第8話 電光板

「待て、でかい方は撃つな」

低い声が旧道に響いた。大船行きの新道につながる扉が重々しく開かれ、大量の光が旧道に流れ込んできた。ヒロトは思わず目を覆った。

「そっちの男は人間だ。撃つと自動改札が来るぞ」

ゆっくりと目を開ける。扉には『非常口 Emergency Exit』と書かれた緑の看板があり、その下には制服を着た警察員が二人立っている。顎ひげを生やした男と、長銃を持った女のようだ。

「おい、お前」

髭の男が近づいてきた。胸のネームプレートには「二等警察員 片久里」という字が見える。

「北の工作員なんて連れて来て、どういうつもりだ? お前は北の職員か?」

「待ってくれ、違う。おれは、おれはただの観光客だ」

ヒロトが答えると、男は足元に転がるネップシャマイの下半身をごろんと蹴った。それが人体の一部に見えないのは、その小ささのせいではない。異常な量の蒸気がしゅうしゅうと上がる中、切断された断面には引きちぎられたケーブルやパイプのようなものが覗いている。

「これはお前のお友達じゃないのか?」

「……たまたま行きずりで一緒にいただけだ」

「知り合いではない、と?」

「工作員だとは知らなかったんだ」

 ヒロトはとっさに嘘をついた。

が人間じゃない、って事もか?」

 男はヒロトの背後に落ちたネップシャマイの上半身を指した。その上半身は両腕を制御の失われた機械のようにばたばたと動かしていたが、やがて動かなくなった。

「……ああ」

 それは本当だった。

「ああ、そいつは仕方ねえよ。こいつはJR北海道の最新型ヒューマノイドだ。Corpocker-03型、といったな。前世代の02型は自動改札みたいな格好していたんだが、こいつは思いっきり人に似せてやがる。スパイ要員のようだな。人間じゃないからSUICAなしでも出入りできるし、スイカネットでも位置を把握できない。厄介なやつだよ」

「上官殿。その男からはSUICA特性脳周波が検出されません。危険です」

男の背後で長銃を持った女がこちらに照準器を合わせて言った。髭の警察は少し不審そうな顔をしたあと、ヒロトの全身を見回して、それから左手で髭をぼりぼりと掻きながら言った。

「SUICAがない? あー、そうかそうか。お前はアレだな。あれ、なんつったか。喫煙所の棄児だな」

「キジ…?」

「ガキの頃に親に駅の外に捨てられたんだろ。よく生きてたもんだな」

「違う。おれは横浜駅の外で生まれて、外で育ったんだ」

「ああ、知らんのか? そんじゃ、ずいぶん世代が経ってるんだな」

男は右手で頭をかりかりと掻いた。どうにも落ち着きのない様子だ。

「いいか。説明してやるよ。横浜駅で生まれた人間は、6歳未満の幼児のうちはSUICAがなくても問題ない。だが6歳になって小児になると、SUICAをインストールしなきゃいけない。そのときデポジットって言ってな、50万ミリエンをネットに支払う必要があるんだ。貧しい労働者にゃちょっと負担できない金額だ。つまり子供を産んじまったはいいが、6年以内にデポジットが用意できない場合は」

 喋りながら男はヒロトの背後へ歩いて行った。そこには引きちぎられたネップシャマイの上半身が転がっている。

「そのガキは自動改札に捕まって、駅の外に捨てられる。まあ普通はそのへんの喫煙所だな。たいていは一人じゃどうにもならない場所だ。長くは生きられない。ところが、広くて水や食い物が豊富なところだと、捨てられたガキどもが集まって、成長して繁殖しだすんだとよ。中にはちょっとした村になってるところもあるんだってな」

「……?」

「お前はまあ、その子孫ってわけか。どうやってエキナカに入ってきたんだ?」

ヒロトは何も言えず、ただ思わず手を出しそうになった。とっさに髭の男は両手をヒロトの肩に置いて、そのまま壁まで追い詰めた。

「まあ落ち着けよ。そんな憐れなお前にここのルールを教えてやる。横浜駅じゃ暴力沙汰は御法度だ。ここでお前がキレて俺たちを殴ったりすりゃ、自動改札が飛んできてお前を外に追い出す。まあ、お前にとっちゃ同じことかも知れんが、俺たちエキナカの住民には大変なことだ」

 間近で話す男はひどく煙草臭かった。昨日の留置所で、ヘビースモーカーの警察員がいると煙草売の男が言っていたのを思い出した。

「それじゃ、エキナカで気に入らないやつがいたらどうするか。手っ取り早い方法は、大人数でそいつを捕まえて、怪我させないように鍵のかかる部屋に放り込んでおくことだ。何も与えずに一週間ばかり放っておきゃいい。実際、横浜駅が膨れはじめたころはそういう連中が横行していたんだとさ。だから今は、俺たち警察がそういう密室を管理している。まあ、自動改札さんの手の回らないところを埋めてるってわけだよ」

