第16話 山村

エスカレータ高原の窓から差し込む夕日がコンクリート壁の向こうに沈んだ。エキナカで迎える三度目の夜だ。18きっぷの画面を見ると、残り2日と13時間とある。

 移動距離を稼ぐため、なるべく睡眠をエスカレータの上でとるようにしていた。数キロ続く下り階段の上で半時間ほどの仮眠をとっては、終点で起こされて、次の長いエスカレータを探すといった具合だ。荷物は腹に抱きかかえてしっかりと守った。

 日付が変わるころにヒロトは伊那谷に降り立った。天井から吊るされた案内板には、横浜駅長野地区駒ヶ根、とある。市街地と思われる通りでは店も住宅もほとんどシャッターが降りていて、人の気配はない。アナウンスが絶え間なく鳴り響いていたエスカレーターよりもよほど静かだ。音の欠失感のようなものが耳に残り、どうにも落ち着かなかった。

 伊那谷は甲府のような広い盆地とは違い、赤石と木曽のふたつの山脈に挟まれた南北に細長い土地だ。広い平地は少なく、谷の両側に貼り付くように階段状の横浜駅が発達していた。このため、それぞれの層に太陽光が取り込まれており、住民はみな太陽のリズムに従って行動し、夜には一斉に眠るのだった。関東平野や甲府にはあまり見られない、エキナカの夜の顔だ。

 いずれにせよ長居するつもりは無かった。エスカレーターを下りながらの断続的な睡眠のせいで眠くて仕方がなかった。すぐに西側にある木曽山脈へ向かった。ずっと下り階段が続いていたせいで、平らな床を歩くことじたいが妙な気分だ。


 次の一日はほぼ同じように過ぎた。エスカレーターを登り、駅の峠を越え、反対側の谷に降りるという行程だ。違うところがあるとすれば、昨日の赤石山脈よりも明らかに人が少なく、また横浜駅で覆われた範囲が少ないということだ。あちこちで自然の地面や空が露出していた。久々に見る空は天候が不安定で、なんどか雨の降る地面を横切ることになった。

 木曽山脈の西側、木曽谷は遠くから見ても異様な形をしていた。幅は伊那谷よりもずっと狭いが、横浜駅構造物は谷底に横たわるだけではなく、谷の斜面から斜面へ橋渡しをする巨大な連絡通路が、納豆の糸のように張り巡らされているところだった。

 木曽谷に向かって降りる通路を歩いていくと、突然、目の前の通路の壁の両側から自動ドアが現れ、ヒロトの進路を遮った。ドアは太い金属フレームとガラスからなり、「ホームドアへの荷物の立てかけはご遠慮ください」「横浜駅構内 終日禁煙」と書かれたステッカーが貼られていた。

 反射的に後ろを向いたがすでに遅く、そちらにも同じドアが現れた。ヒロトは通路の中、長さ10メートルほどの空間に閉じ込められる形になった。まもなく前方のドアの向こうにある曲がり角から、男がひとり現れた。

「捕まえたぞ」

 その男は曲がり角の向こうに向かって叫んだ。

「何人だ」

「一人だけだ」

「武器は」

「持ってない。小さいカバンだけだ」

 男がもうひとり現れた。手に見覚えのある長銃を一丁持っている。たしか大船でネップシャマイを狙撃した、電気ポンプ銃というやつだ。「金属ならなんでも弾になるから戦争末期にはよく使われたんです」と、彼が電光板で言っていたことを思い出した。

「一人だけじゃ意味がないだろ」

「仕方ないだろ。こいつが勝手に一人で来やがったんだ。オトリにして他の仲間を呼び寄せるとかするとか、何か使い道があるだろう。村長の意見を聞いてくるから、お前は見張っててくれ」

 最初の男はそう言って角の向こうに消えた。長銃を持ったほうがじろじろとヒロトを見た。

「初めて見る顔だな。新入りの偵察か何かか? 一人で来るなんて珍しいな。まあ、残念だがもうアジトには帰れないと思ってくれ」

「ちょっと待て。何と勘違いしているのか知らんが、おれはただの観光客なんだ。ここからずっと東のほうから来て、ここは通過するだけなんだ。出してくれ」

「観光客? 無茶言うなよ。この通路はお山にしかつながってないぞ。お山を越えてくる観光客がいるか」

「そこの山脈のことか? おれは本当にその山を越えて来たんだ」

「なら途中、アジトがあっただろ?」

「アジト?」

 ヒロトは記憶をたどってみた。確かに広大なエスカレーター高原には居住できそうな部屋がところどころにあった。だが部屋が勝手に生えてくる横浜駅では、それが人の住む場所なのかを見た目で判定するのは難しい。

 自分のこれまでの旅路をひとしきり説明すると、男の顔はまだ半信半疑というところだったが、ひとまず長銃を置いて「まあ、いま処遇を話し合ってるところだから、しばらく待て」と床に座った。

