第5話 留置所

「では説明をしていただこう、諸君」

長袖の制服を着た警察員が、ふたりの部下に向かって言う。時刻は午後2時。外気温は35℃にも達しているが、この横須賀の派出所は地下室のように涼しい。横浜駅でも人の往来の激しい都市部では、新しい通路が次々に生成されるために駅が何層にも折り重なり、太陽の熱は下層部まで届かないのだ。

「はい上官殿、説明いたします。この男は先程、第三階層のレストラン街で先日オープンした『海自』でカレーライスを注文しました」

細い体の警察員が答えた。胸のプレートには『九等警察員 佐藤』とある。

「うむ。それで」

「このカレーライスは、インドから横浜駅にカレーが伝来した時代を再現するというコンセプトに基づき『海自』の人気メニューとなっております」

と、体格のいい方の九等警察員が答える。彼の名は『志尾』とある。

「それは今言わなくていい」

「はい。失礼しました」

拘束されたヒロトは三人の警察員の分厚い制服を見て、外でこんな格好をしたらすぐに熱中症だろうな、と思う。部屋には冷房らしい設備もあるが、電源コードも配管も外されており、長いこと稼働した気配はない。ずっと以前からここは気温が一定に保たれているようだった。

「カレーライスの値段は、食品衛生税、消費税、駅熱機関使用税などを全て含めて400ミリエンでありました」

と佐藤がいう。

「うむ。それで」

「この食品衛生税は、エキナカにおける食の安全を確保し住民の健康的な生活を維持するための最低限必要なものを我々警察局が徴収するものであり」

と志尾がいう。

「それは今言わなくていい」

「はい、失礼しました」

「従いまして、この男は食後に店員から提示された400ミリエンの請求に対し、このような金属のメダルを渡しました」と佐藤。

「ふむ。なんだそれは」

本須六等警察員は佐藤の提示したメダルを見た。手のひらサイズの金属板に「500」と刻印されている。

「ああ、これは知っているぞ。硬貨というものだ。SUICAが普及する以前の時代に、このような金属板で決済を行っていたのだ。まだ残っていたとはな」

「本須上官殿の博識とあふれる教養には感服の至りであります」と佐藤。

 ヒロトの座らされた位置からは、鏡越しに本須六等警察員の持つ端末の画面が覗き見えた。どうやら佐藤九等警察員と志尾九等警察員の発言にいちいちポイントを付けているらしい。いまの佐藤の発言で佐藤に5点がプラスされた。

「つまりこの男は、このような貨幣や服装が使われていた時代からタイムスリップしてきた訳だな。サムライマンと呼ぼう」

「了解いたしました、上官殿」と両警察員。

「今のは笑うところだぞ、諸君」

「ワッハッハッハ!」と両警察員。本須は二人から10点マイナスをつけた。

「それで、だ。飲食店でこんな骨董品を提示するのは別に良い。それは我々の法に反するものではない。それで、何が問題なのだ?」

志尾が答える。「はい。海自の店員によりますと、この男は貨幣を差し出したあとに店から逃亡したのであります。後で私が捕まえたんですが、SUICA決済端末にエラーが起き、支払いが行われませんでした」

「つまり残高不足による無銭飲食ということだな」

「それは」

志尾がなにか言いかけたが、佐藤がそれにかぶせて答える。

「そのとおりです、上官殿」

 エキナカで物理貨幣が流通していない、というのはヒロトの知るところではなかった。もちろん決済が基本的にSUICAで行われていることは追放者たちから聞いていたが、外で使われる貨幣もエキナカで有効だと勘違いしていたのだ。食料はいちおう五日分持ってきていたのだが、横須賀でカレーを食べたいと思ったのがあだとなった。


話は一時間ほど遡る。カレー店で食事を終えたヒロトが店員の女の子に硬貨を渡すと、彼女はすこし困ったような顔をして「ありがとうございます」とそれを懐に入れた。その後、別の店員が「支払いをお願いします」とSUICA決済端末をヒロトに向けたが、すでに支払ったものだと思ったヒロトはSUICA認証をされては困ると店から逃げようとした。

 その後、たまたま居合わせた志尾に捕まり、SUICA決済端末がヒロトの側頭部にあてられたが「SUICA特性脳周波が確認できません」というエラーが表示された。そんなエラーは店員も志尾も見たことがなく、志尾が派出所にいた佐藤に応援を頼み、ヒロトを拘束して、今に至る。

「無銭飲食者ということで、この男の身元を確認する必要が生じました」と佐藤。

「うむ。それで」

「しかし、SUICAの個人情報照合には、四等以上の警察員の印鑑のある照合申請書を提出する必要があります」と佐藤。

「うむ。それで」

「したがって本日は土曜日であるため、警察局に出勤している四等以上の警察員はおらず、申請が行えません」と志尾。

「休日にも関わらず出勤される本須上官殿は全警察員の鏡であります」と佐藤。この警察員たちはよくもこう切れ目なく言葉を並べられるものだな、とヒロトは思った。

「うむ。それで」

「従いまして、この男の処遇が決まるまで留置所に置く必要があるかと思われます。これには七等以上の警察員の許可が必要であるため、上官殿にご足労いただいた次第であります」と佐藤。