「上官殿。回収班が来ています」

長銃を持った女がいう。

「ああ、悪いな。入って作業してくれ」

 髭の男がそう言うと、すぐに若い警察員が四人入ってきた。二人と二人に分かれ、ネップシャマイの上半身と下半身を黒いポリマー袋に入れて、散らばった装備品も回収しはじめた。四人とも、どの部分が装備で、どの部分が身体なのかを区別できずに戸惑っているようだった。

「まあそういうわけで、こいつら北の工作員は、駅の建物を破壊したり、SUICAを入れてる子供を捕まえて北海道に拉致したりしてるわけよ。このイタズラ狐どもにみんな困ってる。人間じゃないから自動改札もアテにできん。となれば、秩序を守るのは俺たち警察の仕事ってわけだ」

 そう言うと、男はヒロトから手を離した。

「お前はJR北海道とは無関係のようだから見逃してやるが、せいぜいエキナカのルールは遵守してくれよな」

 そういうと彼は、ポリマー袋を背負った他の警察員たちと一緒に旧道を出て行った。扉がまた重々しい音を立てて閉まると、旧道はすっと静かになった。ヒロトはしばらくそこに立ち尽くしていた。

 喫煙所の棄児。髭の男の言葉が頭のなかにこだましている。

 SUICAのデポジットが払えずに、駅の外に捨てられた子どもたちの子孫。

 なぜ自分たち九十九段下の住民が、この横浜駅の住民と違ってSUICAを持たず、九十九段下の狭い岬で暮らしているのか、自分はそれまで深く考えたことが無かった。

「いや、違う」

 ヒロトはつぶやいた。あの警察員の男が駅の外の事情を完全に把握しているとも思えない。現にいま北海道や四国や九州に住む人達は、横浜駅の住民だったことなど一度もないはずだ。そういう場所が本州のあちこちにも小規模ながら残っていて、ヒロトの生まれた九十九段下もそういう場所である可能性も十分にあった。

『なあシャマイ、あんたはどうやってSUICAを手に入れたんだ?』

 さっきの自分の言葉がフラッシュバックする。目に焼き付いた映像が浮かぶ。前方を歩く彼が振り向いてこっちを見て、その瞬間にあの女の警察員に撃たれた。…自分があんなタイミングで言葉をかけずにいれば、彼ならなんらかの方法で、あるいはなんらかの技術で回避できたのではないか?

 考えても仕方のないことだった。ひとまずここから動かなくてはならない。だがそれにしても腹が減りすぎた。昨日の昼から何も食べていないのだ。なにか口に入れようとカバンの中に手をいれると、がつん、と硬いものが手に当たった。

 取り出してみると、それは留置所でネップシャマイと出会ったとき、彼が会話に使っていた細長い電光掲示板だった。長さはヒロトの肩幅ほどで、持ってみると意外と軽い。

 ふと、電光板全体がぶるんと震えた。ヒロトの持っていたところにどうやら電源ボタンがあったようだ。「JR北海道」ののロゴが画面に表示され、ついで白い文字が現れる。

『前回、不正シャットダウンがあったため、エラーチェックを行っています。残り2分…』

『残り1分…』

『残り15秒…』

3分ほどの間。

『エラーチェックが完了しました。Kitaca OS 4.2 を起動しています…』

またしばらくの間。

『◆いやいや、お騒がせして申し訳ありません。◆』

文字が赤色に切り替わった。留置所で最初に会ったときに使っていた文字だ。

「…シャマイ?」

『◆はい。僕はネップシャマイです。JR北海道から派遣されてきた者です。◆』

「生きていたのか」

『◆生きているといえば生きていますね。ボディが破壊されてしまったようですが。まったく驚きましたよ。関東の警察が敵対的だとは聞いていたのですが、まさかあんな対人用の武器を持っていたとは。あれは冬戦争のときに使われた電気ポンプ銃ですよ。金属ならなんでも弾になるから戦争末期によく使われたんです。横浜駅では武器なんて作ってるわけがないので、四国か九州あたりで生産されているんでしょうね。◆』

文字がそれまでの倍の速度で流れだし、ヒロトは目で追うのがやっとだった。警察に撃たれてから、ずっと黙っていたのが耐えられなかったように。

「この電光板のほうがお前の本体なのか?」

『◆うーん。本体の定義にもよりますよね。自然言語エンジンと主記憶装置は今このボードに入れてあるので、人間でいう頭脳に近いっていえば近いんですが。ただボディに入っていた補助記憶装置が取り出せなかったので、あの、大変申し訳無いんですが』

テロップが一瞬止まった。

『あなたはどちら様でしょう? 僕の知り合いの方ですよね?◆』

電光板の文字が、どういうわけか本当に申し訳無い顔をしているように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る