 ヒロトはその場でしばらく眠ることにした。出ようと思えば構造遺伝界キャンセラーを振り回せば済む話だったが、あまりエネルギーを無駄にしたくはないし、この密室を出ても谷を通り抜けるまでが面倒そうだった。そもそも二つの山脈を越えて体力が限界に近かった。ひとまず朝までこの安全な場所で休むことにした。

 その間、見張りが何度か交代したのを半覚醒の意識で確認した。監禁された状態で休むのは、横須賀の留置所で過ごした初日の夜以来だった。あれからまだ三日しか経っていないのに、もうずいぶん昔のことのように思う。

「まあ、なんにせよあんたは運がいいな。一人で来たという点で。計画では、連中を何人もいっぺんに捕まえて、中にひとりぶんの食料と銃を投げ込むって事だったんだがな。殺しあったあとに最後にのこったやつを改札さまが連れて行く、という寸法だ」

 四人目の見張りの男が言った。夜明けが近づく頃だった。体力も十分回復してきたように思う。

 男に聞いたところによると、この近くには山賊集団がいて、この村を頻繁に襲っては物や人を奪っていくのだという。もちろんエキナカで暴力行為は使えないが、彼らは長い経験によって、自動改札の目に触れない略奪のノウハウを発達させていた。

「おれの妻は五年前にさらわれたんだ」

 連中は、さらった人間を駅の外に監禁しておくのだという。外であれば何をしても自動改札の目に触れることはないからだ。外の環境は悪く、さらわれた人間はたいてい長くは生きられない。彼はなんとか妻の場所を突き止めて、危険を押して助けに行ったがすでに遅かったという。

「妻をさらったやつの顔ははっきり覚えている。見つけ次第こいつで撃つ。それで改札さまの怒りに触れても構わない」

 と男は長銃を構えて意気込んでいた。だがヒロトの方は残り時間が心配だった。時間はすでに五日目の朝で、目的の42番出口は目の前の山を登りきったところにあるのだ。

「なあ、何にせよおれをここから出してくれよ。何ならその連中に報復するのに協力してやってもいい」

「そりゃ無理だな。第一お前が本当にただの観光客だったとして、何の戦力になるっていうんだ? 下手に動かれたって、迷子になるのがオチだ」

 たしかにこの迷路のように連絡通路が張り巡らされた村では、よそ者のヒロトが動き回るのは難しそうだった。体格や身体能力であれば大概のエキナカ住民よりも上と思われたが、暴力行為全般が使えない以上あまり役立ちそうな能力ではない。となれば、使えそうな手はひとつしかない。

「…仕方ないな。平和的に済ませたかったんだが」

 ヒロトは構造遺伝界キャンセラーを取り出し、横の壁に向けて照射した。こぶし大のコンクリートがぼろりと崩れた。

「新型の武器だ。こんな田舎には伝わってないだろうが、駅構造も簡単に壊せるくらい強力だし、壊しても自動改札が来ないすごい兵器なんだ。これを使えばこんな村を壊滅させることは訳ない。穏便に済ませたかったらさっさとここを開けてくれ」

 もちろんハッタリだった。構造遺伝界キャンセラーは人間に撃っても何も影響はないのだ。だが男は状況がよく飲み込めていないらしく、長銃を構えたまま、ヒロトの持つ円筒状の物体と壊れた壁を交互に見ていた。無理もない。エキナカで育った彼らにとって駅の壁が崩れるということは、置いたものが宙に浮き上がるほどナンセンスな事なのだ。

 ヒロトは続いてキャンセラーを、ドアのガラス部分に向けて照射した。そのあとドアを蹴ってやると、照射した部分だけガラスが円形にかしゃんと割れて、破片が反対側に落ちた。

 ヒロトが次にキャンセラーをその男に向けると、彼は驚いて「うああわあ」と変な声を出しながら長銃をとって立ち上がり、ヒロトに向けて発射した。ばん、と大きな音が響き渡った。二人を遮るガラス窓には、弾丸であるネジが食い込み、そこを中心に大きくヒビが入った。いくら構造遺伝界で補強されていても、これだけ薄いガラスなら傷をつけられるようだった。

「うああわああ」男は膝から崩れ、床にべたんと倒れた。「た、助けてくれ!誰か来てくれ!」

 だが、すぐに現れたのは二体の自動改札だった。二体は長銃を持った男を取り囲むと、「あなたは駅構造の破壊を行いました。よって SUICA 不正が認定されました。これにより横浜駅からの強制退去が実行されます」と女性の機械音声でアナウンスし、素早く男を拘束し、一台が抱えてどこかへ消えてしまった。曲がり角の向こうで、男の悲鳴と、別の誰かがその男の名前らしいものを叫ぶ声が聞こえた。

 一体残った自動改札はヒロトを一瞥し、そのあとカバンを見ると「18きっぷを確認しました。本日も横浜駅のご利用ありがとうございます」と言い、その場で座り込んで休止状態に入った。床にはさっき男が使った長銃が放置されていた。

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