「うむ。そのようにしたまえ。ご苦労であった」

と本須は言い、端末の「送信」ボタンを押した。画面が切り替わり「佐藤九等警察員・八等昇格まであと520点」「志尾九等警察員・解雇処分まであと142点」と表示された。

「というわけでサムライマン。君は無銭飲食につき、留置所に入ってもらう」と佐藤は言い、ヒロトを手錠から持ち上げた。手錠は鎖の部分だけが金属製で、手にあたる部分は硬化ゴムとなっていた。

「運が良かったな。去年、金属の手錠で囚人に怪我させちまった警察員が自動改札に捕まっちまって、それ以来こうなってんだよ」と志尾が耳元でささやいた。

 ヒロトは二人の警察員に挟まれて、留置所に行くことになった。二人のうちでは体格のいい志尾も、ヒロトより一回りコンパクトな体つきだ。横須賀を歩きまわって分かったことだが、どうもエキナカの人間は全体的に体が小さいようだった。狭い屋内で暮らしていると自然と体が縮むんだろうか、とヒロトは思った。

 この警察員たちの話によると、解放されるのはどう見積もっても2日以上後になりそうだった。そしてSUICAの個人情報照合にそれだけの時間がかかる組織だ、SUICAがそもそも無いということが発覚したら、何日閉じ込められるかわかったものではない。一日目午後にして早くも、ヒロトの探索終了の危機が迫りつつあった。


送られた「留置所」は六畳程度の部屋で、先客がひとりいた。

「よう、ずいぶん若い兄ちゃんが来たな。何をやったんだ?」

 と、五十前後にみえる男は聞いた。エキナカの住民らしく色は白いが、手だけが何やら汚れて黒ずんでおり、肉体労働者のように見える。

「ただの無銭飲食だよ」

 ヒロトはなるべくぶっきらぼうに答えた。

「そうか。そりゃ災難だったな。学生か?」

「そんな感じのだ」

 ドアの外にはさっきの志尾警察員が立っているのが見えた。余計な会話をして身元を勘ぐられるのは避けたかった。

 部屋を見回すと、ベッドが4つにトイレがひとつ。ドアは普通に金属扉で「非常口」のプレートがあり、カギは内側からかけるタイプだったが、外に無理やり南京錠でカギを設置したらしい。おそらく横浜駅が生成した部屋を、改造して留置所として使っているのだろう。天井には電灯がひとつ。壁と床はコンクリ。

「まあ、無銭飲食程度なら大した目には合わされねえよ。就職に困ったら俺と仕事しようぜ」

「なんの仕事だ?」

「煙草売りさ」

「煙草? エキナカは全面禁煙なんだろう」

「おいおい兄ちゃんは真面目くんか? 世の中を知らないんだな。いいかい、この横浜駅にはあちこちに、小規模な穴ぼこのエキソトがあることは知ってるな」

「ああ。知ってる」

 となると、今ここで捕まったまま18きっぷの期限が切れれば、そこに放り出される可能性が高いわけだ。

「俺らの間じゃそういう場所を『喫煙所』って呼んでる。エキナカが全面禁煙といっても、煙草の流通自体はべつに禁止していないんだぜ」

 男は自分の仕事の概要を説明した。まず発掘屋が横浜駅のあちこちに生えてくる自販機を見つけ出す。もちろん駅設備なので破壊すると自動改札がやってくるが、SUICAを使えば正規に購入できる。それをしかるべき客に渡して、自販機から購入した額の数倍の金額を受け取る。という具合だ。

 しかし自動改札は煙草の流通や「喫煙所」での喫煙には無関心だが、警察は独自に「喫煙所」も含めた喫煙を禁止し、罰金を徴収していた。

「あいつらは何でもいいから規制しやがる。横浜駅と自動改札の理念に従い駅の治安を守りまーす、とか言ってやがるが、実際は自動改札が黙ってるところに勝手に規制して仕事を増やしたいんだ。その上に何かにつけて税金を要求してくる、ろくでもない連中だぜ」

 ヒロトは男の話を聞きながら、脱出の算段を練っていた。窓もないコンクリ部屋だ。ドアは外側から南京錠でロックされているが、南京錠はおそらく駅設備でないので破壊しても自動改札に捕まる恐れはない。だがドアを破壊せずにどうやって南京錠を破壊できるか?

「おれはこう見てもちっとは名のしれた煙草の運搬屋でな。横須賀周辺の自販機発掘は大体おれの指揮下にあると言っていい」

「でも捕まっちまったんだろ?これからどうするんだ」

「なあに、俺くらい組織的になると問題ないのさ。ここの二等警察員が実はひどいヘビースモーカーでな、俺はそいつと仲がいい。明日、子分が1カートンでも持ってくれば、それで放免してもらえるのよ」

 だとすればそれが脱出の機会か、とヒロトは思った。弱々しい佐藤警察員ひとりなら問題なくねじ伏せられる。だが比較的体格のいい志尾が相手だったり、二人以上で来られると難しい。話を聞く限りで警察員が武器を持っている可能性は低いが、暴力沙汰を起こすと自動改札に追い出されるというルールが18きっぷ使用者にも適用される可能性がある。

 いずれにせよ、チャンスがあるとすれば明日だ。今は休んで体力を温存しよう。ヒロトはそう決めてベッドにもぐり、煙草臭のする布団をかぶった。

 だがチャンスは予想よりも早く訪れた。

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