笑い方。メイドロイド版の桜子を見習って瞳をうるうるさせてみろってんだ。


「萌えねーよ」


『ウソ。ドキドキしてたくせに』


「知らねーよ。それよりゲームしようぜ。せっかく送信したんだ。付き合ってくれよ」


 桜子が視線を落としてキーボードを叩く音を響かせた。やがて首を傾げて眼鏡の奥から僕を睨む。


『……データ、届いてない』


「え? 送信済みになってるよ」


『届いてないものは届いてない。ていうか、亜光速ドライブ中は通信障害で通話以外できないんだ。データ送受信できるはずがないだろ』


 ふと気付く。そうだ。業務規定の8時間の睡眠義務時間は亜光速ドライブモードに入る。光通信の通話は可能だが、データの送受信となると話は別だ。データが壊れてしまう。


「でも、ちゃんと送信されてるって」


『受け取っていない。そっちは亜光速ドライブ中だろ? 特殊相対性理論に則れば、光以外は時間がゆっくり進むはずだ。ひょっとして、ずっと未来の私がデータを受け取るかも知れないな。それとも、過去の私? とんでもない未来や過去に送ってたりして』


「ちょっと待って、もう一度送信してみる」


『いやだ。ちゃんと8時間寝ろ。じゃあね。おやすみ』


 不器用なウインクと投げキスで通話を切った桜子。ああ、もう、メイドロイドの桜子はあんなにいい子なのに、生きた桜子の愛嬌の無さと言ったら。メイドロイドの爪の垢を飲め。煎じずに飲め。メイドロイドに爪の垢はないか。でも飲め。


「それにしても、データはどこに飛んでったんだ?」


 この大宇宙のどこか、地球外文明に住む宇宙人に届いていたりして。こうしてレトロゲームが人類と地球外知的生命体との友好の架け橋となったのであった。


 ねーな。

 

 

 

 1980年代後期、ソビエト連邦。


 共和国連邦科学アカデミーに所属していた青年のコンピュータが外宇宙からの電波を受信した。


 何者かにハッキングを受けたかのように彼のコンピュータはプログラムを組み始め、一つのゲームを完成させた。四つの正方形を組み合わせたブロックが画面上部から落下し、それを組み合わせてラインを作るパズルゲームだった。


 青年の名はアレクセイ・レオニードヴィチ・パジトノフ。彼がそのゲームを『テトリス』と名付けて世界に発表したのは、それからすぐであった。

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